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ある写真家の旅行記

作者: N(えぬ)

 彼の名は金山鉄男。写真を撮ることを職業にしている。業界ではそこそこ名の知れた人間だ。

 彼は一つの物だけで名を馳せるほどの写真は今のところない。なんの写真でも大概引き受ける、商業写真屋と言える位置で有名なのだ。

 彼は旅行も好きだった。旅行好きで写真の腕があると言えば、いまならいろいろ出来そうな時世だが、ところが彼はそう言う物には振り向かない。時流に乗って商売をするのは悪くないだろうが、彼曰く、

「旅行は好きだが、カメラを持って行くのはイヤだ」という。

「カメラを持っていると言うことは、写真を撮ると言うことだ。写真を撮ろうと思うと『どこかにいい被写体がないか探しながら旅行をすることになる』だから、そんな旅行はちっともおもしろくないし、楽しくない。いや、楽しめないと言うべきか」

 常に頭のどこかに「いい写真」を求める気持ちがチラついてしまうのがダメだというのだ。

 そんなわけで彼は、「仕事の旅行」「プライベートの旅行」とハッキリ分けて、プライベートではカメラを持って行かない。そう言う頑固さが、いいこともあるが、千載一遇の一瞬をのがしたことも幾度かあった。だがそれも、

「そこまでガツガツしないから、やっていけるのさ」と悪びれない。彼のポリシーなのだ。


 彼は「風景写真」と「街の中で生活する人々」を撮るときの腕に特に定評があった。けれどそれも、大きな賞を受けるところまで行ったことは無い。だから自分を「写真家」ではなく「写真屋」と少し卑下して呼ぶ。それでも、いつかそのうちにと思っていた。そしてそれがもう年月を重ねて、いつの間にか、

「こんな齢になったよ」と白い物が混じる頭を撫でる。おおよそ、それは多くの人の人生の成り行きに比して、かなり普通のものだろう。


 その彼にちょっとしたチャンスが巡ってきた。旧知の客が「スポンサーになるから好きなところを長期間、撮って歩いて本を出してみないか」といってくれたのだ。そう言う撮影旅行は年齢的にも、今後チャンスがあるかわからなかったので、彼はやってみることにした。ただ、「普通にやったのでは、おもしろくもなんともない」と考え、妙案をひねり出した。それがいいのかどうか、自分でもわからなかったが。



 彼は準備万端で約3ヶ月、いろいろなところを旅して歩いた。それは、とにかく自分がいままで行きたかったところばかりだった。南の奥地、北の絶壁、絶海の孤島。つまりそれは「ほぼ観光旅行」みたいな物だった。被写体の善し悪しなんてまるで考えなかったし、「あそこへ行って、アレが撮りたい」なんて物も一つも想定していなかった。


 彼は旅行から帰ってきて、さらに3ヶ月ほどしたとき、彼の今回の旅行で撮れた写真集の話を詰めに出版社を訪れた。

 彼の本の出版に関する担当者も長い間の知り合いだった。

「ずいぶん掛かったなぁ。どんな写真か早く拝ませておくれよ」男はそう言った。だが、金山が出して見せた写真は、それほど多くなかった。その上、

「これ、お前さんが撮ったの?うそだろ?なんだいこれ」出版社の男は呆れ声を上げた。写真はどれも、なんとなくピントがずれた感じで、しかも人の写真が大半で、その人というのが、数人のモデルになった人たちの中に必ず金山彼本人が写っているのだ。

「うん、この写真は、全部、地元の人とか観光客に撮ってもらったんだ。俺がモデルで」

「はぁ?それじゃあ、お前、『金山鉄男写真集』にならねえじゃん」

「うん。いいんだ。写真集じゃなくて旅行記にしてくれよ。たのむ」

「おい。ほんとに言ってるのか?」

「そのためにこの3ヶ月、旅行記を執筆してたんだ。だから時間が掛かったんだよ。それに写真は自分じゃ一枚も撮ってないから、きょう持ってきた、これしかないんだ」


 出版社の男は開いた口が塞がらないといった顔で、怒りさえしたが、金山が言うとおり、ほかに写真がないのならもはやどうにもならない。

 写真家が自分の仕事の集大成とも言える出版をするのに、その本には自ら撮影した写真が一枚も使われないなんてことが起きてしまったのだ。

「写真は撮らなかったけど、写真につける文章は一生懸命書いたんだぜ。それを読んでくれよ」


 出版社の男は不承不承、渡された原稿を読んだ。金山の文章は生き生きとして、実によく現地の雰囲気が現れていたし、現地の人の人となりもよく伝わってきた。なるほど、金山本人が「長い間、行きたいと思っていたところを歩き回った」という楽しさが活写されていた。それと、この「現地の人に頼んで撮ってもらった」という「記念写真」ばかりの写真。これに味があった。全然ピントが合っていないとか暗いとか明るいとか、端の人は切れてしまっているとか、失敗写真も多かった。いまどきならスマートフォンのカメラでも、そうそうこんなに失敗しないだろう。これだけは金山の仕掛けだった。

「むかしよく使われた、小型のフルオートのフィルムカメラを渡して撮ってもらったんだ」という。

「なるほど。それで、写真に「妙な味」があるってわけか」男は笑った。



 金山の本は、彼が提案したとおりの本になって出版された。「写真家の撮った写真が一枚もなく、その写真家自身が撮ってもらった自分の写真に、写真家が文章をつけた旅行記」、という変わったコンセプトがウケて、頼まないのに取り上げてくれるメディアもあり、そこそこ売れたうえに賞までもらった。


 彼は本の受賞パーティーを開き、その席でことばを求められ、

「出した本で賞をもらうのは初めてです。ほんとにうれしい……写真で取れなかった賞を文章でもらいました。これはね、きっと、なんかもらおうとか、ウケようとか、思わなかったからよかったんだと思います。ぼくは、きっと写真が下手だったんだね。それに気がつきました。ありがとう」

 そいうと、本を片手に両手を挙げた。出版社の男は「お前には負けたよ」と微笑んだ。そして金山鉄男は傍らにいた妻と抱擁した。




タイトル「ある写真家の旅行記」

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