27.悪意のある目
「ケーキ美味しかったねー。じゃあ日和、また明日!」
「うん、また明日」
無事にケーキ屋で過ごせた女子3人組は仲良く店を出ると、すぐさま解散の空気が流れた。
弥生は満足げに、笑顔で帰路につく。
残った日和と命は静かだった。
どちらも動くことはなくしばらくして、最初に声をかけたのは命だ。
「日和さんは帰らないの?」
どきっ、と日和の心臓が飛び上がりかけた。
流石に今、休学中ではあるがクラスメイトの置野正也の家に住んでいるとは言えない。
「え…あっ、か、帰るよ。櫨倉さんは家どこ?」
「僕?安月大原です」
更に、厭な汗をかいた。
余計に今住んでいる場所を明かせない。
日和は仕方なく半分だけ嘘をついた。
「そう、なんだ。私は柳ヶ丘だから途中まで一緒だね…」
「あ、僕が家まで送りますよ?」
「えっ!?別にそこまでは悪いから、いいよ…」
「危ないでしょう?僕なら大丈夫!護身術、身につけてますから」
満面の笑みを向ける命に断りを入れられず、日和は観念して自宅へ帰ることにした。
まだ離れてから一週間足らずだが、足取りは重い。
まさかこんな形で一度帰ることになるとは、思わなかった。
今や家の中はもう真っ新に何も無い状態になっている。
引っ越した後、私物や家財道具は完全に処理されたらしい。
だが命がいる手前、帰らないわけにはいかない。
念の為だと言われて返された鍵だが、ずっとポケットに住み着いている家の鍵がまさかこのタイミングで使われるとは、師隼はこのことを見越したりなどしていたのだろうか?
ぴたりと、突然命の足が止まる。
思考が巡り気付くのが遅れ、日和は2,3歩進んで振り返った。
「……櫨倉…さん?どうしたの?」
夕方の真っ赤な陽射しが2人を刺し、長い影がたった数秒の短い時間を余計に伸ばしている気がした。
ただ背中からの陽射しで逆光になっているだけなのに何となく、櫨倉命の表情は怖い。
「日和さんってさ…いつも水鏡さんとよくいるよね。それに…高峰玲さんとも…。なんで?どんな関係?」
先ほど濁していた答えを再度聞かれ、突然の質問に日和の表情が固まる。
心の底で、「この人はだめだ」と警告が鳴る。
極力作った笑顔で、日和は口を開いた。
「な、波音は友達だから…。兄さ、…玲、は…私の兄みたいな人で、幼なじみだから…だよ」
「本当に、友達なの?貴女が水鏡さんを振り回してない?高峰先輩は幼なじみなのに兄さんって呼んでるの?兄弟じゃないのに、不思議ね。変だと思うよ」
日和は表情を動かさなかった。
こういう時、どんな表情を作れば良い?なんて答えたらいい?もしかして何かしてしまっただろうか?とそんな考えで思考が埋まる。
にたりとどす黒い空気を纏わせて、命は鞄から取り出した狐面を半分顔に当て、笑う。
「…僕ね、こういう者。見覚えあるかな?キミを監視するよう言われたけど、不思議なんだよね。
一般人であるキミをどうして術士様は守るの?術士様はこの町に住む全員を守っているんだよ?どうしてキミが特別扱いされてるの?」
「……っ」
命の侮蔑混じりの視線と欠けた耳が強い印象を与え、日和は息を呑んだ。
確か初めて師隼の屋敷に行った時に狐面が並んでいた。それと同じ面を持っている命に初めて術士の関係者だと気付いた。
術士様と呼ぶ辺りでは部下なのだろうか。
とりあえず自分が邪魔のように感じているのだと理解した。
同時に何か蓋をされた気分になり、日和は全面的に自分が悪く、だから攻撃をされているのだと感じた。
今までに奇異な目で見られたことはあるが、直接言われたことはない。
そもそも聞こうとも思わなかったし、聞く気もなかったが。
しかしこうして対峙して言われれば、対策方法はがらりと変わる。
波音のように攻撃できる言葉を、玲のように自身を守る言葉を持ち合わせていない日和には、何も言えない。
「わ、私……そんなつもりじゃ…」
「違うの?じゃあ、どういうつもり?術士様と仲良くなって、恋人にでもなってやろうって事?
…それともあの方々の邪魔をするつもりだった?」
「そんなこと、微塵も…!」
微塵も思ってない。
恋仲なんて理解ができないし、邪魔をするつもりもない。
…本当に?
私が妖に狙われているから、皆が守ってくれている。それは有り難いことだと思う。
でも逆に、そのせいで皆の活動に更なる苦労をさせていたら?
私を守ることで、私から遠く離れた妖がその場で悪さをすれば、その分助けに行く時間が増えてしまうのでは?つまりそれは、邪魔をしてしまっているって事になるのでは?
何だかその方が納得できてしまう。
分かっていても、違う、そうではないと信じていても、そのように思ってしまう。
腑に落ちてしまう。
(…ああそっか……。私が居ることで皆の邪魔をしてしまってるんだ…)
櫨倉命はそれを伝えるためにここにいるのか。
(だったら、どうすればいい?どうすれば、邪魔じゃなくなる?)
