42.女王襲来*
若干のグロ注意(ついにシルシつけました 22,2,23
「日和ちゃん、どう?ウチには慣れた?」
廊下で鉢合わせした佐艮は嬉々として日和に問う。
一応、この置野家で住むようになりひと月が経つか経たないかといった頃合いだった。
6月は終わりが近く、丁度梅雨が明けた。
「えっと…そう、ですね。いつもありがとうございます」
そう言って頭を下げた日和は、正直に言うとこの環境に慣れた訳ではない。
どちらかというと問題がこの先にある。
テスト週間を抜けた大型の休み、夏休みだ。
――何が問題なのか。
今までに家には祖父しか居なかった。
対してこの家には20人程の人がいる。
あまりにも人が居過ぎるのだ。
騒音には困ってはいないがそういった仕事柄とはいえ、常に気にかけられるのがどうも落ち着かない。
「いえいえ。なにかあったり欲しいものがあれば言ってね」
「はい、その時はよろしくお願いします」
きらきらしい笑顔を向ける佐艮はそれこそ父親のように声を掛ける。
そもそもの家主がこれなのだ。
やっぱり、落ち着かない。
何かあればすぐに竜牙が来て気にかけてくれるのは助かっているが、たまにそれすらも申し訳のなさを感じる。
多少の息苦しさに日和の表情から少しずつ疲れが見えているのは、竜牙にはお見通しらしい。
「…日和、大丈夫か?」
「え?」
部屋に戻る途中、竜牙に出くわした。
「疲れていそうだ。あまり休めていないのか?」
「すみません、休めているとは思うのですが…」
「気疲れか。家の者には言ってるんだがな…なにぶん世話を焼きたがる不躾な者が多いからな。すまない」
「そんな、不躾だなんて…」
小さなため息が竜牙から漏れる。
竜牙はわりとため息が多い。
大小あるが、何かあればすぐに出てしまっている。
元から苦労性なのだろうとは思うが、かなり重症ではないだろうか。
「竜牙、私は大丈夫ですので」
「出かける時は呼んでくれ。今、女王の気配が出ている」
「女王…分かりました」
日和は頭を下げ、部屋に入った。
件の噂はつい2,3日前の事だ。
生きてはいるが狐面が数人、女王に襲撃され倒れたらしい。
術士総員で巡回に回るものの、姿は見えず未だに足取りも掴めていないまま数日が経っている。
脳裏に先日の『憧憬の女王』と名付けられた女王が浮かんだ。
あれはまだ異形の、完全に人とは言えない姿だったが、女王に成ったばかりの姿だと言っていた。
女王自体は完全に人の姿になりきれるという。
師隼から講習と呼ばれる授業を受けたが、妖と戦わないといけない皆がやはり心配ではある。
「…あれ」
勉強道具を広げると、消しゴムが割れて片側が消えていた。
替えも無いし、残りも少なくなっている。
念のためノートを見ると白紙ページが少ないものもあるようだ。
竜牙に先ほど言われた事を思い出し、ため息が出た。
これでは竜牙と一緒だな、と思いつつ仕方なく財布を手に取って日和は部屋を出る。
竜牙が居るであろう隣の部屋にノックをするが、しかし返事は無い。
「竜牙、いますか…?」
そっと中を覗いてみると、ベッドに机、本棚、日和と同じシンプルな部屋の奥で、出窓に片足だけを乗せ寛ぐ竜牙の姿があった。
少しだけ傾き始めた光に照らされた銀色の髪は金色に輝き、美しさが増しているように見える。
思わず見とれてしまいそうだが寝ている竜牙を起こすのは忍びなく、日和は机にメモを置いて静かに部屋を出た。
「あら日和様、どちらへ?」
「あ、この辺に書店はありますか?文房具が足りなくなってまして…」
「文房具、ですか。一応文房具店として小さな店は知ってますが、多分学校区域まで出ないと無いと思います。私が買いに参りましょうか?」
「いえ、急いで帰るようにします。15分で戻ります」
「また大急ぎですね…。分かりました、お気を付けて」
降りてきた日和に気付いた女中に見送られ、走って文房具店を目指す。
行きはなんの問題もなく、店に入って早速消しゴムとノートを手に入れた。
ついでにルーズリーフとペンを1本買った。多分、何かに使うだろう。
店の時計を見ると、家を出て10分近くが経っていた。
「早く帰ろう」
急いで帰ると言ったのだ、急ごう。
外はまだ明るさを残している。
多分、大丈夫。何があっても振り返らず、帰ろう。
まっすぐに走って来た道を戻る。
「……あれ?」
まっすぐに戻った筈なのに、先ほどの文房具店についた。
