17.第二回波音とご飯
「それで?日和、何買うの?」
「んー、どうしよう…」
放課後、商店街まで買い物に来ていた日和は頭を悩ませる。
早速小さな壁に衝突していた。
家にあるものならあるもので作って食べたが、今から買うものは"日和が食べたい物"だ。
自分というたった一人の食事の為に今から買い物をする、という行為は自分が食べたいから購入し、作り、食べるのであって、残念な事にこの金詰日和という人間は好物も無ければ作りたい物があるという欲もない。
つまり予め決められた献立ならば作れるが、そうでなければまず買うものすら選べないという問題に直面していた。
「……どうしたのよ?」
「えっと…何を作ったらいいか…その、自分の食事は何でもいいやって思ってしまって…」
「ふぅん……じゃあ私、麻婆豆腐が良いわ」
「えっ?」
波音の突然の言葉に、日和は波音を見る。
「何よ、今日は貴女を送って、町を回って、帰ってから夕食だから先に貴女の家で食事してしまえば楽に終わるでしょう?貴女も気兼ねなく食事を作ってハイ終わり、じゃない」
真面目な表情で言う波音に、日和は少し口元が緩んだ。
「…じゃ、じゃあ…麻婆豆腐なら豆腐と挽肉と…あ、葱いるよね!あと……」
波音は日和の姿をじっくりと見る。
夕食の献立の提案をしたら心なしか、日和の動きが早くなった。
波音も買い物カゴに自分の物を少し混ぜながら日和についていく。
日和はどことなく嬉しそうで、楽しそうで、その姿を見ている自分は思っている以上にその状況を楽しんでいる。
気難しい波音の性格に、この日和とかいう不思議な少女は友達として合っているのかもしれない。
「一袋、持つわよ?」
「大丈夫ですよ!手伝ってくれてありがとうございます」
日和の声がいつもより少し高めに感じる。
今までは感情を抑えつけているのかと思ったが、案外出てきにくいだけなのかもしれない。
自分が高圧的に抑えつけてしまうので、そう感じるだけなのかもしれないが。
日和と歩きながら、視線や意識は周囲に向く。
今の所怪しい気配や影は無い。
夕方は既に妖が蔓延ってもおかしくない時間だ。
意識はできるだけ遠く、しかし日和には悟られない範囲で、じんわりと熱くなっていく手を気にしながら歩く。
術士はこうして移動しながら妖の気配を探る。
誰もがやる事だが、波音はこれが一番苦手だった。
「あっ、波音」
「うっ、ん?どうしたのよ、日和…」
唐突に名前を呼ばれ、吃驚して声が上ずった。
思わず何事も無かったかのように取り繕う。
「麻婆豆腐は辛い方が好きですか?」
「そ、そうね、辛い方が好みよ」
「分かりました。麻婆豆腐ならすぐに出来るので、じゃあご飯を先に炊いて…――」
――ふぅ。
小さいため息が口から洩れた。
こういう事を幼少の時から玲がやっていたと思うと、気が遠くなる。
そもそも波音は事前に用意して動くよりも、最初から居るのを前提に動いた方が格段に速いし、意識も威力も上がる。
元々力の均一性のある持続が難しい分、こうやって話しかけられたりすると一気に集中が削げてしまって、再点火するのが遅くなってしまう。
苦手な部分ではあるが、直すのは中々に難しい。
一度掻き消えてしまった範囲を半径30m程、やっと伸ばした。
先ほどまでは200mほどは捕らえたのにやはり遅い。
思わずため息が漏れそうだ。
――ちりっ、と何かが触れた。
(…妖!?)
