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神命迷宮  作者: 雪鐘
術士編

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95.意識下の深淵

 風がぶわりと音を立てて舞い上がる。

ぐるぐると渦を巻いてつむじ風や竜巻が起こる。

流れる風が刃となって投げた林檎が切り裂かれる。

空気が圧縮されて形を保持できなくなったみかんが潰れる。

風が物を浮かせ、運び、軽くし、そして傷ついたものを修復する。

全てを自在に操れる。

それが、とても楽しい。


「夏樹、お前はなんでもできる、強い奴だ」


 父は嬉しそうに笑う。

褒められる事はただただ嬉しかった。


「飲み込みが早く、すぐに戦える。立派だぞ」


 だから自由に、好きに動けるのが最高に気持ち良かった。

風に乗って自分の体を浮かし、風を操り物を自由に動かした。

風は空気だ。

だから気圧をいじることもできる。

 優越感に浸っていた。

兄も姉も誰一人として自分を見なかったけど、一切気にも留めなかった。


「大丈夫だよ、夏樹。気にしなくても。私は傍についてるからさ」

「ありがとう、風琉」

「ほら、立派な術士になれるよう一緒に練習しよ?」

「うん」


 僕には術を教えてくれる父と、僕をサポートしてくれる式神とがいればそれで満足だ。


「――夏樹は偉いわね」


 いつだっただろう。

いつの間にかただ一人、僕に近づいてくる変わり者の姉が僕の頭を撫でた。


「才能があるのはとても大事よ」


 姉はすぐに僕を(おだ)てた。


「貴方は家の誇りね。私の可愛い弟」


 歳の離れた姉は他の兄弟と違ってそれこそ普通の兄弟のように接してくる。

だから、なんにも気になんてしていなかった。


「夏樹はとても頑張り屋さんね。強い子だわ」


 同じ暗緑色の髪がふわりと揺れ、銀縁の眼鏡がきらりと光る。

強かで優しい姉。

綺麗で(たお)やかで知的な姉。

他の兄姉と一緒で僕を見ないと思っていた一人の姉はそんな印象に変わった。

 だけど父の傀儡(かいらい)だった僕は、家の歪みを全く認識できなかった。

こんなに優しくて温かくて傍に居てくれる姉が、僕を苦しめて地に落とすなんて想像つかなかった。


「良い子ね、夏樹。家の為に術士をして、家族全員から(うと)まれている事も知らずに胸を張って生きている、可愛い可愛い私の末弟(まってい)

