401.二人の決意
華月が庵へ向う決意をする頃、紫苑は術士として復帰した。
しかし長く休み過ぎていたかもしれない。
体を戻す為にも日和と戦って軽く指導していたが、途中に割り込んできた波音は随分と日和に当たり強く、二人の間には修復できない程の亀裂が走っていた。
それが原因で"蒸発"した波音を見て、自分と似た状況であったことを知り心が痛んだ。
一つの体に二つの心は共存できない。
やはりそうなのだ、と確信をした紫苑は自身のもう一つの自分と向き合う覚悟で、師隼の元へと向かった。
「ねえ師隼、お願いあるんだけど…いい?」
「なんだ突然。面倒なことはしないぞ?」
先日力を使った事により、師隼はベッドに臥している。
それなのに突然部屋に押しかけられて更には頼みを持ちかけられたのだ。
当然のようにその表情は訝しんでいる。
原因である紫苑は普段出さない声の低さだっただけに、師隼は強い警戒を向けた。
「師隼には利になることをお願いするつもりなんだけど」
「…なんだ、言ってみろ」
「……前に、日和ちゃんが僕に何をしたのか分かったよ」
「…?」
繋がらない話に師隼は眉間に皺を寄せる。
それでも、この頼みは紫苑自身が理解したことを伝えねば、叶えてくれない。
紫苑はわざと笑顔を見せて口を開いた。
「日和ちゃんはさ、僕の意識と莉燕の意識を混ぜたんでしょ?拒絶していた部分を深く意識するようになった。波音ちゃんを見て、このままじゃだめなんだって理解した。
……だからさ、お願い。僕を…神宮寺家の隷属にしてくれない?」
「は?」
師隼から素っ頓狂な声が漏れる。
それはそうだろう。
金詰紫苑という人間の一生を神宮寺家の為に捧げると、自分自身が言ってるようなものだ。
人を縛りたくない師隼には意味の分からない頼みだろう。
「僕さ、なんとなく思ってるんだけど…師隼は2,3年後にはいないじゃん?だけど…師隼ってさ、麗那さんに神宮寺を任せたくないでしょ?」
「…何を言っている。麗那が継がなければ誰が術士を纒めるんだ」
「はあ、馬鹿馬鹿しい」と付け加えた師隼は頭を抱える。
しかし師隼が神宮寺麗那をひどく大切にしていることを紫苑は理解している。
だからこそ、師隼が思っている事ははっきりと口に出しておくべきだと、紫苑は更に言葉を発した。
「そうなんだけど、そうじゃなくて……師隼が任せたいのは跡取り、篠崎を守る仕事は…頼みたくないんじゃない?」
「……だから、どうした」
師隼は紫苑に厳しい視線を向ける。
紫苑はそれが肯定だと理解してくすりと笑い、話す速度を更に抑えた。
「もう一度言うね。僕を、隷属にしてよ。そうすれば、師隼の隣に立っていた僕は師隼の位置について、麗那さんは跡取りに専念できる。夏樹君にもこれ以上の苦労を強いたりしないし、僕がいるから比宝家も纏められる。
…どう?悪くないと思うけど」
「……言いたいことはわかった。だが…お前の利はどこにある?」
はあ、と師隼の口から深いため息が溢れた。
そのため息は紫苑を心配してのものだろう。
しかしそんなものは関係ないとでも言うように、更に満面の笑みを見せる。
「ん?日和ちゃんも正也も華月も、篠崎を守れるし僕も俺も存在意義がある。ここに居られる理由になる。利点だらけだよ」
何を当然、と言わんばかりに笑顔を見せる紫苑に師隼は呆れた声を出した。
「……後悔するぞ」
紫苑は笑みを消して師隼に乞う。
師隼は瞳を青色に変えて紫苑をじっくりと見た。
紫苑の魂は最初見えていた"分かれかけていた一つの魂"が"継ぎ接ぎにくっつけられた形"に作り替えられている。
それは前に見たあの"抜け殻"が証拠、日和がやったことであることは自明の理だ。
しかしその魂は今、完全に溶け合って一つの魂になった。
人の神、輪廻転生を行なう神なのだから魂を変形させること自体は可能であると理解できる。
しかし日和がそれを行うということは、別れかけた魂を合わせてしまったあの時点でそれほどまでに神格化が進んでいるのだろう。
事態は想定よりも深刻であることに、師隼は頭痛を覚えた。
「師隼に頼みたいんだよ。どうか僕達を上手く使ってほしいんだ。僕は全ての理想を叶える力が欲しい」
更にそんな師隼の目の前で紫苑は懇願する。
その姿に師隼は大きなため息を吐く。
日和を飼える懐の大きな人間など、もはやこの男以外に居ないのかもしれない…と諦めがついた。
「……お前は本当に限界まで手を広げたいようだな。向上心が高いというかなんというか…契約上でもいいが、お前はそれで納得しそうにないな?」