後方35mほど先、不意に波音は後ろを振り向いた。
「…?波音、どうかした?」
道の先には、誰もいない。
脚の止まる波音に気付いた日和は波音を見ていた。
「…ごめん、なんでもないわ。気のせいだったみたい」
「そうですか、なら良かったです」
また意識が消えてしまった。
(後は安全に日和を送って、ご飯をご馳走になってもう一度意識を張ろう…)
抱えそうになった頭を振り払って、波音は日和をちらりと見た所でスマートフォンが鳴った。
取り出し画面を見ると、連絡が一つ入っている。
『あとは僕達に任せてくれればいいから、そのまま日和ちゃんをよろしくね』
どうやらさっきの気配は玲だったらしい。
画面にアイコンが無かった。
一体あいつはどこからその気配を張り巡らせているんだか。どうせ規格外に違いない。
少しだけ波音の心が温かく、ぼわりと燃え広がった。
無事に日和の家に着くと、彼女は早速お米を焚く準備を始めた。
「あぁー…やっぱり良いねぇ。台所で料理をする、若いお母さん!」
いつの間にか勝手に式が前回座っていた椅子に腰かけていた。
しかも食べる気満々のようで、ちゃっかり大きい姿になっている。
「そんな事ないですよ。そういうのって、良いんですか?」
「日和、こんな頭オジサンの奴に耳を貸さなくていーの。何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です。よし、あとはお米炊いてる間に作ってしまいましょうか」
手慣れているらしく、日和の準備は早い。
これなら炊ける前に出来そうだ。
波音は椅子に腰かけた。
その姿を焔はくすりと笑う。
「ところで波音、さっきのだけど…駄目だろう?集中を切らしたら」
「う゛っ…わ、わかってるわよ…!切れちゃったんだもの、仕方ないじゃない…!!」
焔に指摘され、図星でありながら少しだけ苛立ちが出た。
苦手な物は苦手ではいられない。特に焔の役目が終わるまでには、少しだけでも苦手を削らなければならない。
特に自分にとっては、周りの術士とは少し違うのだから。
「あまりにも難しいなら蓮深様にお伝えしようか?」
にこりと気持ち悪く微笑む焔にぞわりと寒気がした。
「冗談じゃないわ。なんでそこでお母様が出てくるのよ。このお母様びいきめ」
「そうやってトゲトゲしてる間ならまだ頑張れそうだね。日和ちゃんの為に力をつけるんだろう?良い機会じゃん」
「は?黙ってなさいよ。どうでもいいけど何で今回も手料理を食べようとしているの?少し図々しいんじゃなくて?」
図星からの苛立ち半分と八つ当たりがもう半分弱、残りが母上の名前が挙がった事で思いっきり言葉がきつくなってしまった。
でもこの男はその全てを受け取るので余計に腹が立つ。
「良いじゃないか。波音の好きな麻婆豆腐、美味しいと良いね。俺も食べたいよ…――あ、もしかして独り占めしたかった?」
「はっ!?ばっかじゃないの!?黙らないと消すわよ!!」
煽ってると分かっていても、苛立ちに乗せられ思わず立ち上がる。
まずい、声を上げ過ぎた。
「…どうしたんですか?波音…。あ、焔さん、こんばんは」
日和は料理に集中していたらしく、やっと気付いて朗らかに笑いかける。
ふわりと中華独特の、少し刺激のある匂いがそこそこに辛みがある事を訴えている。
かなり本格的な気配がして、口の中の唾液がすぐに溢れた。
「ごめんごめん…こんばんは、日和ちゃん。波音で遊んでたらちょっと怒らせちゃっただけだから気にしないで」
「焔さんと波音は仲が良いんですね」
「どこをどう取ったらそうなるのかしら…?」
日和の言い方もどことなく気に入らなかったが今は気にする必要はない。
それよりも私の式の癖して人の神経を逆撫でするような態度は相変わらず気に入らない。
私の力のどの部分を取ったらそんなくそったれな性格になるのか誰か説明して欲しいくらいだ。
