最終話 ソフィア編
終わった。
極限まで保っていた気力が尽きて地面にへたり込んでいた。見上げた曇天の空からはキラキラとした光の粒がゆったりと漂うように落ちている。私はその様子をただ、ぼんやりと眺めていた。そうしているうちに視界がどんどん暗くなっていくと私は意識を手放してしまった。
ゆっくりと目を開くと真っ白いベッドの天蓋が見えて誰かが駆け寄って来る足音が聞こえる。
「母上が目を覚ました!」
ユリウスの声だった。ベッド脇にいた彼は涙をためて私を見ている。その隣にいたアルヴィスはものすごい勢いで部屋から駆け出していく。
そうしてすぐにベルカを連れて戻ってきた。二人は部屋に入ってくるやいなや私の元に駆け寄って来る。
「ソフィア様!!心配したんですよ!目が覚めてよかった。どこか痛い所はありませんか!?」
今にも泣きそうな彼女のそんな顔を見るのはもう何度目だろう。また心配をかけてしまった。
「えぇ…。大丈夫よ。…!痛っ!」
起き上がろうとした時、全身に痛みが走った。
「急に起きたらダメですよ!寝ていてください」
「大丈夫よ。きっと寝違えてしまったのね。私ったらそんなに寝相が悪かったのかしら…」
「違いますよ!貴方様は丸3日、目を覚まさなかったんですよ!しかも全身にいくつも痣がありました。その状態で急に体なんか動かしたら痛いのは当然ですよ」
「!?丸3日ですって!?そんな…」
驚愕の事実を聞かされて驚いていると今度はロディが駆け足で部屋に入ってきた。
「ソフィア様!」
余程急いできたのだろう。息を切らしている。それに加えて、いつもはしっかり着こんでいる執事の制服が今日は少し乱れている。その上、襟や袖から見えている包帯が痛々しい印象だ。
「私はもう大丈夫よ。それより貴方の方が心配だわ。その包帯…」
この時にはもう一部を除いては全てを思い出していた私はロディと一緒にあの鉄格子の牢で捕らえられていた時、彼が酷いケガを負っていた事を思い出した。私はあの時咄嗟に自分のスカートを破って彼のケガの止血をしたものの上手く出来ていたのか不安だった。
「私はもう大丈夫です。この包帯が少し大げさに見えるだけですよ」
問題ない事を証明しようと腕や足を大げさに動かしているがどこか動作がぎこちないのは気のせいだろうか。
「ロディ…。嘘はダメだよ。毎日ルルドさんが往診に来る度に無理をしていたことがバレておこられてるじゃないか!」
ユリウスがすかさず口を挟む。
あの事件の後、毎日欠かさずフローラの夫であるルルドが往診に来てくれているようだ。
「そうよ。今だって本当はまだ安静にしていないといけないでしょう。いつの間にしっかり着替えたのかしらねぇ」
ベルカはそう小言を口にするとロディを睨む。
「そっそれは…。ソフィア様が目を覚まされたと聞いて、いてもたってもいられなくて…」
急いで着替えたから服装が乱れていたのかと納得した。彼が小言を言われてシュンとなっている姿はとても珍しい光景だった。新たなロディの側面を見れて少し嬉しかった。
「今まで心配をかけました。色々な事が一気に起こったせいで疲れてしまったのね。でも、もう大丈夫。しっかり休めたから」
「これからすぐルルドさんが往診に来てくれます。それまで絶対に無理はだめですよ。あと…ロディも。あなた達二人はもう少し自分達の体も大事にしてくれないと困りますよ!」
「はい…」
ベルカの迫力に負けて私達は二人そろって小さく返事をした。
その後すぐにルルドが往診に来た。妻であるフローラを取り巻く状況がまだ不安定のままで気が気ではないだろうにこうして毎日往診に来てくれる。
「うん、この調子だともう完全に回復したね。でも、寝ていた間、まったく動かしていなかった筋肉を急に動かす事は体を痛める原因なんだ。だから十分に気を付けてくださいね。後はロディさんとアラン様か…」
いつものように朗らかに笑っていたルルドは、二人の名前をだしたとたん渋い顔をした。
アラン。あの時自分を盾にしてアルヴィスを止めようとしてくれたのだ。ベルカに彼の状態を聞いてもはぐらかされて詳しくは教えてくれなかった。
