475.真髄を得る者
「――ふむ、今日は面構えが違う。何か良いことでもあった、そんな顔だ」
「……うん、今日はいろんな話を聞けたから……ちょっと満足してる」
最後の戦いの時間、目の前の日華はにたりと口端を上げた。
そして蹄を持ち上げると大きく振り降ろし、また地面の形状が変わっていく。
一番高い柱の上に立った日華は頂点から見下ろして聞いてきた。
「して、答えは見出せたか?」
「ううん、もうちょっとって感じ。でも……今なら、頑張れる気がする」
日華の体はまだ赤と金が織り交ざった毛色だ。
俺はまだ、妖に対しての答えを出せていない。
術士としてどうあるべきか、その答えもちゃんと出せた訳でもない。
術士の力は未だ日華の支配下にあるから、辺りの欠片はきっと反応してくれない。
それでも……皆は、応えてくれる。
そんな気がして、俺は地面に手を添える。
「ぐむ……ッ!?」
日華の体が、何か重りが乗ったように揺れた。
だけどそんな様子なんて視界には入らない。
俺はただ、地面に手を添えて、地面の中の小さな欠片達に意識を向けるだけ。
「……俺の声、聞こえる?聞こえたら、返事をして」
土の中、その奥底にある、色々なもの。
土だって生きてる。
鼓動とか、気配とか、温かさとか、色々な物を想像し思いながら、そんな場所に声が届くようにと語り掛ける。
きっと応えてくれる。
皆、俺とずっと傍に居てくれたものだから。
「俺の声に、応えて。……俺に……力を貸して」
かなり深い奥底から何かが光るような、その存在を知らせるような何かを感じた。
一瞬感じた大きな力はそれこそ俺の声に応えたように近づいて、空へと舞い上がる。
何も無かった大地は一瞬にして砂嵐を呼び起こし、空は土の色に濁った。
土を被った夕焼けの空の先、太陽の化身は大きく体を震わせて天を仰いだ。
「ふっ……ふはははははは!!!!面白い、実に面白い!!この我が契約を打ち破り、自身の力へと変えるか!未だ答えを求めながらその境地、我の体は震えている!良いだろう、貴様の全力を以て尽くすがいい!」
柱から飛び上がった日華は全身を青く染め、今までにない速度で降下してくる。
日華が本気を出した。
それはその一瞬で判断できた。
「……俺なら大丈夫。皆も気を付けて」
目の前に散布する砂が密集して小さな壁を作る。
細かな砂は結合するように、砂色は一瞬にして無色透明になって、日華の攻撃を受けた。
「……っ!?」
日華は表情を歪める。
目前に居ながら俺に攻撃を当てられなかった、そんな表情。
無色透明な壁は大きく砕け散ると結晶になって周囲を漂う。
地面に降り立った日華はそんな欠片に向けて大きく吠えた。
「我の契約を千切り、新たに力を貸すか!小賢しい、だがそれも一興!」
日華は楽しんでいる。
目を爛々に輝かせて、期待をしているような表情だ。
「――大丈夫、俺は……皆を信じる」
周囲に散布した砂を幾つもの塊にし、先ほど日華の攻撃によって砕けた欠片と共に日華へ仕向ける。
ヒュン、と音を立てた塊達は俺が想定した軌道を越えて意志を持ったように突っ込んでいく。
高低差を利用しながら飛び跳ね、回避していく日華。
「グッ…!?……集中力、機動力、成程な……」
「……っ!」
その内の欠片と礫が一つずつ、日華に当たったらしい。
花が散ったように黒い何かが日華から飛び散った。
それがなんだか、見たくない光景のように見えて……多分俺は表情を歪めた。
「気を散らすでない、貴様は我を倒す。それが貴様に仕向けた我の課題ぞ」
「……日華」
「貴様は妖を屠る、その為の術士。なればこそ、目の前に現れた妖は倒さねばならぬ。良いのか?我は貴様を殺すぞ」
「……」
にっ、と日華は笑う。
ただ、それはさっきの興奮とは違って、まるで妖の地の部分のような……何かを求めるような笑み。
前にも感じた、この背中がぞくぞくと嫌な空気を覚えたのは、いつだっただろうか。
集中を切らさないよう日華を見つめながら、俺は過去を振り返っていた。
沢山、何度も戦った妖。
初めて一人で戦った時や、一つの決意をしてただ強い術士を求め続けた時、何度も女王と対峙してた時――。
「――弥生と同じ目」
独り言ちて、納得した。
そうだ、駅前公園で戦ったあの日の弥生……それと同じ目をしている。
日華は本気で妖として俺と戦ってるんだ。
それなら……。
「……分かった。……日華、お前は妖だ。だったら例外なんてない、術士として、お前を討つ」
槍で地を掻き踏みつける。
それを合図に地面から更に砂が舞った。
砂から声が聞こえる。
『ついていく』…ただ、それだけ。
砂はガラスとなって正面に透明な板を張る。
日華は「征くぞ」と地を蹴り突っ込んできた。
――バリッ
ガラスは日華の蹴りに大きな罅を作り、割れる。
その隙を狙って幾つも用意していたガラスの欠片を全て日華に仕向けた。
「灰にしてくれる!!」
欠片が日華の皮膚を裂いて、黒い何かが血のように噴き出る。
それでも日華は口から灼熱の炎を吐き出した。
新たな壁で塞ぎながら身を捩り回避していく。
