オズワルドの話
「ちょっと! 黙っていないでちゃんと説明しなさいよ!」
記憶の中の彼女よりもずっと大人びて綺麗な顔が不満そうに俺を睨みつけている。
強引に連れ出したせいだ。
今にも食ってかかってきそうな勢いで俺に詰め寄って来る。
気が強い性格は相変わらずだ。こんな状態になっているのに俺は、そんな彼女に懐かしさを感じている。少しだけあの頃に戻った気分になった。出来る事ならあの頃に戻りたい。どうして俺は彼女を捨ててしまったのだろう。あんなにも大切な存在だったのに。俺は愚かだったと痛感している。手を伸ばせば触れられるくらい近くにいる。このまま引き寄せて抱きしめしたい。でも、そんな事は永久に許されない。
手紙が届いていた。朝起きると宿泊している部屋のドアの隙間から手紙が差し込まれているのに気がつく。差出人の名前を見て俺はとても驚いた。すぐに封を開けて中身を確認する。
短い内容の手紙だった。会って話をしたい。だた一言そう書いてあった。添えられるように書いてあった場所と時間に出向くことにした。
陽が落ちて辺りはすっかりうす暗い。約束の時間より少し早めに宿を出る。人気のない道を行き、指定された場所に着くと、そこはさびれた工房跡だった。入口のドアを開けるとだだっ広い空間が広がっていた。窓からの月明りで中は意外と明るい。その空間の真ん中に一人の男が立ってるのが見える。
俺の足音に気が付くと男はこちらに顔を向けた。月明りに照らされて男の顔がよく見える。最初はその変貌ぶりに奴が誰なのか気が付かなかったくらいだ。あの生意気だったチビがこんなに見違えるほど成長するなんて。長い年月が過ぎた事を改めて思い知らされる。
「お前…。ダリスか…?」
俺は確かめるようにその男に質問していた。
「あぁそうだよ。久しぶりだな。俺の事、覚えていたのか」
突き刺すような視線で俺をじっと見ている。相手から静かな怒りの感情が伝わってくる。
「あぁ…。覚えていたよ。お前の成長ぶりに驚いた」
本当に驚いた。子供の姿しか記憶にないのだから。背も随分高くなった。
凛として隙がない立ち姿がより大人びた印象を感じさせる。
「そうか、俺の事、覚えていたのか…。フローラの存在と共に俺の事もてっきり忘れられていると思っていたよ」
「そんな事はない。ずっと覚えていた。フローラの事は…。俺が間違っていたんだ。後悔しているんだ」
「後悔してるだって?」
あいつは嫌悪感むき出しの声で俺にそう言い放つ。
「あぁ…。俺はどうかしていたんだ…。あの時、フローラを裏切ってマリアを選んだ。しばらくはマリアに夢中でフローラがどうなっていたのかなんて考えもしなかったんだ。それからマリアがアルフォンスを選んで王太子妃になってから俺は全てが嫌になっていった。家と地位を捨てて各地を放浪していたんだ。王都を去ってからしばらくして俺は目が覚めたんだ。あれだけマリアに執着していた気持ちが嘘のように消えていった。
そしてその時、ようやくフローラを捨ててしまった事の重大さに気が付いたんだ。許されない事をした。そこからはずっと後悔の日々だった。許されるなら彼女をさがしてやり直したいと思っていた」
そう言った途端、突然拳が飛んでくるのが見えて顔面に鋭い衝撃がはしった。視界がぐらりと揺れて、気がつけば床に突っ伏していた。
「お前…! 今更何を言ってるんだ! 後悔しても遅いんだよ。やり直したいだと!?あんなひどい裏切り方をしてフローラをゴミのように捨てたくせに!」
殴られた衝撃で頭がくらくらしている。床に手をついてよろよろと立ち上がろうとした。あいつを見上げると怒り狂った表情で俺を睨みつけている。
「…お前のせいで婚約破棄された彼女がどう過ごしていたのか、それからどうなったのか知っているのか!?」
「…すまなかった…」
あのあと彼女があの屋敷でどういう扱いを受けていたのか容易に想像する事ができた。
一方的に婚約破棄された女性は信用に傷がつく。社交界でも様々に噂され次の縁談を結ぶ事が難しくなる。駒として使えなくなったうえに彼女はあの家で元々疎まれた存在だった。前より酷い扱いを受けたのだろう。全部俺のせいだった
「俺に謝るなよ! 出来る事なら当時の彼女に謝れ…。それに、あんなに酷い仕打ちをしたお前をあいつは一度も悪く言わなかったんだ。淡々と自分の状況を受け入れていたよ。それなのにお前は!!」
