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ダリスの話11


「いいから行け! 俺にかまうな!」


 俺の後ろには馬に乗った銀髪の兄妹がいて、今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。

 目の前にいる殺気立った男は、今まさに切りかかろうとしていた。









 昨晩俺はついに目的を果たした。潜入していた屋敷の裏帳簿を持ち出す事に成功したのだ。

 盗み出してすぐその屋敷を出ると、そこから離宮に向かって夢中で走り続けた。離宮にたどり着いて無事にそれをロレイン様に渡した瞬間、自分の中でやっとひとつ、けりが付いた気がした。


 これであの屋敷は終わりだ。長年の悪事が暴かれる時がついにきたのだから。これでフローラもあの屋敷の呪縛から解放されるのだろう。そう思えた瞬間、張りつめていたものが消え、一気に安心してしまったのか急激な眠気に襲われた。俺はそのまま意識を手放してしまった。


 ぼんやりした意識の中、目を開けると、ロレイン様が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

一瞬にして我に返ると慌てて起き上がった。あれからどうしたのかまったく覚えていない。すでに朝のようだ。俺が寝ているベッドはシンプルな作りだが細かな装飾が施されていて高価なものだと一目で分かる。柔らかなマットには肌触りのよいシーツが使われていた。


「あの…。この部屋は…」


「ここは執務室のすぐ隣にある私の仮眠室よ。あなたが私の執務室で倒れたとき、すぐ近くでベッドのある部屋がここだったから運んだのよ」


 その言葉に飛び上がるほど驚く。俺は恐る恐る言葉を続ける。


「俺が今寝ているベッドは…。その…。ロレイン様のベッドなんですか!?」


「ええ。そうよ。一番近い部屋だったし。何か問題があるの?」


 大したことではないというようにそう答えたロレイン様は俺が慌てている様子を不思議そうに見ていた。


『ノアにバレたら殺される…』


 彼には黙っておこうと固く誓った。


「目が覚めて安心したわ。急に倒れて死んだようにピクリとも動かないんですもの。とても心配したのよ。王宮にいる治療師に急いで診せたら過労だって言われたわ…。それにかなりの睡眠不足だったようね。その状態でよく体がもったものだと治療師も驚いていたわよ」


 そう言われてから初めてここ最近、まともに寝ていなかったことを思い出した。そのため、目的を果たした途端に気の緩みで倒れてしまったのだろう。


「私はあなたがそんなになるまで無理をさせていたのね…。気が付いてあげられなくてごめんなさい…」


 彼女は消え入りそうな声でそういうと、悲痛な表情をしながら自身の顔を伏せてしまった。


「何を言っているんですか! 俺自身の責任です。ロレイン様が責任を感じる事は微塵もありません。それにあなただってずっと無理をしているじゃないですか。俺の心配なんてしなくていいんです。俺は今すぐにでもあなたに休んでほしいんです」


「心配してくれるのね。ありがとう。全部綺麗に方が付いたら、しばらくお休みをもらう事にするわね」


 そういって彼女は俺に柔らかい笑顔を向ける。この人はそうやっていつも自分を犠牲にしてしまうんだから…。


 ロレイン様の立場上、簡単に休めない事は分かっていた。一介の兵士でしかない俺がどうにかできる問題ではない。彼女を助けてあげられない事が歯がゆくて仕方なかった。

 彼女が一日でも早く休めるように彼女の手足となって動く以外俺に出来る事はないのだろう。


「昨日渡してくれた帳簿の件だけど、あの後すぐアルフォンスと王妃様に報告して、すぐに中身の調査に取り掛かったわ。もう最悪な内容よ…あの数冊でも余罪がいくつも見つかったわ。大至急調査を進めているの。次の被害が出る前に必ず方を付けるわ」



