367.百鬼夜行
長らくお待たせしました。
5章最終話までの執筆が終わりましたので、それまで再び毎日20時の投稿をさせて頂きたいと思います。
残り十数話、最後の最後の部分ではありますが、お楽しみくださいませ。
10月、曇天。
まるで呪いを孕んだような空だ。
おどろおどろしい雲は自分の体を蝕む呪詛のようで、なんて綺麗な色合いなのだろう。
不自然に染まった黒は浸食された影響か、汚れてしまった紺青色の髪を靡かせる男はにこやかに笑う。
溢れ返った妖や術士達に振り返ると笑顔を見せて声を張り上げた。
「みんな、お待たせ。紹介するよ…ここが僕の故郷、今からここに住んでる皆が、君たちを救済してくれるよ」
「うおあああああああ!!!」
軍勢とも言える数多の妖や術士が唯一神威八咫へ向かう山の道を埋め尽くし、雄叫びを上げた。
妖は大小様々な形をし、声を上げる術士は黒い靄に包まれている。
その姿は何とも不気味で度し難く、人と言うには恐ろしい。
「僕はずっとこの時を待っていたんだ…。ずっと悩んでいた。どうすればいいのか、何をすれば変わるのか。この答えを、ずっと探し求めていた。今やっと、僕のしてきたことが実を結ぶはずだ…!ああ、考えるだけでぞくぞくするよ…!皆元気かなぁ、今から会いに行くね。楽しみだよ…!!」
妖も術士も恍惚とした笑みを浮かべる男にそわそわとしていた。
後ろに立つ女王もその姿に満足そうな笑みを浮かべている。
男は言い放った。
すべての幕開け、狼煙の言葉を。
「――ああ、みんなも楽しみだよね!ここが僕たちが向かう最終地点だよ。最後の宴と行こうじゃないか!」
「ウオアアアアアアア!!!」
男が声を上げると軍勢が動き出し、山を下っていく。
妖が、術士が、目をギラギラとさせて神威八咫へ流れ始めた。
---
「……来たか。紫苑から聞いたが、お前が指揮するのだろう?」
「すみません、こんな軟弱者で。でも兄上様から受けた任の為に、助力をお願いします。僕は師隼様の為に、この力を奮います」
じっと視線を向けてくるのはこちらが潰そうとした家の老人、金詰稲椥だ。
気に入らないといった雰囲気は当然のことだろう。
しかし僕は使命を賜ったのだ。
ここで負けてはいられない。
「ふむ、見ない間に良い目になったではないか。いいだろう、その目なら…この力、奮ってやろうではないか」
還暦は越えているだろうに、この人も自分の曽祖父のように力の衰えを感じない人物だと思う。
兄は言った。
『神宮寺師隼の代理として伝える。比宝飛雷、お前が来る百鬼夜行の指揮者に立て。未来の比宝家を統率できるかどうか、師隼の駒を使ってお前の力を見せてみせよ』と。
まるで強大な力に見下されている気分だった。
だけど神宮寺師隼と同じく曽祖父以上に従わねばならぬその存在は、自分が思っている以上に自分の気持ちを昂らせた。
自分にこんな気持ちがあるなんて初めて知った。
『力を持たぬはただのおまけ』
そう言われ続けてきた自分は最早、存在すらもただ血を繋ぐ為の道具でしかなく、そんなぞんざいな扱いを受けていた自分にこんな転機が訪れるとは思わなかった。
飛雷は力を所持していない。
それでも何かしなくてはいけないのだと微々たる力を全身に震わせ、静かな声を張る。
「侵入者です。術士と妖、百鬼夜行の軍勢を確認しました。総動員でこの地を守りましょう」
その声は金詰家の前に立つ人間にしか聞こえない程の声量だが、篠崎を守る術士と狐面の耳に確かに届いた。
誰もが持っていないと思っていた力が、開花した瞬間。
既に正面から攻めてきた妖達を相手に、力を溜め込んで構える雷来は笑顔を見せた。
「電伝!飛雷君の声が聞こえたね!よーしっ、がんばるぞぉー!」
「……うん」
無邪気な妹の言葉に電伝の心臓が跳ねて、不安と申し訳なさが募る。
先程の声は自分の耳にも声が届いた。
近くにはいない飛雷の声がしっかりと耳に残って、急激な虚しさが溢れ出た。
誰もが聞こえた声に自身を奮い立たせている。
全員に行き渡らせた声、それは紛れもなく飛雷自身の力だ。
今まで家族総出で散々に『無能』だと貶めてきた飛雷には力があった。
それは電伝の心にずっしりと乗って、頬の刻印が光った。
「飛雷様に、こんな力があったなんて…――ッ!」
