436.兵庫へ
「……」
「……」
なんだろう、空気が重い。
全ては泰希と茗子が放っている空気なんだけど、大変複雑な空気だ。
少なくともこの状況で何かを話そうという気にはなれない。
「……」
「……」
お互い目を合わせるどころか、顔すらも合わそうという意識は感じられない。
さあ、困った。
一先ず先に飛び出して置いていってしまった朔に、これからのことを話した方がいいのかもしれない。
「……ちょっと朔に連絡を取る」
「ああ」
泰希は短く返事をしたけど茗子は変わらず。
家を出て直ぐの状態だけど、まずは連絡先を朔に設定して電話をかけた。
『……おう』
短い返事。
もしかして怒ってるかな?とも思ったんだけど、電話に出てくれただけでも助かる。
「あ、朔?俺。正也だけど…」
『おう、急に飛び出して行ったから驚いたが、今街の様子はどうだ?』
「大混乱してる。未だに落ち着いたって言える様子では無いけど、街よりも術士の方が問題」
『術士が?一体何があった?』
「泰希が持ってるブースター、しっかり作られてる一つ以外は粗悪品だった。今豊中…?に居るんだけど、こっちで保護した堀田茗子っていう術士も妖に襲われてた。原因はやっぱりブースターだって。
今からそのブースター作った工房って所に行ってみるつもり」
『マジか。詳しい話を聞きたい。俺もついて行っていいか?』
「えっと…勿論大丈夫だと思う…けど…?」
『おう。じゃあ今から車を出す、行くぞ』
「分かった」
話をしていると朔の声は結構興味がある様子だった。
どうやら今から車を飛ばしてこっちに来るみたいだ。
「泰希、茗子、俺の引率の人…今からこっち来るって」
「まじか。朔さんこっちに来れんの?」
「朔…?」
泰希と茗子に電話の内容を伝えれば泰希は少し驚いた様子を見せた。
勿論茗子は朔を知らないから首を傾げているけど、不信そうな顔は多分……泰希に向けてると信じたい。
一先ず朔に現在位置だけを伝える。
それからは朔が来るまで俺がこっちに来た経緯と引率の朔についてを話していた。
篠崎の大体の場所、強い妖ばかりで術士同士協力しないと戦えないこと、泰希とこれまで話していた所謂『妖学』、篠崎の術士について……
他にも朔が宗家の人間で東京の大きな警備会社の社長だとか、ブースターも取り扱ってて何やら研究もしているらしい…?とか。
そんな話をしながら30分ほど待っただけで、車に乗った朔が現れた。
「……朝ぶり、朔」
「おう、このまま兵庫行くぞ。相手の場所は大体掴めてる。今から1時間くらいの距離だが…ここへ来るだけでも混んでた、倍に見積っとくか」
「分かった」
俺が泰希と一緒に行動してる間、朔は朔で何かしているようだった。
もしかしたらブースターについて調べていたのかもしれない。
少なくとも、既に例の工房の位置を把握している辺りは流石、大人の手腕と言うべきなのだろうか。
「…正也はん、その方は?」
朔に対して感心していると、茗子が怪訝な顔を向けてきた。
簡単に朔を紹介しただけだから、その反応も仕方ないような。
ちゃんと紹介するべきだなって思った。
「えっと…俺が今回の応援で引率してくれてる分倍河原さん。朔、この人は豊中を担当してる術士・堀田茗子さん」
「よろしゅう、お頼申します」
茗子は外に出ると毅然とした態度で接している気がする。
そういえば最初もこんな態度されてたな。
一方の朔は気にしていないようにがははと笑っている。
いつも通りの様子だ。
「おう、俺は分倍河原朔だ。よろしくな。もう一緒に行動してるって事は……早速打ち解けたのか?」
「寧ろ最初にこっち来た日、妖討伐手伝ってくれた内の一人」
「そうなのか、そいつは世話になったな。今の保護者として礼を言うぞ」
「元々ウチが追いかけとった一部がそっちに行ったんや。お恐れたことは何もしてへんよ」
