254.出張応援の報告会
朝、目が覚めれば体も気分も重たかった。
どうせ昨日のことを引き摺っているだけだから関係ない。
出かける準備をして下に降りると、使用人に会って声を掛けられた。
「坊ちゃん、お出かけになるんですか?雨が酷いですから、お気をつけて」
「うん」
玄関の戸を開ければざああ、と土砂降りの雨が町を濡らしている。
(随分と酷い天気だな)
どうせすぐに乾くしそんなに気にすることでもない、最低限傘を差して師隼の屋敷へと向かった。
降りしきる雨だけど、とりあえず応援の報告をしなければならない。
「わざわざこんな雨の酷い日によくきたものだね。おはよう――って言いたかったんだがな、どうしたその傷」
真っ直ぐに執務室に向かえば師隼に目を丸くされた。
そんなに気にすることでもないだろうに。
「別に、何もない。それより報告」
「せめて後で数馬殿の治療を受けなさい。…まあ、とりあえずそこに座って」
師隼に言われるがまま、ソファーに腰を降ろし向かいの椅子に師隼が座る。
腕を組み、疲れた表情を向ける師隼はじっと俺の目を見ている。
顔が少し怖いように感じるのは、仕方がないとは思う。
「1月の10日から約二か月の隣県地域の応援、理由は妖の増加と強化による術士の不足…最初の分倍河原の頼みの内容だよ。
結果、君は二か月どころか半年居なかったのだけど…どこに行っていた?」
「…日本全国。主に沖縄と北海道以外」
素直に答えているけど師隼の表情は重たい。
当然だ。
俺の応援は期間も場所も予定とは大幅に違ったのだから。
「……それは、理由を聞いていいのかな?」
「移動には分倍河原…さんが、引率してくれました。宗家の二人とは面識ができてます。鷲埜芽家と烏丸家です」
「質問に答えろ。その面識を作る事は今回の応援に必要だったのか?」
師隼の眉間に皺が寄る。
少し苛立ちの混じった声に正也は少し顔を顰めた。
「……隣県地域の応援です。最初に隣県への応援に出向いていたら…更に隣県の応援に行くことになりました」
「それでずるずると全国回ったと?」
正也は頷き、師隼は大きく息を吐いて頭を抱える。
「……そんなに全国には妖が多いのか?術士が少ないのか?どこもそんなに窮地だったのか?」
「最初は…その地域の術士が倒れてしまって、2,3か月の新人術士しか居なかったから少しだけ、力の使い方を教えてました。
それから大阪の方に行って…中国地方の辺りで色々あって鷲埜芽さんの所に逃げて、ついでにって九州で少し手伝いをしてきました。
鷲埜芽さんの所に戻ったら愛知の方に回って、関東の方に行って…なんか色々教えて貰った。東京とかだと一日働き詰めの日もあった。
あと、宗家が口を揃えて言うのは『今までとは違う』って言ってた」
正也の言葉に師隼は口元に手を当てて、何やら考え事が始まる。
ぼそぼそと小声でつぶやきが漏れて聞こえた。
「今までとは違う?…ここ以外でもそうなのか、ならば一度…」
「師隼…」
「はあ…、…分かったよ。ちなみにどんな妖が出ていた?」
「ここよりは基本弱いものばかり。犬や猫、烏とか鳩とか…蜥蜴みたいなちょろちょろしたのも見たかな。最初は珍しかった」
「珍しかったって正也、ちょっと楽しんでないか?」
町も妖も珍しいものばかりだった。
知らないことが多くて楽しかった。
だけど大変で、たまにあっという間に時間が過ぎていく。
食べて働いて眠る生活ばかりだった。
見たいものも、見たくないものも沢山見た。
その言葉をどう表現しようか悩んだ結果、正也は半眼になる師隼に対して「けど疲れた」と溢す。
「たまに十体以上も見て時々力が切れた。でも潰しとかないとこっちに流れるし、叩いても減らないし、狼とか虎とか、こっちで見る妖も何度か見かけた。俺は慣れてたから良いけど…他の術士は苦戦してる人が多かった。
特に東京はすごかった。3月の頭から5月の上旬まで居たけど…術士自体は多かったのに力も術士も時間も全然足りなくて、結局半端な形で北に移った。皆には申し訳ないくらい」
