371.風琉の心労
水鏡波音の傍に就き、彼女の指示通りに対峙した男術士と対話した狐面は駆ける。
これを教えない手立てはない。
そう思って駅を通り激戦区である神威八咫の方へと向かっていく。
『神威八咫…3体が篠崎駅…気を…』
耳に聞こえる声は時折ぷつ、ぷつ、と途切れている。
師隼様から司令塔を賜ったという比宝飛雷に何かがあったのかもしれない。
商店街から金詰家までは遠いな、と感じながらも激しく打ち合っている術士や配布されたままの式紙を使う同胞の中を潜り抜けて、なんとか戻って来ることができた。
「飛雷殿、術士・水鏡波音様よりご報告申し上げます」
「報告…ですか?」
金詰家に戻ると飛雷殿は風琉殿と向かい合って椅子に座っている…が、様子を見れば些か顔は青い。
座り方もどこか気怠げで、明らかに体調を崩しているのがよく分かる。
過去にも術士様達の姿を見ているからある程度は彼の身に何が起こっているのかは想像がつく。
きっと、術士の力が尽きそうなのだろう。
それが証拠か、少しでも気分が悪化しないようにとかつて小鳥遊様の式神であった風琉殿が飛雷殿に風を送っていた。
先程まで篠崎市全体の状況を確認し、飛雷殿に伝えていたというのに。
風琉殿は狐面の我々よりも大変な仕事を仰せつかってないだろうか。
少なくとも風琉殿の方が我々よりもかなり激務だ。
「…商店街まで流れた二人の術士、内の一人が我々の記憶操作で意識を戻しました。体調も良好、術士の力への心配はなく、共に戦ってくれるということです。
よって、現在水鏡様と共に妖の討伐、及び他にも流れてきた術士の意識を戻す為に交戦に入りました。これは紫苑様の指示でもあります」
報告を聞いた飛雷殿はふむ、と考え込む。
暫くして「わかりました」と頷いた。
「流石兄上ですね。これで今後の戦況が大きく変わりそうです。中継地調査に回っている狐面の人員を割いて術士に向けさせましょう。そのままこちらの術士の数を増やします」
「飛雷君、まだ体よくないでしょ?私が風で狐面の全員に伝えるよ。狐面さん、しばらく飛雷君の事をよろしくお願いします」
「は、畏まりました」
風琉殿はそれこそ風のようにあっという間に姿を消し、一瞬にして二人になった。
風の使いとはなんと便利な事だろうか。
我々が動くよりも、飛雷殿が力を使うよりも早いように思う。
ところで、様子を見ろ、ということだろうが私に務まるだろうか。
そんなことを思いつつ、飛雷殿に視線を向けると不思議そうに首を傾げている。
何かあっただろうか。
「あの…記憶操作…確か師隼様に属する狐面という組織には特別な力があると聞き及んでいますが、それはどんなものですか?」
今になって言葉の意味に気づく。
ああそうか。飛雷殿は元々比宝家の人間で、ずっと南側で師隼様がお相手をされていた方だ。
狐面についての詳しい話は受けていないだろうし、今前線で戦っている式紙を持つ狐面しか知らないのならば仕方がない。
「我々の本職は諜報活動です。篠崎が町として機能するために、印象操作・記憶操作の術を学んでおります。
印象操作は主に物に対して使用します。例えば今現在、術士と我々狐面以外は現在の枕坂が無いものだと認識しています。"消えた"ではなく、"元々そんな場所は無かった"という認識ですね。基本的には不都合なものを隠したりする術です。
一方記憶操作は人に対して、過去の記憶を探ったり特定の記憶を封印し、思い出させないようにします。勿論封印を解除することも可能ですよ?逆に本人が忘れかけているようなうやむやになった記憶を掘り返させる事も可能です。これらは大変悪用しやすいので、権限がない限りは使用できません」
「その権限…とは、師隼様が下すのですか?使用許可に何か印が必要なのですか?」
「基本的には師隼様が下します。急なものであれば準ずる者でも可能です。印などは必要なく、基本的には自制ですね」
飛雷殿は目を丸くし、驚いた表情をしていた。
そしてくすりと笑う。