「ルルドさん…その…。あの人は今どんな状態なの?」
「あの人…?ああ、アラン様の事か…その…。命の危機はありませんよ!大丈夫」
「そう…」
なにか少し含みのある言い方が気になった。
「では、僕は今からアラン様の診療に行ってきます。
その後はロディさんだね。特にあの人は療養してほしいのによく動いてしまうからその分傷の治りが遅いんだよ。ほんとに困ったもんです…。もっと自分の体も大事にしてくれないと。
文字通りベッドに縛り付けてもらうようベルカさんにお願いしておいたほうがいいのかも。僕がいくら小言をいっても聞かないんだから。
ソフィアさんからもしっかり言い聞かせてもらえると助かります。あなたの言う事なら素直に聞くと思うので」
そういってルルドは私の部屋を後にして行った。その後すぐに私の両親と弟、アランの両親が訪ねてきた。
母は私を見ると泣き崩れ、父と弟のロイドがそんな母を宥めている。
アランの両親はただただ私と私の両親に深く頭を下げ続けていた。
体の調子は昨日より良くなっていた。ベッドから降りて身支度を整えた私は心地よい日差しにさそわれて窓を開けた。その瞬間心地よい風が部屋に入って来ると清々しい気分になった。
コンコン
突然ドアをノックする音が聞こえた。
「ソフィア。俺だよ。アランだ。入っても構わないか?」
「えぇ…大丈夫です」
思いがけない人の訪問でかなり驚いたが咄嗟に返事をする。
ゆっくりとドアノブを回り、アランが部屋に入ってきた。
「容態はどうだ?」
ぶっきら棒にそう私に尋ねる。相変わらず口数は少ない。
「ええ。大丈夫よ。もうすっかり回復したわ。貴方の方こそ大丈夫なの?」
「ああ。問題ない」
「そう。安心したわ。あの時はあの子を止めようとしてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったら今頃あの子も私もどうなっていたのか分からない」
「あぁ…。自分の子だからな。父親らしい事は今まで何もしてこなかったが…」
「…」
「その…」「あの…」
二人同時に声を出した。
「ごめんなさい。あなたからどうぞ」
「いや、君から話してくれ」
「…。じゃぁ。もうすぐ二人がこの家を発つ日が近いでしょう。それで私も二人を見送った後予定通りこの家を出ようと思っているのよ」
「……。そうか…」
「あなたの方は?」
「あぁ。その…。あの…」
アランが何か言いかけた時だった。
コンコンとドアがノックされた。
「ソフィアさん、ルルドです。往診に来ました」
「えっ、あっ。はい!」
そういってルルドが部屋に入って来るとアランを見つけて叫んだ。
「アラン様!?何をしているんですか!?あなたは今、普通に動ける体じゃないんですよ!?もっとご自分のケガの度合いを理解してください。さぁ、今すぐ部屋に戻りますよ!」
そういってルルドはアランの後ろから彼の脇の下に頭を入れて自分の肩に腕を回させるとアランの体を支えるように歩いていく。
「えっ!ちょっと待ってくれ!ソフィアとまだ話したいんだ」
アランは慌てている。
「ダメですよ。待ちません。諦めてまた今度にしてください。すぐに連れて行きます」
体が思うように動かせないアランはルルドに従う以外選択肢がなかったようだ。
ルルドに小言を言われながら連れて行かれるアランの背中を見送りながら、はたして彼は何をしに来たのだろうと思っていた。
さらにその翌日の事だった。
「ソフィア様、今、アラン様のお父上が来られています」
ベルカが私を呼びにきた。
「はい、すぐに行きます」
急いで客間に行くとアランの父が座っていた。
「ソフィアさん。体の方はもう大丈夫なのかい?」
「ええ。おかげさまで、もうすっかり良くなりました。以前よりも元気なくらいですよ」
「そうか、安心したよ。君にはここに嫁いできてもらってからずっと苦労をさせているな…。すまない。私の息子が不甲斐ないばかりに…。今回の事だってそうだ。アランが自分の部下にもっと注視していればこんな事にはならなかったんだ」