「ロレイン様! カイン殿から連絡が入りました!」


 彼女の従者が慌てて部屋に飛び込んできた。手には折りたたまれたメモを持っている。


 ロレイン様はすぐにメモを開くと真剣な表情でメモを読んでいる。そうして従者から紙とペンを受け取るとサラサラと文字を書き始めた。

 文字を書き終えた紙を筒に詰めるとドレスから笛を取り出して鳴らす。開け放たれた窓から突然、真っ黒い鳥が入ってくる。肘から指の先までありそうな大きさの鳥だ。その鳥の足に手紙を入れた筒を慣れた手つきで取りつけると黒い鳥は空へ飛び出していった。


 黒い鳥を見送りながら深刻な顔をしている彼女に何があったのかを聞く。


「ルルドと彼の子供達が捕まったの。別々に連れて行かれそうよ。カインはその時の兵士を一人拉致していて、その兵士を問い詰めると子供達はモーリガン家に連れて行くと吐いたらしいわ。あの屋敷に連れて行かれる前に奪い返さないと。あの屋敷に連れて行かれたらきっとすぐに酷い仕打ちを受けるわ」


 そう言い終わると近くにいる従者に素早く指示を出す。


「今動ける騎士を探して!すぐに二人を奪還するわ」


「わかりました。すぐに適任者を探します」


 従者が慌てて部屋を出て行こうとした時、俺は咄嗟に彼を止めた。


「待ってください!俺が行きます」


「…! ダメよ! 病み上がりでしょう!それに…あの子達は…」


「大丈夫です。十分休みました。問題ありません。俺に行かせてください! 時間がないのでしょう!?」


「…。ありがとう。お願いするわ! 一番足の速い馬を用意するから乗っていって」


「分かりました」


 そういうと俺はすぐに部屋を飛び出していった。


 モーリガン家の屋敷の正門が遠くに見えた。今いるこの道を行けば、やがてフローラの子を奪った騎馬兵の一行に鉢合わせになるはずだ。しばらく待っていると見事にその予想は的中した。騎馬兵の一行が姿を現した。

 兵士の数は予想していた数よりも何故かずっと少なかった。

 列の真ん中には銀髪の男女の子供が乗せられている。男の子は泣きじゃくる女の子を守るようにしっかりと抱きしめ、回りの兵士達を睨みつけている。男の子はフローラによく似た顔立ちをしていた。



 俺は例の仮面をつける。俺にとってこの仮面は敬愛するロレイン様に仕えているという誇らしい証だった。

 道の真ん中に立ちふさがって騎馬兵の一行を止めた。


「この子達は返してもらうよ」


 敵に意識を集中させ騎士の列に切り込んでいく。そこから一気に騎馬戦での戦いになった。最後の一人を馬から叩き落した時、つけていた仮面が落ちてしまった。


 地面に叩きつけられた兵士の男は俺の素顔をみた瞬間、驚いた表情をして意識を失った。その男をよく見れば、モーリガン家の採用試験の際に模擬戦で戦った兵士だった


「怖い思いをさせたね。もう大丈夫だよ。俺とここから逃げよう」


 そういって差し出した俺の手を男の子は震えながら握り返してきた。二人をこちらに引き寄せて俺の乗っている馬に移す。


 俺の前に女の子を乗せ、先頭に男の子を乗せた。女の子は男の子の腰に手を回して後ろからがっちりと抱き着いている。


「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」


 落ち着きを取り戻した様子で男の子はそう言った。


「無事で良かった。俺はダリス。王宮騎士をしている。ロレイン様の命で助けに来たんだ」


「僕はアンリ。こっちは妹のアリス。ねぇ!僕達の父さんが連れて行かれたんだ。ひどい事されていないか心配なんだ。一緒に探してほしい」


「そうか…。でもきっと大丈夫だ。俺の相棒が助けに行っているから」


「本当?」


「あぁ大丈夫だ。ひとまずここから離れよう。今からロレイン様のいる離宮に行く。きっとそこで会えるから」


「うん!」


「そういえば、馬に乗るのを慣れている感じだな。ひょっとして一人でも乗れるのか?」


「うん、馬ではないんだけど…。よく一人で乗っていたよ」


「アンリはすごいんだな」


「へへっ」


 照れ臭そうに笑うアンリはやはりフローラによく似ていた。

 複雑な心の内を鎮めようと、アンリが言っていた馬ではない背中に乗せてくれる動物について考える事にした。馬以外に人が乗れる生き物を俺は知らない。どんな動物なのかとても興味深い。そんな事を考えているとアリスから盛大にお腹がなる音が聞こえた。


