一件落着
昨夜はなかなか寝ることができなかったが、朝はいつもの時間に目が覚めてしまったので少し寝不足気味だ。
朝食は食欲が湧かなくて食べに行こうとは思わなかった。
外は今日も快晴で俺の心とは正反対だ。
今までも朝は寝て過ごしたり、図書館に行くなどして暇つぶしをしていたので、俺は特に暇だとは感じなかった。だが昼からの時間は別だった。
その時間は退屈で、どこか寂しく感じた。だからこそ俺は気づくことが出来た。いつの間にかエナといるのが俺の日常となっていたのだと。
少しでもエナのことを考えると、エナの笑顔が頭によぎり、最後には別れるときに見た、寂しそうな顔が頭に浮かんでくる。
シェリアさんと話をした後一人で考えて、少し落ち着くことができた。
現在の時刻は夕方より少し前くらいだ。
シェリアさんと話してから、俺がエナに抱いている感情が一体何かを考えても分からなかった。だが俺は、エナとどうなりたいのか。どのような関係で居たいのかを導き出すことは出来た。
シェリアさんのお陰で自分のするべきこと、したいことが心の中で固まった。
昨日、この部屋に閉じ籠ってどうしたいのかは自分でも考えていたが、それを行動に移すというあと一歩が踏み出せないでいた。
そんなときあの人は俺から話を聞き出して背中を押してくれた。
俺の心にポッカリと空いた穴は未だに空いたままだったが、それをどうするかは決まった。
あのときの行動によって失ったものを取り戻すため、失いそうなものを失わないために、エナに笑顔でいてもらうために、俺はもう一度エナに会いに行く。
俺は宿を出て街を出る。
何回も森に入って、エナの家に行っているので迷うことはない。
エナには申し訳ないが今だけは結界の破壊を許してほしい。
何回も行き来しているうちに結界の場所を大体把握できていたのはよかった。
森の中を走り続けていると、あっという間に家に着いてしまった。
「エナ! いるなら返事をしてくれ!」
俺はドアの前でエナを呼んだが反応は無い。
結界を壊したときにも反応が無かったし、もしかしたら今は家を留守にしているのかもしれない。
だが、絶対にエナはいると俺の勘がそう告げていた。
エナが本当に俺を拒絶しているかと思うと今にも気持ちが沈んでしまいそうだが、俺は決意したんだ。
エナと別れたくない。またエナの笑顔が見たいと。
俺はドアノブに手を掛け、ゆっくりと深呼吸をし、ゆっくりとドアを開ける。
俺は外から中を見るが、一階にエナの姿は無い。二階に居るのだろうか?
俺は家の中へと入って階段を上がる。
向かった場所は俺がよく寝かされていた部屋だ。
部屋のドアを開けると、そこには俺の会いたかった少女が。俺にとって大切な人が立っていた。
エナは何処か遠くを見ているかのように外を眺め、一人佇んでいる。
長い銀髪は風に揺られ、太陽の光によってキラキラと輝いていた。
その哀愁漂う姿は普段より大人びて見え、俺はその姿に見惚れてしまった。
「何故また来たのだ……。吾輩はお別れだと言ったであろう……?」
「来るなとは言われてない」
「……確かに言うてないのう」
エナは薄暗い空を見つめたままで俺の方には顔を向けてくれない。
こちらからはエナの顔は見えないが、困ったように微笑したのは分かった。
「なんでいきなり俺を突き放すようなことをしたんだ?」
「お主も見たであろう? 吾輩のあの目を」
「あぁ、綺麗な目だったな」
この言い方は恐らく今まで髪で隠していた、赤い右目のことを言っているのだろう。
もしかしてそんなに他人に見られたくなかったのだろうか?
「お主も……みなと同じことを言うのじゃな……」
同じこと? エナが言うみんなというのはエナの知り合いだろうか?
でもそれが目を隠していたことと何の繋がりがあるのだろうか?