「あのマリアが絡んでいたのであれば避けられなかった事だったのかもしれません。彼女は昔から私を目の敵にしていましたから…。どんな手を使ってでも私を陥れようとしたと思います…」
「いや…だからこそマリアからしっかりとあなたを守るべきだったんだ。あらゆる可能性を考えると副団長のあの男はやはり危険だった」
「あの…。その男はあの後どうなったのでしょうか。それに私の拉致の件も公になってしまって…。ドリュバード家は今後どうなるんでしょうか」
「あなたが気に病む必要はない。もう手は打ってあるから。だから当初の約束通り子供達を見送った後はあなたの自由に生きなさい。この家の事は大丈夫だから。私が保証する。だから心配しないであなたはあなたの道を生きなさい」
そういって私が行方不明になってから今までのドリュバード家について話しだした。
副団長のあの男は、あの後すぐ全身血だらけの酷い状態で発見された。精神状態もまともではなかった。
『マリアを刺したんだ。この手で殺してやったんだ』そう何度も狂ったように叫んでいたという。真っ赤に染まった両手がその状況の異常性を表していた。
あの時近くにいたロレインの二人の近衛、ルルドとロディの4人からナイフを向けてマリアに襲い掛かろうとしていた男の姿を目撃したと証言があったがその直後にあの出来事が起こってしまい決定的な瞬間は目撃していないという。
それに加え、その後どんなに捜索してもマリアの遺体は見つからなかった。遺体が見つからない以上マリアを殺害したという罪には問えない。彼の供述は気が狂れたものの戯言として片付けられた。
しかし、モーリガン家やマリアと共謀して私とロディの拉致、監禁を犯した罪で気が狂れたままの状態で地下の独房に収容されている。今回の事でドリュバード家は相当なスキャンダルに見舞われ、騎士団も混乱し統制を保てなくなっていた。そこでアランの父は騎士団の立て直しを図るため動いた。
自身が現役に復帰し、騎士団の立て直しに奔走した。そもそもあの一件でアランは騎士としては致命傷になる後遺症が残ってしまった。再び騎士として剣を握る事が困難な体になったのだった。
あの時ベルカやルルドがアランの状態を渋っていたのはこのせいだろう。部下の管理不足を問われたこと、騎士として二度と剣を握る事が出来なくなった事、以前からの私に対する扱いの問題など様々な要因からアランを当主の座から外し、彼の父自身が当主に復帰、次期当主はアルヴィスを任命した。
アランにはここから少し遠くにある小さな領地の管理を任せる事にしたという。
その話合いから数日たった。離宮でロレイン主催の内輪だけのささやかなお茶会が開催された。
この日は彼女が側妃としての役目を終えた日だった。これからはアルフォンスの兄のエリオットと生きる道を選んだようだ。仲睦まじく幸せそうに笑う二人が離宮から出てくる様は絵にかいた様に美しかった。
「ソフィア様。ちょっとよろしいでしょうか?」
出会った頃の礼儀正しい生真面目な騎士を演じながらカインが私に話しかけて来る。
彼の正体を知っている私はその様子がなんとも本来の彼とかけ離れて見えておかしくて仕方なかった。
「ふふっ。なんでしょうか?カインさん?」
「なんだよ。揶揄うなよ。コハル。そんなに丁寧に話している俺がおかしいのか?まぁでもあの話し方は正直むず痒いな。キャラを崩壊させないように俺、今までよく頑張っていただろう?」
「まぁそうね…。見事に物腰が柔らかく穏やかな騎士さんを演じていたもんね」
「そうだよ。あの時はおまえを守るって決めてたからな。素の俺のままで話してたら察しが良いお前には俺の正体がすぐにバレてしまうと思ったから。ところでお前はこれからどうするんだ?」
「私はあの子達が屋敷を発つのを見送ったら、アランと正式に別れてあの屋敷を出るわ。あの子達が生まれた時すでに決めていたのよ。二人がそれぞれの道を歩き始めたら私はアランと別れて屋敷を出るって」
