320.悪意の朝
「んんーーーっ…!」
組んだ手を頭上に上げ、日和は背中を伸ばす。
いつの間にか朝になってた。
外は既に眩しく、時刻は7時前を指しているというのに既に夏の暑さが部屋の温度を上げている。
昨日、いつ寝たんだろうか。
確か正也と波音が口論をしていて、少しだけ嫌な形で解散したのを覚えている。
その更に後の事は……全く覚えていない。
ただ異様に目覚めはスッキリしていて、気持ちも晴れ晴れしていた。
目覚めはいつもより遅いが、なんとなく調子が良い気がする。
日和は部屋を出て真っ直ぐに下に降りると既に朝食をしている紫苑と華月に出会った。
「あ、日和ちゃんおはよー。元気?」
「兄さん、おはようございます。とっても元気です」
にこりと微笑む日和に紫苑は「それはよかった」と笑みを浮かべる。
「日和様も朝食になさいますか?」
「はい、お腹が空きました!お願いします」
日和の返事に華月は満足そうに微笑んで厨房へ向かう。
その間椅子に座った日和に紫苑はずっとにこにこと笑っていた。
流石の鈍感な日和でもその笑みには少しの違和感を感じて首を傾げる。
「どうか、しましたか?」
「ううん、なんにも。日和ちゃんぐっすり寝たんだろうなあって思って」
「はい、なんかとってもすっきりしてます。私、そんなに沢山寝ちゃいましたでしょうか?」
「しっかり眠れてるなら良い事だよ」
にこりと微笑む紫苑に日和は「はいっ」と明るく答える。
そういえば以前紫苑は眠りが浅いというか、しっかり眠れているのか不思議になる面があった。
呪いが紫苑の睡眠に影響を与えていたのかは知らないが、解呪された今はどうなのだろうかと気になった。
「兄さんは最近どうですか?眠れてますか?」
気になれば聞くのが日和だ。
紫苑は「んー」と首を傾げながら白米を一口つまみ小さく頷く。
「前よりはマシかな。解呪されてから、よく眠れるようになってきたかも」
「そうですか、それはよかった」
やはり何かしら影響を与えていたのかもしれない。
紫苑の返事に満足した日和はにこりと微笑む。
同じタイミングで華月が朝食を運んできて日和の前に置かれた。
「はい、日和様お待たせいたしました」
「ありがとうございます。華月」
日和は手を合わせ、笑顔になって朝食を摂り始めた。
ここ最近成長期でもないのに食べる量が増えた。
術士になると食べるようになるのは本当らしい。
パンに噛りつき、スープを飲む。
置野家ではよく出てくる野菜スープはいつも野菜がしっかりと煮込まれていて、柔らかく飲みやすい口当たりだ。
本当はパンを千切って浸したい欲に駆られる。
流石に行儀が悪いように感じてしまって中々踏み切れず、いつもそのままゆっくりと飲み干してしまう。
「日和ちゃんはいつも美味しそうにご飯食べるよねぇ」
「ん…そう、ですか…?」
「うん。いつも幸せそう」
そんな日和を見ていた紫苑の呟き。
実感がなく首を傾げる日和だが、こういう時どう返事をすればいいか困る。
自分としてはただ口に入れる作業なのだが…いや、そういえば食事を楽しめるようになったのは弥生を倒した後からだった。
日和が当時を懐かしみながら過去を思い返していた時だった。
「日和様、ちょっとお願いがあるのですがよろしいですか?」
困った表情の華月がふらりと現れ声をかけて来た。
いつの間にか何処かに行っていたらしい。
「はい、どうしました?」
「坊ちゃんが中々起きないので、お手伝いお願いできませんか?」
「えっと、私で良ければ」
「お食事が終わったらで大丈夫ですので」
日和は華月の笑顔に気付くことなくただ頷いて、残りをお腹に突っ込む。
華月の言う正也を起こすお手伝いとは一体なんだろうか?
***
「坊ちゃん、坊ちゃーん。起きてらっしゃいますか?」
日和が朝食に行ってる間、華月はまだ起きてこない主を起こしに行っていた。
夏なのに丸まった布団、大きな体なのに猫のように小さく丸く、少し髪が飛び跳ねたままぐっすりと眠っている。
「ほら坊ちゃん、朝ですよー。日和様も紫苑様もおめめばっちりですよー?
