430.電話会談
「すみません、今までお名前をお伺いしなかったのですが…置野様でいらっしゃいますね?」
「え…あ、はい…」
そういえば今まで『朔のお連れ様』としか扱われてないことに気付いた。(多分ホテル側は朔が連れ回している人間だから大丈夫だろうって感覚なんだと思う)
というのもたった今、食事を持ってきた使用人に名前を確認された。
いや、俺も教えてはないけどどうして分かったんだろう。
泰希とブースターについて話をしてるとお腹が空いた。
ということで昼食をホテル側に頼んだところだった。
このホテル、豪華な部屋を頼んでるのだからもしかしたら当然なのかもしれないけど、大きな食事の部屋でバイキング…という訳ではなくお腹が空いたと伝えれば食事を用意してくれる。
最初はとても気が引けたけど、朔がいつものようにがははと笑って「気にすんな、いつもこうだから」と言うものだから少しずつそこは慣れてきてしまった。
泰希も居るので分けて食べていいかと思い、一人友人がいることを伝えればわざわざ泰希の分まで用意してくれた。
普通は駄目だろうになんでこんなに我儘聞いてくれるんだろう。
そんなことを考えていた矢先、俺はこのホテルの知らない部分について今から知ることになる。
「貴方が置野様であることを知ったのもつい先程なのですが、とある方からご連絡を頂きまして。お繋ぎしてもよろしいでしょうか?」
それはあまりにも丁寧な言い方で。
だけどそれ以上にツッコミが口に出そうになった。
繋ぐ?誰と?
口に出なかったのは、ホテルマンがすかさずスマートフォンを差し出してきたからだ。
電話は既に誰かと繋がっている。
誰だろうと恐る恐るスマートフォンを手に取り耳に当てれば、聞き覚えのある声が聞こえた。
『電話を手に取ったわね。聞こえるかしら?置野正也』
久しぶりに聞いた、落ち着いた声には少しだけ毒が込められているような。
忘れる訳も無い。
あと1カ月程で卒業する予定の闇の令嬢、有栖麗那だ。
「あっ…えっ…えっと…麗那先輩?ご、無沙汰…してます…」
『久しぶりね。お父様から聞いたわよ。…貴方、今大阪にいるんですって?』
「あ゛っ…えっと…はい…」
突然どす黒い闇を孕んだ声に心臓がどきりと大きく跳ねる。
師隼には秘密にしてるのに早くもバレてしまった。
もしかして強制的に帰らないと駄目だろうか。
電話の奥の有栖麗那はそれこそ高圧的な態度、見下ろすような視線を受けてる気分になる。
『ふぅん…ちなみに私はお父様から師隼との結婚式はどうするのか、だなんて簡単な儀式しか考えてない話のついでに貴方のことを聞いただけだから、師隼には伝えてないわよ』
「え…そうなんですか?」
『何、伝えて欲しいの?』
「あ、いえ…」
つい拒否してしまった。
だけどきっと伝えて、なんて言ってしまったらこの応援も終わってしまいそうだ。
そうなると……目の前で大人しく豪華な食事を前に固まっている泰希に申し訳ない気がする。
『そこは素直に拒否するのね。どうやら竜牙が居なくなってから思い切りが良くなったじゃない?』
「う…」
なんだろう、姿は見えないのにじと目で睨まれている感覚だ。
元々苦手なタイプだけど波音と同じ、言葉が何も浮かばない。
ついでに痛いところを突いてくるようで返す言葉もない。
師隼だけでなく有栖麗那にも世話になってしまっている。
少し気にしていると電話の向こうでは小さなため息が聞こえた。
『まあいいわ。貴方がそう言うのなら貴方の好きにやってらっしゃい。このことは黙っててあげる』
「え……いいんですか?」
『私がとやかく言う必要性が無いもの。言ったところで師隼の心労が増すだけだわ。今は日和のことで心をすり潰しているけどね』
「……師隼が、日和を?」
どうしたのだろうか。
まだ俺の誕生日まで少しある、竜牙はまだギリギリ生きているだろう。
何を気にしているのだろうか。
『貴方ねぇ、竜牙を看取りに地下へ行った日和がピンピンした姿で戻ってくると思っているの?私の見立てではきっと地下からの階段も上がれないわよ』
……どうしてだろう、有栖麗那の言葉に否定ができない。
やっぱり日和に頼んでは駄目だっただろうか。
急激に不安になってきた。
『全く、黙って不安になってるんじゃないわよ。貴方は貴方の意志でそこにいるのでしょう?だったら貴方ができることをしっかりとしてらっしゃい』
「……えっと」
『式神・竜牙の意志を継ぐ人間がそんなに曲がりやすい意志でどうするのよ。そんなになよっとするなら日和の隣には立たせないわよ?』
電話の奥では少しだけ苛立たし気な声が聞こえた。