「そうか…。お前の好きなように生きればいい。お前はあの男にもあの屋敷にもしばられてはいけない。今までずっと辛い思いをしてきたんだから。今までよく頑張った」
「あなたは? ロレインが離宮からいなくなったら王宮騎士に戻るの?」
「いや違うよ。俺、ここを辞めるんだ」
「えっ!?どうして?」
「聞いて驚くなよ?ドリュバード騎士団の副団長をやる事になったんだ。どうだ。驚いたか?」
「はぁ!? どうしてそうなったのよ。そもそもそんな話聞いてないわよ」
「ああ。だって、さっき返事をしたからな」
「今はとても過酷な状態よ?わざわざ茨の道を歩まなくてもいいのに…。これからきっとすごく大変よ?」
「あぁ知っているさ。これからあそこの若い騎士達を徹底的に一から叩き直してやる。指導も請け負っているからな。今から楽しみでしかたない。まぁ見てろよ。しっかり建て直してやるから。
それに俺、こう見えても人よりかなり人生経験長いんだよ。お前が死んでから結局98歳まで生きてたんだぞ?98歳+今の年だからな。それに100歳を余裕で超える人生経験を積んでるからな。どうってことないさ」
「98歳まで生きたの!?随分しぶとく生きたのねぇ」
「おまえなぁ…。そこは長生きしたのね!とか言えよ…」
「しかも今まで生きてきた記憶がどれも鮮明なんだよ。お前と生きていた時間もついこの間の事のように覚えてるよ。お前が死んだ時の事も。
俺、しばらくの間すげーさびしかった。でもお前があの子を残してくれたおかげで、その先の人生楽しかったよ。あいつ、いい嫁さん貰ってさ。子供も沢山いたんだ。孫達の成長が楽しみで仕方なかったよ。その子達がまた子を儲けて賑やかな一家だったぞ?俺達のひ孫になる子だって抱いたよ。お前にもみせてやりたかったな。ちょうど今のアルヴィスと同じ年の子だったよ」
「そう…あの子が…私も見てみたかったな」
「でさ、俺こう見えて精神年齢は結構なジジィなわけ。そんなジジィになった俺の一番の楽しみって子供の成長だったんだよ。だからさ、決めたんだ。あの子の成長を見守ろうって。お前との子ではないけど、どこかで本当の子みたいに思ってた。あの子があの屋敷に戻ってくるまでに騎士団をしっかり立て直してやろうって。だから決めたんだ」
確かにアルヴィスはカインを慕い懐いていた。カイン自身もそんなアルヴィスを受け入れているように見えていた。
「ありがとう…。どうかあの子をよろしくお願いします」
「でも…。もしお前が辛かったらいつでも俺の元に帰ってこい。今更所帯をもつつもりもないし。別にお前の事を待っているわけではないぞ?むしろお前が違う道を見つけて幸せになる事を願っているよ。でも…あれ?お前がもしも俺の元に帰ってきた場合はとんでもなく複雑な間柄になるな…どうなるんだ?まぁ仮にそんな事になったらその時また考えるか!」
「そういうところ、相変わらずねぇ」
私は苦笑いをしながらそんな彼を見つめていた。
私もあと少しであの屋敷を出ていく。一人で生きて行こうとずっと前から決めていた。男装をしてフローラを探していた時に知り合った友人は沢山いた。その時にいくつか、誘われて興味をもった仕事もあった。その友人達を訪ねてみようと思っている。
アルヴィスとユリウスが屋敷を発っていった。二人とも驚くほどしっかりした足取りだった。この日から二人はそれぞれの道を歩みだす事になる。
翌日、私もここを出て行く。今まで過ごしてきた屋敷を振り返ると様々な思い出が蘇る。感慨深いものだ。
屋敷に背を向けて歩き出そうとした時、後ろから声がした。
「ソフィア!!」
振りかえるとアランが立っていた。
「アラン…」
「ソフィア! どうか…どうか俺の話を聞いてほしい」
必死でそう私に呼びかけてくる。
「ええ。話を聞くわ」
「今まで本当に悪かった。君には謝っても許されない事を沢山してきた…。許されないって分かってる。だって俺は君を何度もひどく傷つけて何度も死に近づけてしまったから…。それでも…ゼロから…いや違う、マイナスからだ。君とまた生きていきたい。俺を受け入れてくれるまで何年かかろうとずっと待っている。俺の一生をかけて償うから…。だから行かないでくれ!」
