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ダリスの話9


 あの日、マリアから感じた気味が悪い感覚は、今思い返しても鳥肌が立つ。あれほど嫌な汗をかいた事はない。あの時あいつが来てくれなかったら今頃きっと、自分が自分でなくなっていた。感謝してもしきれない。


 そんなあいつはいつも突拍子もない事をいう。その度にいつも驚かされる。あの時もそうだった。あいつが言い出した内容に俺はとても驚いた。

 俺と同じように工作活動をすると言い出したのだから。標的はマリアだ。あの女がこれまで行ってきた罪を暴いてやると言っていた。今の地位から必ず引きずり降ろしてやると。


 あの日から俺は、あいつが心配でならなかった。あれからうまくやれているだろうか。あの女に取り込まれていないだろうか。不意に不安になる。しかし、次の瞬間あの時のあいつの自信に満ちた表情を思い出す。


 大丈夫だ。やつの事だからきっとうまくやれているのだろう。あいつを信じる事にした。そう思い直して俺は自分の任務に集中する事に努めた。





「ねぇ…。私もう耐えられないわ…。あなたがずっとあの方にいいようにされている事。昨晩もあの方に呼ばれていたわよね…。そんな状況であの方に毎日仕えるのは、もういい加減に疲れたわ。毎日嫉妬で狂いそうよ」


 そう言いながら侍女のこの女は、人目のつかない場所で泣きながら俺に抱きついてきた。


 この女に取り入り、俺が偽りの恋人になってしばらくたつ。俺とフローラの義母との関係を都合よく誤解をしてくれている。俺はこの女の嫉妬心を利用している。その嫉妬心でこの女が自分の主人を裏切るように仕向け、この家の裏稼業の情報を持ち出させている。

 俺はそれを受け取るといつもすぐにロレイン様に渡していた。


 傍からみたら俺がやっている事は最低だ。でもこの女が昔からフローラにしてきた仕打ちを考えるとそんな良心の呵責など一気に消えうせてしまう。


 罪に問えそうな証拠はそろいつつある。でも、もっと確実で決定的な証拠を手に入れたかった。


 俺自身もさまざまな方法で探りを入れている。この家の裏帳簿と顧客リストが手に入れば、一気にこの家をつぶすだけの威力がある。

 この侍女ですら、それらを見た事がないと言う。フローラの義母は重要な取引に長年勤めている腕っ節の強い二人の護衛以外連れていかない。連れて行かれる護衛は裏切る事が出来ない様にがっちりと弱みを握られていると女から聞いた。そのように常に一貫して極秘を貫いているのだ。


 そんなお宝級の代物の在処が最近までどうしても分からないでいた。

 しかしある時、ふとしたきっかけで、おそらくあの場所だろうと推測できる場所を見つけることができたのだ。

 でも確信が持てない。推測を確信に変えるため、この侍女を使う事にした。


「ねぇ。この家を一気につぶせる最強の証拠を手に入れる事ができるかもしれないと言ったらどうする?」


 泣いている女にそう尋ねる。


「そんな事が出来るの?」


「うん、これから僕が言う事をよく聞いてほしい」


 女はぱっと明るい顔をすると、だまって俺の指示を聞いた。それを聞き終えた女は俺を見てゆっくりと頷く。

 俺の考えが正しければ目的のものは入手できるだろう。それまであと少しの間だ。


「えぇ。分かったわ。でもそんな事でいいの?」


「うん、大丈夫。後は僕が何とかするから」


「嬉しいわ。これでこのあの方がいなくなれば、あなたを私だけのものにできるのね…。私たち二人で幸せになりましょう」


「……」


 俺はその言葉には一切反応ぜず、ただ笑顔を向けた。

 柔らかくほほ笑みながら心の中では『絶対に御免だ』と毒を吐いていた。


 一方でフローラがどこへ連れていかれたのか、いまだに分からないでいた。手がかりすら掴めていない状態だった。侍女のあの女が持ち出してくる情報の中にもそれはなかった。


 使用人達からフローラに関する情報を集めようにも不用意に聞き回るのはさすがに怪しまれる。

 それでも、ここに来た当初から怪しまれない程度に話をうまくおりまぜながら数人の使用人に話を聞いていた。皆、フローラの存在は覚えてはいたものの、その先の情報は得られなかった。


 情報を集めようと接触した使用人達の中には門番もいた。いつも門の左右に立つ二人の門番は一日中屋敷を出入りする人間を監視している。必ず何か重要な情報を持っているはずだ。しかし彼らはとても警戒心が強く口が堅い。屋敷を訪れた客人と事務的な話をしているとき以外、門番が誰かと会話をしている場面は見た事がなかった。俺自身も初めてこの屋敷にきた時、用件を取り次いでもらった事以外、彼らと話した事はない。


 門番は屋敷にいるすべての人間の顔を覚えている。正門の横にある使用人専用の出入り口も常に監視していて、そこを通る人の顔を無言のまま一瞥して怪しい人間かそうでないのかを判断している。そこを通る使用人達は門番には話しかけないし門番からも会話はしない。


 何とか彼らから情報を得るため、距離を詰めようと試みる。出入りの際に必ず笑顔で相手によく聞こえる声で挨拶をする。毎回、地道に続けた。そうして少しずつ挨拶から短い会話が出来るようになり、軽い世間話が出来る間柄になった。


 最初こそ不審がられたが軽い世間話を続けるうちに徐々に親しくなっていくと次第に打ち解けてくれるようになった。そうして普通に会話が出来るようになったのはつい最近の事だ。すると、さっそく興味深い話が聞けた。彼らは勤め始めた日が同じだと聞いたのだ。俺はそれに違和感を覚えた。


 前任者は二人同時に辞めたのか?

