227.消滅の日
多少の困りごとは増えたが日和のリボンを回収し、無事に戻ることできた。
そして日和が目を覚まして良かった。
それだけでも状況が少し落ち着いたように感じて安堵する。
「…ねえ、助かったわ」
そしてそれはこの男のお蔭でもあると思う。
駅の構内、周囲からは少し離れた場所で波音は共についてきた男に視線を向けた。
「俺の出来る事をしただけだ。それに……これは俺の贖罪でもある」
成り行きとはいえ連れてきてしまった男・招明は正也と同じく表情をあまり出さないように見える。
それでもその言葉は聞き捨てならないほどに不穏に聞こえた。
「贖罪?」
「…金詰日和をあの状態にしたのは兄だ。それを止められなかった責任は俺にもある。それだけだ」
不機嫌そうな表情をしているけど、この男なりにも気にしている部分があったのだろう。
比宝家の話を紫苑から少しだけ聞いていたが、招明はそれよりも根は優しい人間だと感じた。……が。
(……ってだめよ水鏡波音!こんな事で気を許したら本当に結婚する事になっちゃうじゃない!!)
危うく軽率に交わしてしまった約束を忘れるところだった。
「そう…深くは聞かないわ。それよりあんた、本当に家を裏切って良かったの?」
「最初から家は好きじゃないし一緒になって罰を受ける気はない。贖罪を行ったのは…あいつが金詰の人間だからだ」
「ふうん…?」
何かこいつなりに思う事があるのだろう、だけどそれを詳しく聞き出すのは私の仕事じゃない。
後で師隼に突き出して、少しでも距離を取る事を考えよう。
「……だいぶ人が戻ったようだが」
招明が出入り口に視線を向け、釣られて振り向くと多くの狐面が流れてきた。
その中に夏樹も混じって少し会話すると、次は魁我さんが来て師隼達ももうすぐ戻る事を告げられた。
魁我さんが引き連れた調査隊の狐面達は先に屋敷の方へ引いていき、しばらくして師隼と紫苑、それから三人の子供達を連れてきた。
「……」
招明が隣で表情を歪ませる。
子供の一人が日和に駆け寄り、残りの二人は顔に光の印が見えたのは多分師隼がつけた罪人の証なのだろう。
女の方は反省しているのか目を瞑り大人しくしているが男の方だけはやけに微笑んでいて、その姿は対照的に見えた。
「神宮寺様、お疲れさまでした。打掛の方はこちらになります」
師隼の傍に正也の母ことおば様が寄り、鞄を差し出す。
「ああ、ありがとう。紫苑、綿帽子を共に纏めてくれ」
「あ、うん…」
紫苑は師隼から鞄を預かると綿帽子を中に入れていた。
「日和の様子はどうだ?」
「し、師隼!」
「波音…」
「日和は直ぐに眠ったけど目を覚ましているわ。こいつが日和を起こしてくれたの」
日和の方へ向く師隼に何かしないといけない、と駆り立てられる。
庇っているかもしれない。
だけどそれだけは伝えておかないといけない気がして、私は直感に委ね招明を引っ張りだした。
私から招明の方へ、師隼の視線が動く。
「君は?」
「比宝招明。…金詰日和を起こしたのは俺の贖罪の為だ」
「ふむ……。起こしてくれた事には礼を言うよ。ただ君も、一時的にはこちらの保護観察をつける。問題はないか?」
「ああ、それでいい」
師隼は頷くと招明の頬にも光の印をつけた。
そして場の全員に聞こえるように声を張り上げる。
「そろそろ時間だ!準備をしろ!」
掛け声に場が慌ただしくなり、ゆっくりしていた人達の動きが早くなった。
「何が起こるんだ?」
「……枕坂市が今から消えるのよ」
「……」
招明に聞かれ、正直に話す。
無言になったが静かに「そうか」とだけ聞こえた。