次の弾を用意しなければと砂をかき集め、ガラスを生成して日華へと飛ばす。
すると更に日華から何かが噴き出して、それでも俺は……次の攻撃を止める訳にはいかない。
しゃがんだ姿勢から立ち上がり、地面を踏み抜く。
口から更に火炎を吐こうと空気を吸い上げる日華の体に、地面から土の槍を突き刺した。
槍は日華の胴を腹から背へと突いて、貫通する。
次の準備に新たな土を用意しようとして……――手は、止まった。
いや、止められなかった。
止められなかったけど、返事は無かった。
いつの間にか体は熱くて顔からは汗が噴き出していて、視界は揺らめく。
自分の体を維持する事すら難しくなって、地面が横へと向いた。
「あ……れ……」
次第に意識すら遠のいていく。
周りの音とか、正面で日華がどうなったのかすら見る事も出来なくなって、そんな中で声を聞いた。
「ふはははは!とても良い!いい気分だ!」
笑い声。
楽しそうな、誰かの声。
俺は……多分力尽きた。
***
ごめん。
起きたら、一番にそう言いたい。
そんな気持ちと言葉だけが先行して、何度も繰り返して。
でも、今はまだ、俺は夢の中だ。
何処を探したってそこに日華は居ない。
分かってる。
何度も体から飛んでいたあの黒い何かは、日華の血だ。
日華は妖を基に作られた式神だから、きっと怪我をすると妖のように血のような何かが飛んでくんだ。
痛かっただろうな。
楽しそうに笑ってたけど、苦しくなかったのかな。
死ぬのって、怖くないのかな。
そんな言葉と考えだけが巡って、早く夢から醒めてほしかった。
日華に謝らないと。
その主である采紫郎さんに謝らないと。
手伝ってくれた欠片達にありがとうを伝えて、日華に伝えなきゃ。
あれだけ思った通りに、寧ろそれ以上にこの力を扱えたことを、感謝しなきゃ。
だから、お願い。
俺を夢から出してくれ……――
「日華!」
「ぬあ!?起きがけに我が名を呼ぶな!なんだ突然!」
体が跳ねたように起き上がってその名を叫ぶと、目の前で驚いた様子の日華が居た。
いつもの金色と赤色のもさもさした毛はどこかツヤツヤしていて、その中には神妙で厳格そうな顔がある。
間違いない、どこからどう見ても日華だ。
そこに居るとは思わなくて、妖みたいに霧になって消えたんだと思って、だからこそ……体は勝手に日華を抱き締めた。
もさもさの毛が気持ちいい。
温かくて生き物特有の鼓動を感じる。
本物だ。
「……日華、ごめん!」
「貴様まで我を愚弄するか!ええい放せ、此花か!?彼奴が我にすーぐ突っ込んでくるから!くそ、今度こそ我が業火で焼き尽くしてくれる……!」
日華は苛立った声を上げている。
それでも、離す気はない。
生きてて良かった。
そんな安堵から、手が離せない。
「……違う」
「ああ"!?」
「日華が、ここに居るから……良かったって思ってる。傷つけたく、なかったから……」
「何を言うか、我を傷つけねば貴様は術士と成れんだろう!」
「そうだけど、そうじゃない。日華を、殺したと思ったから……二度と会えなかったら、嫌だから……」
「貴様、飛んだ理想郷を吠えているな?我儘が過ぎる。妖だけでなく人だって一度死せば戻る訳が無かろう」
「……多分通じてない。そうじゃなくて、俺には、日華が大切だから……例え妖でも式神でも、死んでほしくなくて……」
「……」
日華は黙る。
しばらくして、グルル…と喉を鳴らすと「チッ」という舌打ちが聞こえた。
「貴様には言わなんだが、我は式神だ。よって敗れても、采紫郎が我を必要とすれば何度も記憶を保持したまま蘇るぞ」
「……本当?」
「寧ろそのまま死せば、我は式神として、この山の主となれんだろう。敢えて言うが、我の本体は采紫郎が持つ護符だ。それは貴様達の式神も同等ではなかったのか」
顔を上げれば明らかに呆れた表情の日華が居た。
そういえば、鷲埜芽家の式神は護符を使ってるんだったな、と思って……自分がそこまで頭が回っていなかった事実に気付いた。
なんで焦っていたんだろう。
ちょっと恥ずかしい。
「そうだった……」
「気持ちだけ受け取ってやらんこともない。全く、我と欠片の契約を断ち切り、力を我が物とした真髄を得る者がこんな奴だとは」
「ぐえ」
日華が首を大きく振って振り落とされた。
体が布団に戻され、更に腹には日華の蹄が乗って、グリグリと躙られた。
真面目に痛い。
「日華、痛い。痛い」
「我は今、盛大に腹が立っている。此花には出来ない、その分も含めてだ」
「それ、八つ当たり」
「ああそうだ。だから采紫郎の許へ行くぞ」
「うぐっ、ええ??」
最終的に脇腹を盛大に蹴られた。
なんだか日華の苛立ちに弄ばれて雑な扱いを受けている気がする。
それでも……日華は完全に俺を嫌ってるようには見えなくて、先に行こうと背を向けては「そのまま地を這って来るか?早くしろ」と声をかけてくれた。
……素直じゃない。
俺は痛い腹を擦りながらその背を追った。
祝・500部です!
まだまだ続く神命迷宮ですが、これからもよろしくお願い致します!




