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20話 魔術師ケンスケの事件簿(前編)

 次の日の夕暮れ、山頂のロッジに辿り着いた俺とサラはそこで一泊することにした。


 ロッジに入ると退屈そうに座っている太った中年の女主人が、髭が30センチ近くある変な猫を膝に乗せて出迎えてくれた。


「いらっしゃい。一泊90ガランだよ」


 俺が支払いを済ませて鍵を受け取ると、猫がサラの傍に歩み寄り、サラの足に体を擦り付けている。


「あー! かわいいですねー!」


 しかし撫でようとしたサラの手は猫に噛まれてしまった。


「――いっ!」


 白い猫はカウンターの上に飛び上がって逃げた。


「あーもう駄目でしょスージーちゃん! ごめんなさいねー」


「ほら見せてみ。――癒せ! ヒール!」


 俺が杖を翳すとサラの傷は青く光りながら塞がった。

 不安だったがちょっと皮が剥けた程度だったので何とか完治させることができた。


「ありがとうございますケンスケ様!」


「うん……」


 俺は魔力切れで頭がジンジン痛いのを隠しながら、サラと赤マットの廊下を歩いて行った。

 その時、黒髪で黒マントの、クールぶったような若い戦士風の男が見えた。

 すれ違いざま、男はサラの方を品定めするようにじっと見ていた。


 ――この野郎……サラに惚れてやがるな。

 

 俺は少しイライラしたが気を取り直してサラと部屋に入る。

 部屋は手前に小さなベッドが二つ横並びになっており、奥に机と椅子と収納があるだけの粗末な作りだ。


 壁際の収納の上には造花が入った花瓶が飾ってあるが焼け石に水といった感じだ。

 その上壁には窓すらない。……山奥だし贅沢は言えないか。


「ちょっと温泉入ってくる」


「私も入ります!」


 すぐに荷物を置いてサラと部屋を出る。脱衣所は部屋の向かい側にあった。

 残念ながら混浴ではなかったが露天風呂になっていて、夕暮れで輝く小さな滝と岩清水を見渡せるようになっていた。


 石畳の上にはお湯の入った大きな壺が4つ並んでいる。

 俺は体を洗うと早速壺風呂に入りこんだ。お湯がサバッとこぼれる。

 魔導具か機械かはわからないが、丁度いい湯加減に調整されていて最高だ。


「ブッハー! いいお湯ですねぇ」


 俺が旅の疲れを癒していると、後から来た恰幅のいい中年のおっさんが話しかけてきた。


「ええ、景色も最高ですもんねー」


 適当に相槌をうっておく。

 おっさんは気を良くしたのか、いやらしい笑顔でまくしたてて来た。


「しかしあなたも罪な男ですなあ! 連れていたあの可愛い子と風呂上りにニャンニャンと洒落込む、という訳でございましょう? 憎いねぇ男前!」


 ――鬱陶しいなあこのエロ親父。……それに比べてこの輝く清流はなんて美しいんだろう。あー美しい。


「ガハハハハハ! 羨ましいですなあ! こう見えて私も、若い頃は散々ハッピーフォーリンラブっていたもんですよ! ガハハ! まあ今は色々あって妻とは別れちゃいましたがね……」


