9話 魔術院
俺が危惧した通り、部屋にはサラの姿はなかった。
寝ている時は魔力の流れが止まってしまう。例え魔術の天才のサラでも、魔封じの枷を付けさえすれば誘拐するのは難しくなかっただろう。
そういえばクリスタの姿もない。……と思ったら玄関のドアが開いて、酔い潰れた様子のクリスタが入ってきた。
「おーい帰ったぞーケンスケちゃーん。あれー? サラは?」
説明している暇はない。俺は適当に返事しながら、久々に黒い大鎧を着た。
木箱の底にある長剣も取り出して背中に固定する。
――今はサラを救い出すのが最優先で手段を選んでいる時ではない。
あんなに嫌っていた剣も、不思議と嫌悪感はなかった。
「俺はヤボ用が出来たから出かけてくる。ピ太郎を頼む」
ピ太郎は俺の肩から飛び立つと、クリスタの周りを旋回した。
俺のただならぬ空気を悟ったのか、クリスタは少し酔いが冷めた様子で赤いケモ耳をピクリと立たせた。
「――サラがやばいのか?」
「わからん。だが俺が何とかする」
準備を整えた俺は冒険者ギルドで馬を借りて、北へと駆け出した。
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荒野の道を2時間程駆けた頃、魔術院が見えて来た。
魔術院は廃墟のように崩れかけた白い塔が無数に並んでおり、奥にも同じようにボロボロの白い屋敷が見えた。
俺は馬を木に乗り止め、大きな鉄の門を蹴破って魔術院の中に入って行く。
すると俺を取り囲むように白ローブの魔術師が立っていた。
「――随分とご丁寧なお出迎えだな」
俺の声に答えるように、白ローブ達は魔術の詠唱を始めた。
俺はジャンプして魔術を躱し、回転切りで白ローブを斬りつけた。
そのまま走り抜けると、無数の白い塔から魔術師が現れ、魔力を溜めているのが見えた。
電撃、氷撃、火炎弾が俺に向かって流星群のように降り注ぐ。
俺は魔弾の中心のコアを剣で弾きながらゆっくりと前へ進んだ。
魔弾は耳をつんざく金属音を立てながら白ローブへと跳ね返っていく。
自分の魔術を喰らった白ローブはいとも簡単に倒れた。
その繰り返しだ。――全く、つまらない単純作業だ。
「む、魔導兵器か?」
奥の屋敷から出てきた白ローブの一団が、マシンガンのような兵器をこちらに向けた。
噂でしか聞いたことがないが、弾速が速いらしいので少し厄介かも知れない。
――銃口が光る。
斜め前方にジグザグ走行しつつ剣で銃弾の軌道を逸らし、弾幕が収まった頃を見計らって側面から一斉に斬り飛ばす。
ボロボロになった白ローブと仮面は中身ごと赤い霧になって消えてしまった。
――転移魔術で逃げたのか? そんな気配はなかったが。
まあいい。サラを助けるのが最優先だ。
駆け足のまま屋敷に入ると、集中してサラの気を感じ取った。
どうやら地下室に閉じ込められているようだ。
俺は床に剣を立てるとコンパスのように円を描いて回転し、そのままコンクリートの床と一緒に地下室に侵入する。
地下室は幾重にも魔法結界が張り巡らされていたが、横斬りで一閃したらガラスのように割れて崩れ落ちた。
一応周囲を警戒しながらサラの気配がある方に進むと、地下牢の前で聞き覚えがある甲高い男の声がした。……河川敷で俺を襲ってきた白ローブだ。
「あの包囲を突破するとは流石ですねケンスケさん。ですが、最上級魔術師の私を倒すことは不可能です!」
「悪いけど急いでるんでどいてくれ」
俺が真っ直ぐ駆けだすと、白ローブは無数の電撃を放ってきた。魔法陣の術式を見た感じ、追尾するタイプだろう。
俺は一瞬で鎧を脱いで前方に投げつける。
鎧は避雷針替わりとなり、電撃でマグマのように赤くなって溶けた。
なおも放たれる電撃を左右に躱し、一気に距離を詰めて、一閃。
