166.兄との親和
部屋に戻り、着物を脱いで私服に着替える。
髪を解き、化粧を落とせば鏡に映った自分はよく知る姿だ。
そうなると途端に緊張で隠れていた不安が沸々と心に湧いて、日和はそれが出てくるのを押し留めた。
狐面として活動している中で、竜牙と別れた直後の感情など落ち着いていたと思っていたのに、妙にぶり返していく。
紫苑の姿を見てしまったからかもしれない。
「終わったぞ、主」
「ありがとうございます、練如」
「主、忘れ物だ」
「え?」
終わったとはっきり言ったというのに、練如は再び日和の頭を押さえる。
すると今度は金色混じりの髪を器用に綺麗に纏めて橙色のリボンで結ってくれた。
竜牙から貰ったのに、引き出しにずっとしまっていたリボンだ。
「あ、ありがとうございます…」
竜牙を送り出してから不安で一切触らなかったリボン。
それが今はリボンをつけることで逆に不安を取り除いてくれる気がする。
そう思いたくなる程少しだけ、気持ちが落ち着いた。
「主、このリボンは主の為にある。贈り主が死すればその思い出は失われるのか?」
「思い出…」
「主にとって過去という存在は辛く苦しい、或いは不安や心配、不安定なものかもしれない。だが、それで全てか?中には良き思い出、縋りたくなるような、温かく感じるものもあったのではないのか?」
「良き…思い出…」
「主、良き思い出は主の自信になる。主を守ってくれる。それを、忘れてやるな」
頭の中で今までの事が全て映し出されて、流れていく。
確かに死んだり、苦しんだり、居なくなってしまって辛いと感じることも多かった。
だけど皆が傍に居てくれたことは、そして竜牙に会ってちゃんとお別れできたことは、良かった。
「主は今、心細い思いをしている。頼れるものが思いつかなければ、そういう物に人は頼る。その為に、人に贈り物をするのだ」
「そっか…ありがとうございます、練如。私、頑張ります」
鏡に映る練如から自分に視線を移して頷く。
後ろにいた練如は再び視線を向けるとどこにも居なかった。
そこへタイミングを計ったように、今度はコンコン、と扉から軽快なノックの音が聞こえる。
扉を開けると朋貴と紫苑が立っているが、どうやら屋敷内の案内が終わったようだ。
「それじゃ、俺はこれで」
「助かったよ。ありがとう」
朋貴は背を向けて歩き去る。
砕けた素の朋貴が出ていた気がするが、もしかしたら仲良くなったのかもしれない。気にしないようにしよう。
それよりも自分と紫苑だけの空間が、なんとなく気まずい。
どうしたらいいか分からず、日和は意を決して声をかけてみた。
「えっと…どうぞ…」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
紫苑はにこりと微笑んで「お邪魔します」と小さく声を掛け、部屋の中心に置かれたミニテーブルを挟んで互いに座る。
「あの…」
「ふふ、もしかして、緊張してる?初対面だし、そりゃそうだよね。でも僕は…ずっと会いたかったよ」
にこりと嬉しそうに笑う紫苑に戸惑ってしまう。
目の前にいるのは竜牙ではないと、何度も心の中で繰り返した。
「えっと……私を知ったのは、いつですか…?」
「僕が二十歳になったのは去年の12月。そこで祖父を打ち負かして無理矢理当主を譲って貰ったんだ。だからそこで日和ちゃんの居場所を教えて貰ったよ」
微笑みながら真っ直ぐに見つめてくる目は、竜牙と色が違う。
それだけでも何度も繰り返す言葉に確信を抱ける。
しかしまだ慣れていない、緊張の面持ちで視線を向ければ紫苑はでもね、と続けた。
「処刑台の女王を倒したのが君だと聞いて、ちゃんと生きてるのを知ったんだ。近づきたくて、会いたくて、あっという間に半年かかっちゃったよね…恥ずかしい話だけど」
「……そう、ですか」
「勝手に日和ちゃんって呼んで良かったかな…馴れ馴れしかったらごめん。でも僕は、それだけこの場所に来るのが楽しみだったんだ。君は、望んでいないかもしれないけど」