 エロ親父は遠い目で薬指に嵌めた指輪を見つめた。

 話が長くなりそうだったので、俺は黙って立ち上がり壺風呂を出た。


「ではごゆっくりとお楽しみを! ガハハハハハ!」


 下品な笑い声を上げるおっさんを尻目に脱衣所に戻り、籠に入っていた青い浴衣を着る。

 そのまま部屋に戻り、椅子に座ってお茶を飲んでいると、サラがピンクの花柄の浴衣で戻ってきた。

 俺はその姿を見て思わずドキリとしてしまった。かわいい。


「おお、似合うなあサラ」 


「えへへ……。ケンスケ様も似合ってますよ」


 お世辞でも嬉しい。俺は少し気分が良くなった。


「ところで、このロッジって、他にどんな人が泊っているんですかね? 私はお風呂で中年の綺麗な女性見ただけですけど」


「俺が風呂場で会ったのもおっさんだったし、結構年行ってる人が多いみたいだな。……あ、でも最初部屋に入る時に若い男ともすれ違ったな」


 そんな感じでお茶を飲んで寛いでいると、女主人が夕食の焼きビーフンを持ってきてくれた。


 ――その時、隣の部屋から大きな鈍い音と、陶器が割れるような音が響いた。

 暫く俺達は顔を見合わせていたが、嫌な予感がしたのでサラと女主人と共に駆け付ける。


「ガットさん! 大丈夫ですか!?」


 女主人の声にも返事がない。女主人は手間取りながらもマスターキーを取り出す。

 すると、ガットの部屋から、何か光る小さな物が向かいの女子脱衣所へと飛んでいくのが見えた。


 俺はその光が気になったが、ガットの無事を確認するのが最優先だったので後回しにした。


 鍵が解除され、扉が開く。

 部屋を見ると――男が頭から血を流してベッドの上で倒れていた。


「ひいいいいいい!」


 女主人は声にならない声を上げてその場にへたり込む。

 サラは沈痛な面持ちのまま、女主人の肩を優しくさすっている。

 俺は眠ったように横たわって死んでいる男の姿に見覚えがあった。


 ――先ほど風呂場で会ったエロ親父だ。

 すぐ部屋に入って脈拍を確認したが、ダメだった。

 もう一度周囲を確認してみる。部屋の構造は俺達の部屋と全く同じようだ。

 隠れられるような場所はないし、人の気配もない。


 ベッドの傍には割れた陶器の花瓶の破片があった。中に入っていたと思われる造花も散らばっている。

 遺体には頭の出血以外に目立った外傷はないので、恐らくこの花瓶で頭を殴打されて被害者は殺害されたのだろう。

 状況を確認した俺はとりあえず部屋を出た。

 ふと、扉の下の方に一辺が15センチ程の小さな扉があるのに気付いた。


「……これは?」


「スージーちゃんがお客様といつでも遊べるようにと、全部の部屋に作ったんです。スージーちゃん人見知りだから一度も使ってくれないんですけどね……」


 あんな噛む猫を自由に出入りさせようとするな、と思ったが言わないでおいた。


「ケンスケ様! 私、この猫用扉から女子脱衣所の方に光る何かが投げ入れられるのを見たんです。何か手がかりになるかもしれないので探してきますね」


 サラも見ていたのか。やはり気のせいではなさそうだ。


「おう。頼んだ。……女将さんも一緒に探して貰っていいですか?」


「……はい」


 サラと女主人は女子脱衣所に入っていった。

 俺が二人を待っていると、やがて騒ぎを聞きつけて、中年の美しい女性がやって来た。


「何かあったのですか?」

 

 彼女は哀れな中年男性の惨状を目の当たりにしても、大して動じた様子はなかった。

 俺は事情を説明して、彼女にも女子脱衣所で光る小さな物を探してもらう。

 しばらく一人で待っていると、


「――キャアアアア!」

 

 サラの叫び声だ。俺は一瞬躊躇したがすぐ女子脱衣所に踏み込んだ。


「サラ!」

 

 脱衣所の隅のロッカーには、最初部屋に入る時にすれ違った黒マントの男が入り込んでおり、女主人に詰め寄られていた。


「違う! 俺は覗きではない! 誤解だ!」


「嘘おっしゃい! この覗きめ!」


 女主人が戦士の頬をペチペチと叩いている。


「ケンスケ様! この人変態です!」


 サラが慌てて俺の傍に駆け寄ってきた。


「お前……サラに何をした?」


「何もしていない! 俺は温泉に初めて来たから、脱衣所が別々だなんて知らなかったんだ! そしたら……女性が……服を脱ぎだしたから、慌ててロッカーに逃げ込んだのだ!」


「……サラの裸も見たのか?」


「……見ていない」


 戦士は伏し目がちにそう言いつつも、顔を真っ赤にした。


 ――この野郎見やがったな!


