29.謝罪と処分
「昨日は、ごめんなさい」
翌日の昼食時、日和は深々と頭を下げる。
今日は波音から声はかからなかった。
だから、自分から屋上へと来ていた。
いつもの3人は既に昼食の準備をしていて、ちゃんと日和の分の場所を用意して待っていた。
「…はぁー…。なぁに?今更謝りに来て。それで私が直ぐに許すとでも思ってるの?私、まだ怒ってるのよ?」
最初に口を開き、思いきり睨み付けているのは、波音だ。
「まあ、怒ってるけど…」
それに合わせてか、玲の口数も少ない。
「夏樹も心配していた。あまり一人で抱え込むな」
竜牙も、波音達とは少し違う表情で静かに言う。
完全に嫌われてしまった、と日和は一人、心の内で自責する。
ここで初めて嫌われたことの悲しさや喪失感を味わった。
ただ仲良くしているつもりだったのだ。
相手の気持ちなんて、皆がどんなことを思ってるかなんて想像できていなかった。
自分からも、理解しにいかなくてはいけないらしい。
「――全く、いつまでそうしているの?早く食べないと時間、無くなるわよ?」
「え…」
先ほどとは打って変わって口先を突き出し不機嫌そうな波音がそこにいた。
「日和ちゃん、ちゃんと食べてる?ちゃんと休んでしっかり食べないとだめだよ?」
勝手に日和の皿におかずを盛る玲は、微笑んで日和に差し出す。
その皿にはご飯と、日和がよくつまむおかずが当然のように乗っていた。
「…分かったか?日和。ここに居るのは、こんな奴らだ」
腕を組む竜牙は真っ直ぐに日和を見ている。
少し滲み出そうな涙を堪え、その輪に近づき、日和は皿を受け取ってはにかんだ。
「えと…いただきます」
初めて日和が選んだ居場所だった。
流されたままの与えられた場所ではない、日和が自分で選んだ場所。
そこは優しくて、温かくて、こんなにも…眩しい。
「全く、たったの1日だけど長いわよ!それもこれも全部あいつのせいよ、もう!」
唐揚げを頬張る波音は一昨日と同様に不機嫌だった。
「日和ちゃんはもう大丈夫?落ち着いた?」
「あの、もう、大丈夫…です。ご心配おかけしました…」
「そっか…」
玲は日和の心配ばかり聞いてくる。既に3回目だ。
ぺこりと再度、日和は頭を下げた。
玲の言葉は依然少なく、控えめに笑っているのは…多分まだ日和の事を気にしているのだろう。
「…あの、櫨倉さんは…」
日和は一時訪れた静けさの中で口を開く。
今日、教室にその姿は無く、どうしても気になっていた人間の名を挙げた。
玲と波音が目配せをする中、表情を変えず答えたのは竜牙だ。
「……櫨倉命はこの後16時に神宮寺師隼から処分を言い渡される。それまでは神宮寺家で聴取中だ」
「処分って…あの…!」
「日和、これは仕方の無いことなの」
竜牙に身を乗り出す日和に波音はため息を吐き、言葉を遮る。
「波音…?」
「櫨倉命は命令違反をしたの。それだけでなく、彼らの必要性と私達への信用を地に落としたの。だったら、彼らの雇い主となる師隼が処分を下すのは、仕方ないことだと思わない?」
「……」
日和は俯く。
すると話を終わらせるようにチャイムが鳴った。
「私も今回の件は納得してないの。悪いけど、先に行くわ」
真っ先に波音は日和の横を通り校舎へ行く。
玲は悲痛な面持ちで真っ直ぐに日和を見る。
「波音はあの人を許せない気持ちでいっぱいなんだ。自分で処分を下したいと思ってる。……でもね、日和ちゃん。僕も…怒ってるんだ」
「兄、さん…」
「僕はこれ以上日和ちゃんに傷ついて欲しくなかった。だけど君は傷ついた。心だけでなく、身体だって死にかけて、僕は……日和ちゃんが大切だから…元気になって、心底安心した…」
玲は腕を伸ばし、日和を抱きしめる。
「もう、こんな気持ちにはなりたくないんだ…。特に、同じ人間のせいでこれ以上、日和ちゃんが傷つくのなら僕は……その人を許す訳にはいかない…」