「え……?」


 顔を挟むように姉の両手が頬に触れ、爪を立てられた。

頬に深く食い込む姉の爪は薄くてよく研がれていて、とても痛い。

何が起こっているのかよくわからない。

ただ目の前の優しい姉が狂気を(はら)んで僕を苦しめようとしている事だけは分かった。


「ずっと、そうして居なさい。貴方はこの歪んだ家の、歪んだ象徴。

 ただ形として成り立っているだけで、中身はすっからかんでぼろぼろなこの家の、ただ一つの象徴」

「何、言ってるの…?姉さん……」


 こういうものを裏切り、と言うのだろうか。

いつから姉がそう思っていたのかは知らない、知りたくもない。

段々食い込んだ爪が頬を掻いて皮膚がささくれ立つ。

赤い蚯蚓腫(みみずば)れが何本も白い肌を裂いた線は夏樹の心のようだった。


「愚かで可哀想な弟。お前は誰からも望まれていないのにね。

 …ああ、望んだのはお前を傀儡にしようとしている父様か」

「なん…――」

「――夏樹、私は貴方が好きよ。幼稚で愚鈍(ぐどん)で無知な貴方が。

 皆からどう思われてるかも知らないで、にこにこと笑っている貴方が」


 姉は、綺麗な笑顔を見せていた。

それこそ、僕が畏怖(いふ)する程に。

初めて人を怖いと思った。

そして、理解したくなんかなかった。


「<才能のあるお前なんて、死んでしまえばいいのに>」


 その言葉を呪いだと思った。

だから僕は全てに耐えきれなくなって、心を閉ざした。




***

 今日も授業を終えれば巡回に出なきゃいけないな、と考えていた。


「小鳥遊、お前だけ未だに白紙なんだが…どうするんだ?」


 放課後になって、担任に声をかけられた。

理由は分かっている。


「あー…」

「あーじゃない、あーじゃ。お前だけだぞ?進路先決めてないの」

「一応決めてはあります」

「じゃあ書こう」

「家の意見と合わなくて」


 担任は眉間に(しわ)を寄せ、腕を組む。


「ちなみにどこ行きたいんだ?」

「篠崎高校です」

「親は?」

「麻生第二ですね…」


ううん、と唸る。


「……家からは…まあ、まだ近づくか。なんだ、ご家族と上手くいってないのか?」

「まあ」

「まあじゃない、まあじゃ。一応学力的には問題ないだろうが…ちなみに篠崎高はやっぱ、特進科か?」

「いや、普通科が良いです」

「学力上位だろう、勿体ない」

「最終的な進路が決まってるので」

「そうか。まあ…なんていうか…頑張って説得しろ」

「そうですね…」


 正直気が重い。

話したくない。

近づきたくもない。

それでも逃げられない問題が近づいている。

早目になんとかしなければ、そう思えば思う程……現実は遠ざかっていくのを僕は知っている。




 放課後になって、夏樹は正也と巡回していると妖に遭遇した。


「夏樹、そっちに行ったぞ」

「はい、大丈夫です!」


 掛け声と共に鳥型の妖が急降下してくる。

それを風で軌道をずらそうとして、上手く行かなかった。


「…っ!?」

「危ないぞ」


 風が出なくて焦り、腕を盾にした所で背後の憑依換装した正也が飛び出し、槍で突く。

妖は胴を一突きされ、深々と刺さった。

その横に竜牙は音も無く着地した。


「……夏樹、調子が悪いのか?」


 手持ちの槍を回収すると振り降し、勢いで胴が抜けた妖は地面に叩きつけられた。

それを横目に竜牙は夏樹に振り向く。


「いえ、すみません…」


 妖は無事に霧散して消えたが、サポートをしていた夏樹がミスをした。

それはあまりにも珍しく、一つの問題だと捉えた竜牙はそれをただ心配気に夏樹を見る。


「あまり無理するな。前の女王から完全にひと段落ついたとはいえ、妖が消えた訳でもない。休める時に休んだ方が良い」


 言うだけ言って換装を解いた竜牙は130cmほどの大きさに縮む。

それでも表情は変わらず、夏樹の奥を見つめる様な視線が向いている。


「すみません、心配かけさせてしまってますね…。最近は(むし)ろ調子が良かったんですけど…」

「私はあまり気にしていない。だが、多分波音や日和が気にすると思うぞ」

「それもそうですね。気を付けます」


 にこりと夏樹は微笑み、装衣換装を解く。

静かにしていた正也は夏樹のそばに立って、耳打ちするように口元に手を添えた。


「ああ言ってるけど、竜牙も多分気にしてる。心配事があるなら、早目に解消した方が良い」

「大丈夫、多分大丈夫です。ありがとうございます」

「…ならいいけど」


 夏樹は一度黙って、再び正也に向く。


「そういえば正也さん、学校はどうですか?」

「……?……別に普通…」

「休学してたんですよね?」