まだ外に居た人達が少しずつ帰ってくる。
そう、そろそろ時間だ。
この町に明日はやってこない。
***
日が変わる残り数刻という所で、眠っていた少女が再び瞳を開けた。
「雷…ちゃん」
横たわる日和の顔を雷来が覗いている。
「日和おねーちゃん、だいじょうぶ…?」
「……はい、大丈夫です」
今にも泣きそうな雷来の頬にゆっくりと手を添えて、日和は微笑む。
雷来はその手に自分の手を重ねて、「よかった」と笑った。
「……日和さん」
似た声で日和に話しかける姿。
多分結婚式に出ていたのだろう、豪奢な着物を着て目に涙を溜める電伝が少し離れた場所に立っていた。
「電ちゃん…?」
「日和さん、ごめんなさい…すみません…」
視線が合うと絞り出すような声で謝り、そのまま泣き崩れていく。
「どうしたんですか?電ちゃん…」
ただ日和には、何故電伝が泣くのかが分からなかった。
その電伝の隣に飛雷が寄り添い、日和に顔を向ける。
「日和さん…すみませんでした。比宝家は師隼様の手により罰を受ける事が決まりました」
「そう…ですか…」
「多大なご迷惑をおかけました」
「……私に言われても、困ってしまいますね。…私はどうしたら良いのでしょう…」
飛雷にも深々と頭を下げられ、日和は困惑するしかなかった。
それよりもまだ頭が上手く働かず、何も考えられない。
「…日和ちゃん、大丈夫?」
そこへ紫苑が顔を出し、覗いてくる。
「兄さん…。私の力、役に立ちましたか?」
「うん、ありがとう。もうすぐ全部終わるから、篠崎に帰ろう?」
「…はい、そうですね。帰りたいです」
紫苑の言葉に思った事をそのまま口に出していると、どこか少し離れた場所で強い光を感じた。
師隼が力を放ったのが分かる。
無事に全部終わったらしい。
雷来は日和の手を握り、小さく震えていた。
まるで何かを祈るかのように。
もしかしたら日和がナヅチミツカヤの魂として篠崎にとって不可欠な存在なのだとしたら、雷来は枕坂にとって不可欠な存在なのかもしれない。
なんの直感なのかよく分からないが、少しずつまた遠退いていく意識の中そんな風に感じた。
師隼が枕坂駅を出ると、酷い姿をした街が目の前に広がっていた。
どんよりとした重苦しい空気は薄れたが、綺麗に整えられていた駅前の地面は抉れ、周囲の建物は荒々しく崩れて見る影もない。
しかしその光景は今から更に酷い姿となるだろう。
人に影響を与える程の変化を術士が与えて良いものか、と何度も考えたことがある。
もちろん良くない事は分かっている。
その影響を皮切りに、人々が不安に晒され余計な妖が増えるに決まっている。
だけどどうしようもない事が起こってしまったのだから仕方がない。
どうしてもやらなくてはならない時は必ずある。
例えばそう、町には既に妖が蔓延り何も知らない一般的な人が存在しなくなってしまった場合だ。
しっかりと術士としての仕事を全うすればこんな事にはなるはずが無いのに。
戦っていた狐面がハルの呼び声により撤退し、最前線で戦っていた宮川のりあと和田朋貴が姿を現す。
「師隼…」
「時間だ。他にはもう、残っていないか?」
「索敵…」
のりあは街に向けてぐるりと視線を向けると目を瞑り、首を横に振る。
「いないようよ。始めるのね?」
「ああ、範囲はこの結界内全域で良いのか?」
「ええ、それで問題ないわ。余りがあれば結界外へ行って私が殲滅するだけよ」
「随分と頼もしいな。いつ戻って来られる?」
「一週間もあれば十分。朋貴はいらないからあげる」
のりあは有言実行、そう言うのならそれで良いのだろう。
深く考えるだけ無駄だ。
