3.全ての始まり
朝起きると体はずっしり重たかった。
響くような頭痛、動かすのも億劫な身体、飲食をするのも気が向かない気持ち悪さ。
この体調の酷さは、記憶によくある。
昔は熱も出ていて、よく玲に看病して貰ったけどここ5年くらいは熱は出ないようになった。
それでも3か月に一度ほどでよく悪くなって、ここ1年は月1回で現れる。
「あれ…日に日に酷くなってる…?まあいっか…。学校、行かないと……」
重い身体を引きずり、なんとか制服に着替える。
鞄を持って下に降りてる途中で祖父と会った。
「あ…おじいちゃん…。おはよ」
「日和ちゃん、また体辛くなったかい?大丈夫?」
「うん…学校行かなきゃ…」
「ちょっと待ってね…」
ぱたぱたと祖父は居間に向かい、しばらくするとコップを持って戻ってきた。
「朝ご飯は無理しなくて良いよ。これだけ飲んでいきなさい」
祖父から渡されたのはコップに入った冷たい水。
受け取り、喉に通すと爽やかなレモンの風味が広がって、少し気持ちが楽になった気がする。
「ありがと、おじいちゃん」
「本当は休んでほしいけど、気をつけてね。学校で休んでも良いからね」
「うん。じゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
重たい身体を動かして、なんとか立ち上がり家を出た。
玄関のドアを開けると、目の前に心配そうな玲が立っている。
「ごめん、ちょっと遅かったから前まで来たよ。おはよう」
「兄さん、おはよう」
玲の横に立ち学校へと体を向ける。
「……日和ちゃん、もしかして体調悪い?」
数歩歩いただけで、玲は私の顔を覗いて聞いてくる。
この人はいつも相手の動きや表情を見ている。
「…うん、でもいつものだから大丈夫。さっきもおじいちゃんにいつもの貰ったし…」
「ふふ、日和ちゃんはいつもレモン水に助けてもらってるね」
体調が悪い時はいつも祖父のレモン水が出る。
これは昔、元々玲が最初に淹れてくれたのだが、祖父が気に入って淹れるようになった。
「…でも飲むと身体がなんとなく元気になるから助かってる」
「そっか、それは良かった。でも無理しないでね」
「うん、ありがとう」
レモン水を飲むと身体は特に元気になる訳ではない。
だけど気持ちは後押しされるような、元気をもらうような、特別な感覚がいつもある。
スッキリとした味が気持ちも晴れたようになるのは…私はレモン水が好きなのかもしれない。
学校へは特に重たい身体を引きずるような感覚ではなく、比較的楽に行けた。
玲は結局校舎に入るまで送ってくれたけど、おかげで女子からの視線を若干感じてしまった。
気をつけなきゃ。
「あっれー、日和じゃん!今日は遅いね。どったのー?」
教室に向かってる途中、弥生が後ろから話しかけてきた。
「弥生、おはよう。…そっか、もうそんな時間か…」
玲は朝練があるのもあり、いつも早めに学校に着く。
人目もあるのでそれに合わせていつも早くに来ていたが、比較的人通りの増える時間帯に弥生に会うとは思いもしなかった。
それなら先ほどの視線も頷ける納得の範囲だ。
「…ちょっと体調がよくなくて、思ってた以上にゆっくり来たみたい」
「逆に日和がいつも早すぎるんだよ。今日ぐらい休んじゃえばよかったのに」
「そういう訳にもいかないでしょ、風邪じゃないんだし…」
「じゃあ体育は保健室で休むことだね!あとで髪、纏めていい?」
ため息をつく私に弥生はいつも以上の笑顔を見せる。
こういう時は大概、やりたい事にうずうずしている顔だ。
「……奇抜じゃないのなら、いいよ」
「やった!激しく動くと髪型崩れちゃうから嬉しいー」
再び、大きなため息が口から洩れた。
***
体育は3時限目だったが、既に2時限目から酷い頭痛に襲われて保健室に行く事になった。
朝よりも体が重たくなって、目の前もちかちかして視界が歪む。
壁に手を添えないと歩きづらく、立っていられない程になっていた。
「う、ぐ…」
思わず声が漏れる。
揺れる視界にも気持ち悪さを感じながら保健室へ向かう。
