457.式神の原初
「この子は日華ちゃん。さっき紹介にあった通り、鷲埜芽家の守護獣でもある麒麟の式神だよ」
にこりと微笑みながら立ち上がった此花は、日華の隣に立ってふさふさの鬣を撫でた。
此花の白い腕は鬣の中に埋まって、見ただけでももふっとした感じがよく伝わってくる。
「おい此花、どさくさに紛れて我の毛に触れるでない」
「えー?それは日華ちゃんがぶすーってしてるからでしょ?」
「我を妖などと混同するからだ」
ふん、と再び不機嫌な声を漏らす日華は本当に妖と間違えられた事に腹を立てているらしい。
でも麒麟と言われても空想上の生き物だってことしか知らなくて、更に言うならそんな名前の神獣が居るって程度の知識だ。
妖としてもヤバい奴だって認識はあったけど、そもそも式神というのも竜牙とか波音の焔、或いは練如のような人型しか知らない。
知識がなかったことは許してもらいたい。
「えっと…ごめん、動物の姿をした式神って初めて見たから…。寧ろ式神自体、もうこっちでしか作ってないんだと思ってた」
「ああ、篠崎にはまだ式神を作る文化があるね。それだけ血も力も強い術士であるから仕方ない」
ははは、と軽快に笑う鷲埜芽采紫郎は「でも、式神の文化がここにある訳ではないよ」と言葉を付け足す。
それから胸襟に手を突っ込むと、護符を二枚持って戻ってきた。
采紫郎さんは「陰、陽」と声をかけながら護符を投げた。
「キュゥ!」「ガウ!」
すると可愛い声と共にぼふん、と音を立てて護符が動物の姿へと変わる。
次に現れたのは、もふっとした犬とわさわさとした犬……違う、この犬と同じ大きさだけど多分獅子だ。
「増えた……」
「彼らは陰と陽。モデルは狛犬だね。ほら、神社の入口に立ってる像。わかる?」
「狛犬…」
確か神社の鳥居の傍で両側に佇んでる二匹の像か。
目の前の新たな式神は「わう!」と機嫌よく鳴いた。
白い犬と黄色の獅子…石の像でしか見たことの無い姿がこうして動いてる様子を見ると、中々面白い。
「……陰、陽、待て。言う事を聞けないなら戻すぞ」
じっと二匹を見ていたら采紫郎さんがペットさながらに指示を出す。
すると獅子はともかく犬の方は主の方を見て「クゥーン」と声を上げた。
一体二匹から何を察したんだろう。
「――まあこの通り、我が鷲埜芽には式神の技術がある。だけどこれは…君達が扱う式神の原初でもある」
「原初?」
「この式神達はね、初代・神宮寺家当主と出会う前からこの手法が編み出されていた。式神も最初は動物の姿だったんだ」
大きく口角を上げる鷲埜芽采紫郎。
長い歴史の中で初代神宮寺家当主の存在を聞くことになるとは思わなかった。
竜牙の記憶では、人として死んでから再び式神として生きる瞬間に立ち会っていた男。
多分師隼が神宮寺家の人として初めて転生した姿――だと思う。
「知らなかった…です」
「ふふ、それはそうだと思うよ。隠していたつもりは無いけど、伝えるような情報ではないからね。その技術がこの家には今も使われている…ただそれだけだよ」
そんな原始の技術で作られた日華は、だから妖の気配を持っていたのか、と納得できる。
きっとそれから次第に術士の力のみで作り上げる技術が発達していったんだろうな。
「それからの歴史は君の予測通りと言えよう。妖を根源とするのはかなりの技量が無いと難しいからね。
そして幾ばくか、式神が初めて人の姿を為したのは、君もよく知っている式神・竜牙だ。彼はまだ元気かい?」
そんな采紫郎さんの眼はキラキラと輝いたようで。
期待の目というかなんというか。
こんな所にも竜牙を知ってる人が居たんだなぁ、としみじみ思う。
その相手は、残念ながらもう居ないのだけど。
「……竜牙は、俺の代で魂送りに出ました。10日に、式神としての生も…終えてます」
「……そう、か…。ついに長い命運を全うしたのか……」
目を見開いて、ゆっくりと視界を塞ぐその表情は悲しむ…というよりは安堵のようで。
感慨深いように何度も頷く采紫郎さんに少しだけ、色々な事を聞きたくなった。
「竜牙のことも、知ってるの?」
「そりゃあ勿論!小さな師隼を養育したのは私だけど、竜牙と一緒になって様々な事を教えたからね!彼は人格者でもあったから実に話も気も合ったよ!勿論私が最初に竜牙に会った時は、衝撃を受けたけどね。たった一つの頼みの為に、彼には終わりが見えない程の永い時を生かせてしまったから…」
ぱぁ、と明るくなった采紫郎さん。
でもその声は次第に陰りを見せていく。
一度死んだ竜牙を式神にしたのはこの人の先祖。