「馬鹿な……! この私が……」
男はありきたりな捨て台詞を残すと赤い霧になって消えた。
「――早着替えは得意なんでね」
シャツ姿になった俺は剣を鞘に納めながら呟いた。
地下牢の中には、サラの姿があった。
「……ケンスケ様! 助けに来てくださったんですね!」
「おう。ケガとかはない?」
「大丈夫です!」
俺は思わず胸を撫でおろした。
檻を斬って壊し、サラに付けられた魔封じの枷を外してやる。
そんな俺の戦士姿を、サラは目を輝かせて見上げていた。
――そうだった。サラが憧れているのは剣聖ケンスケなんだよな。
俺はほんの少し寂しくなりながらも、サラと連れ立って牢屋を出た。
なおも追ってくる白ローブに見つからないように、裏口から魔術院を脱出する。
俺が木に停めていた馬を連れてくると、サラが言った。
「……ちょっと待っていてください」
サラは何やら複雑な魔術を詠唱しながら、手から青、赤、白の魔法陣を出した。魔法陣は魔術院の上空に打ち上げられ、光り輝きながら大きく広がっていく。
青い魔法陣が一瞬眩い閃光を放ったと思うと、魔術院に巨大な氷柱が雨のように降り注いだ。
魔術院はいとも容易く崩れて凍り付いた瓦礫の山になった。……と思ったら隕石のような巨大な火炎弾が降り注ぎ、魔術院は黒焦げの灼熱地獄になった。
とどめに無数の雷が轟音を立てて降り注ぎ、瓦礫を容赦なく崩していく。
唯一残った黒いチリも風に飛ばされて消え、魔術院は焦げ臭い匂いだけを残して、文字通り跡形もなく消え去った。
サラは事が終わると少しだけ寂しそうに笑った。
――やはりこの子の魔術は規格外に強すぎる。
俺は引きつった顔で言った。
「別にそこまでやらなくてもいいんでわ……」
「大丈夫ですよ。あそこに生きている人いないですし」
サラによると、魔術院は2年前サラが脱走した直後に魔王軍の残党に攻められたらしい。
ベニカ王国は政治に口出ししてくる魔術院が鬱陶しくなっていたので、あろうことか便乗して魔術院を急襲した。
更に王国は魔術院の不祥事をでっちあげてそのまま廃止し、事態を全て隠蔽した。
しかし魔術院もタダではやられなかった。一部の魔術師は禁術で自ら命を絶ち、不死者になって、魔王軍と王国に復讐する機会を伺っていたようだ。
その計画の最終段階としてサラを誘拐して魔術院の長に仕立て上げ、魔神でも召喚させるつもりだったらしい。
「――でも依り代の魔術院が消えちゃったので、不死者達も冥界に帰っていったと思います」
「そっか」
俺は馬に跨ると、サラを後ろに乗せて荒野を駆けていく。
ふと、背中に柔らかい感触を感じた。
「……ケンスケ様……助けてくれて本当に嬉しかったです」
俺はちょっと口を尖らせて言った。
「……別に戦士で活躍して感謝されてもなあ」
「そんなんじゃないんです! ケンスケ様が助けてくれたのが嬉しいんです!」
その言葉が本心なのかは、俺には分からなかった。
サラがゆっくりと俺の腰に手を絡ませた。
背中に当たる感触がより一層強くなるのを感じる。いい匂いもする。
――でも……俺は戦士じゃなくて魔術師なんだよな。
俺は幸せと寂しさが混じった奇妙な感情に浸っていた。
「おーい! サラ! ケンスケ! 大丈夫だったかー? 大丈夫なら流れ的にケンスケの奢りだろー? 私焼肉がいいなー!」
クリスタがピ太郎を背中に付けて空を飛びながら近づいてきた。サラはクリスタに気づくと照れ臭くなったのか少し離れてしまった。
――クリスタめ。相変わらず空気読めない奴だ。でも一応心配して来てくれたのは嬉しいしまあいいか。
「しょうがねーなー! あんま高くないとこならいいよー!」
夕日に向かって荒野を駆ける俺達に心地よい風が吹いていた。