「ああ…。勉強は、日和の世話になってる」


 夏樹は夏休みを思い出していた。

勉強はかなりできる方なのでは、と思っていたが、大体想像がつく。

女王の時以外でも夏休み中世話になっていた。

日和は優秀な現役塾講師なんだろうなあ、と納得しかない。


「僕も何度か世話になりましたけど…」

「…帰ったら課題しないと…あと予習」


 正也の気鬱そうな顔を見て、夏樹は苦笑いを浮かべる。


「わあ、忙しそう」

「…テストも、近いから…」

「ああ…それは…また……」

「……」


ただでさえ口数が少ないというのに更に正也の口数が減っていき、心なしか表情も嫌々そうに険しくなっていく。

どうやらそれだけ、勉強が辛いらしい。


「そろそろ切り上げて師隼に報告に行ってもいいと思うが」


 辺りを見回し、いつの間にか消えていた竜牙がひょっこりと帰ってきた。

竜牙が比較的自由に動き回れるのでついつい羨ましく思ってしまう。

風琉や焔じゃ索敵(さくてき)できる範囲までしか操れないのはこういう時に勿体なく感じる。

(ある)いは術士の力を分け与えた時のみだ。


「そっか。じゃあ帰ろう」

「はい、そうですね」


 師隼の元へ報告に行き、屋敷を出た所で「夏樹」と声がかかった。


「寄り道とかしないで、早目に帰った方が良い」


 そう呟くように口にした正也に対して、夏樹は思わずくすりと笑ってしまう。

どうして、人の心を見透かす様な事を言うのだろう。



---

「――くひゅっ!」

「日和様、大丈夫ですか?」


 日和のくしゃみに華月(かづき)は顔を覗かせる。

今現在、主は勉強道具を広げてテスト勉強をしていた所だった。


「すみません華月、ありがとうございます…」


 差し出したティッシュで鼻をかみながら頭を下げる日和様がとんでもなく可愛い…違った、心配になってしまう。

体を冷やしてしまっただろうか。


「お風邪ですか?」

「うーん、風邪はあまり引いた覚えがないですね…」

「日和様はそれ以前に病弱ではありませんか」

「うっ…」


 術士の力に酔っていた状態を病弱だと言ってしまっていいのかと思いつつ、今までもそこそこ心配になるような状況があったのでなんとも言えない。

一先ず華月はブランケットを日和の肩にかけて温かいお茶を出した。


「あまり無理なされては本当に(こじ)らせちゃいますよ?」

「うーん、でも正也が帰ってきたら一緒に課題しませんと…」

「日和様のそういった献身的な所はとても好きです」

「あ、ありがとうございます…」


 お茶を口に含み、温まる日和様が可愛い。

10月も終わりが近づいて、いよいよ秋も後半になってきた。

そろそろちゃんと温かくしないと本当に風邪を引きかねない。

 もう少し日和の部屋をさり気無く改造しないと駄目かなと少し思った所で、カチャ…と小さな音が聞こえた。

どうやら隣の部屋の扉が開いた音のようだ。


「あ、坊ちゃん帰られたようですね」

「本当ですね」


 日和は立ち上がり、筆記用具とノートを(まと)める。

いつも正也の部屋で勉強をするのでその準備だろう。


「日和様、坊ちゃん今帰られたばかりですし多分お部屋寒いですよ?」

「大丈夫ですよ。あ…じゃあ一枚羽織って行きますね」

「そういう問題なんでしょうか…。後で温かいお飲み物準備しますね」

「ありがとうございます」


 勉強セットを持って日和は隣の部屋に移動していく。

改めて、献身的だなあと華月はしみじみ思う。

少し前まで術士に一生懸命になりすぎて勉学なんて(おろそ)かにしていた正也が勉強を頑張ってるのが嬉しい。

それもこれも勉強しか趣味の無い主のお蔭だなあと思いつつ、折角の綺麗で可愛い女の子なのに他に何もないのがとても残念でつまらない。

もっと趣味とか持たせたり、せめて好きな物があればなあと思う。

何も空気を吸うように勉強しなくても良いのに。

 華月は当然のように日和の部屋を漁る。

毎日何度見ても変わり映えの無い部屋にちょっとした面白味を求めた期待をし、見事打ち砕かれる悲しみを抱える。

強いて言えば瓶詰にされた空色の風切羽がすごく綺麗で妙に落ち着く。それくらい。

 先日佐艮(さこん)に『日に日に重症化してない?』と聞かれたが、何の事だろう。

自分でも十分に理解しているけどこればかりはやめられない。

もういっそ自分で染め上げた方が良いんじゃないだろうか、と思いつつ一線は超えないようにしたい。


「とりあえず今は日和様が風邪を召されませんように。あと、何か趣味でも見つかればいいんですが…」

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