15.玲の素顔と部活動
「――射る」
そう、小さく呟いた紺青色の髪の男は力いっぱいに引いていた指を離した。
弦に押され放たれた矢は真っ直ぐに、吸い寄せられるように標的である的の中心を射抜く。
「うおー、流石玲。その集中力が羨ましい…」
同じ衣服を纏い、その背中に話しかけるのは同級生の大平海人だ。
「いや、まだまだ。もっと速く射れないと使えないよ」
「使えないってなんだよ。実戦みたいに言うなよ怖ぇーぞ!」
謙遜するように笑う玲に、海人はげっそりした表情を見せる。
「その力があるなら大会目指せばいいのに。今回はわざわざ言ったんだろ?無理だって」
「家の用事があるからね。そもそも大会自体には興味がないんだ」
「くそ、お前が大会行けたら絶対優勝間違いねぇって先輩も言ってたのに、勿体ない奴だよなぁー」
「朝練に出て、皆の士気を上げには来てるから許してよ。海人は射る瞬間に集中がブレやすいから、最後まで気を抜かない方が良いよ」
「さり気無くアドバイスしてくんな!ありがとよ!!」
むきになる海人は姿勢を取り、矢を番える。
ふぅ、と息をつき右断の構えを取った。
左手を返し、集中を始めると一度溜め、弓を引く。
引き切り、狙いを定め、しばらくして矢は的へ向かって発射された。
しかし玲とは違いさく、と音を立てた矢は、的の下へと刺さってしまった。
「……」
「……」
「いや、何か言えよ」
何も言わない静かな玲に、海人は突っ込むように玲を睨む。
言葉を発しない代わりに玲は再び弓構えをすると、先ほどと同じ様に的へ狙いを定めた。
海人とは違い上に持ち上げ、ゆっくりと弓を降ろす動作を取った玲は再び矢を放つ。
矢は先程と同じように真っ直ぐに飛んだが、次は的を外れて左側に刺さる。
ふぅ、と息をつく玲は海人に向き直り、にこりと笑った。
「海人はすごいなぁ」
「いやいやお前まじふざけんな!」
弓道部の玲は『腹黒』として有名だ。
しかし美しい動きと確実に的へ当てる集中力は部内一の実力を誇る。勿論男女関係なく人気も高い。
特に『射る』と口に出た時は確実に的の中心に当てることが殆ど。
その時は誰もがその印象を脳裏に、意識に打ち込まれる。
家にも小さな弓道場があり「弓道は家系だ」と言っていたが、実力はどの先輩をも軽く凌駕してバケモノと感じるくらいだ。
そして俺は、その背中を見て入部した人間だった。
頭は良いし運動もある程度出来る。
見た目も良ければ中身も爽やかで、だけど少しだけ性格が悪い部分もあって。
友人としては親しみ持てるこの男は非の打ちどころもない、何かしてやろうと思えば逆にし返されそうなその見た目とは裏腹に、案外距離の近い奴だった。
狙ってる女子生徒は中学の時から多いのは知っていたが、今年に入ってからは少し違った。
部には参加するものの、去年と比べて参加時間が少ないし登下校にはたまに女子生徒がいるらしい。
先日登校中にその姿を見てまさか、とは思ったが腰までの長い髪を揺らす綺麗な可愛い子だった。
焦げ茶の髪が少し金色に光るのが不思議で思わず見とれてしまうような美少女で、正直羨ましい。
後で「誰だよあの子!」と問い詰めたら「幼馴染」と笑顔で答えられたので、こいつの人生を一度味わってみたい。
「海人、今日はもう家の用事の時間だから僕は帰るよ」
「あ?もうそんな時間か。また明日なー」
「うん、また明日」
玲はいつも5時には帰る。
中学からの付き合いだがこれは出会ってからずっとそうだった。
俺は野球部で玲は弓道部だけど今と変わらず毎日さっさと帰っていたし、高校になってから同じ弓道部に入ったが、入部当初から継続して絶対に部内の人間のように遅くまでは残らない。
最初はもちろん先輩も口煩くしていたが、玲は実力で黙らせてしまった。以降玲は部内で特別扱いを受けている。
「……くそ、もっと練習しよ」
考えるだけで羨ましくて、憧れる。
友人として仲良くしてくれるが、やっぱ同じ場所に立ってみたい。