それからどれだけの当主が代替わりをしたのかは分からないけど、竜牙はその間一度だって死んでいない。
責任を、感じているのだろうか。
「竜牙は……竜牙は竜牙で、ずっと探しているものがあったから。式神をしながらも見つかるはずもないものをずっと探していて……でも、ちゃんと見つけたよ。長い時間をかけて、正攻法じゃ辿り着けなかった探し物を、竜牙はちゃんと見つけた。竜牙はきっと『後悔』で妖になってしまいそうな気がしたから、それが無いって事は…竜牙は満足して逝けたと思う」
「……そうか。君を見ていれば、そんな気がしてくるよ。神が下す呪いは酷く重い。偶然に見えるそれは限りなく必然で、何があってもその錠が外れる事はない。だけど……人の思いはそれを覆すことができる。"選ばなかった選択"の積み重ね、だね」
「選ばなかった、選択…」
「この思想自体は未来を観測できる神だからこそ理解ができる領域の話でもあるから、君には難しい話かもしれないね。だけど式神・竜牙と携わり、師隼の下に就く術士であるなら、覚えていて。神が予測も立てられない程に積み重なった分の"選ばなかった選択"は、私達の言葉で言うところの、所謂『奇跡』だ。
これは神では成し得ない、我々人間のみが起こせる云わば特権だよ。長い年月をかけて起こした奇跡を、君はその目で見た。これは誇っていい事だ」
鷲埜芽采紫郎はにこりと微笑む。
そして「ありがとう」と一言告げられて…褒められた訳でもないのに、少しだけ恥ずかしくなった。
「おい」
「ん…?」
そこへ、声をかけられる。
顔を向ければ日華が眉を歪ませ、まるで眉間に皺を寄せるようにこっちを見ていた。
「残念なことに我はこの地を離れることは出来ない。何故ならば、我はこの地に生まれ縛られこの霊山の主となっているからだ。式神・竜牙を我は名しか知らん。あとはこの采紫郎が先祖返りと共に語った思い出話のみだ。だが――お前が式神・竜牙の主にもなった術士であるならば、我は奴の上役としてお前を誇りある術士に育て上げてやろう」
「日華!?」
「えっと…」
日華の言葉に采紫郎さんは驚いて声を上げ、俺は何を言われたのか理解できなくて首を傾げる。
そこへ「わぁ…!」と驚いた表情をして此花が口を開いた。
「正也君すごいね!日華ちゃんはお父さんのお願いでもない限り、自分から術士を育ててやろうだなんて言わないんだよ?正也君の事をそれだけ術士として認めてるんだねぇ」
「おい此花、五月蠅いぞ。そもそもお前達が連れてくる術士がどいつもこいつも我の手が及ぶほどではない、へなった連中ばかりではないか。我が手を出さずとも結果は見えている」
「やっぱり強い術士として認めてる。日華ちゃんは素直じゃないねー?」
此花はにっこりと笑って嬉しそうに日華の鬣をもふもふしながら褒める。
日華は「ええい、毛に触れるな!」と鬣を青く燃え上がらせるも、此花はずっと離しそうにない。
寧ろ「正也君も触る?日華の毛、気持ちいいよぉ」と勧めてきた。
その誘いは当然断った。
少なくとも此花と同じ様に触れれば、日華がブチギレしてしまいそうな気がする。
「……日華が認める程か。どうやら君の価値観を、日華なりに尊重しているみたいだ。ここまでの苦労、答えが出るまでは休んでいきなさい。どっちにしろ朔は暫く出せないからね」
優しく微笑む采紫郎さんに言われ、頷く。
だけど同時に――そうだ、朔がずっとどこにもいない。
先にこっちへ来た筈なのに。
「そういえば…朔は?」
「ん?……ああ、あんな基礎倫理もぶっ壊れた保護者もまともにできない人間は宗家の面汚しだからね。今は反省会中なんだ」
鷲埜芽采紫郎はにっこりと微笑む。
それは先ほどまで見せていた優しい笑みではなくて、どす黒い闇を孕んだような悪意のある笑顔。
まるで怒った師隼そのものだ。
……そういえば師隼の養育をしたって言ってたな。
もしかして、師隼の笑みはこの人譲りなのだろうか……。
日華
赤と金の毛色に覆われた鹿…ではなく麒麟型の式神。
鹿って言ったら怒るし妖と言っても怒る。
戦う時は全身の毛が燃え上がるように青に染まる。
鷲埜芽家の式神
妖が持つ欠片に直接術士の力を送り込むことによって使役できる妖となる。
性格には術士の力を妖が受け入れる必要があるが、受け入れた妖は体に刻印が付く。(日華は鬣に埋まっていて見えない)
術士の力の影響力が強ければ強いほど強い式神が出来る。(意思表示ができたり(陰・陽)、自意識が生まれて会話が可能(日華)
妖を人の魂に替えたのが竜牙、護符に替えたのが練如、純粋に術士の力で作り上げたのが焔や風琉。




