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長い夢を見ていた。こことは違う世界、違う場所。

私の目の前で幸せそうに笑っている男の子がいる。あの子はだれだろう。

頭ではそんな疑問が浮かんでいるのに夢の中の私は愛おしそうにその子を見ている。

行動と意識が伴わない。次第にもどかしくなる。早く戻らなくちゃ。早く。でもどこに? 


「ねぇ。オリヴィア!起きてよ!」


その声で目が覚めた。魂が戻るような不思議な感覚だった。

ゆっくり目を開けるとのチェリーブラウンの髪の女が心配そうに私をいていた。

彼女の背後からやわらかい朝日が窓辺を照らしているのが見える。


「…。あぁ。あなたは…確か…」


 彼女の名前が出てこない。


「また私の事忘れたの?マリアよ。マ、リ、ア」


ここに来てから何日たっているのか今までどうやって生きてきたのか自分が誰なのか色々な記憶が曖昧だ。  それに、ここが何処なのかもまだよく分かっていない。


「あぁそうだった。マリアね。忘れていたわ。ごめんなさい」


「もう!どうしていつも忘れるのよ。ひどいわ!私たち親友でしょ?」


 マリアは頬を膨らまして怒る真似をしている。小さい子がその仕草をするならとても可愛らしいと思うのだけどマリアがそれをすると無意識に少し苛立つ。


「色々覚えていないのよ…。ごめんなさい。それに私、ひょっとして寝過してしまったのかしら…。だからわざわざ起こしに来てくれたの?」


「寝過ごしてはいないわ。大丈夫よ。今はまだ早い時間だから。急用があってきたのよ」


「急用?」


「そう。良い知らせよ。あなたのご主人がさっきこちらに到着したそうよ。一刻も早く会いたいでしょう? 今ここに呼んでくるわね!」


「えっ?? 今から? そんな事を急に言われても! 記憶にない人だし…。それに私、今こんな姿よ?」


 私は今、真っ白いネグリジェを着ている。起きたばかりで身支度を何もしていない。それに主人といわれても記憶にないので初対面に等しい。マリアは戸惑っている私の言葉も聞かずに慌ただしく部屋を飛び出して行った。人の話を聞かない性格なのか、それとも単にせっかちなだけなのかよく分からない。


 コンコン。ドアをノックする音が聞こえる。マリアが出て行ってからさほど時間は経っていない。


 「えっ! 何!? もう来たの!?」


 予想外に早い訪問だった。着替えを探そうとベッドから降りようとしたところだった。ノックの音に慌てた私はそのままベッドからずり落ちてしまう。


「入るよ」


 私の返事を待たずにノックをした相手はそう言葉を告げた。


「あっ、いや…。ちょっと待って!」


 ドアノブが回り、ゆっくりドアが開いていく。

 打った背中がジンジンするが今はそれどころではない。ベッドから落ちた拍子にまくれ上がったネグリジェのスカートを慌てて直して体制を整えるとすぐにまたベッドに上がり正座をする。生足を隠すためだ。もうどうにでもなれと半分やけくそになりながら入って来る人物を待ち受けた。


 入ってきたのは酷く痩せて顔色が悪い中年の男だった。

 寝起き数分でこの仕打ちはどうなんだろうと半ば呆れながら時をやり過ごす事にした。


「あぁ、無事に見つかってよかった。随分探したんだ」


 などといいながらその男はニヤニヤした気味の悪い笑顔を浮かべる。そのままこちらに歩いてくるとベッドの脇に腰をかけた。私を見るとわざとらしく心配そうな顔をする。それがなんとも胡散臭い。膝の上に置いていた私の手に自分の手を重ねてくる。もう既に嫌悪感でいっぱいだ。


「ほんとに心配したんだ。無事でいてくれて良かった!」


 そういうと次は私の手を自分の方へ引き寄せて抱き着こようとしてきた。ぞわっと鳥肌が立つ。拒絶反応しか出てこない。私は咄嗟に声を荒げる。


「ちょっと待って!」


 体に触れられる寸前で相手の動きが止まった。


「ごめんなさい。寝起きで少し気分がすぐれないのよ」


 私がそういうと一瞬だけ無表情になって男は舌打ちをしたように見えたがすぐにまた胡散臭い笑顔を私に向ける。


「あぁそうか。それはすまなかった。また出直すよ。ゆっくり休んでくれ」


 そういって男は素直に部屋を出て行った。


 鳥肌が収まらない。素直に出て行ってくれて良かった。ほっと胸をなでおろす。あちらは私を見知った妻だと思っているのだから仕方ないのかもしれない。それでも、寝着姿だというのにすぐに部屋に入ってきてしかも抱き着いてこようとするなんて言語道断だ。それにしてもまったく記憶にない男だったし、顔をみても何も思い出さない。


