313.予兆と証石
日和が置野正也を倒した場面を見届け、『家』に戻る。
神宮寺家で一人、或いは仕事だけを考えて動き続けるのも楽ではあった。
だが、少しずつの往来…そして祭事を終えた為に自然とそこが自分の帰る場所になるのだと、脳は勝手に認識している。
「千景です。只今帰りました」
最早当然のように体は勝手に動く。
インターホンを鳴らし、階段を通って豪奢な邸宅に入れば早速玄関にて赤茶の髪を揺らす女に出くわし、じっと見られた。
「……どこに行ってたの?」
「用事。ほぼ終わったしもうずっとこの家にいる」
「そう…。貴方って割と忙しいのね」
少しぶすくれた波音に怪訝な視線を向けて見つめられてしまった。
ここ数日、仕方ないとはいえずっと技術バランスの悪い従妹の相手をしていた。
未だに日和が術士になろうとしていた事は伝えていなかったし、どこで何をしていたのかも当然言っていない。
だから疑いの目を向けられるのは仕方ないのかもしれない。
「…師隼にできない仕事を頼まれることもある。あいつは毎日忙しそうに調べ物をしているからよく他の雑用を頼まれる」
波音は師隼のことになると何も言えないし、疑わないのを知っている。
案の定波音はくすりと小さく笑って、お嬢様らしく巻かれた髪に触れた。
「師隼らしいわね。全く…置野の次はこっちの祭事だってのに、抱え込んでる仕事の量は減らせないのかしら?」
「そう簡単に行けばあの人だってため息や頭痛胃痛の一つや二つは減っているだろう」
「言えてるわね」
7月の終わり、俺は苗字が変わった。
婚姻の儀は執り行われたが、少しでも祝ってやれるような空気は今の神宮寺家には無い。
東京から連絡が入り、事態は既に逼迫し始めている。
「今日もお父様の所へ行くの?」
「家に入るにあたって、条件がそれだったから。波音もまだ蓮深様からの引継ぎの途中じゃないのか」
「休憩中だったの。でももうそろそろ呼ばれるわ。……招明は、このままでいいんでしょう?」
「ああ、大丈夫だ。それじゃ」
「ええ、また後で」
波音と別れて二階へ上がる。
テーブルに物を準備してその人は待っていた。
「――やあ、招明君。いらっしゃい」
「遅くなりました。すみません」
「別に僕は気にしてないから大丈夫だよ。…いやあ、君も忙しいね。師隼君と事態の把握、妹の世話を焼いて先日から聖華の相手もしているだろう?何かあったらすぐに言ってくれればいいからね。今年は、とても暑いようだからね」
「そう、ですか…」
元来火の力を扱うこの家は気温に弱いらしい。
温度の低い冬場は体の温度を維持することに力を使い眠り続けてしまう、逆に温度の高い夏場は性格が過激に傾きやすくなるようだ。
水鏡清依は今年の波音を心配している。
特に、式神として側に置いていた焔という存在さえ居なくなってしまえば波音にとっての心の支えは…。
置野正也の父によく似た笑みを浮かべる男は机に石をばら撒く。
最初初めて見た時は遊んでいるのかと思ったが、これでも簡単な吉凶を占っているらしい。
何かを計算している目がこっちへ向いた。
「ところで、もう妹さんの相手はいいのかい?」
「…日和の方は、もう落ち着いたので。……今日もご教授願います、先生」
「そうか」と短く返事をする水鏡清依は笑顔で頷く。
「じゃあ……この結果を、予測して貰えるかな?」
疎らに広がった石は不自然な程に黒い面を向けたものが多く、その禍々しさに眉間に力が入る。
同時に以前雇い主から聞いた情報が脳裏から耳に届いた。
『招明、東京から連絡が入ったが…堕ちたらしい。流れを考えればそのまま北上して東北、折り返してこっちに来るだろう。
水鏡の家に入るならば状況を即座に判断する一つとして清依殿の占術を学んできてくれるか?』
これは自分が水鏡家へ往来する、7月中旬に聞いた言葉だ。
暗い表情を見せる師隼から受けた任務を思い出して何度もじっくりと石を見るが結果は何度考えても同じだ。
