158.お泊り中の決意
猫まみれの部屋に布団が敷かれ、親友がその上にぺたりと座る。
「…良いの?」
「良いですよ。何かこういうのって、特別感があって良いですね。なんだか楽しいです!」
日和はにこにこと楽しそうに笑っている。
部屋に入った時も「猫です!」と声を上げていたが、今も何だかんだ楽しんでいるみたいだ。
ちなみに今は誰が布団で寝るかの相談をしていて、日和が布団で寝たい!と目をキラキラさせていたので決まった。
「こうやって友達の家に遊びに行くことも初体験のような気がしますが、他の人と一緒に寝るのも初めてです。ドキドキしますね」
「そ、そう…?」
日和は恥ずかしい事も平然と言うので心が保たない。
こっちが恥ずかしくなってくる。
「ほら、場所教えたんだから先にお風呂に入って来なさい」
「波音は一緒じゃないんですか?」
ほら出た、とんでもない発言。
「いや、お風呂くらい一人で入るものでしょう?」
「あっ…そうですよね、すみません。ちょっと色々と感覚が麻痺してました」
日和は祖父との二人暮らし、親孝行(?)に背中を流す可能性も否定はできないけど…いや、絶対無い。
じゃあ置野家が誰か一緒だったのだろうか。
いやいや、いくら使用人が多い家だとはいえ流石にそこまではしないだろう。
「……」
つい訝しんだ目で日和を見ると「あはは…」と乾いた笑いをする日和は息を吐くように実状を吐いた。
「私に付いてくれてる女中のお姉さんが、いつも一緒に入ってくれたり背中を流してくれるんです。つい慣れてしまってましたがそうですよね、普通は一人ですよね…」
居た。
その女中は大丈夫なのだろうか、とつい不安になった。
いくら女性といえども何をしているのだろう。
いくらなんでも世話を焼く範囲が広すぎる。
「…とりあえず、行ってらっしゃいな」
「そうですね、じゃあお先に失礼します」
上下に分かれたパジャマセットと下着を持って日和は先に部屋を出ていく。
一緒に入れば?という提案もあったけど、恥ずかしいし刻印を見られるのも嫌だったのでさり気無く断っておいた。
ちなみに提案をしたのはうちの使用人だ。
いつもは一緒に入らないくせに。
「……ふぅ…」
少し溜め込んだ息を吐き出したくなって、合わせて全身の力を抜いた。
手のひらを出してもまだ火は灯らない。
日が経って出てくればいいけど、たまに数日出ない時もある。
今回はそうならなければ良いな、と内心思いながら日和が戻って来るまで待った。
それが1時間ほどかかるとは思わなかった。
でもいつもと違う所だし、日和は髪が長いから仕方ないのかもしれない、と一切気にする事は無かった。
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波音には大変申し訳ないな、と思いつつこの状況から逃げられそうにないので許して下さい、と内心で祈った。
波音に言われ先にお風呂に行ったのは良いものの、波音の家もそこそこお風呂が大きくて普通に3人程が足を延ばして一緒に入れる豪邸だからこれまた恐ろしいなと感じる。
何がかと言うと、波音の母である蓮深とタイミングがぶつかったのだ。
「あら…日和さん、とお呼びして良いのかしら」
「はい、大丈夫です…!えっと…」
「蓮深と申します」
「では蓮深さん、で良いでしょうか…」
「ええ」
嫋やかな笑みを浮かべる蓮深は「日和さんも一緒に入りなさい」とそのまま中へ招く。
断る理由もなく、日和はその背について行った。
術士を波音に任せたと言えども蓮深の体には無駄な物がなくすらりとしている。
着物で健康的に見えたのはとても立派な胸を持っているからだろうか、とつい思考が変な方向へ飛んで行った。
浮かんだのは世話焼きの女中・華月だが、きっとそれだけ緊張していたのだろう。
身体を湯に慣らし、湯船に浸かると蓮深もなんの抵抗も無く湯船に浸かる。
そして日和を見て口を開いた。
「前々から貴女とは話をしてみたい、とは思っていました。でも中々機会はありませんでしたね。
