422.気持ちの整理
「おう、正也…お前、器用な事してんなぁ…」
ある日のホテルに帰って鍛錬中、別の用事で外から帰って来た朔に驚いた顔をされた。
片手で逆立ちスクワットしてただけなんだけど…そういえばあまり見られてなかったかもしれない。
ただこれはいつもやってることなので、俺としては特に特別なことじゃないんだけど…。
「え?……別に、普通…?」
「お前感覚マヒってるわ」
くすくすと朔に笑われたけど、そりゃ一般の男子がこんなことをしてるとは勿論思ってない。
ただ俺は竜牙に『片手で自分の体を支えるくらいの筋力はあった方が良い』と言われたからそんな鍛錬をしてただけだ。
問題なのはこれだけやってても腕や肩が強くなるだけで手の平の筋力自体は足りてないだろうな。
ぶら下がれたらいいけど、生憎このホテルにそんな場所はなかった。
勿論家の自室にも無いし家のどこかでやったら使用人の邪魔になってしまうのでまともに鍛えられたことは無い。
「正也」
「何…?」
「外の空気には慣れたか?」
姿勢を戻し、シャツの裾で汗を拭いていると名前を呼ばれた。
気付いたら朔はいつになく真面目で真っ直ぐに視線を向けてくる。
「……うん、さすがにもう慣れた」
「そうか。…あと1カ月って言ったがあいつらに会って二週間、どう思う?」
首を傾げる朔だけど、何が言いたいのか何となくわかってきた。
多分俺をそろそろ篠崎に返したいのだろう。
「瑛士の基礎体力が上がって、術を使うタイミングや使い方も理解してきた。漣はやりたいことの目標が高くて上手くいかないだけで地道に努力してる。サポートとしての能力は高いと思う。啓太はデコイ自体の体力も上がってきて、少しだけなら別々に行動させることも出来てきた。皆能力向上はできてる」
「ああそうだな」
「……朔、俺を篠崎に戻そうって思ってる?」
「そりゃ、そうだろう。俺が危惧していた人妖の存在も未だに情報はない。女王なのか術士なのか、だが妖であれば確実に対処をしなければならない。さもないと…――」
「――みこのような犠牲が増えるから。…でしょ?」
「……おう」
珍しくも朔の表情はどこか落ち込んでいた。
やっぱり斗真のことを引き摺っているのだろうか。
俺だってあの瞬間を忘れた訳じゃないけど……竜牙の古い記憶が、まだ俺を俺として押し留めてくれているのかもしれない。
「お前、みこのことも詳しく知ってそうだな」
「痛ましい事件だった」
「ああ、そうだな。東京で一番能力がある若い術士だった。篠崎でも渡り歩けると思った、元気な術士だった。それが、あんな姿を見ることになるとはな…」
朔にとってはまだ、大きな事件なのかもしれない。
そう言いたくなるくらいいつも大きな体格で存在感を占める姿は見る影も無くて、明らかに消沈している。
勿論俺にとっても大きな事件ではあるけれど……多分俺からすれば意味合いは違うものになるのだろう。
「……父の友人が、似た死に方をしていた。その女王はその娘を長い間狙っていて、みこが居なくなった時俺の妹も襲ったんだ」
「……行方不明になった女児って…お前の妹か!」
小さく頷くと、目を見開いた朔は目に手を当てた。
「でも、見つけたから…もういい。妹も、みこも、最初の被害者だった父親も、その女王の所にいたから。全部、その娘が受け止めてくれた」
「……」
まるで絶句したように。
だけどそれ以上言葉は出てこなかったみたいで、朔は「そっか…」と言葉を溢す。
でも、本当にもういいんだ。
そこに妹の気配が感じられたなら、十分。
「朔、もう寝る」
「おう…なんだか悪いな。明日はちゃんとあいつらに伝えよう。そろそろ篠崎へ帰るぞ」
「分かった」
二人でベッドに潜り、睡眠の体勢をとる。
朔は疲れてるのだろうか、しばらくすると大きな寝息を立てて眠ったけど俺は眠れなかった。
結局ベッドに座り込んで衣服や荷物を入れた鞄を手に取る。
一番外側の小さなポケットに手を突っ込んで、やけに女子が好きそうな可愛らしい手紙を取り出す。