「……悪い風が来ている。渦を巻くように、南から東、北を通って時機にここへ巡る。……これは占いじゃない、預言だ」
「事実を知っている君だから言える予測のようだね。他には?」
招明はズボンのポケットからカードを取り出し、切る。
清依から占いの手法を教授してもらう時に貰った物だ。
カードの山から占いの続きを求めて適当に選び、束から抜かれたカードは『Ⅱ』と書かれていた。
「2…。2週間か2か月か、この風が巡ってくる」
「……そうか、じゃあ僕達も相応の準備をしないといけないね。この結果は明日、師隼君に伝えてくれるかい?」
「…はい、分かりました」
カードを片付けて結果をメモしていると、怪訝な表情を水鏡清依は見せていた。
新たな占いに着手したのだろう、その手元には光に当てると金色に光るおはじきが握られている。
同時に突然ぞくぞくと、背筋が凍る感覚がした。
「ん、どうかしたかい?」
「いえ……すこし肌寒いように感じました」
「……そうか、夏なのに不思議な事だね。…この石は光り方が弱っているようだ、もしかしたら少し汚れてしまっているのかもしれないね。少し席を外すよ。その間に磨いておいてくれるかい?」
清依はふらりと部屋を出て何処かへ向かっていく。
テーブルには先程のおはじきが残されたまま。
手に握り、電灯に翳してみる。
「……分かりました」
水鏡清依は持つおはじきの色にそれぞれ人を当て嵌めているのを知っている。
この金色のおはじき、今は陰りも汚れも何も見えない。
これはきっと金詰日和を模していて、もしかしたら悪い予感を感じたのだろうか。
ああ、取り付く島も無い…気分はとても重たくなった。
***
宴会をした翌日の朝、日和と正也は神宮寺家へと向かった。
今日から日和は正式に術士として扱われ動くことになる。
これから術士として動けるようになった報告と師隼から認めてもらう為に赴いたのだが、先に顔を出しに行った正也から受けた報告は、篠崎の術士にとって少し意外なものだった。
「…本当は術士になると祭儀場で儀式があるんだけど、師隼は省くって」
本来なら、年末に正也達が神事に向かう場所で新たな術士の契約も合わせて何かをするらしい。
しかし今回は日和の力を契約書に放つだけに留めるらしい。
紫苑が来た時も契約書に力を打ち付けていたが、あれは簡単に済ませて終えていたのだと初めて知った。
「じゃあ…行ってらっしゃい。玄関あたりで待ってる」
「はい、分かりました。行ってきますね」
日和は執務室の扉を開き、中に入る。
神宮寺家に来たのは正也と婚約を結んだ日以来だ。
中では当然のように金の目に白髪の男が微笑んで立派なデスクの前に立っていた。
「久しぶりだね、日和。無事に術士になれたようだね…少し凛々しくなったかな?」
「お久しぶりです、師隼。今日から術士として…よろしくお願いします」
頷き、目の前で微笑む師隼は以前と比べて少し痩せこけただろうか。
と言っても未だ半月ほど離れただけのはずなのだが。
疲労のありそうな口ぶりや目元に去年の9月頃でも見えていた隈がまたできている。
もしかしたら相当休めていないのかもしれない。
そうは思いつつも口には出せない。
今の日和はもう狐面でも何でもない、師隼の手伝いなど邪魔になってしまう事を理解していた。
「ああ。宮川のりあや招明から大体の報告は聞いているから、これからは好きに動いてくれて構わない。寧ろ…私が怒られてしまうかなと思ったのだが、何も言わないのかい?」
まるで自嘲するような言葉をかけられ、日和は言い淀む。
何か言いたいことはあった筈。
それでも言葉を紡げないのは、日和自身が自分に何かを言える力も行動力も無かったからだ。
何をしても足手まといになってしまう。
だからこそ、自分が出来ることをできるように、日和は自ら術士としての道を選んだつもりだ。
「師隼達だって何かしら忙しくしているのは分かってるつもりです。その手伝いが邪魔になってしまう可能性も考えてます。