…全く、金詰さん家は朝に強いのに、坊ちゃんはなんでこんなにも朝に弱いんでしょう」
「う…ぐ…もうちょっと、寝たい…」
揺すっても起きず、容赦なく布団をはぎ取ってやっと蠢く。
こうなるとあと10分は格闘せねばなるまい。
「ふむ…分かりました、もう30分くらい寝かせてあげますね」
じと目で主を見下す華月はにんまりと悪意を込めた笑顔で正也に布団をかけて戻っていく。
やっと安眠の邪魔をする姉が去り、残った正也は布団を被り直して二度寝の姿勢を取る。
実の所、ぐっすりと眠れた日和とは真逆に正也は眠れなかった。
昨日の反省や日和が言っていたことが頭に染みついて離れず、自分の気持ちすらもあまり口から出した事のない正也の気持ちは重い。
目を瞑っても、身体を休めても、意識はまだ覚醒した状態で時間だけが過ぎていく。
外が白み始めてやっと眠れたのだった。
だからもう少し寝かせて欲しい…そう思っているのに、華月は再びやってきた。
「ほら坊ちゃん、30分経ちましたよ。起きてください」
「う…」
「仕方ありませんね…ほら、起きないとちゅーしちゃいますよ?」
「それはやめ…っ!?」「えっ!?」
何を考えてるんだ、と目を開けると目の前には何故か日和が居た。
赤い顔で驚いた表情が顔から手が二つ分程、かなり近くに居たことに驚いて飛び退いてしまった。
「うふふ、坊ちゃんおはようございます」
部屋の入り口で華月がにこにこと笑顔を向けている。
気のせいだろうか、華月は日和が戻ってきてから少し性格が悪くなった気がする。
妙に腹立たしい朝だった。
「華月が、ごめん」
日和はさっき朝食を摂った後だというのにまた食事をした部屋に戻ってきている。
目の前では正也が朝食を前にぼーっとした表情をしながらも声は何処か沈んでいた。
「いっ、いいえええっ!私が何も考えず、ただ華月に言われるがままだったので…!」
『日和様は何も言わなくて良いです。ただ坊ちゃんの横に行って、体を軽く揺さぶって、寝癖を直して頂く程度でいいので』
日和は食事を終えて正也の部屋に向かう途中、華月が言っていた事を実行しただけ。
まさか動きにアテレコされるとは思わなかった。
『起きないとちゅーしちゃいますよ』
目の前の正也の寝顔を見ていて華月が言った言葉に妙に意識してしまって心臓が大きく跳ねる。
意識しちゃだめだと何とか蓋をしたが、まるで紫苑に会ったばかりのような気分だ。
「…最近の華月は変だから、気を付けた方が良いと思う。できれば距離取って」
そう言う正也は少し疲れた表情をしている。
「あの、正也…大丈夫ですか?」
「……眠たい。疲れた」
眠たそうな目を擦って正也は小さく息を吐く。
その様子が心配になった日和はぽろりと口から言葉を滑らせた。
「あまり無理しない方が良いと思います。なんだったら私、波音や夏樹君と組んで貰いますし…」
「それは…やだ。まだしばらくは日和と組みたい」
「す、みません…まだ昨日の今日ですし、諸々心配ですよね…」
「そうじゃなくて…――」
自分で言ってて何を悲しくなっているのだろう。
無意識だが日和の表情に陰りが差して俯く。
すると正也の右手が自分の左手に絡んで、顔を上げると正也の目がしっかりと日和を捉えていた。
「――俺が隣に居たいだけ。心配どうこうじゃなくて、俺が日和の隣で、日和の手伝いをしたいだけ」
「……そっ、そう、です、か…!あっ、ありがとう、ございます…?」
正也の言葉がもう一度脳内でリピートされて、意味を理解して、日和の顔がぶわりと一瞬で赤くなる。
手から感じる熱を妙に意識してしまって日和の思考が止まった。
『起きないとちゅーしますよ?』
何故か先ほどの華月の言葉も同時にリピートされて全身の毛が逆立つ感覚になって日和は立ち上がった。
「あ、の…!ちょっと、トイレに行ってきます…!!」
痛くなりそうなほど頭の中がぐちゃぐちゃになって、日和はまた駆け出してしまった。
一体この恥ずかしさはどこから湧いて消えてくれるだろう?
「……ああ、また逃げられた」
恥ずかしさに逃げてしまった日和の後ろでは残念そうな声がしたが、そんな言葉が耳に入る事もなく。
消化も理解もできない感情に振り回される日和は苦悶に浸った。
ハルさんシンさんお誕生日おめでとうございますーっ!
ハルならちょこちょこ出るかもしれませんがシンさんの方は出る予定が今の所皆無です。
夏樹くんのお母様は体調を崩したままなので仕方ないね…。