「お腹すいたの?」


「…うん…」


 アリスは恥ずかしそうに振り返ると上目づかいで俺を見ている。


「少し降りて休憩しよう」


 そういって二人を馬から下ろす。


「ちょっとそこで待っていて」


 兵士団の訓練の一環で野営の知識は豊富にあった。そのため食べられる木の実や果物は簡単に見つける事が出来た。枝から果物をいくつかもぎ取ると、持っていたナイフで皮をむいて二人に差し出す。


「わぁ! ありがとう!この果物、よく父さんが採ってきてくれたものだ。とってもおいしいから大好きなんだ。でも中々見つけられないんだって」


 知識がないと食べられるのか分からない果物だった。


「父さんは植物に詳しいのか?」


「うん、治療師をしているんだけど、植物から薬を作る研究もしているんだ。村の人達にも信頼されていて母さんをいつも笑顔にしてくれる。僕の自慢の父さんだよ」


 俺は少し心の奥がいたかった。


 今から数日前、フローラが発見されたと聞いた日の事だ。

 彼女に会ってきたロレイン様からフローラが元気そうな様子を聞いた俺の心はとても晴れやかだった。今までずっと長い間、彼女がどうしているのか心配でしかたなかったからだ。しかし、彼女の近況を聞くうちに夫と二人の子供にも恵まれた幸せな日常を送っていたと知った。その時何故が心の奥が抉られる痛みを感じて思考を停止させたまま、その場に立ち尽くしていた。

 俺ではない他の男の隣で幸せそうに笑う彼女、その男の子供を愛おしそうに見つめている彼女が目に浮かぶ。どれくらいそうしていたのかよく分からない、床に雫が落ちる音で我に返る。落ちたものが自分の涙だという事にしばらく時間がかかった。


 俺はこの時、今までフローラに抱いていて気持ちが何だったのかやっとわかった。

 きっと俺はフローラに出会った時からずっと彼女が好きだったのだ。恋という感情が何か今やっとはっきりと分かった。

 俺は今までずっと自分の気持ちと向き合わないで分からないふりをしてきたんだ。 


 フローラと出会った時からずっと彼女はオズワルドのものだった。

 いずれ俺の前から当然のようにいなくなって、あいつと一緒に住む日が来る。当時の俺は当然のように分かっていた。だからこれ以上自分が傷つかないよう彼女に対する感情から目を背けて心の奥底に隠していたんだ。オズワルドが彼女の前から去ってもそれは同じだった。彼女と俺では身分が違う。釣り合わないと。

 

 だから急に現れた彼女の夫という存在が自分の感情の中で処理が出来なかった。俺はそのとき、とても酷い顔をしていたのだろう。しばらくそんな俺をロレイン様は心配そうに黙ってただ見つめていた。


 彼女の夫となった人物は彼女の命を救ってくれた恩人だった。その上、記憶がない彼女を今までずっと大切に支えてきた堅実で心優しい人物のようだ。


 混乱する思考の中で確実に思える事が一つだけあった。彼女が辛い日々を生きていなくて本当に良かったという事だ。


 あんな屋敷に軟禁されているより、悪趣味な男に嫁ぐよりもっとずっと最高の結末だろう。そう思えるのにまだ、こうしてその男の話をフローラの子から聞いている俺の心境は今とても複雑だった。


「そうか。良い父さんなんだな」

 