幸い保健室は同じ階にあるので少し歩いてなんとかたどり着いた。
保健室の扉をノックすると「はーい」と女性の声がしたのでよかった、休ませてくれそうだ。
「あら…どうしたの、真っ青じゃない。大丈夫?」
中にいた養護教諭は心配そうに日和に近寄り、様子を見る。
「少し…気持ち悪くて…」
「ベッド使いなさい。でも…ちょっと次の授業から居なくなるから鍵かけないといけないんだけど…それまででも大丈夫?」
「はい…すみません…」
「出来るだけ休んで」
快く休ませてくれた。
ベッドで横になると少しだけ、気が楽になる。
ゆっくりと長く息を吐くと、そのままあっさりと眠ったらしい。
いつの間にか養護教諭はバタバタと時間に追われているようで、そろそろ出る時間なのだと気付く。
「…あっ、ごめんなさい。起きちゃった?体はどう?」
養護教諭もこちらに気付いたようで様子を見ている。
「…だいぶ、よくなりました。ありがとうございます」
「もう次の授業は始まってるけど、無理しちゃだめよ」
「わかりました。失礼しました」
頭を下げ、日和は保健室を出た。
本当は少し気が紛れただけで全くよくはなっていないのだが、仕方がない。
一先ず教室に戻ろうとすると、視界の端に人影が見えた。
「……ん?」
人影は体を引きずるように階段を上がっていく。
上級生だろうか。
この時の私は多分、かなり頭が回ってないんだろうなと後々思った。
何故か私はその背を追っていた。
相手は怪我した身体を引きずるようにゆっくりと上がっていく。
残念なことに距離は縮まらず、私も重たい身体を引きずってその背を追っていた。
登った先は、屋上。
ちなみにこの学校では屋上に柵はあるものの立ち入り禁止だった気がするけど、入っても大丈夫なのだろうか。
重たくて頭痛がして気持ち悪いのに、単純な興味だけでここまで来てしまった。最早戻ることも面倒だ。
意を決して、少し錆びついたドアを開ける。
ごう、と心地いい風を全身に浴びた。
「わぁ…風が強い…」
そこそこに流れてくる風を浴びながら、ゆっくりと歩く。
この学校はL字角になっているので、屋上も先の所で曲がっている。
一面見た限りでは人影はない。
一体何処だろう…。と、つい先ほどの人影を探していた。
柵に手を添えながら歩き、丁度曲がり角で足元に、影を見た。
「――あ…」
曲がって少しだけ離れた場所で、人が蹲っていた。
息苦しそうに肩で息をしていて、とにかく辛そうで。
「あの、大丈夫ですか?」
不用意にも、私は声をかけていた。
制服を見れば男子だと分かるが、相手がこちらに視線を向けた瞬間、男子は…化けた。
「……っ!?」
一瞬何が起こったか分からなかった。
短くて少し薄まった茶色の髪だと思ったのだが、一つに纏められ風に靡いた髪はとても長く、銀色に輝いていた。
まるで銀の糸のように一本一本が太陽に照らされ、目を奪われるようだ。
この学校の制服だと思った衣服は和風で立派だ。
着物に袴、羽織のような、学校には不釣り合いな服装で。
多分同じクラスの見覚えある顔だと思ったが、とても男性らしい整った顔立ちの青年に姿が変わって、手を掴まれた。
そして、何が起こったか理解が出来ぬまま…唇が触れ合った。
そこまでが一瞬の出来事で、時間にしてどれほど経ったかは分からない。
分からないけど、思考が止まっていて嫌がることも、逃げることも出来なかった。
ただ少しだけ、体が熱くなって、恥ずかしくなった。
離れて焦点の合っていない目が、こちらへ向いた。
「はっ…!あ…その、すまない…!ほ、本当に申し訳ない!」
相手が顔を赤くして頭を下げてきた。
私は思わず首を振る。
「いえ、あの、く、苦しそうにしていたので…」
「あ…や、すまない、ありがとう。…私は大丈夫」
あの、と言いかけるが言葉が見つからない。
恥ずかしいと感じているのか、色々と衝撃が強すぎて中々思考も回らない。
「そういえば君は…まだ授業中じゃないのか?どうしてここへ…」
「あ、えと、体調が酷くて保健室に行ってたのですけど…途中で誰かがここに向かう姿が見えたので…」
「なるほど…。それで、体調は?休んで、いくか…?」