俺はもう少しだけ、弓を引いた。
6時になり、先輩からの招集がかかる。
「大会が近い!集中を怠らず、一位を目指す。高峰が今大会をまた辞退したので団体戦は代わりに大平、お前が出ろ」
「…は、俺ですか?」
「最近成績が良くなっている。充分だと思うが」
「あ、ありがとうございます!よろしくお願いします!」
主将に名を呼ばれ、嬉しくなった。
大会には出られないだろう、と思っていたからすごく楽しみだ。
明日から、もっと頑張ろう。
「今日は解散だ」
「ありがとうございました!!」
部員全員で頭を下げ、ぞろぞろと更衣室を出ていく。
俺はその流れに逆らって主将の元へ進んだ。
「主将、ありがとうございます!俺、頑張ります!」
「おう、期待してる。だからあんま無理すんなよ」
「うっす!」
主将に労われ、気分が上がったまま着替え、更衣室を出る。
空はもう夜が近づいていた。
それよりも、雨雲が近づいている。
「……あー…一雨来そうだな…」
季節はもう梅雨に入り間際、最近の晴天続きはいよいよ終わりそうだ。
「やっべ、傘持ってないや。早く帰ろう」
「傘ならここにあるよ」
「…は?」
走って行こうと思ったら、突然後ろから声をかけられた。
振り向くと、女子生徒が傘を持って立っている。
「ほら…傘、あるよ」
「……良いのか?」
「もちろん」
にこりと、女子生徒は笑う。リボン型のタイの色で下級生なのは判断できた。
なんで俺に?そう思いながらも差し出された傘を手に取る。
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして。お兄さんは今から帰るところ?」
「ああ…そう。…あんたは?」
「私も今から帰るところだよ。家はどこ?」
「しょ、商店街の方だけど…」
妙に馴れ馴れしいこの下級生は家の大体の方向を伝えると、にぱっと笑顔になった。
か、わいい…かもしれない。思わず、たじろぐ。
「わ、一緒だね!じゃあ一緒に帰ろうよ!」
「え!?い、良いけど…誤解されないか?」
「ん?何を気にしてるのか分からないけど、大丈夫っしょ」
「そ、そう、か…?なら良いけど…」
笑顔なのが不安になるが、流れで一緒に帰る事になった。
そういえば、玲と一緒に居た女子生徒とよく一緒に居る奴の気がする。
ふわふわの髪をゆるく纏めた頭は少し俺の好みでこっちが勘違いしそうだ。
「ん、どうかした?」
「いや、何でもない」
ちらりと下から見上げてくるこの女子生徒、動きの一つ一つが細かい。
なんというか、自分が可愛いのを理解している、というか確実に好感を持たれる様に動いてくる。
要するに、あざとい。
あざといのに、嫌な感じが全くしないのが余計腹立たしい。
この世の中腹の黒い奴しか居ないのか…?
そんな疑念が頭に蔓延する。
「あ、忘れてた。私奥村弥生。1年B組だよ」
「B組か。俺は特進だから2年Aだ」
「特進ってすごいね、頭良いんだ!あれ、もしかして勉強で残ってたの?」
「いや、部活だよ。弓道部だ」
「へぇ、弓道部!文武両道だ、すごい!」
すごいを連呼され複雑な気分でもあるが、自分は思った以上に単純だった。
乗せられているって分かってるのに、天狗になりそうになる。
「いや、俺よりすごいのいるから。高峰玲ってんだけど、全国優勝なんて普通に出来そうなのに大会に参加しねぇんだよなー」
「ふぅん…そう、なんだ…」
「ん?」
「ううん、なんでもない。大会に出ないなんてもったいないね」
一瞬声のトーンが落ちたのか、なんか薄ら寒く感じたが、気のせいだろうか。
大丈夫だろう。気のせいって事にしておこう。
「だよなぁ。代わりに俺が出る事になったから、頑張らねーとな」
「そうなんだ!応援行くね」
「まじで?」
「まじまじ!」
いつの間にか、簡単ににこにこと笑う弥生に気を良くしていた。
益々玲に負けないくらい、頑張らないといけない気になった。
明日の朝練はいつもより早めに行こう。