10話 青い場所
「……ケンスケ様」
「うう……頭が痛い……」
もしまたサラに何かあっても、今度は魔術で守れるようになろうと張り切って練習し過ぎたせいで、俺は体調を崩してソファに寝込んでしまっていた。
有難くも申し訳ない事に、サラは何度も俺の額のタオルを取り換えて、甲斐甲斐しく看病してくれている。
――普通の病気なら魔術で治すこともできるのだが、魔力の使い過ぎは寝て治すしかないんだよなあ。
頑張って寝てとっとと治そう。
俺はおぼろげな意識の中で、この世界に転生する前のゴタゴタを悪夢のように思い出していた。
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俺が目を開けると、いきなりどぎつい原色の青が目に入った。
訳も分からないままに辺りを見渡していると、ふと人影に気付いた。
天使のような羽が生えた10歳くらいの少女が、俺と向かい合うように地平線まで続く白い地面の上に立っている。
――何だここは? 誰だこの子は?
不審がる俺をよそに、少女はだるそうに黄みを帯びたジト目でこちらを見つめていた。
「はい。死んだんで転生させるねー」
そして、そう言ってのけた。
――次の瞬間、俺は真っ暗な何もない空間にふわふわと浮いていた。
いくら何でも唐突にも程があるが、俺は詳しいんだ。……大体事情は呑み込めた。
粗方俺はあの時の事故で死んでしまい、あの女神の気まぐれか何かで転生のチャンスに恵まれたってことだろう。……悪くない展開だ。
どこぞの異世界転生物みたいに天才的な魔術師としてカッコよく無双して、かわいい女の子とフラグ立てまくって、ハーレム作って……最高の第二の人生が目に浮かぶようだ。
俺がニヤニヤしながら妄想に耽っていると、ふとおかしな事に気づいた。……息ができない。
正確に言うと、空間にある大気を吸うことはできるのだが、息を吸った時に肺に酸素が満たされる感覚がない。
どこか酸素がある場所に移動しようともがいてみても、暗闇にふわふわ浮くばかりで移動している感じはない。
「…………!!」
俺は過呼吸になりつつも必死で酸素を取り込もうとしたが、すぐに窒息死した。
そして目を開けた俺を、またあの青い場所で、あの憎らしいジト目が見つめていた。
「ごめーん。その世界酸素なかった」
ああ、息ができるって素晴らしい。
……俺は胸を広げて深く息を吸うと、思いっきり怒りを吐き出した。
「何してくれてんだお前! 死んだだろが! こっちは今日既に1回死んでんだぞ!」
「はいはい。ごめんなさい。面倒だけどなんかご要望があったら聞くよー」
俺は気を取り直して女神に細かく要望を伝えていった。まず大前提としてちゃんと酸素がある世界なこと。ちゃんと重力があり、気温も過ごしやすく、転生される場所も安全な場所であること。世界観は魔術がある中世ヨーロッパ風の世界で、俺は魔術の才能がすごくて、特に身を隠しながら魔術を放つのが天才的な事。
そんな感じで事細かに要望を出していると、女神は露骨に面倒臭そうな顔をしやがった。
「いいからとっとと行ってよー」
女神は手を掲げて眩い光を放ち、眩んだ俺は思わず目を閉じた。
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目を開けると、そこには見渡す限りの草原が広がっていた。
木の塀に囲われた赤レンガの村も見える。牧歌的な中世ファンタジーの世界だ。
俺はいつの間にか魔術師っぽい黒ローブを身に着け、右手に長い木の杖を持っていた。
――そうだよ! この感じでいいんだよ!
俺は買ってもらったゲームを初めてプレイする子供のようにワクワクしながら、村の中に入って行った。
(ようこそガギョボ村へ)
女の声が響いた。……変な名前の村だな。
俺はとりあえず挨拶でもしようと声の主をキョロキョロと探したが、どこにも見当たらない。
――どういうことだ?
てかさっき脳内に直接声が鳴り響いたような……。気のせいだよな?
「うぇっ! 何これ!?」
俺が地面に目を落とすと、そこにはむき出しになった脳みそがあった。
脳みそはイカのような白い足で立っており、これまたむき出しの5つの眼球が脳みその上に浮かんでこちらを向いていた。……キモい。
(どうかなさいました?)