蛍さんったら彼女が出来た時点で雲隠れしてしまいましたし、蛍さんが亡くなってから貴女を知りましたし…蛍さん自体ともあまり話せなくて、親子揃ってタイミングというのは難しいですわね」
「すみません…私も波音達に会うまでは術士の事も全く知らなくて…」
「良いの、それは蛍さんの意向だったのだと思えば特に気にするようなことではありませんから。
…そうですね、一つ問おうとするなら…日和さんは術士になりたいかしら?」
「え…と…」
思わず言葉が詰まった。
まだ自分はどうしたいのかはっきりとは決まっていない。
「私、まだ術士の力を使えなくて…でも、それまでは自分の力で、自分のできる事をしようと思ってます。
最終的には…どうなんでしょうか…でも、それが皆の役に立つのなら、術士になりたいとも思ってます…」
蓮深は優しく微笑む。
正也や夏樹の母をも思い出すそういった笑みは、母親の笑みなのだろうか。
自分の母にそんな姿はあっただろうかと、ふと思った。
「術士は心の中に自分の力の源があります。私や波音には火が灯っていて、置野には土が、高峰には水が、小鳥遊には風が吹いていることでしょう。その心にある力の源の状態で己を強くするの。貴女には電気の力ね」
蓮深は指先を水面から出し、優しい面持ちで目の色を深くする。
「火が灯ると優しい気持ちであればこうやって蝋燭の火のような、強い気持ちがあれば激しくなる」
蓮深の言葉に合わせて指の先から火が現れる。
最初は小さく仄かな火だったのが、ぼわりと音を立てて大きくなった。
全てを燃やし尽くしてしまいそうな、真っ赤な火だ。
「貴女はどうかしら。もし術士になりたいと思ったら、そういうのを意識すると良いと思うわ」
ちゃぽ、と水の音を鳴らし指が沈んでいく。
指先の火は何事も無かったかのように水の中に姿を消してしまった。
「心に、力の源…。だから術士や妖は感情に左右されるんですね」
「……ふふ。ええ、そうね」
ぼそりと呟いた言葉が意外だったように目を見開き、蓮深はくすくすと笑いだす。
「…?」
「ごめんなさいね、貴女は蛍さんの娘さんなんだなと思っただけよ」
「そんなに私と父は似てますか?」
「ええ、とても。特に…興味を持った時の顔と、気になっていることが解決した時の表情はとても似ているわ」
なんだか恥ずかしくなった。
同時に、父の事を知れて少しだけ嬉しくなった。
「そろそろ洗わないと逆上せてしまうわね。…ねえ、私に洗わせてくださる?」
「えっと…い、いいんでしょうか…」
「…もう少しだけ、私の欲に付き合って欲しいの」
「わ、わかりました…」
髪を丁寧に洗われ、体も流してもらった。
お返しに背中を流してあげて少しだけ湯船に浸かる。
結局扱いは置野家に居た頃と変わらず、だけど蓮深はまだ入るようで先に上がらせてもらった。
身体を拭いて着替え、日和は小走りに波音の部屋に戻る。
「へえ、お母様に捕まったの?それなら遅くなったのも仕方ないでしょうね」
遅くなった事情を話すと波音はくすくすと笑いながらまだ濡れた髪をドライヤーで乾かしてもらっている。
「そう、なんですか?」
「……詳しくは知らないけど…昔はお母様、蛍さんのことが好きだったって話もあるもの。まあ、恋したところで絶対実らないでしょうけど」
「えっと…なんでですか?」
「水鏡に嫁いだら術士にはなれないもの。蛍さんは一応金詰の人間なのだから蛍さんの進む道がどうであれ、お母様は選ぼうとしないでしょうね」
「なるほど…」
そういえば前にそんな事を言っていた気がする。
やっぱり術士の恋愛事情は難しい話だと感じてしまう。
「ところで…」
波音が言いかけ、ドレッサーの鏡越しに波音の顔を覗く。
ちらりと波音からの視線が鏡越しにぶつかった。
「…っ!」
「私は貴方がどうして高峰玲と出会ったのか気になるわ」
にやりと波音の口元が邪悪に笑った。
「えっ…今その話します?」
「折角だもの、聞きたいわ」
「つ、つまらないですよ?」
