9.術士の統率者
日和が住む柳ヶ丘から学校を挟んだ向こう側。
大きな屋敷が立ち並ぶ中、更に最奥の一番立派な屋敷の門前で、日和は立ち尽くす。
安月大原と呼ばれるこの地域は日和にとって一切の接点もない場所だ。
精々、玲が住んでいる程度にしか分からない。
それなのに祖父が残酷な姿で見つかったのも束の間、何故この地に連れて来られたのかも日和には謎のままだった。
「あの…?」
日和は後ろに立つ波音と玲に声をかけるも波音はつんとした態度で「行けば分かる」、玲には「ごめんね」とどこか寂しげな表情で言われてしまった。
どうしようもない。渋々足を進めると、高さはおよそ2人分程の立派すぎる門が開いた。
門の先は庭園が広がっており、足元の石の道は途中で枝分かれしている。
それだけで敷地内には建物が一軒だけではない、ということだけはよく分かった。
何も言わない2人を予想して日和も何も言うことなく真っ直ぐに伸びた石畳を歩く。
先には築何十年で済むのかも分からないような、どっしり構えた日本家屋の豪邸が聳え立っている。
1段上にあがった4枚の引き戸がある玄関に日和は足を踏み入れた。
途端、中央の引き戸が左右に開き旅館のように広い廊下が真っ直ぐに伸びて、それに合わせて何十人もの人がずらりと並び頭を下げている。
服装は皆パーカーを着ていて、白い顔に赤墨の狐の面をしている姿が異様な光景に思えたが、日和にとってはそもそもこの屋敷に踏み入れること自体が異様なのでそこまで思考は回らない。
それよりも威圧的にも感じる、この圧倒されるような雰囲気に日和は息を飲む。
一方の玲と波音は慣れているようで靴を脱ぎ、端に揃えた。
それを見て日和も続く。
「見ての通り、わかりやすいけどこっちよ」
波音を先頭に玲、日和と続いて廊下を歩く。
途中には立派な縁側に庭、時折洋風の部屋を通り過ぎ、波音は足を止めた。
「ここよ。入りなさい」
真っ直ぐ歩いた先にあったのは正面に一際大きな襖が2枚。
波音は両手でそれを左右に開けて中に入った。
中は何畳だろうか。普通に見ても20畳以上はありそうだ。
その中央奥に一人男性が座り、側面には先ほど居なくなっていた竜牙と少年が一人、その横に並んだ二枚の座布団に2人に玲と波音が加わる。
日和はそのまま男性の前に置かれた座布団に「どうぞ」と言われ、その上に正座をした。
「初めまして、私は神宮寺師隼と申す者だ。突然だけど、君がここに来る事になった理由は分かるかい?」
黒に浮き柄模様の入った和服に身を包んだ男性はあぐらを掻き、片膝に肘を立てながら日和を見る。
老人のように真っ白な髪が年齢を把握させづらくしているが、肌といい表情といい20代ほどの男性と思われる。
「…いいえ」
「んー…まぁ、そうだろうね。彼らは喋らないから」
ふぅ、と小さく息をつき、周りをちらりと見渡して再び日和に視線を戻す。
彼らと呼ばれた玲も、波音も、首に深緑色のマフラーを巻いた少年はどうやら羽根の人のようだが、皆静かに正座をしている。
そこに並んで座る竜牙だけは、しっかりと日和を見てあぐらをかいていた。
「こちらから説明しよう。これでも彼らの責任者だからね。まずは君のおじいさんは残念だった。守る事ができず申し訳ない」
師隼は姿勢を正し、深々と頭を下げる。
それに合わせ玲も頭を下げた。
「いえ…」
日和は伏し目がちになるが、首を振って師隼に視線を合わせる。
頭を上げた師隼は見据えた目で日和を見た。
「ところで、今回亡くなられた君のおじいさんは母方かい?」
「えっ?そう…ですね…」
なんで、と日和が言いかけた所で師隼は「やはりか」と少さく呟いた。
同時に深々と頭を下げていた玲が頭を上げるが、その表情はなんとも悔しそうに見える。
「私を含めた、彼らの仕事だが…この世には妖という魔の存在があってね。
彼らは人の感情を餌にするのだが、面倒な事に人々に怪我はさせるし殺しもする。
なんならその人間に成りすましてその後を人として生きることもできる。それを討伐しているのが術士、そこにいる4人だよ。
この子達は代々血筋で仕事をしていてね、先代は5人でやっていた」
「5人…?」
師隼は指を立てた。
「そう、5人。4人は彼らの親に当たる先代だが、残りの一人は…君のお父さんだよ」
日和の脳裏に血を飛ばし倒れる姿が鮮明に映し出された。
それと同時に、初めて一緒に昼食をしたときの会話を思い出した。
血縁がいる。