浮かんだ言葉を言わなければいけない刻印。
神宮寺師隼に付けられた、呪いとも言うべき罪人の証が反応して電伝は両手で口を抑える。
これでは、本当に呪いだ。
「……ああ、びっくりだよ。僕にもこんな力があるなんて。…嬉しいな。楽しいな。力があるなんて、こんな僕でも…戦える、何かがあるんだ…」
金詰家の前で飛雷は感嘆の声を上げる。
目をしっかりと開き、生き生きとする飛雷の頬はチカチカと光っていた。
「……比宝飛雷。私は貴方を守るように言われてるけど…その姿は嫌いじゃないよ。ねえ、覚悟があるのなら…師隼様の為に、命をかけて」
町全体を見渡し、金詰家に戻ってきた風琉は同情を込めて喜ぶ背に語り掛ける。
さっきまで自信が無いように、しかし言い渡された使命にこれまで一度も見せなかった表情をしていた少年は、今は自信に満ち溢れている。
「…はい、もちろんです。ありがとうございます、師隼様…ありがとうございます、兄上様…」
飛雷は目を瞑り、目の前で始まった争いに再び口を開く。
電伝と雷来が、招明が、稲椥が、そして式紙を操る狐面が武器を振るい、術を飛ばし、日常では聞かないような激しい音が響き始めた。
それこそ、枕坂へ乗り込んだあの時のように。
「こんなにも妖と術士が…この篠崎は、師隼様が治める土地です。邪魔をしないでください…!」
完全に篠崎に溶け込んだ飛雷には今、ナヅチミツカヤの加護さえ見える。
朝から町全体が日和の祈りを受けているような状態になっていた。
彼も祈りを受けたのだろう、風琉はそんな飛雷を様子見ながら篠崎の風を操る。
---
飛雷の声に合わせるようになだれ込んでくるのは妖、妖、術士、妖、術士。
妖の姿も篠崎にいるような熊や狼の姿だけでなく、蜥蜴や鼠のように小さな姿から犬、羊、空からも烏や鷲のような姿をしたものまで様々で沢山いる。
術士は何かに操られたように表情はなく、何かを失ったような目をして襲ってくる。
軍勢が来るとは思っていたが、想定していたよりも数が多すぎる。
波音達が枕坂に来た時はこんなだったのだろうか。
「招明様!」
呼ばれ、振り向けば部下である狐面が居た。
応援のつもりだろうがいくら戦力とはいえ彼らにも技量の限界はある。
こっちは本気でぶつからないといけない相手だ、余計な損害出さないようオレは叫ぶ。
「こっちは必要ない!術士は俺たちに任せておけばいい、お前達は妖の方を頼む!」
「はっ!」
師隼に就く狐面として存在が許される為に、狐面への指示は滞りなく進む。
問題なのは…こちらの相手、術士の方だ。
「しょーめーくん!」
子供特有の劈く声が聞こえた。
離れても全く成長した気がしない雷来だ。
頭は成長したのかもしれないが、中身は変わらない。
さて、俺の言う事は聞いてくれるだろうか。
「術士は俺が止める!雷来はトドめに伸しておけ。殺すなよ」
「はぁーいっ」
雷来はそれこそ雷が落ちるような速さで戦場と化した街を駆ける。
あいつは電伝の蓄電の力を受けている。
身体には相当な力を溜め込んだだろう、それを放出させるのが得意な術士だ。
威力も動きも馬鹿だけど、こういう時に心強い。
それよりも。
「――助太刀しよう」
妖に手を出しながら、手持ちの鎖を操って術士と対峙する初老の男性が背後に現れた。
「…助力、感謝します」
金詰稲椥、祖父だ。
こちらは装備した鉤爪で相手術士の動きを止めて痺れさせ、無力化させている。
一方の祖父は分銅のかかった鎖を放ち、絡んだ相手を引き寄せて装備の無い手で武力行使をしている。
まともに戦っている姿を見るのは初めてだ。
「……手、痛くないんですか」
「力を拳に溜めると、力の痺れが先に来る。獲物の対象が刃物でなければ痛くはない」
にっ、と笑っているが、確かに殴られた方はただでは済まないかもしれない。
……以前紫苑が祖父の手刀が痛いと嘆いていたのを思い出した。
「……確かに、痛そうだ」
こっちに来てから殴られている姿を稀に見る。
つい、面白くなって笑ってしまった。
「あやつほど莫迦ではなさそうで安心した。伸びた分と力量が強そうな相手は任せろ」
話には聞いていたが、つくづく元気な老人だと思う。
そして、随分と心強い"お爺ちゃん"だ。




