226.束縛からの目覚め
屋敷を抜けて街の中を駆け抜ける。
その途中でまだ生き残っている術士が襲いかかってきて、正也は槍を片手に術と足で応戦し、距離を離す。
腕の中で人形のようにぐったりと倒れる日和を抱きかかえて傷がつかないように守りながら、地面を叩き割り隆起させ、礫を放っては攻撃を避けて駅へ向かう。
駅前程になると既に閑散としていた。
所々死体が転がって地面や建物が欠けている。
凄惨な現場で見るに堪えない姿だ。
これが篠崎であったら…いや、考えたくない。
「正也!」
駅が見えた所で後方から聞き覚えのある女の声が聞こえた。
振り返ると波音が炎を携え飛んで来た――と思ったら、違った。
何故かお姫様抱っこをされて周囲に電撃を撒き散らしながら飛んできた。
「波音…!?」
「良かった、間に合った!ねえ日和は!?」
横に着地した再従妹は一目散に腕の中の日和の様子を見る。
それよりも同じく共にいる、波音を連れて来た見知らぬ男に驚く。
「な、波音…」
「ほら、早く日和を戻すわよ!中に入りましょ!!」
有無を言わさず波音は先に駅の中へ向かって走り出す。
こうなると仕方ない、正也は日和を抱えて駅の構内へ謎の男と共に中へ入った。
「…正也、お帰りなさい。波音さんも」
「おば様、ただ今戻りました。この通り、日和も一緒よ」
「……ただいま」
波音と正也を出迎えたのは母だった。
足元に鞄を置き、簡易的なベッドを準備している。
ハルはそこに寝かせなさい、と正也に指示を出すとにこりと優しく微笑んだ。
「日和さんもお疲れ様ね…。正也…とそこのお方も、今から作業をしますから少し離れていて下さらない?こっちを見てはだめですよ。波音さん、手伝って下さる?」
「勿論です、おば様」
波音と母で今から日和を着替えさせるらしく、波音が連れてきた男とで駅の入り口まで移動する。
「……電伝と雷来がここを通ってきたから、拠点にしてるのか?」
男は先ほどまでは無表情だった顔を不機嫌を張りつけた顔に変えて正也に視線を向ける。
「詳しくは知らない。俺が戻ってきたのは一週間くらい前だったから」
知らない物は話せない。
正也はぶっきらぼうに言葉を返すしかない。
「そうか。……多分、金詰日和は衣を変えてもすぐに戻るかは分からない」
「…なんで?」
「……兄が金詰日和を術で痛めつけた。衣を着せられる前から、すでに危ない状態だった」
「……」
日和を抱いて戻る時、異様な軽さを感じていた。
自分の体格が変わって力が増えていたから、或いは今までに知っている感覚が憑依換装だったから気付かなかっただけだと思っていたが、それだけではないらしい。
「戻らなければ、俺が呼ぶ」
「出来るの?」
「わからん。そんな事、したことがないからな」
会話から自分と同類の気配がする。
表情も多分、自分と同じ表情がほぼ変わらないだけなのだろうと思う。
そんな事よりも。
「……名前は?…あ、俺は…置野正也」
「比宝招明だ」
比宝。
今先ほど、その術士の家に攻め込んだんじゃなかったか。
波音はとんでもないものを拾ってきたらしい。
「…お待たせ」
噂の再従妹が後ろから声をかけて来た。
残念そうな表情と声のトーンから、日和の意識は戻ってないのはよく分かった。
「……頼む」
「ああ」
三人で母が立っている横で日和が見覚えのある私服に替えられ、眠っている。
髪にはちゃんと竜牙が贈ったリボンが結われているが、その表情は回収した時よりも酷い顔色になっていた。
ああ違うか、化粧をしていたから気付かなかっただけだ。
「……意識が戻らないのか?」
招明が波音へ話しかける。
少し表情が強張って、ゆっくりと波音は頷いた。
「ええ、そう…なの」
「……善処する」
招明は日和の前に腰を降ろし、手を掲げて日和の手に重ねた。
ゆっくりと息を吸いながら目を瞑り、見開く。
ばちっ、と大きな電気の音を立てて辺りが強く瞬いた。
その光はまるで日和の髪色のような金色の光のようで、綺麗だと思う。
「…あっ!?」
波音が声を上げる。
「どうし……っ!」
波音から日和に視線を移すと、本来の焦げ茶の髪は見る影もない。
金色交じりだった髪は完全に金色に染まっていた。
「……多分、上手く行った」
招明は日和から離れ、代わりに波音が日和に駆け寄る。
ついでに近くに寄ってみると日和の顔色は先ほどよりも少し良くなったように見えた。
ぴくりと瞼が動いて、波音が「日和!」と名を叫ぶ。
「ん……波音、と……正也、です…か?」
か細く弱弱しい声が漏れ、薄らと目を開けた日和と目が合った。
「おはよ、日和」
「おはよう」
日和に視線を向けられ、どう言おうか迷った。
日和は言いたい事が決まっていたようで、弱弱しい姿でもにこりと微笑む。
「ずっと…待ってました…おかえりなさい…」
「ああ」