「そうか。折角の縁だ、何かあれば言ってくれ」
「よろしゅうに」
挨拶を終えたところで、朔は運転席に回り込みながら「早速だが乗ってくれ。向こうに行くぞ」と声を掛ける。
俺は助手席で朔の隣、後部座席には少しだけさっきの険悪さを醸し出していた二人が乗り込んで、少しだけ不安になった。
だけどそんなことは関係ない。
朔の車は兵庫、ブースター専門の工房とやらに向けて出発した。
「えっと……分倍河原はん、やったなぁ?一応隣県の術士の手伝いって名目で正也借りてきたんは正也から聞いたけど、どうしてこっちに来たん?」
後ろから疑問の声が聞こえた。
一応大体の話は茗子にしたけど、どうやら朔本人からも話を聞きたいようだった。
朔は道路状況や街並みを見ながら運転している。
前に集中しながら、口を開いた。
「俺のことは気軽に朔って呼んでくれればいい。正也については……そうだな、茗子は『女王』って存在を知ってるか?」
「女王?なんやの、それ?」
「妖の頂点に君臨した存在だ。妖は人の感情を食って成長する。小動物から体を次第に大きくして、果てには狼や熊、それから人の形へと変貌していく。それが最終形態、多くは女性の形をしているから『女王』と名付けられている」
「はあ?妖が人型に?一番強い妖が篠崎に流れるってのも聞いたけど…――」
「――おう、妖は人型になる。力を付ければ俺達術士みたいな特殊な力を持った妖になって、人型へと変わるんだ…」
朔の説明に疑念の声を上げた茗子。
だけどその言葉を遮ってその説明をしたのは泰希だった。
ブースターにより目の前で妖の成長を見たのだ。
バックミラー越しに見えるその表情は、事実を受け止めた様で渋く、声も一段と低い。
「人…人って……しかも何かしらの力があんの…?そんなん、ウチらと何が違うん…?」
茗子の表情は真っ青になった。
その事実を受け止めるのは重かったみたいだ。
だからこそ、思ったことが口に出る。
「人は人、妖は妖…だよ。妖は人の姿になって成長したって妖だ。俺達のように術士の力があっても、完全な人間になりきることはない。どれだけ人に近づいたって、妖はいつまでも感情を求める。一つの感情から生まれた妖がどれだけの沢山の感情を知っても、最初に知った感情を理解しないと納得しない。できない。だから人を襲う」
「……そんな妖と、正也は戦っとるんか?」
仄暗い目をした茗子の視線がバックミラー越しに自分に向いた。
隣の泰希も気になるのか、眉を落として多分俺を見ている。
「そもそも女王になる程成長する個体は少ないよ。あってもまだ人に成り切れていない姿だった。でも……完全に人の姿になって人として過ごしていた奴も、俺は知ってる」
「そうなん?どんな奴?」
「妹」
「は?」
「……妹」
ちら、と朔が横目で俺を視線を向けた。
何か言いたそうな顔をして、でも何も言わずに運転している。
後ろの二人は驚いた顔をしていた。
でも多分、理解できてなくて、受け止められてないんだと思う。
「一時期、こっちの術士が一人倒れて…代わりに朔が育ててた術士がこっちに来たんだ。俺の妹、その子と一緒に術士として活動してたみたい。それがその女王に襲われて、朔の術士は死んで妹は行方不明になった。それが中一の頃。
それから去年の春に、急に同じクラスの生徒として現れたんだ。その時は既に…妖の女王が俺の妹として成り代わってた。それから色々あって、皆で倒そうと全力を尽くしたけど……皆で負けた」
あんまり話してもな、と思ったけど、思い出は容易く口から流れ出ていく。
色んな説明は省いたけど、今となっては思い出にしかならない過去。
今はもう終わったこと。
済んだこと。
だからこんな話をしたって何にもならない。
そもそもなんでこんな話になったんだっけ。
ああそうだ、朔が俺を応援に連れて行った理由を話すんだっけ…。