「ん…しょと。あとはご飯出来るの待つだけですね」
火を止めて日和はこっちにやってくる。
「本当に作るの早いわね」
「何度も作ってるので。波音は何時に…その、街に出ます?」
「んー…私が休みの日になっちゃったから適当に帰るわ。ついでに軽く見回る程度にするつもりよ」
嘘を言っても仕方がないので、正直に言う事にする。
心なしか日和の表情が笑った気がした。
「そっか…じゃあゆっくりできるね。いつも何時くらいに家に戻るの?」
「その日によるわ。早ければ20時か21時、遅くて日が変わる手前くらい、長引いて2時くらいかしら?」
「そんな真夜中まで…」
日和の表情が歪んだ。
「あいつらは大体夕方に出るからそんな遅くなるのは滅多にないわよ。遅く出てくる妖は大体大人が出すもので、基本的に雑魚だしね」
色々思い出して、思わずため息が出る。
「そうなの…?大人だと弱いの…?」
「ほら、大人はもう色々経験してるから、感情そこまで溜めこまないし、溜め込んでも自分で発散できるでしょう?だから基本雑魚なのよ。
一方子供や私達はそういうのを中々認められないから溜め込んで、そのまま妖を生むんじゃないか…って、師隼は言ってるわ」
私の説明に納得しているようで、日和は確認するように何度も頷いている。
「ここで生まれる妖はそこそこ強いけど、他所から来た妖はもっと強いわよ。何せ他所が殺り損ねた妖だから」
「他所から…?出てくるのはここだけじゃないんだ…」
「そりゃ、人間がいる場所ならどこにでも出るわよ。ただ、この地がちょっと特殊なだけよ」
首を傾げる日和に続きの説明をしようとしたら、隣の影が揺れた。
「この地は、妖の集まる場所なんだ。勿論さっきも言った通りここでも妖は生まれるけど、生き残った妖が集まって成長し、女王に変わる。一番強い存在の術士や妖はこの地にしかいないんだよ」
にこりと隣で微笑む焔になんとも心が苛立った。
「女王……波音は出会った事あるの?」
「昔、一度だけ会ったわ。私がまだ小学生の頃で…まだお母様がまだギリギリ現役をしていた頃に、ね」
少し思い出して、傷心に浸りかけた。
即行で記憶の奥底に沈めなくてはいけない。
丁度炊飯器から軽快な音楽が鳴った。
「――あ、鳴りましたね。今よそいますね」
日和は炊飯器を開け、ご飯をよそうとそのまま机に並べた。
そして大き目の深皿に麻婆豆腐を入れ、中央に置いた。
セットで準備していたらしいスープ餃子をそれぞれ3皿準備し、それもご飯と一緒に並べる。
「お待たせしました。では食べましょうか」
「いただきます」「いただきまーす」
日和の声に合わせて、焔と声が被った。
些か気に食わないが、平然を装って日和特製の麻婆豆腐を口に入れた。
「…ん――!」
「わぁ…これは美味しい」
口に入れた瞬間に花椒と黒胡椒の香りがふわりと鼻を通って、コクのある深い味わいが来たと思ったら唐辛子特有の痛みに似た辛みが襲ってきた。
挽肉も粗挽きの物を選んだからか、ごろごろと食感が楽しく、豆腐は絹なので優しく喉を通って行く。
見た目も真っ赤で辛そうだが葱の緑が良い色合いで散りばめられ、とろっとした熱々の餡がさらに食欲を増加させる。
焔もいつも以上に笑顔になって頬張っている。
「すごいわね、美味しいわ」
「本当?良かった!おじいちゃんにはいつもここまで辛くしないからどうかなって。好評みたいで良かった」
素直に褒めると日和はにこりと笑った。
思った以上に美味しかったのもあり、皆無言で食べ進める。
ご飯に合う味なのもあり、あっという間に焔と並んでおかわりをしてしまった。
「…なんか、一瞬でなくなったね。ありがとう」
そう言って満足そうな日和はぺこりと頭を下げた。
「ううん、こちらこそ良いご馳走だったわ。ありがとう。…日和が良かったら…また食べたいわ」
「えっ…!じゃあ食べたくなったら言ってね、また作るから」
「ふふふ、楽しみにしているわ」