思った事を口にしたままついつい返事をしてしまった。
それでもこの人は真面目に話を聞いてくれたことに、どこか安心した。
いつの間にか体調も落ち着いていた。
それより気が動転して、妙に心臓が激しく鳴り響く。
「あっ、その…なんかさっきのでびっくりして…落ち着いたみたいです」
「それなら…良かった。……多いか?その、体調不良は」
「たまに、です。その時はお兄さんがよく看てくれるのですが…そういえば進学してからはまだなっていませんでした」
「…そうか。もしまた体調が悪くなったら、来るといい。次はちゃんと違う形で体を休ませる…」
雰囲気で言えば大人の男性、といった感じだった。
高圧的という訳では無いが、言い回しがどことなく立場が上の人間だと感じる。
そしてどことなく感じる包容力というか。
何を言ってるんだろう、心臓が煩い。
「はい、ありがとうございます…。えと、私、金詰日和です」
「…竜牙だ。また」
「えっと…ありがとうございました」
恥ずかしさを感じながら私は駆け足で屋上を出ていた。
室内に入った瞬間何故か顔がすごく熱くなって、不安になった。
「竜牙……さん」
先ほど教えてもらった名前を記憶に刻みながら、私は教室へ帰った。
その後は不思議と、体が軽くなっていた。
頭痛もないし吐き気も無い。
今までこんなにも支障がないのはほぼ初めてかもしれない。
竜牙さんが不思議な人なのか?それともキスしたからか?
「キス一つで身体が軽くなるなら世話ないよね…浮かれてるだけだ、きっと」
そもそも初体験とはいえ気にし過ぎているだけだろう。前者を取る事にする。
日和の知っている人間は大体祖父か薄ぼけた死ぬ間際の父、あとは玲くらいだったのに、あんなにがっしりとした男性らしい体格の、年上の男性をまじまじと見るのは初めてだ。
単純に興味が向いてしまったらしく、中々忘れてはくれない。
「やっぱ浮かれてるだけだ…」
日和は大きくため息をついた。
特段何かないと、金詰日和は人に興味を持たない。
それが家族であれ、同じ学校、ましてや同じクラス、道行く人でさえ一切気にも留めない。
一人でも大体なんとかなる、と考えてしまうのだろうか。
本人は気付いてもいないが父というトラウマがあるのか、日和は人と一切関わろうとしない。
今の所奥村弥生だけが自分から寄って行く真逆のタイプで、関わらされていることに驚いているくらいだ。
ちなみに人からの助言を受け入れられるのは今の所祖父と玲だけである。
そんな日和の中に、今日は竜牙が追加された。よく分かっていない人物なのに、何故か受け入れてしまった。そんな不思議な人間だった。
「あれ、日和ちゃん帰り?」
それから何の問題もなく授業が終わり、放課後になって。
ゆっくりと歩く日和の背後から声がかかった。
「兄さん…うん、今から帰るとこ。兄さん部活は?」
「今日はこれから予定があるから帰るところだよ。送ろうか?」
にこりと相変わらず爽やかな笑みの玲が横に立つ。
「じゃあ…お願いします」
ぺこりと頭を下げて歩き出す。
するとすかさず玲は顔を覗き込んできた。
「日和ちゃん…なんかいいことあった?」
「え?いや、そんな事はないと思う…多分」
まだ表情が緩んでただろうか、ちらりとつい屋上を見てしまう。
その姿に玲はくすくすと笑った。
「そういえば授業中、屋上に人影があった気がしたんだけど…もしかして行った?」
どきっ、と心臓が跳ね上がる。
「あ…バレてた?体調が…よくなくて…」
「そっか、朝と比べて顔色は良くなったね。もう大丈夫?」
「うん、風が気持ち良くて良い所だった。いつも以上によくなったよ」
笑ってみせて、玲は頷く。
「それならよかったね。何かあったらすぐに言うんだよ?」
「ありがと、兄さん」
小鳥遊夏樹
7月8日・男・14歳
身長:165cm
髪:暗緑色
目:翠色
家族構成:父・母・兄×2・姉×2
髪型はわりと気に入ってる。
体格は中肉。体重は軽め。正也や玲と違って可愛い顔をしているのがちょっと悩み。
あとせめてもう1年早く生まれたかったなとさりげなく思ってる。