「ま、負けたって…」
「正也はんが?で、でもここに居るって事は倒したんやろ??」
「…妖は生まれた時の感情をベースに動くらしい。俺の妹に成り代わった女王は、『強欲』だった。その名の通り、欲しいものの為ならなんでもする妖で…あいつが求めたのは、とある術士の娘の力。
出会ったのは子供の頃で、その術士を倒してから女王となって人の姿に隠れながらその力を手に入れる日を待ってたみたい。結局倒したのは俺達じゃなくて、その術士の娘だった」
「そりゃ…篠崎の術士の娘ってんなら術士として強いんだろ?正也みたいに感知して色んな術を扱える…――」
「――ううん。日和は術士じゃなかったよ」
「え」
そりゃそうだろ、と言いたげに泰希は口角を上げて。
でもそれは違うからすぐに否定してしまった。
寧ろ俺としては…日和を術士にしたくない。
いや…もう、巻き込みたくない。
「寧ろ日和は、俺達と出会うまで術士すら知らなかった。女王に守られながら、術士に守られながらただ一般的な生活を送る町の人。ただ父親はその女王によって殺されたし、母親は居なくなったし、祖父と一緒に静かに暮らしてて……その祖父が妖に殺されたから、やっと術士や妖を知ったってだけ。
力はずっと使われずに溜め込まれてて、やっと術士の力を使った時…その女王を倒した。あの女王は過去一番強くて凶悪な奴だったけど、それを倒したのはただの一般人」
後ろの二人は目を丸くしていた。
朔は詳細を聞いたのだろうか、あまり驚いた様子はないけれど…なんだか心配された目を向けられた。
しばらくするとごほん、と咳払いが聞こえて、朔は話を戻す。
「まあ、色んな奴がいるようだが、つまり女王は人の姿となった妖で…非常に厄介な存在だ。勿論妖が出た時点で討伐はするが、そいつが現れれば早急に手を打たなければならない。俺が正也を連れて隣県に向かった理由は一つ。『人型の妖』の目撃情報があったからだ」
「それって…!」
「ああ、俺も女王だと思って篠崎の世話人に頼んだ。それでなくとも妖の数が増えていたからな。少しずつ何かが変わってきている。未来を危惧した俺は、正也を連れてこうして移動してきたって訳だ」
茗子は「へぇ…」と声を上げながら、「んで…結果はどうやったん?」と首を傾げる。
心なしか興味がありそうな雰囲気だ。
「居なかった。だが出会った滋賀の術士は力を安定して扱えるようになったばかりの新人ばかりでな…しばらく正也が指導してやっていた。それがここで地震が起きて、ただでさえ妖に注意を向けてるってのに心配しねぇ訳がねーだろ」
「それで大阪にやってきて、最初にコンタクトを取れたのが俺だと」
「そういうこった」
なるほどねー、と溢す泰希はうんうんと何度も深く頷く。
茗子は面白く無さそうにぐむむ、と眉間に皺を寄せた。
「よりにもよって泰希が選ばれるとか……ま、でも正也はんが先に会ったんはウチやもんな?」
そこへ茗子が対抗心を燃やしたように燃料を投下する。
「んああ!?厳密には理胡が最初なんだろ!?そんなんどーでもええけど!俺は正也が来てからずーっと一緒に活動しとるし術士としても腕磨いとるからな!正也の妖学も聞いて術士としてのレベルは上がっとるで!」
「はっ、多少知恵がついたからて何をそんな威張り散らすんかねぇ?ほんまに腕上がった言うなら今すぐにでもウチと勝負してもええんやで?」
「何やとー!」
腕を組んでふふん、と上から目線で啖呵を切る姿は既視感がある。
気付けばこの後場の空気は振出しに戻るんじゃないかって雰囲気を感じた。
まあ、聞いてる分にはこの二人の会話が面白いように思ってるんだけど。
朔は大きく「はぁ…」とため息をついて口を開く。
「争うんなら今すぐ降ろすぞ」
「ああっ!朔はん、堪忍な」「さーせん」
二人の言い争い(?)は朔の一言で終着した。