困った様に顔を歪ませる紫苑に日和は首を振って答える。
「ごめんなさい、家族なんて、よく分からなくて…初めて存在を聞いた時、今更って…私思ってしまいました…」
「そうだね、今更だった。本当は蛍さんが亡くなって、今後の相談をしていた時に無理矢理にでも君を連れて行けば良かったと後悔していたよ。僕も、祖父や…母も」
頭の中でうっすらと、何人もの人がいる中で母が叫び喚いていた姿を思い出した。
その中に子供がいたかは覚えていないけど、そこに居たのは親族だったはずだ。
「そっか、あの中に居たんですね…」
「確か…君は三歳で僕が七歳だったかな、僕は当時をはっきりと覚えているよ。君のお母さんは僕達を拒絶して嫌がったし、一般人だったから余計に手出し出来なくて…だから、保護するのを諦めたんだ。いつかこうなるって分かっていたのにね」
実状を聞いて複雑な気持ちにさせられる。
紫苑は何も悪くない。
だからこそ責める訳にはいかないし、何が悪かったのかを考えても全てが悪手に見える。
母の拒絶を振り切っても弥生は来ただろう。
その時に同じ未来はやって来るだろうか。
寧ろ、母や祖父の死すら知らなかったかもしれない。
それが幸か不幸かは分からないけど、祖父が傍に居てくれた優しさを知らないのは少し嫌な気分になる。
玲に会わなかったら正也達には会えなかったかもしれない。
夏樹は家族と仲が悪いままだったかもしれないし、竜牙の送別なんて以ての外だ。
色々な経験した過去が、なくなってしまうかもしれない。
「…私、父が死んだ日から誕生日まで、弥生…処刑台の女王にずっと狙われ、保護されてきたらしいです。もし、紫苑さんの家に行っても…もしかしたら、紫苑さん達の方が危ないですよね…。私の家族も多分知らない内に死んでいたかもしれません。だからきっと、なにも悪くないです」
それが日和の出した答えだった。
紫苑はテーブルに左肘をつき、微笑む。
そして右腕を伸ばし日和の頭に乗せるとそのまま優しく撫でる。
「…そっか。日和ちゃんは強いんだね」
「それに…」
「ん?」
「ここの術士は皆優しくて強いので、私は出会えたことを後悔なんてできません。沢山お世話になったので……多分きっと今更って責めるんじゃなくて、こうやって『落ち着いてから来てくれてありがとう』って言うべきな気がします。…私、間違ってるでしょうか?」
首を傾げる日和に、紫苑は目を丸くして。
紫苑はくすりと笑った。
「ふふふ、日和ちゃんが優しくて良い子で安心したよ。これからもよろしくね」
「…はい、よろしくお願いします」
***
「…思ったより枕坂の状況が酷いのは分かったよ」
珍しく焦りの表情を浮かべ、師隼は頭を抱えて溜めた息を吐き出した。
「どうするつもりなの、師隼?」
「どうもこうも、この比宝という家を潰す勢いでいかないと。最悪町一つ潰す事になる」
師隼は麗那に視線を向けてから目の前の女性に視線を向けた。
男性程に短い空色の髪を持つ女性は変わらずの不機嫌顔で目の前に立っている。
波音とは違いこの女性、のりあの放つ雰囲気は全てを拒絶するような冷たさを感じる。
玲とはまた違う、異質で機械的な冷酷さだ。
「気付くのが遅すぎるわ。勢いは昨年から出ていたはず」
この口から出る言葉も、怒りに似た拒絶のようなもの以外は機械のように感情を一切感じさせない。
「だがこれなら彼がこっちに来る事を考えた理由も分かる。篠崎よりも妖の数が上回るなんて誰も想像できないだろうね」
のりあの報告は、枕坂市の妖の数と明らかに異質な妖の存在だった。
こちらの妖は未だに2,3日に一体二体で済んでいて、幸い処刑台の女王を討伐してから女王の存在は確認していない。
隣では人型の妖が多数確認されているという。
「それに被っての、これか…」
机の上に広げていた資料に師隼は視線を移す。
以前小鳥遊優が持ってきたリストだ。