「……ごめんなさい、兄さん…」
「……ほら、行こう。授業始まるよ」
「はい…あ、ちょっと待って」
立ち上がり、玲が伸ばした手を取ろうとしたものの、日和は竜牙に向き直る。
「た、竜牙…。私、後で師隼の所に行きたいです…良いですか…?」
「……ああ。…というより、日和は師隼に呼ばれている。終われば、向かえに行く」
「分かりました…。じゃあ、また後で」
「ああ」
竜牙は承諾し、立ち上がると荷物を持って先に姿を消した。
「行こう、日和ちゃん」
「はい…」
***
授業が終わり、校門を出ると竜牙が待機していた。
「行くぞ」
「よろしくお願いします…」
日和の姿を確認した竜牙は前を歩き出した。
ある程度は付いてくる日和を気にしているだろうが、いつもよりは若干早い歩調で進む竜牙の背を追うように後ろを歩く。
「今日日和が呼ばれたのは、あの時の櫨倉命の動向を知る為だ」
前の背中にどう話を切り出そうか考えていたら、先に竜牙の方が口を開いた。
「…動向…?」
「ああ、彼らにも契約がある。それを違えていれば重いものになるだろう」
「…私、少しでも軽くなるよう、師隼にお願いします!」
突然日和は声を上げた。
何を言い出すのか、驚きと戸惑いを感じた竜牙は足を取めて振り返る。
「日和…?」
「私、櫨倉さんには何もされていません!多分、少し勘違いをされただけです!何も悪くなんて…――」
「――落ち着け、日和。例え本当に勘違いの一部だったとして、それを言っても「言わされたのか」と疑われるだけだ」
「でも…!」
竜牙は日和の顔を覗き込み、空いていた距離は近くなる。
日和は焦慮しているようだった。
そんな様子でも竜牙は日和の言葉を解って遮る。
「現にお前は怪我を負った。これは私達の仕事の失敗でもある。元気になったとしても、その根源に何か理由があるなら、それを罰しないといけない。心じゃなく、行動で許せるかどうかを決めることになるんだ」
「……」
日和は押し黙った。
そこまで言われては、日和には何も出来ない。
ただ、日和は櫨倉命を嫌いにはなれなかった。
どんな処罰が待っているのかは解らないが、少しでもましな罰になるよう、祈るしかない…――。
――時は経って、師隼の屋敷についた日和と竜牙は別れることとなった。
日和は身体検査を受け、今の怪我の状態を確認させられた。
次に櫨倉命との会話内容や、あった事を耳輪の欠けた狐面に言わされた。
言わされたというのは狐面には記憶を操る術があるらしく、それを利用する事でそういった行為が出来るのだと翌日竜牙に教えられた。
一通り話を終えると庭の見える廊下を通り、同敷地内の別邸へ移動させられる。
場所は初めて来た時にちらりと視線だけを移した、門から神宮寺家へと向かう道の脇。
小さな庵が立っている、その更に奥の突き当りを曲がって進んだ先だ。
まだ比較的新しそうな洋館の建物だが、それでも大正時代に建った迎賓館のような装い。
日和は狐面に連れられ、中に入り1階の大きな扉が目立つ部屋へ入った。
中は小さな会議室のような部屋、そこに竜牙と師隼は居た。
「金詰日和、今回はすまなかった。私の管理が届いていなかった…」
師隼は日和が入るなり背中が見える程深く頭を下げた。
竜牙の横に日和は並ぶと首を横に振って答える。
「いえ…こちらこそ、勝手な事をしました。すみません…」
「謝らなくていい、日和に落ち度はないよ。そもそも日和には最初から出来ることはあった筈で、拗れに拗れて今がある。最初の時点で怠ってしまったのだから……もっと私達に頼りきりで居て欲しい所だけどね」
小さく息をつき、師隼は日和を見る。
どことなく竜牙に似た表情は思う所があるのか、謝罪だけでなく心配するような表情にさえ見える。
「師隼様、準備が整いました」
「ああ、入れ」
