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ダリスからモーリガン家の帳簿を入手してすぐ、中身の調査を行っていた。昼夜関係なく続いた作業が今朝、やっと終わった。いくつも出てきた余罪を目の当たりにして、これほど多くの罪を犯していた人間を今まで捕らえられないでいた自分の無能さにほとほと嫌気がさす。
マリアにいたってもそうだ。モーリガン家を使って邪魔な人間を娼館や他国に送っていたのだ。
ダリスがこれまで持ち出してくれた資料の内容と帳簿の記載が一致して今まで疑惑の域を超えなった事柄がすべて明るみに出たのだ。
その上マリアは、ソフィア失踪にも加担していた事が分かった。ドリュバード騎士団の副団長と繋がっていて共謀していた。ノアの報告でそれらが全て分かったのだ。ソフィアの居場所については監禁場所を何度も変えていたようで一向に行方が分からなかった。今はモーリガン家の屋敷に囚われているようだ。
カインが昨日拉致してきた兵士の供述で判明した。
全てはマリアを放置してしまった自分の落ち度だった。
再びソフィアを危険な目に合わせてしまった。もっと違う手段を取っていたらこんな事にはなっていなかったのだろう。自分に対して激しい嫌悪を覚える。
「ロレイン様。準備が整いました。さあ、行きましょう」
従者が呼びにきたが、自責の念は払拭できないままだった。意思を失った人形のようにふらふらとした足取りで部屋を出て行く。
これから自分が行う事はただの犯罪者を捕らえる訳ではない。侯爵家の一つを潰しにいくのだ。ここから芋づる式にモーリガン家に関わった全ての貴族、商人、孤児院を統治している聖職者など、多岐にわたる不正や犯罪が明るみに出るだろう。そのうえ聖女であり王太子妃であるマリアもそれらに関わっていたとなれば、どこまで、どれほど影響するのか予測がつかない。精霊も消えたままだ。王も未だに正気ではない。これからこの国はどうなるのかその先を想像する事が出来ないでいた。沈んだ気持ちのまま外へと続く重い扉を開ける。
開け放たれた扉の向こうには王宮騎士達がズラリと並んでいた。カインが一歩前に出ると跪いて頭を深く下げた。その後ろに控えている騎士達も一斉にカインと同じ仕草をする。
いつの間にか私の隣に立っていた従者が静かに口を開いた。
「ロレイン様、あなたは今まで最大限尽力してこられました。あなたが今、何を考えているのか長年そばで仕えていた私は痛いほどわかります。あなたのせいではない。ご自身をこれ以上責めないでください。彼らが決して言い逃れは出来ない証拠はすでに揃いました。あなたが今やるべきことを理解して決意が出来たなら私達はあなたにどこまでもついて行きます」
いつもは恨めしいほど厳しい従者だがその言葉に先ほどまでの不安な気持ちが薄れていく。今、目の前には自分を信じて付いてきてくれる者たちがいる。あの帳簿だって決死の覚悟で手に入れて私に託したのだ。
私が気弱になっていて彼らにどう示しが付くのだろう。
先の事は分からない。でも今やる事を全力でやろう。そう思えた。
何より大切な友人を一刻も早く奪還しなくてはいけない。捕虜の兵士の話では元々フローラが嫁ぐはずだった隣国の貴族の男にソフィアを売り飛ばす算段のようだ。
あの輩達がもしソフィアに何かしていたら今持っている全ての権限を使って最大の制裁を加えてやる。さっきまでの弱気な自分はもういない。全力で叩き潰してやる。握っていた拳に力がはいった。
「ええ。そうね。行きましょう」
ノアの報告ではマリアは今、あの屋敷にいる。
マリアと接触してすぐに彼女からの信頼を完全に勝ち取ったノアはそれ以降、彼女の行動を逐一報告してくれた。そのおかげでマリアの行動は手に取るように分かっている。
彼女の次の行動はこの国から姿を消し、ノアと共に隣国へ逃亡することだ。もちろんノアにはそんなつもりは微塵もなくマリアに話を合わせている。