 そう、いいかけた時だった。



「こんな所にいたのか。そこの二人は返してもらう」


 長い髪を一つに束ねた男が一人俺の背後に立っていた。

 その男から発する殺気に異常なものを感じた俺は、すぐに二人を逃がす行動に移る。


「アンリ、アリス!二人で馬に乗れるな?」


「えっ…!う、うん!乗れるよ」


「よし、妹と二人で先に行け。あの向こうに見える塔を目指して馬を走らせろ!俺はあの男と話がある」


「で、でも…!」


 アンリが俺の言葉に戸惑っている間に男は二人が乗っている馬の脚に切りかかって来た。瞬時に俺は馬の尻を思いきり叩くと二人を乗せた馬はすぐにその場から走り出していった。馬の脚を切り損ねた刃はそのはずみで俺の腕をかすめて行った。


 そのことに気が付いたアンリは酷く泣きそうな顔でこちらを振り返っている。


「いいからそのまま行け! 俺にかまうな!」


 はっきり聞こえるようにアンリに向かって叫ぶ。


 俺はすぐに男に向き合うと、今度は俺に刃を振りかざしてきた。かなりの手練れだった。


 必死の攻防戦を繰り返し男はやっと退散した。体中から血が滴り落ち、まともに歩く事が出来ない。バランスを崩してその場に倒れると徐々に視界がぼやけていく。俺はきっとこのまま死ぬんだろうと覚悟を決めたその時だった。


 馬が草を踏む足音が聞こえる。あいつの仲間がとどめを刺しにきたのだろうと思っていた。


「お兄ちゃん!」


 朦朧とする意識の中、アンリの声が聞こえる。


「今、治してあげるから!もう少し我慢して」


 時間の感覚が分からなくなっていた。だんだん意識がはっきりとしてくる。同時に体中の痛みは徐々に引いていくのを感じた。


 目を開けると眩しい光が視界一杯に広がっている。よく見るとアンリの手のひらからそれらが出ている事に気が付く。


「なんだこれ…!」


 今まで見た事がない光景が広がっていた。


「少しは良くなったかな?」


 アンリはとても疲れた顔をしている。


「あぁ ありがとう。おかげで助かった。もういいから少し休んで」


 そういうと彼はその場に崩れ落ちて眠ってしまった。


 幼い子にこんな無理をさせてしまった自分が情けなかった。

 しばらく落ち込むがあたりが薄暗くなっている事に気が付く。もうすぐ日が沈む。ここは森の中でこれから夜行性の獰猛な獣が活動する時間だ。

 悔やんでいる暇はない。なんとしてでも獣からこの子達を守らなければいけない。深い傷は消えていたがまだ、立ち上がる事は出来なかった。どうしたらいいんだ。焦りを感じていた。

 そんな時だった。アリスが一枚の葉っぱを俺に差し出してきた。


「ん? アリス。 これはなに?」


 彼女の手のひらにある葉っぱをよく見ると兵士団の野営でよく探した獣除けになる薬草だった。これをそのまま火にかけて燻して出る煙とにおいを獰猛な獣はひどく嫌うのだ。

 俺に一枚渡してくると茂みにかがみはじめて葉っぱを摘んでいた。

 少しの時間で両手いっぱいに獣除けの薬草を摘んで戻ってきた。


 父親の教育なのだろう、幼いのに賢い子だと感心する。


それから俺は近くにあった棒でどうにか火をおこし、それを燻す。独特なにおいが立ち込める。俺の隣で興味深そうに様子を見ていたアリスは気が付けば俺の膝を枕替わりにして眠っていた。



 一晩、辺りを警戒して過ごした。早朝、ガサガサという足音が遠くで聞こえる。誰か来る!まだ寝ている二人を守るようにおぼつかない足で立ち上がると剣を抜き構える。


「こんなところにいたのか! 探したぞ!」


 のんきな顔をしたノアが現れて俺は一気に拍子抜けしてしまった。彼の後ろにはアンリと同じ黒いローブを着た銀髪の男とボロボロの姿になったロディがいた。




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