その時は濁されていたようだが、まさかそんな身近にいるとは思わなかった。
「お父…さんが…」
「その様子だと、ご家族から何も聞かされてないのだろうね。…ねえ、玲?」
師隼の冷ややかな視線が玲を刺し、一瞬だけ玲の体が震えた。
「…ええ、こちらに個人的な仕事として現れたのは、先ほど亡くなられた彼女の祖父ですから…。
また、彼が私を知っているのは私の祖父と同級だからであって、彼女の父が術士をしているのは知らないと思います」
淡々と答える玲の姿を日和は知らず不安な気持ちに包まれた。
玲は日和と視線がぶつかると、遮断するように目を瞑ってしまった。
「そうか。その件は後ほど詳しく聞くよ。しかし、まぁ…血違いとはいえ、やはり親子で妖に襲われて亡くなるとはな…」
顎に手を伸ばし、息をつく師隼は間髪を入れず日和に視線を向ける。
「ところで、金詰日和。君の家族には極力内容を隠して伝えたいが…他にご家族は?母等いるだろう」
「いえ、居ません。母は父が亡くなった半年後くらいに国外逃亡しました。
…といっても写真家をしていて、仕事だと言って出ているだけですが…片手ほどしか会ったことがありません」
「……そうか。ならば、1人で生活させる訳にもいくまい。君がよければこちらで君の今後の生活を引き受けるが、どうする?」
日和の言葉を聞いて師隼は驚きの表情を浮かべるが、何も言わずに一つ提案を出す。
日和はしばらく考え込むと、首を横に振った。
「いえ、ご迷惑をおかけする訳にはいきません。1人で生活する事に困ってもないです」
「強くは言わないよ。今後の君を心配しただけだ。何かあれば頼りなさい。私でも、周りにでも」
「はい、ありがとうございます」
優しく笑う師隼に、日和は頭を下げる。
「突然こんな所に呼び出してすまなかった。送りを出そうか?」
「いいえ、大丈夫です…。では…」
師隼は左腕を上げ玲達を手のひらで指す。
首を横に振って拒否する日和は立ち上がると深々と頭を下げて大広間を出た。
「…日和ちゃん!」
屋敷を出た所で後ろから追いかけてきたのであろう、玲が走って声をかけてきた。
「兄さん…」
「ごめん、日和ちゃん…」
振り返りざまに玲は日和に頭を下げる。
驚いた日和の表情には疑問符が浮かんでいる。
「さっき言った通りだけど、僕は日和ちゃんを騙していた。仕事で君を守っていたんだ。
勿論日和ちゃんの兄になってあげたいって気持ちは嘘じゃないけど…隆幸さんも守れず、君を傷つけてばかりで…」
「えっと…お、落ち着いて…!」
頭を下げたまま言葉を続ける玲に日和は困惑した。
正直に言えば、まだ色々と実感が湧かなくて、全てを受け入れた訳ではない。
「でも…僕は…」
「私は今までの兄さんに感謝してるよ。そばにいてくれたのもそうだし、今まで何かしら連絡してた時も守ってくれてたんだよね…?」
「日和ちゃん…。…それでも…」
「それに…今回は私、兄さんに外食の予定を伝えてなかったの。私、兄さんに連絡しなければどうなるのか、今回でとても思い知った。だから本当に、感謝だけ…。謝るのは、私の方…だから、ごめんなさい」
「日和、ちゃん……」
「兄さん。関係がどうであれ、私の兄は貴方で、高峰玲は…血は繋がってなくても、私の家族だよ。それじゃ…だめ?」
真っ直ぐな日和の目が玲に映る。
小さな頃から何度も見た日和の真っ直ぐな目は、いくつになっても変わりが無い。
玲の中の今までの記憶を思いだし、玲の表情が柔らかくなる。
「…いや、それでいいよ。ありがとう…」
玲の体がゆっくりと崩れ、日和の肩に頭が乗る。
(こういう時、どうするのが正解なんだろう…)
日和の心は迷った。
そもそも自分にも他人にも興味を持てず、ただあるがままに過ごしてきた。
今日一日で沢山感情が揺れただけで、体も心もかなりの疲労だった。
それでも。
この状況では何かするべきだ、と脳が告げる。後悔をしそうだと、心が告げる。
日和は玲の背中に手を伸ばし、そのまま優しく抱き締めた。
すると小さく玲が笑い出し、日和の頭を撫でて顔を上げる。
「…こういう事、日和ちゃんは苦手なのにね…ごめん、ありがとう。もう遅いし、家まで送るよ」
「なんか、中学までの頃に戻ったみたい。じゃあ、お願いします」
「ふふ、そうかも。1年も経ったからそんなものかもしれないけど、なんだか懐かしいね」
玲の表情がいつもの元気そうな顔に戻った様子を見て、日和は少しだけ安心した。
それがまだ玲の得意な仮面の笑顔である事を、日和は知らない。