191.這い寄る闇
力。
力だ。
確かな力、圧倒的な力。
どの術士にも負けない、篠崎の術士をも超えた強い力。
全てはその為に何もかもを吸収してきた。
力がないと家は生き残れない、だからこそ全てを奪い取ってきた。
家も、血も、土地も、財産も、術士の力も、その何もかもをだ。
だから大きな家となった。
だから全てを服従させ、築き上げてきた。
今や誰も構うまい。
最後の金詰も篠崎へ逃げるという末路を辿った。
この地は、この比宝家の物だ。
「ほう、金詰…か。因果なものだな。こんな所までついて回るとは…どんな娘だ」
重圧のある老体の嗄れた声が響く。
側近らしい細身の中年男性が口を開いた。
「去年、こちらに来たあの女王を倒した少女らしいです。金詰蛍の娘で術士の力こそまだ使ってはいませんが、素質は篠崎の術士の中でも最高だとか」
「中々な娘を選んだじゃないか。あの女の名をなんと言ったか。今はどうしている」
「我妻唯花ですか?既に儀式を終え、我が比宝家の傀儡となりました」
「そうか…」
老人は部屋の隅に立つ青年に視線を向ける。
「楼瑛、お前の嫁が決まった。この献上された花嫁衣裳があればお前も存分に力を揮えることだろう」
「…ありがとうございます、お祖父様。金詰蛍の娘ということは、紫苑の従妹ですか…どんな嫁様なのでしょう、とても楽しみですね」
「どんな娘だろうと関係ない。誰にしてもどうせ意識も記憶も飛んで、ただの傀儡になるのだから。それを操るお前が、一番の術士となるのだ」
「……ええ、一番の術士…この比宝が最強の術士となります」
青年は不敵な笑みを見せる。
壁の裏側とも言うべき廊下には同じような背丈の青年が腕を組み、もたれかかっていた。
不機嫌な顔を浮かべ、舌打ちをしてその場を離れる。
「気に食わない…全部、何もかもっ!」
兄とは対照的に悪態をつくように、苛立ちをぶちまけ歩き去る。
歪んだ空気が、家の中に充満していた。
***
「紫苑、比宝家の人間を、知ってる分全員教えてくれないか」
ゴールデンウィークが近づいている。
学生は休みとなるが、術士は関係ない。
特に、紫苑をはじめそっち側の術士となれば学校にすら行っていないだろう。
つまり、いつ襲撃が来ても日和が連れ去られてもおかしくない状況にある。
そうなる前に、そろそろこちらとしても準備をしておかないといけない。
「大事なことなのは分かるけどまた面倒な事を聞くねえ。んー、どう話すかな…」
師隼に呼ばれた紫苑はため息を吐きながら頭をかく。
相当嫌な相手なのかそれとも何か特殊な家なのか、紫苑の表情にいつもの晴れやかさは無かった。
「師隼、紙と書くもの頂戴」
紫苑の要望に師隼は大人しく、よくメモに使っている紙と前まで使っていたペンを手渡す。
受け取った紫苑は線を引き、多分名前であろう漢字を書いてを繰り返し、上から下へ書いていく。
何の迷いもなくさらさらと書かれていき、総勢13名ほどの名前が線に繋がれた。
「……家系図、か?」
「そう」
「部分的に突っ込みたい所があるんだが」
「…上から説明しようか」
紫苑は一番上の比宝投戟と書かれた名前にペンを指す。
「今、比宝家の当主を務める長老は『青雷』と呼ばれている。力を振るう所は見たことないかな…うちのじーさんの方が詳しいと思う」
「ふむ…?」
ペンが線に合わせて下に降りて、次に指されたのは篠目と書かれている。
「比宝投戟の娘で、今は多分側近をしてる。確かうちのじーさんとほぼ同い年だよ。
そしてその夫の葉月は側近と術士を両立してる。頭が回るんだ」
葉月の上には丸が書かれ、その先は投戟と繋がっている。
投戟の嫁ではないのならここは、兄弟だろうか。
「葉月と篠目は従姉弟同士なんだ。この二人には兄妹が居る」
「澄と香織…」
「澄の説明は面倒だからまずは香織から。
母とは犬猿の仲だったみたいだったけど、投戟のような雷の使い手で、この人は物に雷の力を付与させて戦う。かなり面倒な相手だよ。
その夫の総呉は賀屋家の人間だ。調べたんでしょ?賀屋和正の弟だよ」
「ふむ、なるほど…」
賀屋家の情報は結局ほとんど出なかった。
傘下に入ったとは聞いていたが、そういう背景だったか。
紫苑の持つペンが一番下に移動する。
「比宝家で一番面倒な術士がこの二人の娘である双子、電伝と雷来。
歳は確か僕の半分だったはずだから10かな」
「若いな。一番面倒、とは…強いのか?」
「強いし、多分一番特殊。戦った時しか知らないから性格とかは分からないけど、この見た目も中身も似てる仲良し姉妹は母に似て戦闘狂ですぐに戦いたがる。
姉の電伝が『蓄電』、妹の雷来が『放電』の力を持ってる」