 俺は第二の殺人事件を起こしそうになったが何とか堪えた。

 とりあえず、ガットを殺害した犯人を見つけるのが先決だ。

 でないとオチオチ寝られたもんじゃない。


 俺は何とかサラと女主人をなだめてその場を取り持ち、再び光る物を探してもらう。

 しかし、30分近く探しても何も見つからなかったので、一旦廊下に戻ることにした。


「……俺は殺してないぞ!」


 戦士の男はガットの死体を見て慌てた様子だった。

 俺は戦士にこれまでの経緯を説明すると、女主人に尋ねた。


「他に宿泊客はいますか?」


「ロッジの宿泊客は今いる方で全員です……」


 俺は一同を促してロビーに戻ってソファに座り、簡単な自己紹介をしてもらうことにした。

 まずのぞき魔の戦士が声を上げた。


「ミザキ……戦士だ。……俺は犯人じゃない」


 気の流れを感じてみたが、戦士としての実力はあまりなさそうだ。

 ――てかサラの方をチラチラ見てるし。やっぱりこの覗き野郎サラに惚れてやがる。


「この宿屋の主人をしております……。ポーラと申します」


 おばちゃんは座り込んだまま、寄ってきた髭の長いスージーちゃんを撫でている。


「テイジーです。魔術師をやっております。」


 浴衣を着た長い黒髪の、美しい中年女性が頭を下げた。落ち着いた上品な感じの人だ。

 俺とサラも続けて自己紹介した後、被害者の情報を聞いてみる。


 ポーラさんによると被害者のガットさんは、今日の客の中では唯一の常連で、半年以上泊まり続けているそうだ。

 ルームサービスを受け取らないのと、エロ親父なこと以外は変わった所はないという。

 俺も話した感じ誰かに恨みを買うタイプには思えなかった。


「犯人に心当たりがある方は?」


 しかし沈黙が流れるだけだった。


「……ではまず容疑者を絞りましょう。まず俺とサラと主人のポーラさんは、事件発生当時に一緒にいたのでアリバイがあります」


 サラとおばちゃんはほっと胸を撫でおろした。


「容疑者はミザキさん、テイジーさん、スージーちゃんに絞られることになります」


「――ちょっとあなた! スージーちゃんが人殺しなんてする訳ないでしょう!」


 おばちゃんは怒り心頭だ。


「さてはあんたが犯人でしょうが! 自己転移魔術なり開錠魔術でも使って部屋に入り込んでガットさんを殺したんでしょ!」


「無茶言わないでください。そんな魔術が使えるのはそれこそ伝説級の魔術師だけですよ?」


 サラは使えるらしいが話がこじれるので言わないでおく。


「じゃあ猫用ドアからあなたが入り込むなり、魔術を撃つなりしてガットさんを殺したんでしょ! 何てことかしら!」


「あのドアは小さすぎて人間が入れる広さじゃないですし、被害者には魔術を受けたような痕跡はありませんでした」


 おばちゃんは不満そうな面持ちで黙りこんだが、今度はミザキが小さな声で言ってきた。


「……魔術で花瓶を持ち上げて頭にぶつけるなり、小さくなって入り込むなりで殺したのではないか? 俺は戦士だから犯人ではないな……」


 これにはサラが答えてくれた。


「魔術では小さくなったり、物を持ち上げたりは出来ません。花瓶はベッドの奥にあるので、魔弾で花瓶を弾いてそれで殺害するというのも難しいでしょう」


「私もそう思います。魔術であの部屋に入り込むのは不可能です」


 魔術師のテイジーさんも同意してくれている。


 もう一度頭の中で状況を整理してみる。

 容疑者は戦士のミザキ、魔術師のテイジー、猫のスージーちゃん。


 被害者は中年男性のガット。死因は恐らく、凶器の花瓶で頭を殴られての頭部外傷。

 現場は人が入れない猫用ドアがある以外は密室で、普通の魔術で入ることはできない。

 あるいは見逃しているだけで、魔術で入り込む手段があるのかも知れない。


 怪しい出来事と言えば、俺達が駆け付けた時、ガットの部屋から女子脱衣所に、何か光る物が投げ入れられた事だ。

 しかし、その光る小さな何かは結局見つからなかった。


 ……沈黙が流れる。俺は顎を触りながら考え込んだ。


 ――その時、俺に電流のような閃きが走った。


 このトリックなら密室に入り込んで、ガットさんを殺害し、誰にも気付かれずに脱出することは可能だ。


「……謎は全て解けました!」


 俺は立ち上がり、犯人を真っすぐに指さす。


「犯人は……あなたです!」


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