「波音も…、助けに来てくれて…ありがとう、ございます…」
「ええ。もうしばらく眠っていなさい」
落ち着いている波音が羨ましく感じる。
「…はい」
日和は安心したようでゆっくりと目を閉じ、再び眠った。
その姿に波音が大きく息を吐いたのは安堵だろうか。
突然くるりと口先を尖らせたいつもの波音の顔がこちらへ向いた。
「……もう!帰ってくるのが遅すぎだわ!そんなに応援大変だったの?」
「今更言われても……日本の本州を回ってきた」
「……」
波音が明らかに呆れ返った顔をしている。
「落ち着いたら師隼に報告に行くつもり」
「ここ1か月近くバタバタしてたから仕方ないわね。……そろそろ皆戻ってくる頃合いかしら?」
駅の入り口に顔を向ける。
丁度ぞろぞろと狐面達が帰ってくるのが見えた。
全員一人一つほどの箱を持って何やら運んでいるようだが、その中に夏樹が混じっていた。
「夏樹」
「…あ、波音さんに正也さん!お仕事お疲れ様でした!」
波音の声に気付き、ぱたぱたと駆け寄って来る。
その横でぶわりと風が吹いて、少し様子の変わった風琉が現れた。
「正也君久しぶりじゃない!見ない間におっきくなった?」
「か、風琉…」
「服が合わない」
「あはは、そんな感じするー。それお父さんのでしょ?」
「そう」
出来合いの仕事服で来ているのを即行で風琉に気付かれた。
「こら風琉、まだ終わってないから」
「あはは、久しぶり過ぎてついつい話したくなっちゃった」
これでも裾が足りてないのがまだ気になるけど、それを口出す前に夏樹が止めた。
久し振りの知り合いで話したくなったのは自分も同じだったらしい。
「夏樹はもう外に居なくていいの?」
「のりあさんと合流したから、あとは怪我人がいたら治療するだけだよ」
知らない間に知らない人が増えていた。
寧ろ全員知らない間に別の顔をしている。
日和が傍らで眠っているのもそう、どうしてそうなったのかを知らない。
もやもやと表現しようのない気持ちが浮かぶ。
「――失礼します、置野正也様でしょうか?」
話しかけられて振り向くと、少しだけ不健康そうな男が立っていた。
「そう、です」
一体誰だろう、この人は。
***
まるで水中に沈められたように身動きは取れない。
寧ろ全ての感覚が奪われ、何も出来ない。
女王に力を奪われ、取りこまれた時よりも酷い扱いを受けている事だけは分かった。
(私は…死んだの…?)
(もう、なにもわからない…)
(師隼…兄さん…正也…波音、夏樹君…玲……竜牙…っ)
頭に浮かぶ人の名を呼ぶ。
誰からも返事がなくてもいい。
せめて、今はもう忘れかけた孤独を思い出すまでは……――
「――日和!」
(…!?…兄さんの声!?)
紫苑の声が聞こえた。
どうか、聞き間違いじゃないといい。
「ああ、良かった…無事だった…!」
どうやら、本物のようだ。
従兄の安堵の声が聞こえる。
(兄さん…私は、生きてますか?)
「ああ…大丈夫、生きてるよ。もうしばらく待ってて。…ひとつ、お願い良いかな?」
(何ですか?)
「日和ちゃんの力をありったけ欲しい。使ってもいい?」
紫苑の声が聞こえる。
はっきりと、会話も出来る。
それだけで、嬉しい。
日和の心が高鳴った気がして力いっぱいに答えた。
(――大丈夫です!私の力、いっぱい使って下さい!)
「ありがとう、日和ちゃん」
久しぶりに力が抜ける感覚がした。
自身の体と意識は遮断されたが、紫苑の意識を経由してなんとなく、伝わってくる。
兄は比宝と戦っている。
ちゃんと師隼は皆を連れて助けに来てくれたのだと確信した。
(…ううん、ありがとう。兄さん、皆…)
「きっともうすぐだよ。だからそれまでは、強く信じていて」
兄の言葉がとても温かい。
忘れかけた優しく、柔らかく、温かい気持ちがぶわりと膨らんだ。
その心が、光となって目の前に現れる。
実際は心なのかは分からないが、今の自分が感じたような優しい光。
人に似た姿がこちらに手を伸ばしてきて、日和は無い腕でその手に触れる。
光に飲み込まれ視界全体が眩しくなって、日和は重たい瞼を開けた。
広がる視界、目を開けるとそこには嬉しそうな表情を向ける親友と、見知った…だけど少し大人っぽくなった久しぶりの顔があった。
「ん……波音、と……正也、です…か?」
「おはよ、日和」
「おはよう」
日和は正也に視線を向ける。
やっぱりそうらしい、ぶっきらぼうな短い返事は本物だ。
日和は嬉しくなって、言いたかった言葉を口にした。
「ずっと…待ってました…おかえりなさい…」
「ああ」
「波音も…、助けに来てくれて…ありがとう、ございます…」
「ええ。もうしばらく眠っていなさい」
皆が来ているなら安心だ。
もう、大丈夫。
「…はい」
だから…日和はしばらくの間、眠ることにした。




