125.淡く遠い過去
2月の中旬。
寒空の下、神宮寺家の庵で二人分の産声が上がった。
自分の腕には生まれた直後だというのに既に強い力が感じられる男児が、妻の腕には特殊な力などないものの、どこか普通の子ではない雰囲気を感じる女児が抱えられている。
「ハル、大丈夫か?すまない、何もしてやれなくて…。この2カ月間、本当にお疲れ様…」
「大丈夫ですよ、旦那様…。この子達がちゃんと、置野家の血を継いで生まれてきて良かった…」
「ああ、ああ、そうだね。あとはゆっくりと休んでくれ。…名前は、どうしようか?」
「一ヶ月早く生まれてしまいましたね…だけどそのままで、お願いします。決めた名で…お願いできますか?」
妻から女児を受け取り、頷く。
「ああ、分かったよ」
女児は小さく、男児にも、妻にも、とてもよく似ていた。
男児の名前は正也、女児の名前は弥生。
己に施していた呪いのせいで妻のハルに影響が出たらしい。
まだ腹に居ながら術士の力を持った子を抱えた上で、更に双子ということで母体への負担に拍車をかけながら、酷く長い苦痛に耐えながら出産した。
生まれたばかりの正也は既に十分に戦える程の力を持ち、だからこそ力に飲まれて自身が死んでしまわないよう、子供を連れて帰宅した直ぐに式神・竜牙を契約させた。
「約束を聞いてくれて助かったよ」
「子を成すと決めた時点で相談は受けていたからな。…で?今幾つだ。どこにも居ないようだが…」
目の前に再び現れた式神は125㎝程だろうか、小学生のような姿をしていた。
式神とは本来術士の力で大きさが変わってしまうものだが、竜牙のその見た目で子供がどれ程優秀なのかはよく分かった。
「…生まれて、20時間だ」
「は…っ!?それで、これか…!?」
竜牙が狼狽するのも仕方がない。
本来術士の力とは数ヶ月から2歳ほどで発現し、通常の術士であればそれから1,2年で式神を作る。
わが家で言えば術士教育を始める5歳ほどになってやっと、今の竜牙の姿をしているものだ。
正也に選択肢は無い。
正也は置野家を継いで当主となり、解呪師として生きることになるだろう。
寸分の自由すら与えられない程に確定した未来を歩むことになるのだろう。
一方の弥生は仕来りにより、この家に住むことは許されない。どちらも心苦しいことだ。
だったらせめて弥生には、その分の自由を託したい。
正也の分の自由を、好きなことをして好きに恋愛をして、伸び伸びと自由に過ごしてほしい。
「さあ、佐艮」
これから家を離れる父の声が聞こえた。
本当は手放したくない娘を、差し出さなければならない。
自分にもっと力があれば。
「…ごめんよ、弥生…」
正也は術士に、そして弥生は…この日を最後に自分達から離れていく。
たったの20時間。ハルに至っては一抱きで愛娘と別れてしまった。
***
「正也、お前には溢れんばかりの素質と才能がある。置野家の当主として、立派にならなければいけないよ」
「はい、父上」
なんの疑問も持たなかった。
父上に言われるがままに術を使い、竜牙と信頼関係を築き、そして強い術士を目指して鍛錬する日々。
だけど力があると言われても実感は沸かなかった。
父の力は宝石のように硬くて、岩は鋭く操れる量も多い。
思ったようにいくまで、自分が満足するまで、何度も同じことを繰り返した。
「正也、無理をしすぎだ。たまには休め」
「でも父上みたいにうまくできない。まだ竜牙と憑依換装もできないのに…」
「佐艮よりお前の方が素質があるのは確かだ。少しずつやっていけばいい。焦りはお前を強くしない」
「……」
「そうむくれるな。大丈夫だ、ひとつずつこなしていけばいい」
竜牙は先祖だけど、兄のような人だった。
不器用な自分を見守って、色々アドバイスをくれる。
上手くできない自分をサポートしてくれた。
「佐艮、お前は正也に期待しすぎている。正也は自分が弱い存在だと勘違いをしている。あれは自身の力が大きすぎて安定しないだけだ。まだ馴染むには時間がかかるんだ。焦るな」
「そうは言うけどね…だけど正也はまだ憑依換装だって…」
「お前だってできたのは12の時だろう。正也はまだ9だぞ…!」
「それでも、正也には力のある立派な当主になって貰わないと僕の二の舞になってしまう。その為にも――」
自分が強く期待されてるのは知っている。
兄のような竜牙と、口煩い姉がいる自分には、初めて会った時に気付いてしまった――もう会いに来ることはない妹が居ることも。
学校だって時間のムダで、少しでも早く立派な術士になりたい。
術士の方に時間を使いたい。
そう思っていた。
このままでは何もできない。
自分に必要な気持ちが何なのか分からないまま、焦っていた。
「正也、焦っていても仕方がない。お前はお前の速度で歩めばいい」
「それじゃ、だめ。僕は……俺は、当主になれない。父上を、継がなきゃ。妹にも笑われる」
「正也…」
俺は術士を目指していた。
強く立派な当主になることを目指していた。
ただ、引かれたレールの上を走る為だけに。
『迷子?一人は危ないから、一緒に行こう』
君に会うまでは、そうだった。