確かに日和は家族って感覚ではいるけど、何てことを言うのだろう。
「別にそういう意味で日和を気にしてる訳じゃ…」
『あら…本音はどうだか。それとも貴方が気付いていないだけかしら?これ以上は何も言わないからそろそろ電話も切るけれど、師隼を失望させないように。私からはそれだけよ』
「あ……その、ありがとうございます…」
一応気にして貰ったってことだろうか。
ありがたいような、申し訳ないような。
そろそろ電話を終える頃だろうかと薄々感づいていると、最後に有栖麗那は一言溢した。
『そこ、叔父様のホテルだから金銭面は気にしなくて良いわよ。どうせ分倍河原朔の客人扱いはされていると思うけど、もう貴方はお父様関係で箔がついたからそこに居る間は好きに過ごせばいいわ。今お父様もそこに居るらしいから、もし顔を合わせたら一言告げておくのよ。それじゃ』
「え……、え、え???」
ぷつ、と電話が切れた。
耳からスマートフォンを離すとホテルマンはスマートフォンを回収して深々と頭を下げる。
「置野様、当ホテルのご利用ありがとうございます。既に顧客情報を有栖様から入れさせていただいてますので、何かあればお気軽にお申し付けください。有栖様はあと3日程ご滞在しておりますので、ご挨拶をされる場合は私どもに話していただければご案内いたします」
「えっ、あ、はい」
突然ホテルマンからの扱いが変わった。
そう言いたくなる程ホテルマンの動きは朔に対しての動きと同じで。
ものすごく特別な扱いをされてるんだなと分かりたくない。でも理解できる。
……少しだけ置野家の当主になれるのか不安になった。
「置野様」
「やめて」
「置野様、やばい」
「ほんとやめて…」
目の前に並ぶのは洋風のフルコースみたいな皿の山。
どれもこれも皿の上は光り輝いて、芸術品みたいなものが並んでいる。
そこに庶民さはどこにもない。
ホテルマンが部屋を出て、泰希と昼食をしている筈なんだけど…今は何だか弄ばれている。
「だって飯のランクが明らかにおかしいやん…。俺めちゃくちゃ庶民やもん、高級すぎてこんなん味分からへん……たこ焼き食いたなる…」
「俺もこんなの食べ慣れても見慣れてもないし…。食べ方とか偉い人がいたら絶対に怒られる…」
二人で少しずつ手をつけては口に運ぶものの、豪華な食事の前に揃ってげっそりとしながら食べている。
大体がカタカナが並ぶような料理、本来ならカトラリーを使い分けて食べるものだろう。
だけどテーブルマナーなんて予備知識レベル(しかも有栖麗那を前にして食べる時くらいだしそもそもそんな機会はほぼ無い)だし、食べても食事をした気にならない。
一応ナイフを使い肉厚で輝き方が明らかに可笑しいステーキを切るものの、殆どを二人揃って箸で突いている。
有栖麗那が居れば何を言われ、何をされるか分からないレベルの悪逆無道な行為をしてる気がする。
こんなの、同じ感覚の人間の前でしかできない。
波音なら絶対キレるだろうし、日和には見せられない。
夏樹なら多分ドン引きされそうだ。
俺もたこ焼き食べたい。
「肉がめちゃくちゃ柔らかい…こんなん肉ちゃうで…」
「俺もここまでのは食べた事ない…」
「こんな扱い坊ちゃんレベルちゃうて…!完全にどっかの王子やん!」
そんなことを呟きながら、多分今現在自分の身に起きている面白さに笑みが止まらない泰希はいつも抑えてる方言が全面に出てしまっている。
でも目の前に広がってるのは明らかにめちゃくちゃお高いフルコース。
お金は人格を破壊してしまうのかもしれない。
「じゃあ…こんな食事今だけだから食べよう…」
「そう言うて、どうせ置野様はずっとこんな食事しとんやろ!?」
「だから殆ど食べてないってば!」
なんとも皮肉なことか、俺自身あまり喋らないし波音達と食べるか一人で食べる食事以外で騒いだのはこれが初めてだった。
たまにクラスの誰かがやってるような、ふざけ合う賑やかな食事をする日がこんな形でくるとは思わなかった。
「一生ついて行くで、坊ちゃん」
「やめてって言ってるんだけど」
「ごめん、ごめんって…どわあああああ!?」
流石にしつこすぎて頭以外を土で固めた。
竜牙が以前師隼に対して埋めてたなぁ。
あれは反省しろって意味合いだったけど、仲が良い人にしかできない芸当だな。
俺と泰希が仲が良いのかは聞いてはいけない。俺もどうなのか分からないから。
「待って、これ身動き取れない。ごめん、ふざけすぎた。ごめん、マジでごめんって」
ただ、泰希は絶対怒らないだろうなってなんとなく分かってきたから、やってみただけだ。




