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ある男の話


 疲れきった表情で執務室の机に座りながら積みあがった書類に目を通している。

 書き物をし、手際よく従者に指示を出し積みあがった書類は徐々に減っていくが無常にも再び積み上げられていく。

 彼女は以前にも増して非常に忙しそうだ。厄介な問題が増えたせいだった。その問題の多くは主に現王の暴走が原因だった。


 それは突然始まった。家臣のごく軽い失態に対して王がひどい暴言を吐いた事が切っ掛けだった。

 自身の家臣を信頼し大切にしてきたこれまでの王の態度からは考えられない行動だった。

 その日を境に家臣に対する暴言がひどくなっていき、忠告や助言も聞かなくなっていった。


 そんな王の態度から家臣達との関係にも次第に溝が出来ていくと今度は内部分裂が始まり王宮内では家臣たちによる争いごとが多発した。

 日に日に王宮内部が荒れていく。王はそんな状況にもかかわらず文官の助言を無視して的外れな決定ばかり行うようになった。


 そのせいで要らぬ仕事が増えたロレイン様は日に日に疲弊していった。しかしそんな過酷な状態でも彼女は王太子と現王妃様がともに、愚王になり果ててしまった現王を封じて先導をきるように必死に説得を繰り返した。その結果どうにか現王を抑え込むことに成功して今に至っていた。


 しかし王太子が王の代行を務め混乱を収めようと躍起になっていても、この国では側妃にあたえられる権限はないに等しい。一方で王太子妃という立場でありながらあの女は国が傾きかけていても相変わらず遊び歩いていた。その無責任さに心底腹が立つ。

 有能なロレイン様が王太子妃であったなら今よりもずっといい状態になっていたはずなのに。


 なぜあの女が王太子妃なのか。なぜ誰よりも自分を犠牲にして国のために働いているロレイン様が側妃の立場で甘んじなければいけないのか。苛立ちが募る。


 王の暴走が始まる少し前、ソフィア様が街で襲撃される事件が起きた。間一髪で最悪な事態は免れたものの、目の前で一部始終を見ていたアルヴィス様の心には母を失うかもしれない恐怖心と父に対して深い失望と憎しみが残ってしまった。まだ幼い彼はその小さな身に余るほど大きな心の傷を負ってしまったのだ。


 あの子の中で一生心に残る傷になるだろう。彼が一体なにをしたというんだ。小さな子が無抵抗に傷つけられる姿はもう見たくない。俺が育ったあの場所を思い出す。


 あの襲撃事件にあの女が関わっている。確信に限りなく近い疑惑だった。それを聞いた俺は心の底からあの女が許せなくなった。


 これ以上あの女のせいで誰かが不幸になっていくのを黙って見ていていいのか。ソフィア様はあの事件の日を境にどこか悲し気な様子でアルヴィス様を見るようになった。あの女をいつまでも好き勝手にさせておくわけにはいかない。誰かがあの女を封じなければいけない。このまま放っておけばまた再び問題が起きるのだろう。


 俺はこの時心に決めた。あの女を必ず表舞台から引きずり降ろしてやると。


 それからあの女を見つけるたびにあの女の行動を注意深く見るようになった。知れば知るほど、見れば見るほどあの女が愚かに見えた。

 いつも周りには男がいた。同じ相手とは長く続かないようだ。いつもあの女の方から別れを告げている。


 俺には彼女が満たされない欲求にいつも苦しんでいるように見えた。虚しい理想を追い求めそれがいつまでたっても手に入らない苛立ちを彼女から感じた。

 あの女が求めているものは幻想にしか存在しないという事に自分で気が付いていないのだろう。


 それがあの女の弱点だと分かった。弱点を突けば簡単に落とせるだろう。あの女が求めている理想の男を演じて近づけばいいのだから。

 心を奪いドロドロに依存させて完全に信用させる。そうして罪に問える証拠を確実に掴んだ後、法の裁きの元に突き出して最後はゴミのように捨ててやる。今まで男達から奪ってきた女性達の気持ちを存分に思い知ればいい。


 あの女には複数男がいたが、その中でも一人、どうしても気になる男がいた。どこかの騎士のようだ。整った顔で長い髪を後ろで一つに結んでいる。生真面目そうな性格だ。服装は至って普通の町人の格好だ。細身に見えるが、かなりの筋肉がある。ちょっとした体の動きや歩き方などから騎士だと推測する事ができた。

 しかもかなりの腕の持ち主だ。だた、ああいう真面目なタイプはマリアのような女には刺激がなく、すぐに飽きて捨てられる可能性が高い。

 そうしてその時、簡単に捨てられた男はその真面目さ故、捨てられた事実が受け入れられず相手に執着して壊れていく。


 マリアは早くもあの男に飽き始めていた。男は日に日に捨てられる不安からストレスを抱えて追い詰められていくのが分かった。はたしてあの女はこの男と後腐れなく別れられるのだろうか? まぁ、結末は予想がつく。あの女が困る事だからどうでもいいのだが。


 ある日、以前からロレイン様に申し出ていたマリアに対する工作活動の許可がついに下りた。

 当初、ロレイン様は、あの女がどんな男でも魅了してしまう事から、俺がどうにかなる事を心底心配して猛反対をしていた。

 それでも俺は粘り強く説得を続けた。

 万が一、俺が取り込まれたら、その時はカインさんが俺を、ただちに取り押さえて監禁するという条件付きでようやく承諾してもらった。もしそうなったのなら、監禁された後ダリスに俺を殺してもらおうと思っていた。あいつになら俺は殺されても構わないと思っている。あいつと出会えて俺は変わる事ができたから。