俺は本当に取り返しのつかない事をしてしまった。あいつの言葉一つ一つに俺は何も言い返す事ができない。
「どうしてフローラを探し始めた時モーリガン家や俺を訪ねてこなかったんだ。彼女の行先の手がかりがあると思わなかったのか!?」
「すぐにモーリガン家に行ったんだ。だけど…身分を捨てて家を出た俺にあの屋敷の門が開く事は無かった。あれから彼女がどうしていたのか知りたくてお前にも会いたかったがそれが叶う事は無かったんだ…。何度もお前に手紙を書いた。そのたびに門番や屋敷から出て来る使用人に託そうとしたんだが俺を不審に思っていたのかまったく取り合ってもらえなかった」
フローラがどうしているのか知りたくて何度も屋敷を訪ねたがその度に門前払いをされていた。あの時、地位を捨てた人間がこれほどまで無力になるのかと思い知った。
俺はどこまでも愚かだった。昨日の出来事だってそうだ。なぜまたあの女の言いなりになろうとしていたんだ…。
「……。昨日マリアにあったんだ…。フローラが見つかったと聞いた」
「…。あの女と他に何を話したんだ?」
あいつの刺すような視線は一層激しさを増していた。でも、どこか全てを見透かされているように感じた。
「あぁ、俺に取引を持ち掛けてきたんだよ」
「どういう取引だ」
「ソフィア嬢を攫ってきてほしいと。そうすればフローラに会わせると言われたんだ。俺は自分の欲望に負けてその取引を承諾したんだ…」
「…っ!! この野郎! どこまでクズなんだよ!」
俺の襟首を乱暴につかんであいつが詰め寄ってくる。じりじりと首元が締め付けられていく。
「そうだよ、俺はクズだ。フローラを諦められなかった。でもそんな取引はやはり間違っている。マリアがそんな目論みをしている事を王宮内部に報告しようと思っていたんだ。俺もそんな話に乗ろうとした罰は受けるつもりだった」
あいつに襟首を締め付けられながら俺は抗う気力もなくだらりと肩をおとした。
そのうちスッとあいつの手が離れて行った。
「そのソフィア様は昨晩、失踪したんだよ。詳しくは言えないがこの件であの女が…マリアが絡んでいるらしい」
「なんだって!?」
「それにあの女は前に一度ソフィア様に危害を加えようとした。あんなに穏やかで優しい彼女が一体何をしたというんだ…。あの女はとんでもない厄害だよ。たくさんの人間が不幸になっていく。それに、フローラが姿を消す直前、あの女が彼女に何をしたのか知っているか?それからフローラがどうなったのか…」
「…何があったんだ…?」
これ以上まだ何かあったのかと驚く。
「ロレイン様が直接彼女に聞いたそうだ。それを聞いて俺は怒りで狂いそうになったよ。婚約破棄後しばらくして、マリアに呼び出されたようだ。向かった場所で無理やり薬を飲まされたらしい。記憶を無くす薬だったようだ。
そうして次に気がついた時には森の入り口に置き去りにされて、そこからしばらく森の中を自分が誰かも分からない状態で一人彷徨っていたらしい。途中崖から落ちて瀕死の状態のところを一人の男性に助けられて救われたんだ」
あいつが語った内容に俺は心底驚いた。俺はどれだけ彼女を不幸にしたのだろう。
あいつの話でマリアの本性が次々と明らかにされていく。そんな女に心を奪われていた自分がほとほと嫌になる。うなだれる事しか出来なかった。
そうしてそんな俺を見て、あいつは怒りを押し殺すように話し出した。
「その人に救われていなかったら命を落としていたんだ。マリアとお前が彼女を殺そうとしたんだよ!」
「そんな…。俺はなんてことをしてしまったのだ…」
「彼女を追いこんだあの女は絶対に許さない…。元々の原因を作ったお前もだ。彼女の命を脅かした原因を作ったんだから」
ひどく冷たい目が俺をみてそう言い放った。
「……すまない…」
しばらく沈黙が続く。ふと、あいつの黒い外套の隙間から帯剣が見えて、そこから剣が下げられているのが見えた。
「お前…。その剣。騎士になったのか。今までどうしていたんだ」
「あぁそうだよ。騎士になった。フローラがどこかで辛い生活をしているかもしれないと思っていた。だからフローラを探して助けだす為に今まで必死に力をつけてきたんだ。最後にフローラと別れた時、無理やりにでも連れ出してしまえば良かったとずっと後悔していたんだ。でもまだ俺は子供でそんな力なんてなかった。その事が悔しくて俺は騎士になったんだよ。運命って不思議だよな。そこから縁があって今ここにいるんだから」