「まぁ……実際綺麗だったし、そう言うだろうな」
もしかしたら言わなかったり、そうは思わない奴もいるかもしれないが。
「だがそれも最初だけじゃった。時が経つにつれて吾輩を見る目は変わっていった。みな一様に吾輩を『呪われた子』『悪魔の子』などと言い始めた」
そういうことか……。つまりはいじめだ。
一部の者が、人は弱い者や周りとは異なる者を悪だと決めつけ、いじめる人間は自分が正義だと言わんばかりに人を侮辱し、傷つける。
それが個人間なら言い始めた者が一方的に言っているだけになるが、それが組織内の人間なら話は別だ。
言い始めた者だけでなく、周りの者も『あいつは悪だ』『あいつはいじめていい奴だ』と思い込み、いずれ集団でのいじめになるのだ。
「でも俺はエナをそんな風には――」
「みなも最初はそう言ってくれた!」
そんな風には決して思わない。そう言葉を続けようとしたが、エナによって遮られた。
「吾輩はもう誰にも裏切られたくないのだ! 裏切られて傷つけられるくらいなら……吾輩から拒絶したほうがよっぽど楽じゃった!」
エナは声を荒げる。
頬には涙が流れており、体は小刻みに震えている。
俺はエナの言葉に何も言えず、沈黙の時間が続く。その間もエナの嗚咽は止まることはなかった。
「だからもう……吾輩のことは放っておいてくれぬか……」
エナは俺を拒絶しようとしている。いや、俺だけじゃなくて全ての人をだ。
その姿はまるで、昔の自分を見ているようだった。他人を理解しようとせず、他人に自分を理解してもらおうともしなかった。身も心も幼かった自分自身を。
ならば、一つだけ納得のいかないことがある。
俺とエナが初めて会ったあの夜、俺が生きるのを諦めかけていたところをエナが助けてくれたことだ。
「なら、なんであの夜俺を助けてくれたんだよ。なんで俺に優しくしてくれたんだよ……」
「……あのときのお主が昔の吾輩に重なったからだ。だが今はそんなことはどうでもよい。吾輩はこれ以上傷つきたくはないのだ」
エナの声は木々のざわめき吸い込まれるように、どんどん小さくなっていった。
エナの涙が頬を伝って床に落ちる度に大粒の涙が輝く。
傷つきたくないと言い、涙を流す彼女を見るも、その気持ちは分からない。
彼女はどうしたいのか想像したとしても、それは俺の妄想にしか過ぎないのだ。
だけど、このままでは駄目だと、ここで別れたら必ず俺は後悔するはずだと、根拠は無いのにそんな確信を持った。
今度は俺が彼女を救う番だ。俺がかつて他人に救われたように。
この広い世界にたった一人で、孤独に生きてきた彼女に。君は一人じゃない。堂々と生きていけばいいんだと。
俺の気持ちを素直に伝えるんだ。
例えエナがそれを拒絶しようとも、きっと俺は後悔しないだろう。
俺はゆっくりとエナに歩み寄る。
エナは涙を拭い、こちらに振り向いた。
目の周りは少々赤くなっており、頬は涙によって濡れている。
俺は悲しい涙を流しているエナを優しく、そっと包みこむように抱き締めた。
エナは身長差で俺の胸に顔を埋めるようになっている。
「一体何の真似だ」
「俺は……エナと離れたくない」
一体いつからだったかは覚えていない。だが、エナに言ったことで胸のわだかまりがすっと解けるような気がした。
「だから……お別れだなんて言わないでくれ…。いつもみたいに笑顔でいてくれよ…」
「吾輩が拒絶したのに……なぜお主は優しくするのだ……。吾輩はお主を信じてもよいのか……?」
エナは手で俺の服をギュッと力強く握り締める。その握り締めた手は小刻みに震えていた。
彼女の目には大粒の涙が溜まっており、今にも溢れ出しそうだ。
「あぁ、信じてくれ。それに、まだ魔術のことも全部教えてもらってないしな」
エナには見えていないだろうが、今の俺の顔は朱色に染まっていることだろう。自分で言った言葉が恥ずかしくて、その恥ずかしさを紛らわすためにそんなことを言ってしまった。
「……そうじゃの。吾輩もお主と一緒に居たい」
そのエナの言葉に、俺はつい口角が上がってしまった。今の顔はさぞかし気持ち悪いだろう。
エナに顔を見られなくて良かった。などと、この場に似つかわしくないことを思ってしまった。
他人と関わっている以上、その相手に感情を抱くのは不思議なことじゃない。
もちろん、相手に伝えるならそれなりの覚悟はいる。受け入れられるか、拒絶されるかの二択だからだ。
俺には周りに支えてくれる人がいたからこそ、"相手に伝える"という一歩を踏み出すことが出来た。
だがエナには居なかったはずだ。だからこそ、迷い、苦しみ、傷つき、結果として他人を遠ざけるという手段に至ったのだろう。
他人を遠ざければ自分が抱いている感情は行き場を失くす。
エナは涙を抑えきれなくさったのか、ダムが決壊したように大粒の涙を流す。
その時間は短くも長く感じて、涙が少し落ち着くと、全身から力が抜けたかのように俺の方へと体を傾け、背中から床に倒れた。
「お、おい。エナ?」
「すぅ……すぅ……」
寝たのか。
昨日、全然眠れなかったせいか俺も眠たくなってきた。
俺はその場で寝そうになったが、なんとか意識を保ち、エナをベッドへと運んで寝かせた。
目には大粒の涙が浮かんでいるが、顔は安心したかのように笑顔だった。
俺はその笑顔を愛おしく感じ、まさに自分が守りたかったのはこの笑顔だと感じた。
目の下に薄っすらとクマが出来てるな。
俺とエナは似ているのかもしれない。違うのは周りの環境だったのかもな。
近くにあった椅子をベッドの横へ置き、そこに座った。
しばらくエナの顔を見つめていると眠気に襲われてしまい、気がつけば眠ってしまっていた。