「そうか、なら…朋貴はしばらく借りるぞ。日和の世話くらいは頼むかもしれない」
「……ああ、分かった」
朋貴は頷くとそのまま駅の中に入り、扉の前で待機する。
私が力を使ったすぐ、この駅の出入り口であるいくつもの並んだ扉に封印処置を施すのだろう。
強い光は遮断されなければどこまででも力を通す。
後ろで私の仕事が終わるのを待つ皆を守らないといけない。
「じゃあ、使うぞ」
「ええ」
膨大な力を使うのは今までにあっただろうか、いや、無いな。
だけどこの結界内を光で埋め尽くせる自信だけは何故かある。
「…<アグニミツカヤの力を以って、今この手に光の力を>」
全身の毛が逆立つような感覚。
ああ、何年ぶりの感覚だろう。
昔はこの力で何でもやったというのに。
お蔭で番に選んでしてしまった四術妃となる少女を壊してしまう原因を作った後悔だけは未だに拭えない。
「君はこの力を使ったら怒るかな?だけど私は今、また縛られてこの地に立っているんだ。統治者としての責任を、果たさないといけない」
師隼は両の手を開いて正面に広がる街に向ける。
全身から沸き立つ師隼の光の力が手の先に集積し、師隼は目の色を深くした。
青い目が広がる戦地を映す。
空中に漂う数多の白く小さな光、混じり物となった灰色に濁った小さな光、頭痛に眩暈がしそうになる。
あまりにも多すぎる被害者に胃痛が襲う。
「――焼け、この地は今から忌むべき場所だ。全てを、無に帰す」
言い放つと地面を閃光が駆け抜け、一瞬にして黒く焼け焦げる。
人も建物も何もかもが炭に変わり、駆け抜けた先から光が爆発していく。
光は大きくなり範囲を広げ全てが黒に染まり、光が近づくにつれ形を保ったものが衝撃波により崩れていく。
まるで妖のように、炭に変わった黒い物体が霧散して消えていく。
光は強くなり、師隼は背中を向けて駅の中へ入った。
朋貴は一瞬にして駅の扉に錠をかける。
封印結界の張られたガラス扉から強い光が差し込み、構内であるのにまるで真夏の昼間のように眩しく辺りを照らした。
誰もがその強い力に目を細めるか、腕で影を作る。
どれだけの時間、光に当てられただろうか。
出入り口に立っていた朋貴はまだじわりと熱さを感じる。
焼け焦げそうな程に強い光は封印処置をしているというのにその影響を受けそうな気がして少しだけ危機感が浮かんだ。
しばらく経って、光は次第に収まりゆっくりとその先に視線が集まっていく。
「……行くぞ」
師隼は後ろを振り返ることなく、撤退の命令を出す。
場に居た全員が何も口にする事無く撤収の準備をし、ぞろぞろと動き出した。
朋貴は扉の結界を解除し、一人だけ中に入る。
そこに広がっていたのは何もない世界。
町の形や人の気配は消え去って、地面は全て黒く染まり空は夜の闇に覆われている。
地平線だけが見える世界の果てには薄らと自分とのりあが作り出した結界が見える。
ただそれだけの、真っ暗闇の世界。
えげつない。
それだけ比宝家が枕坂で起こした事は、大きな問題だったのだとやっと理解した。
そして疑似結界の街といえども街一つを消せる神宮寺師隼の力もまた、強大である事を理解させられた。
枕坂駅から人が消え、のりあの作った疑似結界と朋貴の封印処置が解かれた。
朝日が昇り、枕坂に自然の光が照らされる。
しかしそこには生命なんてひとつも無ければ生活の形すらも無い、ただ建物があるだけのまるで作り物のような町のみが存在していた。
狐面による最大の認識阻害が働き、もう、誰も枕坂市の存在を認知する事はできない。
比宝の血を受け継ぐ者と篠崎の術士以外、その地を誰も知ることはない。