アランは私に必死にそう呼びかけていた。
私はアランの傍まで歩いていく。
アランはそんな私を強張った顔で黙って見ていた。
この時、私が忘れていたものがなんだったのかはっきり分かった。
「あなたが私に一生をかけて償うという罪が私には分からない…。私はあなたがおかした罪を、あなたが言う、私が許すべき罪の記憶がないのよ」
「どういう事だ?」
「私の中にあなたの記憶だけがないの」
「……。そんな…。俺との記憶がない…?どうして…」
「拉致されてマリアと対峙したとき薬を飲まされたの。全ての記憶が消えてしまう薬を。だから拉致されてしばらくは自分が誰かもわからなかったし、マリアの言う事を私は純粋に全て信じていたのよ。そうしてあの化け物が上空に現れて私は再び記憶を取り戻した。でも何かがすっぽりと抜けたままだった。それが何か今までよく分からなかった。でも今分かった。それがあなたとの記憶だって事」
「あなたと出会って惹かれ合った幸せの記憶。そしてあなたに裏切られ傷つけられた苦しくて悲しい記憶。その両方が綺麗にないのよ。それでもあの子達を産んだ時の喜びや私を支えてくれた人たちの記憶は鮮明にあるの。あなたの記憶だけがない。だからあなたを本当の意味で許す事ができない。
こんな私が、はい、あなたを許しますよって簡単に言ったところで、あなたの心は本当に救われるのかしら。何も覚えていない私がこれからあなたに向かって微笑む度にあなたは罪悪感で苦しむんじゃないかしら」
「そっそんな事はない!」
「苦しみしか生まない関係にどんな意味があるの?こんな私とこれからも一緒に生きていく意味はあるの?」
「それでもいいんだ!君がいればそれで…!」
「アラン。あなたと私の絆はとうに切れてしまったのよ。だから、ここでもう終わりにしましょう」
「そんな…」
アランは茫然とその場に崩れ落ち項垂れていた。
彼に言った事は半分嘘で半分本当の事だった。いつだったか、嘘に本当の事を混ぜると信憑性が増すと聞いた事がある。
「じゃあね。アラン。元気で!」
アランの姿を背にして私は再び歩きだした。
アランは茫然とその場に崩れ落ちて泣いていた。
その様子を遠くから見ていたロディが駆け寄る。
「アラン様…しっかりしてください。あなたは今、本当の意味で罰を受けているのかもしれない…。大切な人の記憶から自分が忘れ去られてしまう事ほど辛い事はないのですから…。
それと…。私、たった今、自分のやるべき事をはっきりと見つけました。あなたが自分の行く道を歩むその時まで私はあなたと共にいます。でも…その後は…どうか私のわがままを許してください」
あれから10年たった。
ここでの一人暮らしにも随分慣れた。あの一件で上手く剣を握る事が出来なくなった俺は騎士を引退した。かわりに父が現役を復帰して当主を務める事になった。同時に、愚かな俺が今までしてきた責任を取るためこの領地に移される事になった。
母はルルドの治療を受け始めてから劇的に病状が回復した。父と二人、元気に仲睦まじく過ごしている。二人の息子達はそれぞれの道を順調に歩んでいる。発った時以来会っていないが立派に成長していることだろう。
ロディは俺がここでの生活の基盤を築くとここから静かに去っていった。
ソフィアが屋敷を出て行ったあの日から俺の中には今もぽっかり穴があいたような感覚が消えない。今でも彼女がどうしているのか考えてしまう。ソフィアにした罪をこの場所で一生背負っていくつもりだ。彼女の心をズタズタに引き裂いたのだから。俺が犯した罪は決して消えない。
長時間の書類仕事で疲れた目を休ませる為、窓の外に視線を移す。午後の陽ざしが眩しくて目を細めた。ふと遠くに誰かが立っている事に気が付く。どうやらこちらに歩いてくるようだ。こんな田舎にしかも俺に会いにくるような奴はいない。
その人物が誰なのかすぐに分かった。俺は時が止まったかのように驚いた。まさかそんな…。