……だったら、離れれば良い。
…そうか、離れればいいのか。そうすれば皆の邪魔をしないで済むじゃないか。
無理に私を守る必要なんてない。
そうだ、昔は思っていたじゃないか。
自分は死ぬのを待つだけだと。
ただ守られ続けるだけなんて苦しいだけだ。
それならいっそ、死んでしまえば全て楽になるじゃないか。
父にも、祖父にも、会えるかもしれない…――。
「……そう、だね…。ありがとう、櫨倉さん。…また明日」
日和の思考が明々と照らされた目の前の悪意に歪められて堕ちていく。
論と証拠が歪に当てはめられて、一つの外れた答えを導き出した。
日和は覚束無い足取りで家に入っていく。
その表情は、玲しか知らない顔に戻っていた。
残った命は満足顔で狐面をつけた。
***
おかしい。
金詰日和は夜になっても、帰ってこない。
連絡を入れても返事が来る気配もない。
竜牙は心配と不安が溜まり、正也の部屋の窓から出る所だった。
「すまない、竜牙。もし見つかったら無理に連れ戻さなくて良いから、日和ちゃんの近くに居てあげてくれ」
佐艮にそう言われ、竜牙は「分かった」と短く答え、飛び出した。
ぽつぽつと梅雨入りを知らせる雨が降り出す中で外へ出たが、正直どこを探せばいいか分からない。
波音と玲に連絡をし、夏樹には一通りの話はした。
見つかれば多分連絡は来るだろう。
その間に自分が出来ることは探すことだが…一体金詰日和という人間はどういう場所を行くのか検討もつかない。
「……まさか、な」
浮かぶ候補は一つだけ。
しかしそこは彼女にとっては苦しみの塊となりそうな、孤独の城だ。
竜牙は急ぎ、その方へ向かった。
家の周りは、静寂だ。
いくつかの家はまだ明かりがついているが、もう何も無い金詰日和の家は真っ暗だ。
やはり居ないのだろう、徒労だった。
深いため息が口から吐き出され、竜牙は踵を返す。
(いや、いる。金詰日和の、力の気配だ)
もう1つの意識が、力を感知した。
玄関に近付き、ドアに手をかけるが鍵はかかっている。
上を見上げ屋根に登り、道路に面した部屋に通じる窓を覗いてみた。
しかし見える範囲には誰もいない。
――いや、色が同化していて分かりづらいが、学校指定の鞄のラインがドア横に見えた。
「日和、いるのか?」
窓を触るが、鍵は閉まっている。声をかけても返事はない。
どうするか思案した所で、酷く冷たい声がした。
「……すみません。帰れません」
窓ごしに聞こえるか細くも力強い声は、確かに金詰日和のものだった。
「日和、どうした。何があった?」
「何もありません。帰って下さい」
姿を見せない日和は明らかに、声のトーンが低く、冷えている。
怒っている、というよりは拒絶に近い。
「一先ず姿を見せろ。無事なんだな?」
「…帰って、下さい」
「……」
一向に日和は姿を見せない。
何かあったに違いないが、今は確認する術を持っていない。
竜牙は仲間に日和を見つけたと連絡を入れると、一度屋根から飛び降り再び屋根へ、今度は静かに飛び移った。
日和は周囲に透明な壁を張った。
見えない、拒絶の壁。
もう誰にも視認されないよう、もう誰にも感付かれないよう。
善でも悪でも、もう人に何かを思われるのは、言われるのは嫌だ…――。
近くに竜牙がいる気配も読めないまま眠ることもできず朝になって、日和は一人家を出た。
学校に行かなければいけない。ただ、それだけの思考だ。
昨晩は何も食べていないが、今朝も食欲なんて湧かなかった。
最も、電化製品もない家に食材になるものも存在しないのだが。
何も無い家は快適だった。
完全な孤独、完全な闇、無意識の内に自分を痛めつけ、更なる苦しみを与えるには充分な空間だった。
昨日降り始めた雨は未だ降っている。
傘も持たない日和は玄関を出て、既に全身を濡らしていた。
「…日和、ちゃん」
少ししか経っていないのに懐かしい通学路、そのいつもの場所に玲は傘を差して立っていた。
それを理解しているだろうに日和はその姿に気付かないように目の前を素通りし、無視する。
「日和ちゃん!」
「…なんですか」
玲に腕を掴まれた。
しかし日和は視線を一切動かすこと無く、玲を視界にすら入れず冷え切った声で答える。
「…っ!」
「…失礼します」
氷の様に冷たい表情、何の感情もなく近づきがたい雰囲気を纏う姿の日和。
玲にはそんな日和に覚えがあった。
その姿は初めて会った時の、全てを拒絶していた小さな少女そのものだった。
玲はため息をつき、民家の屋根を見て首を横に振る。
その視線の先では着物を身に纏う男が頷き、その少女を見守るように先へ進んでいった。
狐面の正装。
・面をしっかりと付け顔が把握されないようにすること
・フードを被り、髪は出てこないようにすること
・パーカーの色は自由、スカートは禁止。ズボンの長さは自由。
・靴はスニーカー限定。動きやすさ重視
・持ち物は手袋、メモと筆記用具、通信機器(スマートフォンOK)