マリアはノアが私の間者だという事に全く気が付いていないようだ。それだけではなく、完全に信用して相当入れ込んでいるようだ。
当初、マリアが彼に魅了の力を使うのではと恐れていたがその心配は無用だった。
女性に安心感を与えてすぐに心を虜にしてしまう。そんな彼の能力は異常なほど高い。今までどんな生き方をしていたのか疑問だがあまり考えない事にした。
「ロレイン様!」
聞きなれた幼い声が聞こえた。
「母上が見つかったと聞きました。僕達もつれていってください」
一緒にやってきたロイドの元からこちらに駆け寄ってくる双子の姿があった。
「姉上が見つかったと二人に話したらどうしても一緒に行くってきかなくて…」
少し困った表情でロイドはロレインに話しかけてきた。
「でも…。まだ幼い貴方たちが見ていい現場ではないのよ」
まだ幼い双子にこれからどんな事をしに行くのか、どう説明したらいいのか戸惑っていた。
「僕は将来この国を背負って立つ立派な騎士になりたい。どんな場面でもしっかり受け止める覚悟は出来ています」
アルヴィスが何かを決意したように真っすぐにロレインを見ていた。
「僕は将来アルヴィスを支えていくんだ。だから僕も一緒に行く」
兄の横でユリウスも揺るがない意思を示すようにそうはっきりと宣言した。
そんな双子を見てロレインは二人を連れて行く決断を下した。
「分かったわ。覚悟があるのなら来なさい」
「はい!」
双子の兄弟は息の合った返事を返した。
二人を連れて馬車に乗り込む。モーリガン家に到着すると門番が通すのを躊躇していたが構わず門を開けて敷地内に突入した。すかさず屋敷の衛兵が集まってきて警戒態勢に入った。いよいよだと自分に気合をいれる。堂々とした態度で馬車から降りて屋敷の扉の前に立った。
「さぁ、始めるわよ!」
その言葉を合図に、後方に控えていた騎士達が一世に動き出した。
「っ! 痛い!離して!」
屋敷の一室に連れ戻されたソフィアは後ろ手に縛られている。男はソフィアを乱暴にうつ伏せに倒した後、彼女の腕や背中を何度も足で踏みつけている。
「明日と言わず今すぐにでも隣国に戻った方がよさそうだな。逃げられると思うなよ。お前はすぐに俺のものになるんだから。俺の屋敷についたら覚悟しておけ。生意気な口がきけない様に調教してやるからな。それに、もう馬鹿な真似ができないようにこれからずっと拘束具で縛り付けてやる」
そう暴言を吐きながら一つに束ねているソフィアの髪を乱暴に引っ張り上げる。
「あら。ソフィア。いい気味ね。とても爽快な眺めだわ」
桜色の髪の女が部屋に入ってきた。床で踏みつけられているソフィアを見て嘲笑っている。
「マリア! これはどういう事? それにソフィアって誰よ。私はオリヴィアではないの?」
「今からその男に連れて行かれるんだもの。猿芝居はもういいわ。あなた、本当はソフィアっていう名前なのよ。覚えてないの? まぁ私があんたの記憶を消したんだけど」
「なんですって!?どういうことよ!」
「昔からあんたが気に食わなかったのよ。私が入学した時にはもう、当て馬のくせに攻略対象者のアランをすでに攻略していたから。シナリオ通り、一生叶わない恋でウジウジ悩んでいればよかったのよ。でも、アランを奪ってやった時は最高に気分がよかったわ。私を愛したままのアランと結婚した後、あんたがどれほど惨めな結婚生活を送っていたのか、想像すると気分が良くてぞくぞくしたもんだわ。
当て馬のあんたにはお似合いの結末だったのよ。
でも、愛されてもいないのに子供まで産まされて惨めな生活をおくっているはずのあんたがまた幸せそうに笑っているのがどうしても気に食わなかった。
ロディもカインもカルロスもどうしてあんたなんかに好意をもつのよ!私は攻略できなかったのに!当て馬に負けるなんて、そんな事、絶対に許せない。
主人公の私が一番幸せでなくてはいけないはずなのに!