一応宮川のりあからはある程度の能力を聞いているが、この双子はまるで二つで一つのような力のように思う。
そして話の詳しさから、多分紫苑が一番戦ってきた相手なのだろうと感じた。
「――で、問題のこっち側なんだけど…」
眉間に皺を寄せる紫苑はペンを比宝澄の方へ移動させる。
紫苑が説明が面倒というのは分かる。
葉月と澄、そしてもう2名で綺麗な四角が出来ている。
通常の家系図では見ない図だ。
「見て分かると思うけど、篠目と結婚している葉月にはもう一人妻が居て…この比宝夕っていう人。この娘の梢と、葉月の息子の澄が結婚してる」
「同じ父を持つ子供同士が結婚って無茶苦茶すぎないか」
「血を濃く求めたんだろうとは思う。この夕は元々は一般の人で、だけど娘の梢が葉月の血を引いてる」
「家系図が無いと混乱しそうな家だな」
「ね?説明面倒でしょ?それにそいつ、それくらいかなり嫌な性格してるんだよ」
紫苑の深いため息に納得がいった。
「…それで?」
梢と澄を引いた線から一番下へ、ペン先が双子の隣に並んだ。
「ここは、今は三兄弟…上から楼瑛、招明、飛雷だよ。
一番上の能力は分からない。いつも一番後ろで戦況を見てるような奴だから…こいつについては祖父の葉月に似て頭が回るんだろうね。
二番目の招明は根っからの術士だ。力はどちらかと言うと純粋な電気の力で金詰寄り、三番目は無能力で表には出てこない」
紫苑の説明に師隼は考えあぐね、疑問を口に出す。
「ふむ…。……ところで紫苑、結婚するとしたらこの三兄弟のどれだ?」
「結婚?あー…年齢的に言えば楼瑛だろうね。力がどうであれ頭は回るし、家のいくらかはあいつが取り仕切っているはずだよ」
紫苑は言い終えてぴくりと眉を寄せる。
鋭い視線がこっちを向いた。
「師隼…誰と、誰が、結婚すると思ってるの?何の話…?」
あまりにも紫苑が聡い、そのように思う。
いや、このタイミングで悪い相手に結婚の話が持ちあがれば不安になるのも当然か。
「…で、何で比宝澄が面倒なんだ?」
「はぐらかさないで、師隼」
酷い剣幕が目の前にあった。
その表情が竜牙とよく似ているように思う。
そういえばあいつの顔は険しい表情が多かったなあとしみじみ思い、今居ない事にため息が出る。
いや、居ても絶対荒れてる、駄目だ、居なくて良かった。
「……お前が来る直前…最近判明したんだが、うちからあるものが盗まれていた」
「日和ちゃんが狐の面つけて追ってた話?」
む、と嫌な顔を向けて紫苑は口先を尖らせる。
「ちょっと待て、なんで知っている」
「そりゃ調べるよ、あんまり危ない事させないでくれるかな?あんな子がそういう活動してるなんて嘘だぁーって思ったけど、この前の式紙講習の時に自分で刃物出した時は納得しちゃったよねえ…はあ…」
そういえば、装備していた。
あの時は『魁我のせいだな』と思っていたが、紫苑からはそういう風に見えていたのか。…と納得してしまった。
「…それで、何が盗まれたのさ」
「四術妃の花嫁衣裳という曰く付きの品があって、この地の神が着ていたと言われている衣装だ。
衣を纏えば意識を抜かれ、綿帽子を被れば記憶を抜かれると言われている」
「なにそれこっわ。そんなもの日和ちゃんに調べさせないでよ」
「……今盛大にそれを後悔している所なんだよ」
紫苑が半眼になる。
これ以上に険しい顔になるのが逆に怖くなってくる。
胃が痛い。
「…何したのさ」
「結果的に、日和に位置把握の呪印がついた。日和が狙われているのは確かだ」
「……」
口を滑らせたかなと思った。
まずい。本能がそう意識した時にはもう後の祭りだ。
紫苑の表情が逆ににこりと笑顔に変わるのがとんでもなく恐怖を煽り、酷く怒っているのがよく分かる。
「それで、日和ちゃんがその衣装着て比宝の嫁入りされるって事?だから相手になりそうな奴を聞いたの?ついでに比宝の情報が聞ければと思った?寧ろ今から向こうの家に乗り込んできても良い?」
「お前一人で解決できるなら解決してからこっちに来て欲しかったな」
思わず悪態が口に出る。
火に油を注いでしまった。
紫苑の周囲がバリバリと電気特有の光がちらつく。
「こうなるって分かってたらとっくに本気出してやってるよ。それならさっさと呪い解いて本調子になっとけばよかった」
紫苑が退くことになった理由はそれだろうな、と思う。
やはりこの男は本調子じゃなかったのか。
「…だからこちらの術士総出で当日に枕坂全域を潰す予定だ。その為の準備を今進めている。その為にも紫苑、お前が必要なんだ。特に…その体が」
「……どういう事?」
あまり話したくない事を、口に出さないといけない時がある。
特に相手が該当する人間ならば尚更だ。
ああ、頭も胃も痛い。