廊下の方から男の声が響き、師隼は表情を堅くして答えた。
扉が開き、一人の狐面と共に櫨倉命が入ってくる。
それにより空気は一気に重たくなり、いよいよ始まるのだと、日和の心は不安で埋まった。
重圧感のある部屋の中で部屋の端に竜牙と日和は並び、中心には師隼と鳶色の髪の少女が相対する形だ。
今回他の術士達は呼ばれていない。
波音はこの場を滅茶苦茶にしそうだし、玲も流石に冷静では居られないらしく、場にいれば何をするか予想もつかない。
そもそも学年が違い、学校も違う夏樹を呼ぶのは相応しくないとして、師隼が避けたのだった。
とはいえ、師隼が最後まで冷静に応対をするとは、本人は言わなかった。
寧ろ狐面を管理し、指示する立場にあった師隼にとって櫨倉命の行為はとんでもない裏切り行為でもある。
長い付き合いがあるという竜牙は師隼を止める為に来させて貰ったのだと言っていた。
師隼はぺらりと事の概要を纏めた用紙を手に取り、捲る。
そして狐の面を後頭部につけた女を強い視線で見つめた。
「さて、事の始終を聞かせて貰った。問題行動の内容は、監視対象である金詰日和に面を見せただけでなく、素顔を曝し、挙げ句の果てには金詰日和に妖の手がかかっても放置した、とあるな。名は?」
いつもより声を低くした師隼は、明らかに怒っていた。
先ほどまでは落ち着いていた師隼がここまで空気を変えるほど怒っていたのかと思うと、命のやったことは日和の想像以上に悪いことをしたのだと実感する。
「は、櫨倉…命です…」
「何か言い分は」
ぎらりと威圧の酷い師隼の目先に立たされている女は震えながら、名を名乗る。
その表情は恐怖からか、俯き、顔を下げていてよく見えない。
術士独特の力なのか、はたまた師隼自身のオーラによるものか、酷く怒りの色を凝縮させたような、力強い師隼の目は命を捕らえて離さない。
命は震え上がりながら声を出す。
その姿はそれこそ蛇に睨まれた蛙のようだ。
緊張からか、反動で命は声を荒げ、強気に出る。
「ぼ、僕…いえ、私は金詰日和を…監視対象にする必要はないと判断しました!術士様達は大切な任務があります!その手を滞らせ、煩わせる必要があるのでしょうか!この女にそうしてまで守る価値があるのでしょうか!?」
「理解ができぬ、か?危険が及ばないように我々が保護をする必要がある、その為に出された監視任務だ。ただ一介の狐面であるお前にこの少女が何者なのかなど、分かるまい?」
「分かりません!ですが術士様達はこの町をお守りくださる方々です!それならば住民は全て平等に守られるべきなのではないでしょうか!そんなに彼女が特別な存在なのですか!?私はっ、――ふぐぅ!?」
恐怖から一度出た言葉は止まる事無く早口に捲し立て、命は日和を指差す。
がっ、と勢いに任せた乱暴な師隼の右手が命の口を押さえるように掴み、その言葉の続きを強制的に止めた。
震えと恐怖によって余計に出た言葉は師隼に大層な反感を買ったらしい。
「下賤が…口を慎め」
「師隼、落ち着け!」
「……っ」
片手で命の両頬を持ち上げる師隼に、竜牙が声を上げ師隼を止める。
師隼の怒りは既に平常の範囲を超えていた。
すぐにでも術が発動しそうなほどに、師隼の周りがぱちぱちと光り始めた。
日和は背筋が寒くなって、自身にまで伝わってくる師隼の怒りに息を飲む事しかできない。
「ひっ、ひぃ…!!」
まだ師隼の力を理解していないであろう命の顔は恐怖と畏怖に顔色を染め上げ、体の震えと厭な汗が身体を伝う。
「では貴様には人の価値が分かるのか?どの人間が尊ばれ、どの人間が守られるべきであるのか分かるのか?だったら言ってみろ!」
「わ、わた、しはっ…術、士様が…師隼様がっ!尊ばれし…方々だと…ぐあっ!ぅぐ…」
本気で怒る師隼は手に光を込め、近くの壁に命を全力で投げつける。
飛ばされた体は壁に強くぶつかり、床へ転がった。