文化祭の時、ボロボロの波音に会う前に弥生のロッカーで見つけたものだ。
『お兄ちゃんへ 日和のことヨロシク。何かあったらもっかい呪う!』
意図して持っていこうと思った訳ではない。
ただ、妹も外を知らないだろうなと思って…なんとなく連れてきただけだ。
そんな手紙は時が経ったって文面が変わる訳でもないのに、見れば笑いが込み上げる。
あまり妹を知らないのに妹らしくて、今でも脳裏に浮かんでは頬を膨らませて指を差してきそうで。
あの女王の被害者だってことすら、忘れてしまうくらい。
寧ろあの女王が本物の妹だったんじゃって思うくらい。
妹が何を考えてるかなんて分からないのに、なんとなく分かる気がする。
妹が俺を恨んでなくて、『日和をヨロシク』なんて手紙を遺してくれただけで十分。
俺があの女王に対して何も思ってないのは、きっとこの手紙のお陰なんだろうな。
***
「分倍河原さん、正也さん、俺達頑張って術士な活動していきます。何より俺達が住んでた街に嫌なこと起こってほしくないし!」
斗真さんを失ってすぐ、帰り際の瑛士はそんなことを言っていた。
瑛士達には斗真さんの事はどう映ったのかは分からない。
それでも希望のような心を持てたなら、よかったとも思った。
「……そっか」
「おう、気張ってくれよ?一番は無理をせず、だけどな。仲良しなお前らだから心配になっちまう」
朔からも言葉を受けてにんまりと笑う三人はきっと、この先もそんな姿をしてるんだろうなとも思える。
それくらいこの三人は本当に仲良しに見えた。
「勿論っす!」
「精進していきます」
「斗真さんの為にも」
「あっ、啓太!一人だけかっこつけんなよー!」
「ずるいよ、啓太っ」
俺にはそんなもの無かったな。
それが少し羨ましいような。
でも心のどこかでは友達と笑い合えるような世界は多分きっと俺の世界じゃなくて、俺が守ろうとする世界なんだろうなと思う。
学校の生徒達も、無意識の内にそんな風に映っていたのかもしれない。
それを自覚できただけでも俺にとっては十分。
俺はきっと、これまでもこれからもその世界の傍観者だ。
……。
…。
がば、と体を起こす。
どうやら寝ていたらしい。
枕元には寝る前に見た手紙があって、嗚呼あのまま寝たのかと納得できた。
ホテル備え付けの時計を見れば、時刻は6時半。
いつも以上に早起きだ。
朝食って7時からだっけ。のんびり着替えて荷物を軽くまとめて準備すれば丁度いいかも。
隣のベッドに視線を向ければそれこそ熊のようにぐごー!と大きないびきをかく朔がいる。
流石に起こすのは申し訳ないな。朝食に行く時に起こそう。
出してあった手紙を片付けて、ハンカチを入れているポケットに戻す。
別のポケットに入れているハンカチは日和がくれたお守り。
何となく一緒に入れてるけど…多分きっと弥生だし、文句は言わないだろう。
日和のハンカチはお守りだから通常利用は出来なくなった。
そもそも竜牙もお守りとしてずっと袂に入れてたからハンカチとして利用されたことはこれまで一度も無いのだけど。
溜まった服は帰ったら全部洗濯して貰おう……いや、すごい量だから自分でやりたいな。
そんな事を思ってるから使用人達に『次期当主なんだから』って言われるのだろうか。
竜牙がよく溢してたけど、本当にうちの使用人達は皆世話焼きすぎる気がする。
もう少し自分の趣味とか家族とか大切にして欲しいくらいなんだけどな。
……そんな事を思いながら片付けを終えると、時間は丁度7時となった。
もうそろそろ行ってもいいかな?
なんだかんだ初日からずっと中々行けなかったホテルの朝食にそわそわとした気持ちで大の字で眠る朔の体を揺する。
「朔、朝ごはん食べて来る。朔も行く?」
「ふがっ……んあ?おう…いってこーい」
「……そっか。じゃあ行ってくる」
朔はまだ眠るつもりらしい。
瑛士達のとこに行くならまだ早いから、もう少し寝かせて後でちゃんと起こしてあげなきゃな。
一日早いけど、師隼お誕生日おめでとうございます!