 生きている意味を見いだせないで適当に生きていた俺はあいつに出会えて少しは真面目になったと思う。真っすぐな性格ゆえ、突発的な行動に出る事もあるやつだが、目的を果たすため、いつも懸命に生きているあいつを見て俺も生き方を改めようと考え直す事ができた。


 ちょうどそんな時だった。ダリスがあの女に運悪く見つかってしまった時、偶然その現場を見ていた俺はとっさにそこに割って入った。

 なにより俺の大切な相棒をあの女の視界に入れたくなかったのだ。あの女がダリスを格好の獲物として捕らえた様子に激しく苛立った。


 あいつをあの女の欲を満たすだけの道具にはさせない。一瞬にして苛立ちが怒りに変わる。


 すぐにこの女をダリスから引きはがしたくて、夜に一人で出歩いていた王太子妃様を偶然発見して慌てているふりを装い、芝居がかったセリフを言う。苛立っていたのでそのまますぐ、ぞんざいにマリアを横抱きに抱えるとまっすぐ城まで歩いた。城に着くと、マリアにこれ以上時間を費やすのが面倒だったので適当に見つけたメイドにそのまま丸投げをしてしまった。


 後から冷静に考えればこれからあの女に近づくのだから、あの態度はやり過ぎたと思っていたが、逆にその時の印象が強かったせいか俺に強い興味を持ち、あの時から俺を探し回っている様子だった。


 俺は意図的にある程度の期間、姿を隠した。俺の素顔を知っている人間はダリスにカインさん、ロレイン様しかいない。だから俺の素顔での存在は他の騎士や使用人にも知られていない。


 なかなか見つからない俺にあの女がしびれを切らした頃、突然、目の前に姿を現した。苦労して探し回った男が突然自分の前に現れたので、最初はまるで幻でも見ているかのように目を見開き驚いていたが、そのうち、熱に浮かされたように頬を赤く染め潤んだ瞳で俺を見ていた。


 そうしてあの女と再会を果たした俺はロレイン様の手回しで王宮騎士団に所属する事になった。マリアを見つければ手を振りニコリと笑ってやるとあの女は顔を真っ赤にしながら恥じらうようにほほ笑みを返してくる。まるで純粋な乙女のようだ。そんな様子のあの女を見るたびに俺は、呆れながら大声で叫びだしたい気分にかられる。『おまえは初心な生娘なのかよ!』と。


 この女を知れば知るほどあの方とは比べものにならないくらい劣る。なんて愚かな女なのだろう。俺を運命の相手だと本気で信じているんだから笑ってしまう。


 良い所といえば顔だけだ。それ以外は俺が今まで付き合ってきたどの女よりも劣る。

 ダリスの言っていた魅了の力だとかいう怪しげな術でも使わない限り、まともな男は寄ってこないだろう。

 だから逆にこの女が今までどんな男でも攻略できた奇跡は魅了の力があったからだと納得せざるを得なかった。しかし、その魅了の力とやらも有効期限があるようだ。


 王太子殿下やアラン様の態度を見てもそれは明らかだった。傍から見てすぐわかるほど彼女に嫌悪を抱いている。

 アラン様にいたっては分かりやすい。一見彼女に対して無表情を貫いているように見えるが、憎悪の感情が混ざっているように感じる。一方ではソフィア様を遠くで見る目は後悔や罪悪感、恋慕など感情が入り混じっているように見えるのだ。


 うわさで聞く限りアラン様は結婚当初からソフィア様に最低な扱いを繰り返したらしい。

 今まで相思相愛だった女性に対してそこまでひどい扱いが出来るものなのか。百歩譲って魅了の力のせいだったのかもしれない。でも俺は同じ男として軽蔑する。同時に今になって壊れてしまった関係を元に戻そうと、もくろんでいる事にも俺は苛立ちを覚える。


 自らたたき割った器は元に戻せるのか? 絆だって器と一緒だ。そんな神業があったら一度見てみたいものだ。必死になってひとつひとつ時間をかけて集めた破片を丁寧に張り合わせても完全な姿には戻らない。

 ひび割れた姿のままだ。それでも相手に許しを請うならば、ただひたすら相手の全てを受け止めて寄り添い続ける事しかできないだろう。

 美しい姿にはもう絶対に戻らないのだから。同じ事を王太子にも言える。今更だ。その一言に尽きる。


 今まで俺がやってきた事に対してそんな事を言えた義理ではないが…。どいつもこいつも滅茶苦茶だ。きっとまたダリスに『どの口がそんな事を言うんだ』と嫌みを言われるだろうけど。


 あの女は例のあの騎士と別れたがっていた。一方で俺には男の存在を必死に隠しているようだが、どうでもいい。当たり前のように関係は知っているし興味もない事だった。思っている事が態度に出やすい性格のせいか相手の男はいつ自分が捨てられるのかといつも怯えていた。


 その男の件は前からロレイン様にも逐一報告を入れていた。

 どこかの騎士らしい、という事以外名前も素性も分からなかった。

 ロレイン様は俺の言った男の特徴を聞くと何やら考え事をしている様子だった。

 あの女と会う時は相当警戒しているのか身分が分かる情報が一切得られなかった。何度か後をつけた事があるがどうしても途中で撒かれてしまうのだ。頭も良いようだ。


 そもそも、いつも相手に飽きたらつぎの相手に乗り換える事を繰り返してよく今まで無事でいたものだと感心する。こちらから別れを切り出す場合は最も慎重に対応しなければならない。あの女はそんな事も知らないようだ。何故今まで無事でいられたのか本当に不思議に思う。


 あの男は特に危険だ。危うい要素が多い。このままマリアの態度が変わらなければきっと暴走するだろう。さて…。どうなるのか。

 

 それから数日後、俺はこの男の正体を知ることになる。






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