「戯れ言だな。貴様の言葉は全て戯れ言だ!だったらその身で知るがいい、貴様は…――」
「…っ!」
師隼の右目が黄金に輝き、光が命に向けられ右手に集う。
命は恐怖に頭を伏せ、竜牙はその腕を押さえる。
「師隼!!」
「離せ竜牙」
「師隼落ち着け!悔い改めたのだろう、戻るぞ!」
師隼は顔を歪ませるものの、命から視線を外そうとはしない。
「くっ…離せ、竜牙…!この者は識るべきだ…!何のために我々がいて、何のために狐面が作られたのか…そして、誰の為にあるのかを!術士様だ?馬鹿をいえ、私達はそんな信仰心の上に立つ者でなければ、救いを蒔くような者共でもない!」
「くそっ、完全に頭に血が上って…!」
「…待って下さい!」
竜牙が押さえる腕を振りほどく師隼と命の間に、少女が割って入る。
「か、金詰、日和…」
ぽそりと呟き、命は目を見開く。
師隼は命から日和へ視線を移すと、無理矢理怒りに蓋をし、笑顔を向ける。
「日和、そこを…退きなさい」
「い、嫌です!師隼、この方に、櫨倉さんに何をする気ですか…!?」
「退け、金詰日和!!!」
「ぜ、絶対…嫌です…っ!!」
その表情はあまりにも歪んだ笑顔だった。
師隼の否が応でも首を横に振る日和を見る目が、厳しくなっていく。
「かっ、金詰!なんで僕を庇う!」
それでも拒否をする日和に、命は声を荒げた。
その姿に師隼はがくりと首を落とし、鼻で笑う。
「…ふっ、そうか…。監視し、守護する側が逆に監視対象に守護されるとは愚の骨頂だな」
「しじゅ…――」
「――櫨倉命、貴様に命令を下す。今すぐその面を壊し、跪け!今後一切貴様に術士の加護は与えん。当然、今までに教えられた技も置いていけ。外で野垂れ死なぬことだけは祈っといてやろう!以上だ」
師隼は、嗤っていた。
「師隼、それは…」
「日和、君は優しすぎる。己の身を滅ぼす優しさはもう捨てろ。本来なら極刑だ…今すぐにでも私が直々に手を下すべきだと思っている。だが、君は免れるよう頼みたいのだろう?だったら…私が直々に手は下さない。それが妥協点だ」
師隼の声は、至って真面目だ。
だからこそ、日和の表情は真っ青になった。
「そん、な…」
倒れたままの命は強打し、痛みに耐えながら日和に視線を移す。
「…いや、いい…いいんだ、金詰日和…。僕が悪かった。こんな僕を庇うなど、君がどうかしている…」
「でも!」
「しつこいぞ。私は今、師隼様からの罰を言い渡された。だったら、それを受けるまでだ…。金詰日和、すまなかった…」
命は諦めたように笑う。
自分が間違っていることを、理解してしまった。
こんな人間を庇う存在こそ、守られるべきなのだ。
優しさの塊、自己犠牲の強さ、この女こそ、術士に相応しい。
自分に心配して駆け寄ってくる日和に、命は上体を起こし右手で彼女の両目を塞いだ。
「櫨倉…、…さん…」
消えそうな、彼女の最後の自分を呼ぶ声が空しく響き、日和は床に倒れ伏す。
「…そうだ、それでいい…。では貴様に与えた技、返して貰う…」
その姿に師隼は優しく笑って先ほどの命と同じように手を伸ばし、命の頭をつかんだ。
意識が遠のいていく片隅で、何かが割れる音がした。
――多分、狐の面だろう。
***
「日和、昼食に行くわよ」
「うん」
いつもの波音のかけ声で、日和は席を立つ。
鳶色の髪の少女の横を通り過ぎ、2人は屋上へと向かう。
そんな二人の姿に少女は振り向くことなく、自身の弁当を取り出す。
術士や日和が、鳶色の髪の少女が互いに視線を向け合うことは無い。
ましてや互いを視認することすら、もう、ない。
ちょっと一区切り。
ちなみに彼らの妖退治のモットーは悪・即・断です。(※イメージ)
いい加減南棟の外見を考えねばと思い、描写を足しました。
実は今までそこまで考えていなかったです。申し訳ありませぬ。
(23'1'22)