「それなら竜牙とどうだったのか聞いても良いのよ」
やんわり逃げようかと思ったら余計話しにくい方向へ回り込まれた。
「それは、ちょっと…」
「何、もしかしてまだ続いてるの?」
「うっ…それは…」
波音が半眼になってじっと視線を送ってくる。
ドライヤーのスイッチを切って、コードをまとめた。
「髪、終わったわよ」
「ありがとうございます」
「今度聞かせてもらうからね」
「はい……え?」
思わず二つ返事してしまったけど、とてつもなくとんでもない約束をしてしまったんじゃないだろうか。
波音に視線を向けるとにっこりと笑顔が見えていた。
「じゃあ私入ってくるわ」
「はい、待ってますね」
波音は服を持ってお風呂に消えていく。
どうしようかと思っていると、コンコンとノックが聞こえた。
顔を覗かせたのは清依だった。
その胸にはもさもさと可愛らしい猫がじっと日和を見つめている。
「聖華はいるかい?」
「あ、先ほどお風呂に行きました」
「ならよかった。狐面の金詰日和さんに、これを」
清依の表情が真剣なものになり、メモのような物を差し出す。
何の用なのかすぐに理解し、用紙を受け取った。
内容を見ると今探っている件についての進展だった。
「ありがとうございます。明日、魁我さんと話をしてみようと思います」
「そっか、分かったよ。気を付けてね」
「はい、分かりました」
清依はじゃあ、とふらりと猫と共に去っていく。
波音が戻ってくる前に日和はもう一度用紙を見て、内容を頭に叩き込んだ。
明日からまた少し、忙しくなるのだろう。
「ふう、ただいま」
「波音、おかえりなさい」
しばらくしてから波音が戻ってきて、今度は日和が波音の髪を乾かす。
赤い髪が舞ってとても綺麗で、しかし日和よりもかなり短い髪はすぐに乾いてしまった。
「元々私、すぐ乾いちゃうのよね。火の守りのせいね」
「そういえば出会ってすぐも制服乾かしてましたね」
「まーた懐かしい話を…」
くすくすと波音は笑い、日和はにこりと微笑む。
「あの時は皆が不思議で仕方がありませんでした。術士とか、妖とか、全てが私の知らない世界で、少しだけ…交じりたいけど入りづらそうな世界だなと思ってました…」
「……どうしたの?急に」
不思議そうに首を傾げる波音に首を横に振って、日和は胸に手を当てた。
「私、皆のことを知れて良かったです。後悔なんてありません。これからも、もっともっと皆を知りたいです。
…波音、私に術士のことを教えてくれませんか?」
目を瞑り、再び目を開けた日和はじっと目の前の親友を見つめる。
「それ、私に聞くこと?」
「はい、波音に聞きます。だって、最初に術士のことを教えてくれたのは波音じゃないですか」
「…!……ええ、そうね。親友だもの、勿論教えるわ」
それは祖父を失ってすぐ、波音と初めて料理をして昼食を食べた日、日和は波音に術士のことを教えてくれるようお願いした。
その日を思い出し、波音はにこりと笑って口を開いた。
「あなたが望むのなら、こちら側にいらっしゃい。ただし私達は常に命がけ、最悪今日までの命だってあり得るの。こちら側に踏み込むってのは…分かってるわね?」
「勿論です。私は弥生を倒して夏樹君の家にも首を突っ込みました。竜牙を見送って、今は師隼の家でお世話になっています。
もう、何も知らないままじゃ居られません…これからも、側で沢山のことを教えてほしいです」
日和と波音は互いに視線を合わせると、同時にくすりと笑う。
「分かったわ。これからも貴女の親友として、一緒に居てやろうじゃない」
「ありがとうございます、波音」
互いの気持ちを確認したような気になって、日和の心が温かくなった。
波音は本当にいい親友でいてくれる。
私も狐面をしているんだ、明日からも命がけで頑張っていこう。
波音と共に寝具に潜る中、日和は改めて自分の気持ちを決意して眠りに落ちた。
もうちょっとキャッキャしなよ…もっとイチャイチャ楽しそうなお泊り会だと思ってたよ…ಠ_ಠ