「そうか…。だが東京は分倍河原の管理地でもあるし、妖研究も進んでいる。術士だってしっかりと育成されているんじゃないのか?」
「それが、妖の数が年明け前から少しずつ更に増えてきたって。ほぼ毎日一日中駆けずり回った日もある」
「その辺りは分倍河原から聞こう…。それで、何度か連絡した内の5月後半辺りで一度連絡をしたが…お前は何してたんだ?」
「寝てた」
切り替える様にため息を吐いた師隼が再び半眼になる。
こればかりは反応として仕方がない。
「烏丸雪華の屋敷で五日ほど…。目が覚めてから、師隼から連絡があったって分倍河原さんから聞いた…」
「五日間も寝ていたのか!?」
いくらなんでも異常すぎる睡眠時間に師隼の表情が歪んだ。
想像通りの反応に正也は何をどう伝えればいいかを悩む。
正直に言ってしまって師隼が混乱しないか、変にならないかが心配になった。
「師隼に確認したいんだけど…神話の時代の話、『王』の中に『夢』の力を使う人っている?」
「なっ…!どう、して…それを…」
正也の質問に師隼は目を見開き、驚いた様子で問う。
「それを使う人に会った。眠ってる間に話しかけてきて、色々話をした」
「いや、待て待て!まだ居るのか?使う人って一体どんな…いや、他の王はどうした?『奏』は?那壌を作った『剣』は!?」
師隼は立ち上がり矢継ぎ早に問う。
その余りの勢いに負けて正也は反射的に両手を上げた。
「王はもう存在しないって……夢の力を使う人も、起きたら会えなかった…」
「……すまん。そう、か…」
力が抜けるようにすとん、と座る師隼に正也は少し居心地悪く感じた。
余計な事を聞いてしまったかもしれない。
流石に古い時代の話は、簡単に口に出すべきではない。
「あーすまない、忘れてくれ。分かっている」
「…竜牙の弟さんだった」
「……そうか」
どうにもできない情報だなとは思う。
だけど過去を気にしている師隼には伝えていいのか悪いのかさえ分からない。
案の定、扱えない情報に苦い顔をして師隼は笑った。
「…県外はどうだった?」
「面白かった…旅行みたいで。大変だったけど」
「そうか。なんだったら外で頑張っても良いんだぞ」
最初よりも更に疲れた表情を、無理矢理笑顔に変えたように師隼は笑う。
そんなこと、できる訳がない。
正也はすぐさま首を横に振った。
「ううん、ここがいい」
「そうか。…あ、一つだけ聞きたい事がある」
「…何?」
師隼はぴっ、と人差し指を立てる。
何を言い出すのだろうか、正也は首を傾げた。
師隼の表情は一つの不安を打ち明けるように神妙な顔で、ゆっくり口を開く。
「高峰玲については、知らないか?」
急激な妖の増加はここだけではない、全国で広がっていた。
それに伴い妖の強さも全体的に徐々に上がり始め、組織的な術士訓練を受けていない者達は苦戦を強いられている状況だ。
置野正也から高峰玲についての情報は得られず、だがその代わりに『この妖の増加には黒幕がいる』という噂があった事を聞いた。
地域によって差分はあるものの、『妖の王』がまるで『百鬼夜行』のように妖を従い歩くのだという。
「魁我、いるか?」
「はい、こちらに」
影のように現れた魁我は笑みを絶やさず傍に屈む。
「正也の持ち込んだ噂話を検証できるか?分倍河原と連携してくれ。鷲埜芽とも相談してもいい」
「畏まりました」
「…日和については聞いているか?」
「ええ、問題はありません。しばらく狐面の活動は難しいでしょうから仕方がありませんね。波音嬢にはお話済みですか?」
「いや、まだだ」
魁我は笑顔で「では波音嬢を呼んできます」と煙のように消えていく。
少しでも状況が落ち着いてくれれば良いが…、一体何が起こっているのかが未だにわからない。
6章前章譚・正也の日本旅行記を書き上げたので、軽く内容編集をしております。