「じゃぁ、今までずっとそのためだけに…フローラの為に生きてきたのか…」
「あぁそうだよ」
「でも彼女は…」
マリアからフローラには夫と子供がいると聞いていた。
「あぁ、知っているよ。彼女を助けた男とその後結婚したそうだな。子供もいてとても幸せに暮らしていたようだ。今回王都に戻った訳は記憶を取り戻すためだったようだ。なにせ自分の名前さえ昨日まで覚えていなかったようだし…」
「お前が必死に歯を食いしばって訓練に耐えていた間、彼女はもうすでに幸せに暮らしていたって事か…。お前のこれまでの歳月はなんだったんだ? 哀れだな…」
そこまでして自分の生き方を彼女に捧げたあいつを俺は哀れに思えた。彼女の命を救ってくれた男とはいえ、その男に彼女を奪われたと知って平然としていられるはずがないだろう。
「何故だ? 俺が一番望んでいた事だ。彼女が幸せだったのならそれが一番良い結末なんだよ。辛い日々の中を生きていなくて良かった。彼女の命を救ってくれた人には心から感謝をしているんだよ」
意外な反応だった。至極当たり前のようにそう言い放ったのだ。そうして今までずっと険しい顔だったあいつは、一瞬だけ穏やかな顔を見せた。あいつのそんな反応をみて一瞬で自分がどれほど愚かだったのか改めて思い知らされた。
「だから俺もお前も今の彼女の人生に入り込む余地なんて一切ないんだよ。 彼女の命を救ってくれて今も大切に守ってくれる人がいるんだから。結果としてお前に捨てられたお陰で良い相手に巡り合えたんだ…。あいつ、幸せそうだったって。
でも…最後に一つだけ、俺が出来る事がある。今の俺が出来る事は彼女の幸せを守ってやることなんだ。それが出来るんだから今までの生き方も無駄じゃないんだよ」
「何をする気だ?」
「あと数日したら分かるさ。それと、お前が後悔しているというのなら俺に協力しろ」
「どういうことだ?」
「モーリガン家があいつを狙っている。連れ戻されたらすぐに悪趣味な男の元に連れて行かれるんだ…あいつを助けてやってほしい」
「今、お前の判断次第でそれが出来るんだろう? フローラと婚約した当初お前はその方法で彼女を一度救っているんだから」
こいつは俺が何故王都に来ていたのか知っているようだ。俺は父親からの申し出を断ろうとおもっていた。またあの息苦しい世界で生きて行くのが嫌だった。
それでもあいつを救ってやれるのならあの時みたいにもう一度やってみようと思えた。
俺のせめてもの罪滅ぼしだ。
「それとこれ…。俺、あいつが失踪する前日、あいつから預かってた。ずっとこれを渡したくてお前の事待ってたんだ」
そう言って色あせた一通の手紙を俺に差し出してきた。
「手紙の内容は知らない。だから今更この手紙をお前に渡したと知れたらあいつは怒るのかもしれない。でもあいつがいなくなる前の日、これをお前に渡すように頼まれたんだ。だからお前に渡すんだ」
俺はおもむろに手紙を受け取るとあいつは俺の前から静かに去っていった。
元は白かったのだろう、色あせた封書は長い歳月の経過を物語っている。宛名には彼女の文字で俺の名前が書いてあった。
ゆっくりと丁寧に封書を開く。中に入っていた便箋を開くと懐かしい彼女の文字が並んでいた。
読み終わった後、俺は、後悔と自責、追想、あらゆる感情がぐるぐると渦を巻き、心の底から一気に湧き出してきた。
月明りだけが空しく俺を照らしていた。
一人その場で泣き崩れた。どれくらいそうしていたのだろう。虚ろな目で窓の外を見るといつの間にか月は姿を消し朝日が昇ろうとしていた。そうして俺はおぼつかない足取りでゆっくりと立ち上がる。その晩から今日まで怒涛のような毎日だった。
彼女は不満げに外を眺めている。俺にどれだけ捲し立てても無駄だと悟ったようだ。屋敷に着くまでもう少しだ。
俺が出来る事はここまでだ。しかし心残りがある。彼女の子供達だ。俺の力不足は否めない。後は彼女の夫であり子供達の父親であるあの男に託す事にした。次はソフィア嬢を無事に見つけ出す事が出来れば…。その為にダリスやソフィア嬢の救出の為に動いている他のやつらが上手くやれるように祈るだけだ。