でも…。もういいわ。これからのあんたの人生を考えたら私は比べられないほど幸せになるんだから。やっと運命の人に出会ったの。彼は最高なのよ。これからこんな国を出て彼と幸せになるんだから。あなたはその男の奴隷兼、玩具になるといいわ」
マリアはそういい終わるとソフィアの頭を踏みつけてきた。
「まぁ。そういう事だよ。ソフィア。これから私と仲良くしよう?」
男は歪んだ笑顔をソフィアに向けて狂ったように笑っている。
「嫌よ!離して!あなた達になんか絶対に屈しない」
「まだ分からないのか。愚かな女だな。その生意気な態度がいつまで続くか見ものだよ」
男の固い靴底が更に彼女の背中にグリグリと食い込んでくる。
マリアの思想はとても理解できない。そんな下らない理由で以前の自分は彼女に囮められたのか。悔しくて涙が出て来る。
その時だった。別の場所で勢い良く扉が開く音が聞こえた。それからすぐ沢山の足音が聞えてくる。大勢の人間が屋敷の中に突入しているようだった。
「おい!何が起こっている。外が騒がしいぞ」
ソフィアを踏みつけている中年の男が焦りながら怒鳴る。
「そうよ、どうなっているのよ!あれは王宮騎士じゃない。しかもかなりの数が来ているわ。一体どういう事!?」
慌てて窓から外の様子を確認したマリアは真っ青な顔をしている。
部屋のドアが突然開くと屋敷の女主人が現れた。
「一体どうなっているんだ!?」
男が怒鳴りつける。
「ご心配なさらずに。さぁ、地下にある隠し通路から外に逃げましょう。こちらです」
「遠慮するわ。私は逃げる必要はないの。私は王太子妃よ? 配下にある王宮騎士は逆に私を保護してくれるもの」
「…。数日前、隠していた裏帳簿が数冊無くなりました。今の状況はおそらくその帳簿のせいだと推測されます。そしてマリア様。あなたも裏取引に関与している証拠が、消えた帳簿の中にあった…。だからあなたも特別ではないのです」
「なんですって!? それじゃあ、私も囚われるの?」
「はい。そのようです」
「そんなっ! でも、もういいわ。この国に見切りをつけるところだったのよ。明日、最愛の人と隣国へ渡るの。だからそれまで捕まるわけにはいかない。早くここから逃げましょう」
「さぁ、立て。行くぞ」
中年の男は後ろ手で縛られているソフィアを乱暴に起こすと無理やり縄で引っ張っていく。
助けを呼ぶため叫ぼうとしたソフィアにすかさず気付いて、男はすぐに猿ぐつわを付けた。
「隠し通路は屋敷の外の森につながっている。外に出たらまず街に向かいます。そこからすぐに港街に移動して船に乗って隣国まで逃げる予定よ。さぁ行きましょう」
女主人はいたって冷静を装っているがその顔は真っ青だった。
「ねぇ!みんな、あそこを見て!向こうに見えるあの大きな屋敷。ぞろぞろと立派な制服を着た騎士達が入っていくよ。なにかあったのかなぁ…」
馬に乗せられているアンリは興奮気味に話している。アンリの前にはアリスもいて興味深げにその様子を見ている。
「あれは王宮騎士だよ。これから仕事をしに行くんだよ」
二人が乗っている馬を引きながらダリスがそう説明した。
ルルドの治療でダリスの足は完全に回復していた。
「ついに突入が始まったのですね」
固い表情のロディが呟く。
「ああ。そのようだな」
少し後ろにいるノアが珍しく真面目な口調でロディにそう答えた。
「ルルドさん、ロディさん、ちょっと寄り道してもいいですか?ちょっと確認したい事があって」
ダリスは馬を挟んで逆側にいるルルドとロディに話しかけた。
「奇遇だな。俺も同じことを考えていた」
ノアがそういうとダリスは少し後ろにいる彼に振り返って頷いた。
「はい、私に異論はないです」
柔らかい口調でロディがそう答える。
「もちろん」
ルルドがダリスに笑顔で答える。
屋敷から少し離れた場所にある大きな木の下まで行くと、ダリスは生い茂った草木をかき分け始めた。しばらくその作業をくりかえすと、そのうち扉らしきものが見えてきた。
「この扉は?」
ルルドがダリスに尋ねる。
「これは秘密の抜け道の扉。ひょっとしたらここから誰か出て来るかもと思って」
「誰かって?」
ルルドの隣にいたアンリが不思議そうに聞いてきた。
「さぁ、誰だろうね。待っていたら分かるよ」
アンリに向かってニコリと笑ってダリスがそう答える。
しばらくの間そこにいる全員はその扉に注目していると、そのうち扉の向こうから微かに声が聞こえてきた。
『おい!まだつかないのか!』
『もう少しです』
『もうくたくたよ!』
「お兄ちゃんすごいね!本当に誰か来るみたいだよ」
アンリは驚きながらキラキラした顔をダリスに向けている。
「アンリ、ダリスはすごいんだよ。俺の自慢なんだよ」
軽い口調でノアがそう言う。
「ちょっと…!何のんきな事言ってるんだよ。ほんとに誰か来る。それに最後のあの声、マリアなんじゃ…」
今まで黙って様子を見ていたロディは一気に怒りの表情に変わった。
「あぁ、あの声はマリアだな。あの女、この状態をどう説明するんだろうな。みものだな」
そういってノアがクスリと笑った。
『早く外に出たいわ。暗くて暑くてもう嫌よ。私が先に出るわ』
扉を囲むように立っている彼らの視線はその扉一点に注視している。
そんな状況の中、扉がゆっくりと開くとマリアが姿を現した。