469.弟子の一日
それから、日華から離れた俺は鷲埜芽家の弟子達に混じることになった。
知った顔は琲鈴以外知らない。
勿論全員と顔を合わせた訳じゃないけど、最初の修行内容で出会ったのは一先ず5,6人くらい。
丁度部屋や廊下の掃除が始まっていて、「初めまして」と挨拶するととりあえず雑巾を持たされた。
「この家めちゃくちゃ広いから助かる」
そう言って頼まれた担当は、廊下。
鷲埜芽家、中央の祈祷場をぐるりと囲った建物の廊下はどこも一本しかない。
その両サイドに部屋が敷き詰まっているのだけど、当然その分距離は長い。
そんな廊下を雑巾がけとなると……ああ、かなりの体力を使いそうだ。
長い長い廊下を雑巾がけで駆け巡るなんて、気分は小学生に戻ったような感覚。
面倒よりも楽しいが勝ってしまった俺は、申し訳なさそうに「貧乏くじみたいに使って悪いな」と一言入れる担当を頼んできた術士に「寧ろ楽しそう。ありがと」と素直に答えた。
それから何周してどれだけ走ったのかは覚えていない。
気付けば雑巾は真っ黒になって、久しぶりに体をしっかり動かしたことに気付いてやっと今日の夜からしなくなっていた鍛錬をしようと思った。
普段しないことをするって楽しいな。
家に帰ればきっと使用人の仕事を奪ってしまうことになるから、掃除をするとしたら自分の部屋だけど。
昼は料理の担当じゃなかった。
食事の準備は当番制になっているらしく、メニューと指示を出すのは朝日の仕事のようだ。
食事までどうしたものかと考えていると此花に声をかけられて、その手伝いへ。
何をするのかと思えば……陰と陽の毛づくろいだった。
ペット用のブラシで二匹の体をブラッシングしていったり餌を与えたり……やってる事は完全にペット飼育だなと思う。
それでも二匹はずっとどこか嬉しそうにしていて、正直式神にしては生々しいというかなんというか。
此花曰く、「会話が出来ない分こうして意思疎通を図りに来るんだよ」と話していた。
動物型の式神はそういうものなのかな。
食事を摂って、午後。
弟子達は瞑想の時間に入る。
そこそこ大きな広間に集まって、皆で座禅を組んで目を瞑る。
少しでも集中が削げば夕月が手に持つ板で背中を打たれる……らしい。
俺はその中には入らなかった。
その代わり朝日に連れられたのは朝日の部屋。
どうしたのかと思ったら、荷物の中のソーイングセットに目を付けたらしく「助けて」とお願いされた。
弟子達が揃って着る『修練着』と呼ばれる簡易的な着物(上下が分かれていて、遠目では甚平っぽい)の穴を塞いでって言われた。
渡された服はどれもベージュに近い茶だけど、年季が入っているのか酷使されているのか、布地は所々すり減ってるし、かなり修理された部分も多い。
それを昼食後から始まる3時間強の瞑想の時間に、朝日は毎日直しているらしい。
枚数も多いしかなり忙しそうだ。
俺としては裁縫で集中力を上げる鍛錬もしていたから何も問題はない。
寧ろ最後に針を触ったのは泰希の前で自分の仕事服を直していた時だったから少しだけ懐かしいなと思った。
何枚もの服を直すのは……それこそ中学以来だ。
高校になってからはずっと竜牙だったから、もしかしたら家の使用人達の服も修理が溜まってるかもしれない。
これも、家に帰ったら直したいなと思った。
「……正也君、手際良いね」
「……そう?」
気付けば修理する手をじっと見られていた。
横を向けば朝日は驚いた顔をしていて、思わず「何が?」と口に出そうになる。
「だって早いし、縫い目綺麗だし。正也君が良かったら教えてくれる?コツとか色々」
「そんなに教える事は無いと思うけど……」
朝日に簡単な直し方とか気にするべきポイントを教えると、あっという間に山積みだった服は無くなった。
時間もまだまだ余ってて、今までの無理に直した痕や修理痕が新たな穴を作りそうな部分を補強したり。
翌日の仕事が減って喜ぶ朝日と一緒に手と針を動かし続けた。
次はやっと修理した修練着を弟子に手渡して、外へと向かう。
修練着に身を包んだ弟子達は一人ずつこれから術士として鷲埜芽家の面々と戦うらしい。
当然その中には同じく修練着を着た琲鈴も混じっている。
そんな弟子達の正面には采紫郎さん、朝日、夕月、此花、日華、そして陰と陽が揃って並んでいた。
正直言って壮観だ。
ちなみに日華の相手は当然俺だけで、あとの皆は残りの皆と対峙する。
……掃除の時に聞いた話では、これが弟子達の一日の中で一番の苦行らしい。
掃除でも阿鼻叫喚を聞いたけど、それをも超える苦行って一体……。
「誰が誰と戦うかは、今日は指名制にしようか。正也と日華は向こうの方で、弟子達はこの場で三人ずつ受けていくよ。いいね?」
采紫郎さんの掛け声で何故か俺に視線が集中した。
仕方ないのかな。
俺だけ日華の"特別メニュー"とやらを受けているのだから。
日華はふす、と鼻を鳴らすと「行くぞ」と声をかけて歩き出した。
その背を追って、俺は朝ぶりに日華の前に立つ。
「――正也、今日一日どうだった」
「え?あー……楽しかった」
「弟子達の修行が、か?ふん、貴様は変わったヤツだ」
場所を移動した日華の質問に正直に答えたつもりなのだけど、何故かくつくつと笑われた。
別におかしなことを口にした覚えはない。
そう思っていると、「修行を受ける人間は得てして何かしらの愚痴を吐く。それを貴様は真っ先に『楽しかった』などと宣うとはな。至極面白い奴だ」と日華は笑う。
元々鍛錬とか修行の場を苦しいと思ったことはない。
寧ろ強さを求めるのなら、それが当然だと思っていた。
だからそんな風に笑われるとは思ってなくて…。
「まあ、そんな顔をするな。我は褒めてやっているのだ。修行の場が何の為にあるのか理解出来ぬ者に、我の言う"真髄"は永遠に見えぬ。言っただろう?主達が連れてくる術士はどいつもこいつも我の手が及ぶほどではない、へなった連中ばかりだと」
「……つまり、修行に対して真摯に向き合った術士こそが真髄の極致に到達するってこと?」
「正也、貴様は常に良い解釈をする。我も貴様のような奴が丁度いいと思える」
「此花じゃ駄目なんだ?」
「彼奴は我が求める術士の真髄を越えた。だが、同時に外れている。まだまともな人間性であったなら、我はもっと彼奴に求めたと思うがな」
日華の言葉はたまに難しい。
此花に対してはどう思っているのか分からないけど、式神なりの苦労?それとも日華なりの願いがあるのかな。
でも元々が妖であるのなら、日華にだって何かしらの求めるものがあるのだろうか。
彼は式神なのだから、それを日和のように突き付けようとは思わないけど……俺はもっと、日華のことを知りたいと思った。
「――さて、無駄話はここまでだ。向こうも我の"解放"を待っていることだろう、ここからは本気で往くぞ」
「……うん」
日華は大きく吠えると、前脚を持ち上げて力強く地面を鳴らす。
全身の毛は蒼炎に包まれ、全身が溢れ出る妖の気にびりびりと震える。
何度も見た光景。
何度も感じた空気。
多分この山に立つ者皆、同じようにそう思うのだろう。
修行山の頂は一匹の式神により強い術士の気を爆発させて、一斉に修行の場となった。