小鳥遊家の蔵にあった物はいくつか破損や風化した物があった。
その中には竜牙の刀や日和がペンダントとして持っている筒、そして失せ物が一つ。
それが四術妃の花嫁衣裳だった。
「四術妃の、花嫁衣装ね…?」
「そんなものが何になるの?」
麗那は不快感を募らせた表情を見せる。
のりあは我関せずといった表情だが、首を傾げた。
「…打掛と、綿帽子がセットの白無垢なんだが…今は曰く付きの代物だ」
「曰く付き?」
のりあが眉を顰める。
「特定の人物以外が着ると、記憶も意識も失い人形と化す。
四術妃はこの地域の術士の力を扱っていた神子だ。同時に最初の妖となった女性で、当時身につけた衣装がその花嫁衣裳になるが…妖となったのと同じくして衣装も曰く付きになったらしい」
「記憶と意識…それらを失った人形を傀儡にさせてしまうのね?」
「それを日和に着せられては、街どころか国が彼女に殺されそうだな」
比宝家は金詰日和を標的として、彼女に衣装を着せる算段だろう。
それは佐艮も想像ついたらしい。
篠崎の術士の中で素質が一番高い日和が衣装を着れば、とんでもない人間兵器と化するのは容易に想像がつく。
どうやって人形となった日和を操るのかは今だ想像がつかないが、衣装を盗み出したという事はその手法もきっと考えてあるのだろう。
やはりそうなる前に衣装も奪還するしかない。
「ところで師隼、比宝はどんな家なの?」
麗那は魔女の笑みを浮かべる。
「詳しい情報がまだ持てていないが、近親婚も厭わない実力だけの家だそうだ」
「まあ、最悪ね」
くすくすと麗那は笑う。
正直笑い事ではないのだが、傀儡となった彼女はどう扱うのか。
比宝一家の力を調べる必要がありそうだ。
「……私が受けてあげても良いわよ」
珍しく、のりあが提案に乗りだし驚く。
そういうことには興味がないと思っていた。
「枕坂には近づけないと聞いたが、大丈夫なのかい?」
「一般的には無理でしょうね。でも私の力は普通じゃないから問題はないわね。相手が何の能力を持っているかも情報が欲しいわ」
あくまで術士の力の情報が欲しい、と言っているように聞こえた。
それでもいい、少しでも奪い返せる算段があるのなら可能性を上げた方が良い。
「じゃあ君に頼むよ。よろしく、のりあ」
「…1か月以内には情報を纏めるわ」
のりあは背を向けて部屋を後にした。
その姿をじっと見つめて、魔女は師隼に視線を移す。
「随分あの子を買っているのね?」
「そうかな?何かと便利な子だとは思うよ。優秀だしね」
今月で18体の妖が出た。
平均的に見れば若干多いくらいだがその内の9割は宮川のりあが捕らえ、討伐している。
しかも場所や個体、その全てをデータ化してわざわざ毎度朋貴を通じて渡してくれる、術士としてはかなり優秀だろう。
「京都の人間であることを忘れてるんじゃない?」
「だが…今は使える物は使っておきたい。それに…彼女は多分被害者側だ。何かあれば朋貴がいる」
麗那はのりあを危惧しているようだった。
正直に言うと、その気持ちも分からないでもない。
だけど今はそれを気にしている余裕はない。
「……それもそうね」
少し呆れたように、麗那はため息とともに返事を寄越す。
その姿が少しだけつまらなそうに見えた。
金詰紫苑
12月16日・男・20歳
身長:185cm
髪:紫がかった金
目:紫壇
家族構成:祖父 +従妹が増えました
特技:髪形や服装を少し変えるだけで周りの人間が自分が誰か認識できなくなる。
表情筋ゆっるゆるの好青年。スキンシップバカ。
髪はポニーテールで腰下、がっちりした筋肉、仕事では着物に袴を履くため、髪色と表情以外は完全に竜牙の2Pカラー。これには日和もタジタジ。
わりとオシャレは大好きなので雑貨屋とか洋服屋とか行きたい。お酒はあまり飲まない。学校には行ったことないけどわりと読書家。
ちなみに愛読書はどっかの誰かが残した妖レポート。