また脳内に直接声がした。……どうやらこの脳みそが話しかけてきたようだ。
俺は恐怖で居ても立ってもいられなくなり、ガギョボ村を逃げるように去るしかなかった。
それから俺は自分と似た外見の生物がいないか世界中を旅して探したが、この世界にいる動物も人間もモンスターも、俺以外は悉く脳みそが剥き出しだった。
旅の途中に成り行きで脳みそがむき出しの魔王を倒し、莫大な得てモテモテになったりしたが、全然嬉しくなかった。
人は見た目じゃないとは言うが、流石に限度というものがある。耐えられなくなった俺は山奥にひっそり隠居し、そこで余生を過ごして老衰で死んだ。
「おつかれー」
目を開けると懐かしいジト目の女神がこちらを見ていた。
――久々に脳みそがむき出しじゃない生物に会ったな。
「……何で?」
「言われた通りにしたじゃん。お兄ちゃんの言う通りの世界見つけるの大変だったんだよー」
俺は沸々と怒りが沸いてくるのを感じた。
「おかしいだろ! どこの中世ファンタジーに脳みそ丸出しの人間がいるんだよ!」
「さっきの世界にいっぱいいたじゃん」
「……そりゃあいたけどさあ」
「お兄ちゃんってゲーム作ったこととかある?」
女神が妙なことを尋ねてきた。俺が首を振ると女神は諭すように続けた。
「ゲーム作るのってバグとの戦いみたいな所あってね。思った通りに作るのってとにかく大変なんだよー。それと似たような感じでお兄ちゃんに都合のいい世界を探してあげても、さっきみたいに色々バグが出ちゃうの」
確かに……。言われてみればそんなもんか。
俺は妙に納得してしまった。
「わかった。きつく当たって悪かったな。もう贅沢は言わないから、遠慮なく色々試してくれ。ただ、魔術師になるのは俺の長年の夢だったんだ。だから俺が魔術師の才能を持っている世界っていうのだけは絶対に譲れない。いいかな?」
女神は嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべた。
「はーい」
それからというもの、俺は数えきれない程のトンデモ世界を冒険して来た。
8本の腕に長い針を持った痩せこけた軍団と足の長い豚が常に追い回してくる世界。
キノコが生えた電柱を5つの部族が醜く奪い合う重力が反転した世界。
男しかいない上に体に千個以上ピアスを付けていないと人間扱いされない世界。
魔術を使えるのがバレたら三日三晩ステルス爆撃機に襲われ続ける極寒の世界。
見渡す限りの底なし沼に低脂肪乳みたいな液体が付いた剣が降り注ぐ世界。
巨大なカメムシと異様にまずいスイカと黒い川しかない腐臭に満ちた白夜の世界。
そんな地獄のような辛い冒険の日々も、目立たないがそれでも人々に尊敬されるような……裏方のまま世界を救ってしまえるような偉大な魔術師になる為と思って俺は必死で耐えてきた。
しかし……
「飽きたからこれが最後ね。ちなみに次死んだら転生できないから」
3連続で宇宙空間に飛ばされて即死し、流石に気が滅入っていた俺に女神がそう言った。
女神はいつものように俺に手を向けると光を放った。これまたいつものように目を閉じると、薄っすらと女神の声が聞こえてきた。
「面白いゲームだったよーお兄ちゃん。お礼に次は取って置きの世界に飛ばしてあげるね。せいぜい頑張ってねー」
――薄々勘付いてはいたが俺は遊ばれていたのか。……今までの苦労は一体。
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こうして俺はこの世界にやって来た。大きな溜息を吐きながらゆっくりまぶたを開く。
……そこは見渡す限りの美しい草原だった。
カミココの奴が何を仕込んでいるか分からないので油断は禁物だが、この世界は悪くなさそうだ。
――気を取り直して今度こそモテモテ魔術無双だ! 早速、アレやっとくか!
俺は手に持った杖を高く掲げ、魔術を放った。
「ファイア!」
自分の魔力や世界観の確認と景気付けを兼ねて、転生したらまず上空に魔術を放つのが俺の恒例行事になっていた。
しかし、いつものように燃え盛る爆炎が花火のように打ち上がることはなく、代わりに杖先から線香花火の火玉のような物がポロっと地面に落ちるだけだった。
俺は全てを悟った。魔術の才能だけは譲れないってあれだけ言ったのに……。
――あの女神、嫌がらせの天才か?
「……チクショオオオオオオ!!」
俺の叫び声が草原中に響き渡った。
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サラがソファの傍に立ってこちらを心配そうに見つめている。うっかりトラウマを思い出してしまったが頭痛は大分収まっていた。
「大丈夫ですかケンスケ様……」
「……ありがとう。おかげで大分良くなったよ」
あんな女神の嫌がらせに負けてられない。
サラと出会えたこの世界も、最近は好きになって来た。
もっともっと強くなって、誰もが羨むような伝説の魔術師になってやる!
俺は決意を新たに、窓の朝焼けを浴びながら大きく伸びをした。




