閑話「ここが私のお城」
小鳥遊家の次女・萌葱がパティスリー・リトルアリスで働くようになった経緯のお話です。
ケーキ食べたい。
私はこの城に携わる一介のメイド。
あの人は私を拾ってくれた、癒やしを求めてやって来るお客様皆を笑顔に変えてしまう魔術師。
表と裏が混じり合ったこの世の中、私・小鳥遊萌葱は恋をした。
お相手は商店街裏道の一角に置かれたこのお店、<パティスリー・リトルアリス>の店主・鈴見総司だ。
出会いは3年くらい前、下弟の夏樹が倒れた時だった。
大学に行くか就職するかも決めてない。
寧ろ何も目標のない高校3年の私は、現実に苦しんでいた。
夏樹が倒れた原因は姉の杏子だ。
だけど、それだけでは済まない問題があった。
今までずっと相手をしていたのは姉だけだったから、夏樹と私達…お互いがお互いを避けていたから…いや避けていたのは一方的に私達の方だったのかもしれない。
兎に角私達兄弟は今まで一度も夏樹をまともに見てあげていなかった。
そのツケを払わないといけない状態になっている。
倒れた夏樹の世話を誰がするのか。
話し合いの結果、結婚したばかりの優兄が世話を申し出て自分の新居に保護すると言っていた。
残った私と双子の弟・浅葱は…単なる家のお荷物。
父の言いなりは絶対嫌で、泣く泣く母の世話をすることしか出来ることはない。
倒れたからと言って末弟の夏樹を気にかけることはできず…私は中途半端な存在だった。
生きる意味も見い出せない。
こんな家なら出てってしまった方が楽なのではと感じる。
そんな気持ちで外をなんとなく、ふらふらと当てもなく彷徨っていたら…私はこの男性に捕まったのだ。
「こんにちは、お嬢さん。顔色がかなり悪いけど…大丈夫かい?」
響くバリトンボイスは耳を撫でるように優しく、妖に会わないよう制御していた心に染み込んでいく。
(えっ、どなたですか!?私…私!?顔色、話しかけられたの…???)
それはあまりにも突然で、話しかけられたことに反応しきれなくてただ驚くばかり。
そんな私はつい弟に言葉を送ってしまった。
(……萌葱、どうした!?)
すると脳内に浅葱の声が響き、当然の反応をされてしまった。
私と浅葱は双子。
互いに喋らなくても、近くにいなくても、会話ができる心的共有者。
これが術士の力だったとしても、妖退治にはなんの効果もない…。
(なっ、なんでもない!気にしないで!)
浅葱は突然焦ってる私が心配なことだろう。
慌てて訂正をして、落ち着いて正面に向き直った。
男性は優しくニコニコとしたままでいる。
だけど反応のない私に何を思ったのか、「そうだ!」と両手を叩いて突然手を握られた。
「ふぇっ!?」
「今、丁度試作品を作ってるところなんだ。甘いものは好き?」
「えっ、えっ??」
「僕、この店でケーキ屋をしている鈴見総司です。君の名前は?」
「わわ、私…!?わた、しは……小鳥遊萌葱です…」
私は手を引かれ店内に招かれた。
すると甘い匂いが香水をかけたみたいにぶわりと広がって鼻孔を擽る。
甘いものってこんな匂いがするんだっけ?
呆気にとられてると鈴見さんは振り向き、ぱぁっと笑った。
「たかなし?たかなしって…あの、小鳥遊って書くたかなし?それは創作意欲が湧く素敵な名字だなぁ!しかも名前も萌葱さん。君の目みたいな素敵な色合いだね!」
「…っ!」
目の前の大人の男性はあまりにも柔らかな笑みで褒めてくる。
あまり好きではない名前なのに。
この髪や目を含めた容姿だって気に入ったことなんてないのに。
家も、自分自身も嫌いなのに、褒められることは嫌じゃなくて…なんだかよく分からない。
なんだろう、この気持ちは。
「んーと…とりあえずそこのテーブルセットで待っててくれる?ごめんね、まだ店頭販売しかしてないんだ。もう少しお客様が入ってお金が溜まったら店内で食べられるようにもしたいなと思ってるんだけど。
とりあえずそろそろ焼けてる試作品持ってくるよ!ゆっくり寛いでてね」
なんとも眩しい笑顔で男性は店内の奥へと消えていく。
きっとあの先でケーキとか色々作っているのだろう。
……ケーキ、か…食べたことないな…。
「……お店、可愛い…」
つられて店内を見渡す。
ケーキが入ってるはずのショーケースは空っぽ。
それなのに端にはアリスや白いうさぎの人形が飾られていたり、寧ろこのテーブルセットと接している出窓には造花の薔薇の花束やトランプ、ハートの飾りが並べられている。
そういえばこのお店の名前を知らないけど…アリスのお話と関係あるのかな?