「自制……やはり師隼様は管理がしっかりしている。比宝家では想像できませんね」
「やはり使えるものは使う、主義ですか?」
「そうでしょうね。でも僕はいないものとして扱われてきたので、そもそも家の教えは受けていません。だから悪用してまで力を使うっていう思想は僕も受け入れられませんね」
あっさりと答える飛雷殿に思わず質実な人間だと受け入れかけてしまった。
残念ながら彼に与える印象は全てが終わってから、結果があって判断するよう師隼様に言われている。
それでも、この分ならばすぐに認めて貰えるのではないのだろうか、とすら思ってしまう。
それは飛雷殿が話す度に頬が光らせているのがいい証拠だろう。
「あ、ついでに聞きたいのですが…やっぱり一度その操作というものをすると、分かるのでしょうか?」
「分かる…とは?」
「一度操作を受けたかどうか、です」
この飛雷という少年は中々頭が回るらしい。
この戦況を任されるほどの腕はある…か。
「ええ。分かります。特に記憶操作…記憶を封印すると結果的に脳に強い負荷をかけます。
人は覚えることで吸収もしますが、必要が無ければ忘れることができるでしょう。しかし、記憶を封印してしまうと本来忘れることで空くはずの容量をそのままにしてしまうのです。そして、そのまま新たに覚えていく。
ですが脳にも限界があるので覚えが悪かったり性格に影響したり、脳に負担があるのです」
「なるほど…もしその封印を解けば…」
「封印していた記憶が解放され、津波のようにその出来事が脳に押し寄せるのでしょうね。それが原因で自我が崩壊する可能性もあるでしょう」
「ふむ…中々恐ろしいものですね」
「なので、我々が使用するのは基本奥の手となります。
過去の記憶を探ることはそこまで負担にはならないので諜報活動には使用していますが、例えば一般人に属する人達が妖による死体現場を見た場合などはやむを得ず使用します。
妖が原因で起こった殺人は事件として立件できず無駄な心労を与えてしまいますので」
理解はできるらしく、飛雷殿は何度も頷く。
そして、不安な表情を浮かべて首を傾げた。
「…この町では、一般人と術士で区切りをつけていますね。この百鬼夜行で妖に襲われた人間は、問題ないんでしょうか?」
「……この百鬼夜行が終われば、その判断を師隼様に委ねることになると思います」
「……っ」
狐面と飛雷が話し込んでいて、入りづらさを風琉は感じていた。
その為にずっと近くで隠れていたのだが、聞きたくないことまで聞いてしまった。
狐面が記憶操作をしていることは知っているが、その影響というのは式神が考えることではない。
それでも知ってしまえば、頭は自然に考えてしまう。
夏樹ごしに、そして式神でなくなっても"風"である自分には普通に聞こえてきた師隼や麗那、紫苑の話を思い返していた。
『日和は記憶操作を受けている』
高峰玲によって妖と出会った記憶を、術士に会った記憶を封印されている。
それだけでなくとも神宮寺麗那と出会って、金詰蛍が死に、日和自身が瀕死になった時も麗那に記憶を封印されている。
それらの記憶を金詰紫苑は解いた。
神宮寺家にいれば自然と入ってくる情報が風琉には重すぎる代物だと思っていたが、まさかここにきてそんな話は聞きたくなかった。
もしかしたら日和の脳に影響が出ているかもしれない。
もしくは性格に影響が出ている可能性もある。
師隼と麗那はともかく、紫苑は知っているのだろうか。
正也は?
だめだ、考えれば考えるほど余計なことばかり考えてしまう。
ああいやだ、ここ最近は不穏なことばかりだ。
まだもう一人式神の気配がある、以前は感じなかった嫌な空気も纏っているというのに、一体なにをどうしろと言うのだろう。
自分だけで抱えられる問題ではない。
せめて、今の主に指示を仰がないといけない。
「師隼様っ…!」
主の体が今芳しくなくとも、自分だけでは抱えきれない。
風琉は無意識に師隼の元へと飛び出していた。