 男が出て行ってからすぐ入れ替わるようにマリアが部屋に入ってきた。


「どうしたの?何があったの?ご主人、すぐ出て行ってしまったけど」


「えぇ。なんでもないわ。大丈夫よ。ただ…。こんな格好だし恥ずかしいから出て行ってもらったのよ」


「何言ってるのよ!夫婦なんでしょう?別にいいじゃない。知らない仲ではないでしょう」


「え…。待ってよ。私、記憶がないのよ。マリアに打ち明けたじゃない。だから今の私はあの人を知らない。いきなり抱き着いてこようとしたから気持ちが悪いのよ」


「なにいってるのよ! 愛するあなたのご主人よ。それに明日にはそのご主人とあなたはあなた達の家に二人で帰るのよ? でも大丈夫、今は少し不安なだけ。一緒に生活していくうちに記憶はすぐに戻るわ」


 そんなマリアの言いように他人事か!と叫ぶ自分がいた。思わず苦笑いをしてしまう。


「確かに、ここにずっといるわけにもいかないしね…。あの男の胡散臭い顔…。あっ。一応私の旦那様か…。その顔を見ても失っている記憶の欠片すら浮かんでこないのよね…」


 そうなのだ。マリアがいう愛しい旦那様のはずなのにまったく思い出せない。逆に気味の悪さだけが際立っていた。


「なんだかソフィ…。オリヴィア、あなた、少し変わったわね」


「えっ、そうかしら? それじゃあ、前の私はどんな感じだったの?」


「もっとこう…。ウジウジしてるっているか…。イライラするっていうか…。ひっぱたいてやりたくなるっていうか…。はっきりものを言わない性格だったわね。でも大丈夫よ。気にしない事にしたわ」


 そういってニコリと笑うマリアに私は苦笑いしか浮かばなかった。

 

「えーと…。色々引っかかる箇所はあったけど…。うん、そうね。きっと大丈夫ね…」


 もう、どの返答が適切なのかよく分からなくなって適当に返答をした。


「記憶を無くすと性格まで変わってしまうのかしら…それとも…あの薬の副作用かしら…」


 私の言葉を聞いていないのか一人でブツブツ言いながら何か考え込んでいる。


 ボソボソとした独り言のようであまり聞き取れなかったが明らかにマリアはこんな私の性格に少し困惑しているようだ。まぁ私は私だしどっちでもいいのではないかと思う。マリアの話では明日になれば私はあの男に連れて行かれるようだ。

 明日から始まるあの男との婚姻生活は悪い予感しかしない。あの男に感じた嫌悪感や気味の悪さは尋常ではなかったからだ。本当に私の夫なのだろうか。きっと何かある。それにマリアはどうも信用できない。他に人はいないだろうか? 


「ねぇ。私、少し頭を整理したいの。外を散歩してきていいかしら?」


「えっ!? それはだめよ。明日から長旅になるんだもの。何かあったら大変だわ。今日は部屋でゆっくりしていましょうよ」


 一瞬彼女に焦りがみえた。私がこの部屋の外に出たら何かまずい事があるのだろうか。


「気遣ってくれてありがとう。でも、もう随分ゆっくりさせてもらったわ。逆に今のうちに体を動かしておきたいのよ」


 私はニコリとほほ笑みながらそう答える。


「じゃぁ…。明日! 明日の午前中早い時間にしましょうよ! あなたのご主人がお昼にはここをたつといっていたわ。」


 そういいながらマリアは取り繕った笑みを浮かべている。


「そう…。分かったわ。明日にするわ」


「じゃあ、また明日来るわね」


 そういうとマリアはどこかほっとした顔をして部屋を出ていった。


 遠のいていくマリアの足音を確認すると私は服を探し始めた。

 人は、ダメだと言われたらどうしてもそれがやりたくなる生き物なのだ。外に出よう。私は意気揚々と身支度を始めた。


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