思わず後ろを振り返るが、今通ってきた道と同じ道だ。
店内の時計が出た時間から5分、進んでいる。
「嘘…」
足が完全に止まってしまった。
夕暮れの赤い光が、気持ち悪い程に目に焼き付き、ぞわりと悪寒が走った。
蒸し暑さと走ることで上昇した体温を下げる為の汗が、逆に寒気を与えて一気に冷える。
明らかに、まずい。
今ここには日和の身一つしかない。
助けてくれるような人間は、この場所には居ない。
空は刻々と、夜の時間を告げていた。
この先は…日和が一番苦手な時間だ。
「い、嫌…!」
一目散に、必死で足を動かした。
よく分からない道を走り、視界に入った角を曲がる。
どこを走っているのか検討もつかない。
ただ必死に、恐怖に見つからない道を捕まらないように走った。
「……あ…」
しばらくして見覚えのある建物が道に見えてきた。
恐怖から逃げるつもりで転がり込むようにその門を潜ると、柔らかくも板のような何かにぶつかった。
「わぷっ!」
「おわっ、日和!?」
顔を上げると、そこには驚いた表情の竜牙が立っている。
どうやら無事に帰ってくることができたらしい。
「た、竜牙!すみません、勝手に出てしまって…」
「いや、こちらこそすまない。呼んでくれと言ったのに休んでしまって…大丈夫だったか?」
「あ…はい、大丈夫でした。ありがとうございます」
「…とりあえず中に入ろう。ここじゃ結界が薄い」
竜牙に促され、屋敷の中へ帰る。
ほっと安心の息が漏れ、敷地に足を踏み入れた。
横目で見えた空はまだ明るさを残しているはずなのに、帰り道は深夜のように真っ暗だったことが引っかかった。
***
優しい父が、横にいる。
手を繋いで、笑顔で母の元へ遊びに行った帰り道。
外でご飯を食べて、少し遅くなったね、と街灯が明るく照らす公園を遊びながら歩く。
肩車をしてくれた。
鬼ごっこで追いかけられた。
影踏みしたら父の影に私は消えた。
ブランコで何度も押して貰った。
滑り台の先で、父が笑顔で腕を広げていた。
そんな楽しい気持ちに彩られてキラキラしていた記憶。
大切な、大切な、パパと思い出…。
「パパ!おうち帰ったら絵本読んでー!」
「日和は絵本が好きだなぁ。今日は何の絵本にしようかな」
「んっとねー、んとねー!」
あんなに、大事だったのに…。
ぐるりと視界が変わり、私は地に伏せていた。
真っ赤な地面、手を握ってくれる父の手の先はそこにはなく、目線の先にある。
腕のない父は何度も私を呼ぶ。
「ぐ…っ!ひよ…り、大…丈夫…か…」
「パ…パ…」
「お前の、未来を…皆に預ける…」
最後に掠れた声が聞こえた。
「ひより…ごめんな…」
「――嫌、嫌だ!パパ、置いてかないで…パパ!!」
涙が溢れる。
手を伸ばす先の父は離れていく。
何も触れられないまま公園はいつの間にか自分の元居た家に変わり、次は母がキャリーケースを引いて家を出ようとする。
父親に伸ばした手は、気付けば去ろうとする母親に伸ばしていた。
「ママ、どこ行くの?パパの所行くの?」
「…日和、ママはパパがいないと生きていけないの…。パパを探してくるから、おじいちゃんと仲良く暮らしてね。たまに帰ってお外の写真見せるからね…」
「――待って、ママ!ママまで居なくならないで!なんで?なんで行っちゃうの!?ママ!!」
風景写真と父なんて比べなくても分かる。
母は父が好きだった。
母の個展の作品はどれも父の影があった。
母の写真はもう、ただの風景なのだ。
私の居場所なんて、何処にもない。
この夫婦の間に、――私の入る場所は無い。
私は立ち上がって背を向けた。
そこには祖父がこちらを見ていた。
「おじいちゃん…。おじいちゃんは、一緒に居てくれるよね…?」
声をかけた祖父はにっこりと笑う。
「私は、日和ちゃんが元気でいてくれるのが一番だよ」
祖父に、手を伸ばした。
触れられそうなところで、目の前の祖父は血を吐いた。
「――…っ!」
体の、丁度腹部が脇から中心にかけてぽっかりと空いていた。
まるで大きな口に噛み千切られたように。
「大丈夫。日和ちゃんなら一人でも生きていけるよ」
「や…嫌…嘘、でしょ…?おじいちゃん、おじい、ちゃ…――」
――優しい父が、横にいる。
手を繋いで、笑顔で、母の元へ遊びに行った帰り道。
外でご飯を食べて、少し遅くなったね、と街灯が明るく照らす公園を遊びながら歩く…。