 俺は疑問に思って前任者について彼らに尋ねた。


「前任者? さぁ? 会った事はない。そのせいで引き継ぎがなくて当時は相当困ったよ。なんせ通して良い客なのかそうじゃない客かが見分けられないんだから。おかげでその都度、あの恐ろしい奥様に聞きにいってたんだから毎日胃がキリキリしたもんさ」


 ある時、御者をしている男と話す機会があって前に勤めていた門番について聞いてみた。

 毎回あの門を通る御者なら、そのたび彼らと顔を合せているので当然何か知っているはずだ。


「あぁ。前の門番ね。確か一人は左頬に傷がある男で、もう一人は体格が良くてがっしりとした男だった。どれくらい前だろう。数年前のある朝、馬の世話に行く途中の道で屋敷から出て来るフローラお嬢様を見たんだ。煌びやかなドレスを着ていて見とれるほど綺麗だったからよく覚えているよ。そしてその日の午後、奥様を乗せて門を出るとき屋敷の護衛が門番をしていたから不思議におもっていたんだよ。その日から彼らをみてはいないよ。」


「そうですか…。ありがとうございます」


「あっそうだ。門番が居なくなる少し前、桜色の髪の可愛らしい女がよく門番の片割れと話しているのをみたよ。今の王太子妃様も同じ髪の色だよな。珍しい髪の色だと思っていだけどそんなに珍しい髪の色じゃないのかなぁ。じゃぁ俺は行くよ。またな」


 御者の話はとても興味深かった。その女はきっとマリアだ…。こんな所にもあの女は手を伸ばしていたようだ。

 以前、フローラは綺麗なドレスを着せられて何処かに連れて行かれたとあの侍女が言っていた。御者がみたフローラは連れて行かれる直前の彼女に違いない。

 俺はその門番がフローラと関係していると直感した。そしてマリアもだ。

 その晩さっそくロレイン様に報告に行った。


「なるほど…。その門番とフローラが同じ日に居なくなっていたのね。それにマリア…。また彼女が絡んでくるのね…。貴重な情報をありがとう。もう少しこちらで探ってみるわ」


 後日俺は、門番の件でロレイン様が調べた結果を聞くことができた。

 門番がいなくなった当時、ここから遠い場所にある森の手前で、破壊されたみすぼらしい馬車と、数人の賊の遺体があったそうだ。そしてその晩、血だらけの男二人が何かから逃れるように付近の村に駆け込んできたらしい。頬に傷がある男と体格の良い男二人だったそうだ。その後二人がどうなったのかは不明らしい。


 その男たちの特徴が御者にきいた門番達の特徴と合致していた。しかし何故が肝心のフローラの情報が無かった。

 あの辺りで仮に一人で残されたと考えても女性の足で村までならかなりの距離がある。村にたどり着けなかった場合、盗賊に攫われるか野犬に襲われるかだろう。

 どちらにしても無事でいる可能性は非常に低い。俺は全身の血の気が引くのを感じた。


 目の前が真っ暗になってしまった。その場に膝をついて、それからもう、立つことが出来なかった。

 俺はこれからどうしたらいいのだろう。

 もしフローラにもっと多くの警護をつけていたら? ボロボロの馬車ではなかったら?

 もっと違う結末があったはずだ。


 許さない…。心の奥底から沸々とわく憎悪はもう止める事が出来なかった。

 この家だけは何としてでもつぶしてやる。心の中で何度もそう叫んだ。ドロドロとした怒りに支配される感覚だった。


 あの女から俺から指示を受けた事はできたと聞いた。これで場所の確定はできた。

 後は時を待つだけだ。帳簿と顧客リストは同じ場所にある。もう少しで手に入れるだろう。


 それから3日たった。この辺りでは特に珍しくない野鳥の類の小鳥が一羽、俺の目線のより少し上の木の枝にとまっているのが見えた。よく見ると小鳥の足元に何か付いている。


 俺がそれに気が付くとおもむろにその小鳥が俺の腕にとまった。野鳥にしては珍しく人懐こい鳥だった。

 足についている筒型のものを取るとその小鳥はすぐに飛んで行ってしまった。

 あらためてその筒型の入れ物を見ると中に紙が入っている。何かと思ってその紙を取り出して広げると文字が書いてあった。

 そこに書かれていた文字をみて俺は、一瞬時が止まったように感じた。


「フローラは生きていた。元気でいる。今、街にきている」


 ロレイン様の筆跡でそう書いてあった。


 俺はその場に崩れ落ちて泣いていた。涙があふれて止まらなかった。

 彼女は生きていた。さっきまで彼女の行方に絶望していた分、その朗報は心から俺を安堵させた。そのうえ彼女は今、目と鼻の先にいる。ここから街まではすぐの距離だ。


 今まで過酷な生活を強いられていたのなら早く彼女を守ってやりたい。6年たった彼女は今、どんな女性になっているのだろう。早く彼女に会いたい。そうして彼女にあったなら俺が今までどんなに心配したのかたくさん文句を言ってやりたい。彼女に行く先がないのならこれからは俺がずっと彼女を守っていく。守れるだけの力をつけるために過酷な訓練にも耐えてきたんだから。



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