あの張り紙は…――
「――よし、お待たせー。ごめんね、今日は定休日だから試作のケーキしか置いてないんだ。あと、まだ販売期限内のプリン。ついでに僕の趣味で飲んでる紅茶を淹れたけど…飲めるかい?」
出窓の飾りをありったけ眺めて再び見流していたら、店主が帰ってきた。
細工がされた銀色のトレーにはホールケーキとティーポット・ティーカップが鎮座している。
ホールケーキは一面黄色、甘いチーズの香りがする。
併せて漂ってくるのは紅茶の優雅な香り。
匂いを嗅ぐだけで、なんだか心が落ち着いてお腹も空いてきちゃった…。
「ほら、遠慮せず食べて。残ったらまたぜーんぶ僕のお腹に入って、毎日のランニングの距離が伸びるだけだから…」
眉をハの字にして恥ずかしそうにはにかむ店主さん。
その姿は私が知ってる男性の誰にも当て嵌らなくて、可愛いように映る。
目の前のケーキは多分一人で食べる量ではないだろう。
「……ふふっ」
影で努力してるんだと理解するとなんだかおかしくて、私は吹き出してしまった。
「あ……」
「えっと…戴きます」
吹き出してしまった自分も恥ずかしい。
その恥ずかしさを隠すように、私はフォークを手に目の前のケーキ…その端を刺して掬う。
口に入れればふわりとした食感がとろりと溶けていく。
甘いチーズケーキは全然嫌な甘さじゃなくて、包み込むような優しい味。
初めて食べたケーキに温かい気持ちがぶわりと広がった。
「……どう?美味しいかな?商品にする時は表面に粉砂糖で絵を描く予定なんだ。花とか、クローバーとか」
「あの…お、美味しいです…」
ずい、と前のめりになって聞いてくる様子はまるで色んなことを聞きたい子供みたい。
なんでそんなにキラキラした目で見つめてくるの?
そんな様子に押されて、私はつい萎縮してしまった。
美味しいです、なんて簡単な感想じゃきっと満足出来ないだろう。
気の利いたことも言えない自分に落胆しそうだ。
「本当かい!?嬉しいなぁ。目の前で感想を貰えることなんて中々ないから、本当に嬉しいよ!ほら紅茶、そのまま紅茶飲んでみて」
「えっ…!?あ、はい…」
それなのにあまりにも嬉しそうな表情で言うから。
言われるがまま、私は口の中にまだ少しチーズケーキの余韻が残ったまま紅茶を喉に流す。
少しだけ勿体ないなと思ってたのに、まるで相乗したように今度はケーキの余韻と紅茶の香りが仲良く口の中で踊る。
これは……すっごく美味しい!
「ふふ、いいね。今すっごく良い顔してる。ほら、遠慮なくまだまだ食べて」
何も考えず、手はケーキに伸びた。
口いっぱいにチーズケーキの美味しさが広がって、紅茶に手を伸ばせばふわふわとした気分になる。
甘いものってこんなに美味しかったんだ。
ケーキってこんなに美味しかったんだ。
いつもテレビとか本で見るだけで、全然知らなかった。
「……僕ね、こうして自分が好きなものを作って、それを幸せそうな顔で食べている姿を見るのが好きなんだ。だからいつもケーキを選ぶ時、買ってる時、家に帰ってすぐに食べたいワクワクした気持ち、それからケーキを開けて食べた最初の一口…いつも皆幸せそうな顔をしてるんだって想像しながら作ってる。
今目の前で、その姿が見られたのは嬉しいな。最初顔を見たとき、君はすごく悲しそうな顔をしてたから」
多分、彼の話を聞いている私の表情は酷かったことだろう。
きっと目を丸くしていたし、口の中にはケーキを詰め込んでて。
だけど私は混乱してた。
これが幸せ?悲しそうな顔をしてた?ワクワクした気持ち?
私は知らない。
きっと、全部知らない。
術士の家の人間なのに落ちこぼれだから、そうやって自分で自分をどん底に突き落としてた。
そんな生活をしてたから、きっと普通の人の生活さえも、出来てなかった。
自分で自分の首を絞めてたんだ。
そう思ったら…目から何かが落ちて、悲しくなった。
「……大丈夫、ここは迷える子供達が大切なものを探す場所。少しの幸せを感じ取れる空間になることを願って名付けたお店だよ。パティスリー・リトルアリス…いらっしゃいませ、迷子のお姫様。チェシャ猫でよければ、君の探しものを見つけるよ」
鈴見さんはにこりと微笑んで、どうぞと何かを差し出してくる。
受け取って近くで見ると、猫柄のハンカチだった。
「……ありがとうございます。……あの、鈴見さん…」
「ん?なんだい?」
「私…きっと自分の境遇があまりにも嫌で、苦しくなってました…。だけど、周りを見て生活しなかったから…普通の人がどんなことでどんな気持ちになって、どうやって知っていくのかを…知りませんでした」
口にすればするほど、どんどん自分が嫌になる。
だけど何も知らないままは嫌だ。
私だけがどん底じゃない筈。
夏樹だって苦しんであの姿になったんだから…優兄さんだって、簡単な気持ちで夏樹を保護するなんてきっと言ってない。
私だけが、足を止めちゃだめだよね…?
家や術士を知っても一般人である私は、私が知れることを知ろう。
「だから…お願いがあります。私に、知らないことを教えてください。あそこの張り紙……バイト募集、受けてみたいです…!」
さっき店内を見渡していた時に見つけた張り紙を指差す。
このお店でいい。
探しものを手伝ってくれるこの店で、私は知りたいことを知ろうと思う。
鈴見さんに色んなことを教えてもらおう。
店員じゃなくてもいい、常連のお客さんになって、教えてもらおう。
「本当にいいの?わぁ…嬉しいな!店員さん第一号だね」
「だっ、第一号…!?しかも即決で……よ、よろしくお願いします…!」
***
私はきっと、この瞬間から恋をしていた。
この人の傍で、色んな人を眺めて行こうと思った。
何も無い私を周りに目を向けられるようにしてくれた魔法使いのチェシャ猫は、今日も魔法の道具を作る。
総司さんは『お店が大きくなったら店内飲食』の夢を叶えて、私はお城のメイドになって。
「萌葱さんこんにちはっ」
「日和さん…いらっしゃいませ。今日は何をお求めですか?」
「そうですね…オススメは何でしょうか?」
「今日ですか…?そうですね…秋の入りなので、無花果はいかがでしょう?」
今日もアリスがやってくる。
願いを乗せて、総司さんが作る幸せを運ぼう。