だったら少しでも師隼の負担を減らすためにも…私は私自身で戦わないといけない、と考えました。師隼を悪くだなんて、私は思っていません」
「……気を使わせてしまってすまない。実のところを言うと…まだ伝えてもいいのか分からないが、また大きな問題が押し寄せていてね」
師隼は話を途中で止めると、これにお願いできるかい?と、いつか見た用紙を日和の前に見せる。
それは紫苑が契約したものと同じものだ。
あの時の紫苑のように、日和も自身の力を契約書に打ち込む。
「…本来使う予定だった祭儀場もそうなのだが、今日本全体が一つ危機を抱えている」
「日本全体で…ですか?」
契約書を確認した師隼の表情は真剣だ。
過去に何度も見たその表情は処刑台の女王や比宝家の存在を伝えていた時のように重く、また大きな危機に直面している事を嫌でも理解させられる。
しかし今回はその規模の大きさに日和は首を傾げた。
「ああ…九州の南端を始発に四国や中国、関西・東海…と日本中の妖が流れているらしい。妖が成長し、こちらへと流れてくる過程としては何ら可笑しくはない。
問題なのは…その妖達は軍勢となり、その中に術士が混じっているという」
「術士が…。一体何があったんでしょう…?」
「正確な事は何も分かっていない。ただ応援に行っていた正也からは『妖の軍勢が迫っている』『百鬼夜行だ』との噂は既に立っていたらしい。その中に混じる術士とは一体どういうものなのか、想像がつきもしない…。
規模がどれほどかは分からないが、既に関西まで潰れて先日関東からもついにやられたとの報告も来ている。それだけでも十分に相当の軍勢が押し寄せていると想定できる」
相当規模が大きいのだろうか。
人の生活を脅かすどころか町を潰すだなんて。
もしやのりあが言っていた女王とは、この事なのだろうか。
「のりあさんも次くる女王の為に私を育てたのだと言ってました。もしかして、その事は関係あるでしょうか?」
「…彼女がそんな事を?それは初めて聞いたな…少しこちらでも聞いてみよう。
……おっと、君が術士になった事を祝う為に話し込むはずだったのに、こんな重たい空気じゃ悪いな。日和、これは私からのお祝いと応援の品だ」
怪訝な表情を浮かべていた師隼は切り替えるように微笑むと、袂から手のひらサイズの箱を取り出し日和に差し出す。
日和は箱を受け取り、中を開けた。
指輪の様に柔らかな台座の上には橙色の石がついた蝶の髪飾りが鎮座している。
なんとも美しく、妙に馴染みそうなデザインだ。
「これ…」
「金詰の名を持つ術士だからね。デザインについて麗那と話し合ったら、彼女は『日和は蝶なの。他はあり得ないわ』と一蹴されたよ。私と麗那からの祝いの品として受け取ってくれ」
「ありがとうございます…!」
あまりにも綺麗な髪飾りに喜びつつも、一つ疑問が浮かんだ。
金詰の名であれば紫苑と同じ金色の石が使われるはずだ。
しかし付いているのは橙色、橙色といえば置野家の色ではないだろうか。
「でもこの石って正也の…」
「ああ。だが、私は麗那から受け取っただけだよ」
笑みを崩さぬ師隼に日和は首を傾げ、『麗那から』と聞いて一つ思い出した。
「ま、まさかこれって弥生の石ですか…!?」
「これからも、よろしく頼むよ」
否定もしない師隼に嬉しくなって、つい顔が綻ぶ。
金詰家の引っ越し作業中に出てきた弥生の証石がこんなところで自分の術士の証明として現れてくれるとは思いもしなかった。
「…はい、こちらこそ…よろしくお願いします」
深い感謝を込めて深く頭を下げた日和は挨拶を済ませ、執務室を出る。
躍るように嬉しい気持ちで髪飾りを握りしめて歩いていると、「失礼しまーっす!」とやけに陽気な声がかかった…と思ったら何時の間にか執務室や玄関が遠ざかっていく。
「…っ!?」
階段を駆け上がって廊下を駆けて、これはもしかして攫われていないだろうか。
5章です。
日和さん、ついに篠崎の術士に仲間入りです。
これから術士としての活動にご期待下さい。
……期待してええのかなぁ?




