121.年越しの準備
「師隼君に呼ばれるなんて久しぶりだね。どうしたの、新年の吉凶の相談?」
呼び出したのは水鏡波音の父、水鏡清依だった。
相変わらず置野佐艮に似て、笑顔を見せている。
「その方が良いだろうか。実は新年を越えてから雲行きが怪しいんだ」
清依は話し始めて早々におはじきを巾着袋からひっくり返す。
そしてばら撒かれたおはじきをじっくりと見始めた。
「確かに、1月の10日くらいから怪しいかな。…ああでも――」
清依は言いかけ、新たにカードを取り出して切る。
並べて山にして、何度か手法を変えて繰り返し、一番上にあったカードを取る。
そして顎に触れた。
「……ふむ。4月に転機…来訪者ありだよ。打診が1月の中旬にある。上手くいくといいね」
「4月に、来訪者…」
「手厚い看護が必要だね。兄妹で大変だなぁ。高峰さんの所はしばらく暇しているから、丁度良いんじゃないかな?」
清依の言葉をメモしていく。
本人はしがない占い師だと言うが、その実かなりの的中率がある。
水鏡家の新たな役割としては十分過ぎるほどだ。
「ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ…あっ」
最初にばら撒いたおはじきが一つ、片付けようとした清依の手から転がって落ちる。
清依は手を伸ばし、拾おうとして…手が止まった。
「……もうすぐ、誰かが亡くなるのかい?」
「え?」
「一人にしてはいけないよ。約束は果たさないと。それから…」
じっくりとおはじきを見て、清依は拾い上げる。
今度はそれを光に翳した。
「死の淵から戻る者に清めの水を。この光り方は…ああ、あの子か。難儀な運命だね」
清依は笑みを消し、同情のような表情を見せる。
「でも、仕方ないよね。リボンは縛り付ける物…運命の赤い糸とは言うけれど、一本の拙さはまるで違う。…師隼君は、どう思う?」
「…それをどうして私に聞くんです?」
「赤いリボンの結びつきは強い。人の神に選ばれた人間の恩恵だろう?」
清依の言葉に師隼は苦笑して言う。
「まだ、あるんですか?」
「直ぐに切れてしまうと思っていたのかい?それならきっと、君が生まれ落ちることすら許されなかっただろうね」
「……」
何か知っているような口ぶりの清依だが、占いとはこんなにも人を見透かす様な物なのだろうか。
それとも清依に何かを教えている存在がそれだけ事を知っているのだろうか。
全く不思議なものに思う。
「…ああそうだ。師隼君にひとつ、お願いがあるのだけどいいかな?」
「お願い?なんですか?」
「実は…聖華ももうすぐ16になるだろう?縁談の準備をしたいんだ」
「……!」
術士は結婚が早い。
過去には法律で許された年齢になった時点で結婚させた例もあるがそれでも最近の方で、かなり昔には10過ぎで結婚させられた術士も居たらしい。
その辺りは術士の能力が若年層が最高潮であるあたりに理由があるように思う。
早いうちに次の術士を用意し、親の世代となる術士は家の管理を任されるのだ。
そう考えれば自分の結婚は随分と遅いように感じる。
麗那が居るので問題はないが、平均寿命も過ぎているし、焦る分には焦らないといけないかもしれない。
「それで…あまり勝手にやると師隼君が怒るかなと思って、師隼君が聖華のお相手を選んでくれないかな?」
清依の言葉に思わず「は?」と口に出てしまった。
「え、なんで私が…?」
「おや、だって師隼君はうちの聖華と仲が良いだろう?聖華の術が安定するようになったのは師隼君のおかげだし、多分師隼君が選んでくれれば聖華は文句言えないだろうなあって」
流石父親、娘の事をよく理解しているように思う。
確かにそう言われてしまえば理由としては納得の範囲ではある。
「なる、ほど…。でも良いのですか?どこの馬の骨…と言われても困りますよ?」
「それを言うのはうちの蓮深さんかな。でも師隼君なら、ちゃんと相手の素性を調べて選んでくれるでしょ?」
清依はにっこりと笑顔を向ける。
その笑顔はなんとなく…従兄に似て、食えない人間だと感じる。
「……わかりました、一応考えておきましょう」
「助かるよ。ごめんね、うちは資金源でもある有栖には適わないんだ」
「そういう問題でもないですから。…また、よろしくお願いします」
清依は「ああ」と返すと笑顔のまま帰っていった。