「書面じゃだめ。一生消えない、師隼の印が必要なんだよ。枷があるんだと比宝莉燕を納得させる為にも」
「……全く、日和は面倒なことをしてくれたな」
再び、師隼の口から深いため息が漏れて頭を抱える。
日和も強情だが、例え血は繋がらなくともこの兄妹は似ているように師隼は感じた。
それならばもう、やはりこの男を後継にしてしまう方がいいのだろう。
師隼は頷き、「腕を出せ」と呟く。
紫苑はにこりと笑うと「ありがとう」と返して点滴まみれの綺麗だとは世辞でも言えない腕を出した。
「……神宮寺師隼の名に於いて命ず。其の名、金詰紫苑…或いは比宝莉燕の名を我が隷属として契約する。裏切りは我が光と共に滅せよ、逅国神使がその理を与える」
光の古文字が紫苑の腕に走り、契約が印されていく。
光る刻印は紫苑の点滴を受けた右腕を駆け巡り、全体にびっしりとその痕をつけた。
「ありがとう、師隼…!」
紫苑は嬉しそうな声を上げた。
それはあまりにも子供らしく、まるでずっと欲しかった玩具を手に入れたような声。
向ける微笑みは無邪気だ。
「僕はこれで助かってるけどね。僕がやりたくないことは、莉燕が喜んで引き受けてくれるよ」
「波音よりも半端な奴になりやがって。…分かった。最初の仕事は…百鬼夜行だ。いいな?」
「助かるよ。師隼の隣にいてよかったー」
紫苑は大切そうに腕を抱え、再び「ありがとう」と言葉を添えて師隼の前から立ち去る。
明るい場所では鈍く光る腕を眺めながら真っ直ぐ歩いていると、華月と鉢合わせた。
「紫苑様…その腕、どうされたんですか?」
華月の様子を見るに、どうやら術士の力が無くとも光る刻印は見えるらしい。
紫苑は目の前の女中に自身の覚悟を吐く。
「これ?……華月、僕…決めたんだ。師隼の跡を継ぐ」
「え?」
「今さっき、師隼に契約してもらったんだよ。僕は師隼を絶対に裏切らない、師隼の為の駒になることを。師隼はちゃんと受け入れてくれたんだ。これはその契だよ」
「……えっと、それは…必要なことなんですか?」
華月の表情は明らかに曇った。
だけどこればかりはどうにもならない。
自分も動き出さなければいけないのだと頷いて、紫苑は華月の目をじっと見つめる。
「うん、すっごく大事。……ごめん、説明はもう少し待っててくれない?」
「……分かりました。あの、紫苑様……私からもお話があります」
「ん?どしたの?」
華月も真っ直ぐな目をして返してくる。
まるで日和みたいに何かを決意した目だと紫苑は感じた。
「……紫苑様、私も新しい仕事を見つけました。庵で、看護師まがいの簡単なお仕事をさせていただくことになりました」
「看護師…それはいいね」
「はい、術士様や狐の面をした方々の手助けをするつもりで…先ほども高峰医師や井口様の所に出向いて応急処置の方法を学んできました。明日から、庵の方でお仕事をさせていただきます」
華月も何かしらの影響を受けて決意をしたのだろう。
同じタイミングだったのが嬉しかったのだろうか、紫苑の心は少し楽になって、自然と手が伸びた。
「あの、紫苑さ――」
少しだけ力を込めて華月の体を抱き寄せる。
なんとも言えない、表現のし難い心でありながら「うん…一緒に頑張ろう」と考えもしない本音が漏れた。
「…あの、紫苑様…少し、苦しいです…」
「それは、ごめん」
思ったより力が入っていたらしく、腕を解いた紫苑は華月の頭に手を乗せる。
しかし華月は真っ直ぐな視線でその手を振り払った。
「紫苑様、私は絶対に自分を曲げません。今まで折れそうなことはありましたが、術士様の為ならどんなことだってサポートして差し上げたいです。
ですから……また心が折れそうな時以外は、こういった子ども扱いはおやめ下さいませ」
吐き捨てるように言う華月は照れた表情から突然スン、と取り繕ったように変わる。
その姿は今まで見なかったように思う。
意外な反応を示す華月の様子に紫苑の口角は大きく上がった。
「なんか……ここ最近華月、強くなったね?」
「術士様方は常に危険に曝されているのに、自分達だけのうのうとしては居られませんから」
「……そっか。じゃあ…お互い様だね。僕も簡単に弱る訳にはいかないから、強くいる間は何もしないよ」
迫る2週間後、百鬼夜行は来る。
お互い先に何が起こるかは分かっていない。
それでも、こんな所で思考を止める訳にはいかないのだ。
全てはこの先の未来の為に。
今日は互いに、そんな決意を胸にした日だった。