「父上、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「アルヴィス!」
「あぁ…。大きくなったな…。立派になったな…。こんな所に一体…どうしたんだ?」
「あなたに会いに来ました」
「俺に?」
「ええ。二年前、兵士団での訓練を終えて屋敷に戻りました。今は次期当主として学んでいます。領地経営も立派な仕事ですから、あなたにその教えを請いにきました」
「俺に…か?」
「ええ。そうです」
「俺なんかに関わってはいけない」
「父上、僕はずっと貴方が憎かった…。でも…。あの事件の事をカインに聞きました。あなたが剣を握れなくなった原因は体を乗っ取られた僕を止めようとしたから。その時に負った怪我が原因だと…それに、あなたがいなかったら僕も母上も危なかった事も。それを聞いて最初はとても複雑でした。でも長い時間をかけて考えが変わっていったんです」
「俺にはそんな資格はない……!」
「僕は今まであなたの事を許せないで長い間苦しんできました。何度も何度も考えた。それでも最後に出た答えがこれだったんです」
その言葉に俺はグシャグシャになって泣いていた。
「アルヴィス…。長い間すまなかった…。俺は…俺は…」
「ここからはじめましょう?」
情けない姿をさらしている俺にアルヴィスは少し困ったように笑っている。
その日からアルヴィスとの2人の生活が始まった。アルヴィスも俺もあまり話をするほうではないのでとても静かな生活だった。そんなある時、今度はユリウスが訪ねてきた。兄と違い弟のユリウスはよく話す性格だ。次第にアルヴィスとの会話も増えていった。期間限定の生活だったが穏やかな日々だった。
ある時領地内にある町に3人で視察に行ったときの事だった。
先に一人で道を歩いていると坂の上から一人の女の子が転がっている林檎を追いかけてこちらに走って来る。
「待ってよ~林檎! 止まってよ!」
俺の足元にぶつかって止まったその林檎を拾い上げると女の子が駆け寄って来た。
「はい、これ。今度は落とすんじゃないぞ」
そういって林檎を渡しながら見た女の子は、出会った頃の幼かったソフィアにそっくりな顔をしていた。
「!?ソフィア…?」
「おじさん、私のお母さん知っているの?」
「えっ?お母さん?」
「そう、あの坂の上にいる人だよ」
そう言って指をさす。
女の子のさした方角にはアッシュグレーの長い髪の綺麗な女性がたたずんでいた。
「ソフィア…?」
「母さんが心配するから、もういくね。林檎、拾ってくれてありがとう」
そういうとクルリと踵を返して元きた道を戻っていく。やがてその子は母の元にたどり着くと、こちらに振り返り笑顔で大きく手を振っていた。
その子の母親はゆっくりと頭を下げ、女の子と手を繋いで歩き出す。ふとその隣にもう一人父親らしい人物がいる。この世界では珍しい黒髪の男だった。よく知った顔だった。女の子を真ん中にして手を繋いで歩いていく姿は幸せそうな家族そのものだった。
「父上…。いつになるか分からないけど、そのうちあなたの孫を抱かせてあげるからさ。そんな寂しそうな顔しないでよ」
いつの間にか後ろにいたユリウスがそう言うとアルヴィスもうなずいて俺を見ながら笑っていた。 不甲斐ない俺はまた涙を流していた。
完
ここまで私の物語にお付き合いいただき本当にありがとうございました。
賛否があるとは思いますが無事に完結させる事が出来た事は、ここまで私にお付き合いいただいた皆様のおかげだと思っています。
感想をいただいた方、誤字脱字の指摘をしていただいた方、本当にありがとうございました。
感想の方もとんでもなく遅くなりましたが徐々にお返事を書いていこうと思っております。
執筆中いつも私の相談や悩み聞いてくれた友人のSちゃん、こんな私の面倒な話につきあってくれたり、アドバイスをくれたり今まで本当にありがとう。良い友を持って私はとても幸せです。
次作、新連載も近々投稿予定です。
次作はアルファポリスとこちらのサイトの両方で始めてみようと思っております。
その時はどうぞまたよろしくお願いします。