心に残る複雑な何かは、言語化のできない気持ち悪い重たい物となって沈んでいく。
「……さて、年末だ。そろそろ本格的な準備をしないといけないね」
***
「日和様、別に私達でやるのであまりお気になさらなくてもいいんですよ?」
「いえ…私にもさせてください。いつもお世話になっているので、お手伝いしたいです」
「お気持ちはとても嬉しいのですが、日和様はご家族ですし…」
冬休み初日の朝、置野家はすでに慌ただしかった。
年末の1週間まであと3日ほどだが、その間に大掃除をするらしい。
そして残りの1週間は正也と佐艮が毎日師隼の屋敷へ訪問する予定だという。
それを『神事』と呼んでいた。
日和はというと特にする事もなく、折角だからと家を世話する使用人達に食事を振る舞うと言ったら大喜びされ、年末まで毎日昼食は日和も担当する事になった。
調理担当である板前の方々も年末となればその分の料理と年始のお節でてんやわんやになるというので一層喜ばれた。
ちなみに半分くらいは日和の料理が食べられることを喜んでいるのを日和は知らない。
ただ、それだけではどうしても暇が出来てしまうので、日和は朝になって清掃も手伝いたいと言い出したのだが…華月はさせたくないらしい。
「…どうしたの」
「あ、坊ちゃん」
「正也…おはようございます」
開けっ放しになっていた日和の部屋に顔を覗かせた正也は芥子色地に金糸の装飾が入った立派な衣装を着ている。
華月と日和はそんな正也に近寄るとそれぞれ好き勝手に正也を見だした。
「坊ちゃん、毎年の事ですがとても立派ですよ。サイズもまだ問題ないようで良かったです」
「わあ…綺麗です。…刺繍とか細かいですね…生地ががっしりと固そうです。これで神事に出るんですか?」
「…重い」
正也は目を細めて口をへの字に曲げている。
ほとんど無表情な人間だが、なんとなく嫌そうにしているのはよく分かった。
はぁ、とため息をつくと正也の耳あたりが揺れた。
細かい彫刻の入ったイヤーカフに繋がれたチェーンが揺れて、橙色の石がきらりと光る。
正也はあまりアクセサリー類を好まないように見えるが、一度袖を通す時はきっちりと準備はするタイプらしい。
「あれ、正也君こっちに居た」
ひょっこりと佐艮が顔を覗かせる。
正也と同じく神事の衣装を身にまとった佐艮は正也の姿を見てにこにこと笑顔になった。
「おー、着てる着てる。ふむ、そのままでも問題なさそうだね」
「脱いでいい?」
「そうだね、このままだと肩が凝りそうだからまた明後日だね。衣装屋に伝えておくよ」
「分かった」
佐艮は話をするだけすると、自室へ戻っていく。
正也は真っ先にイヤーカフから外した。
「衣装屋…さん?」
「ふふふ、術士のお家ご用達のお店があるのです。いつか日和様にもご用事があると良いですね」
日和の疑問に華月はにこりと楽しげに答える。
「あ、坊ちゃん。小物は貴重な物ですから手荒な扱いはやめて下さいね?」
「……分かってる」
イヤーカフを握り締めた正也に華月は釘を刺すように言う。
それだけで正也の表情がげんなりしたように見えた。
「そちらも細かい彫がありましたね。この石は何ですか?」
日和は正也の手に握られたイヤーカフをじっくりと見つめる。
何を模しているのかはわからないが、金属部には細かい彫刻がされていて鎖が繋がれ、その先のクリップ状のイヤリングには橙色の石がきらりと光っている。
「これは…置野の色。波音は赤、夏樹は碧、高峰は青」
「皆にこれがあるんです?」
「いや、体のどこかに石を着けてればいい。…日和なら黄かな」
日和のうずうずとしたいつもの癖に、正也は淡々と答えていく。
「術士の知らない事がいっぱいです…」
「この地域が特別なだけ。神様に一番近い場所だから」
「神様に、近い場所」
ふと、ラニアが脳を過ってビンに視線が行く。
机の上で優雅に光を放つ空色の羽は今日もきらきらと光っている。
「そっちじゃなくて、四術妃の方。一応、術士の祖だから」
「坊ちゃんはそういう所は勤勉ですね。学業の方も頑張らないと!」
日和の後ろからひょっこりと華月が顔を出す。
正也はむ、と顔を顰めた。
「正也は一時お休みしていたので仕方がないです。何かあれば言って下さいね、勉強ならいくらでも教えられますから」
「……」
日和は両手でガッツポーズを作って笑顔を見せる。
華月と正也にはその笑顔が眩しく感じて仕方がなかった。