マリアの話7
薄暗い部屋にあの男と私、床には意識がないソフィアとロディが横たわっている。
男は私に笑顔を向けている。この異常な状態のなか私は平静を装う事で精一杯だった。
この男と攫ってきた二人をこれからどうしたらいいのか懸命に考えていた。この男をこのまま騙して突き出そうか。そもそもこの男が一人で勝手にやった事なのだから。よく考えたら私には関係がない。
罪の裁きを下すのは愚王になり果てた現王に代わりアルフォンスがその代役を務めている。私が泣き落とせばこの男の証言など誰も信用しないはずだ。
いや…。もっと手っ取り早い方法がある。男から全ての記憶を奪ってしまえばいいんだ。そうすれば私の事も綺麗さっぱり忘れてくれる。
ふと私はフローラに使ったあの薬の存在を思い出した。まだ部屋のどこかにあるはずだ。
「ねぇ…このまま二人をここに置いておくのはまずいのよ。だからね、私に考えがあるの。いったん部屋に戻って必要な準備をしてきてもいいかしら」
「分かりました。きちんと戻ってきてください。もし戻ってこなかったらその時は…。どうなるのか分かっていますよね?」
「もちろんよ。すぐにまたここに戻って来るわ。あなたを裏切るはずないじゃない」
私は男の言葉に一瞬ひきつってしまった。このまま部屋から出た後、この男の事など忘れてノアに会いに行けたらどんなにいいだろう。そんな幸せな妄想もこの男が目に入ったとたん現実に引き戻される。
男のじっとりとした視線を背中に感じながら私は部屋を出て行く。
この小さな小屋は広い王宮内の隅にあって目立たない場所にある。そんな理由で警備が緩いこの場所は恰好の密会場所になっていた。他の場所より警備の目を気にしないで歩ける分楽だが、それでも再び部屋に戻ってまた帰ってくる道のりは少し距離があって面倒だった。でも今はそんな事を言っていられない。
昨日まではオズワルドを煽って憎らしいソフィアをどうにかしようと考えていたが実際目の前で意識が無い状態で横たわっている彼女を見て考えが変わった。
私の意思一つでどうにでも出来る状態の彼女に哀れ過ぎて拍子抜けしてしまったのだ。
もうソフィアなど、どうでもいい。考えてみれば彼女は不幸だった。愛した男に裏切られ愛されてもいないのに跡継ぎを作るための道具としてだけ嫁がされる。惨めで哀れで滑稽だ。相手に愛されてこそ幸せなはずなのに。
小意地になって生まれた自分の子供にだけ執着を向け、それでも自分は幸せなんだと言わんばかりに笑っている。そんな彼女に私はとうの昔に勝っているのだ。運命の人と出会い愛し愛されている今の自分はソフィアと比べるまでもなく幸せなのだから。
あの薬がみつかればソフィアとロディの記憶を消してどうとでも出来る。あの邪魔な男も薬で記憶を消せば万事うまくいく。
そう考えると今の状況が思っていたほど深刻ではないと思えた。簡単に処理できると確信した。
私の考えたシナリオはこうだ。
まずあの男に人目のつかない街外れの山林まで二人を運ばせる。そうして山林に二人を運び終えた後あの男に労いの言葉と共に喉を潤す水を勧める。もちろん薬入りの水だ。そうして油断させ薬を飲ませて記憶を消す。薬を飲むと一時的に意識を失うはずだ。フローラに飲ませた時、彼女がそうなったから知っていた。
二人を攫って行方をくらましていたこの男と同じ場所でソフィアとロディが発見されれば、そのままこの男は尋問のため連れて行かれるだろう。記憶が無いので弁明もできないし私との関係も証言できない。後は目を覚ましたソフィアとロディの証言でこの男が二人を攫った事が明るみにでる。そうしてあの男は捕まるだろう。
部屋に着くとすぐに薬を探す。最後に何処へ置いたのか懸命に記憶をめぐらせる。
しばらく部屋を探し回るとまだ少し薬包に入っていたあの薬が出てきた。
瓶に水を入れて薬を入れて溶かすとそれをドレスの中に隠した。
そうして薬を隠しもった私はあの部屋に戻っていった。
「お待たせ。ねぇ、この部屋にこのまま二人を置いておくわけにはいかないわ。どこかに運ばないと。運ぶのを手伝ってくれない?」
「はい、わかりました。ここに来るために使った荷馬車がありますのでそれで運びます」
王宮の広い敷地内には非常時に備えて、王族専用の隠し通路がいくつもある。そのほとんどの通路は敷地の外に繋がっている。私はその内一つの隠し通路の鍵を持っていてそれを彼に渡していたのだ。
男はすぐに二人に布を被せ、隠し通路を使い敷地外に停めてある荷馬車に二人を積み込む。
荷馬車に二人を無造作に置く。最後に私が乗り込んだ事を確認すると、男はすぐに荷馬車を発進させた。
しばらくすると人気のない街はずれの山林にでた。私は大人二人を抱えてきた男に労いを込めた言葉をかけ、喉を潤してもらおうと例の薬が解けた水を勧める。男は疑う事なくそれを飲むと、とたんにその場に倒れこんだ。
呆気ないほど簡単に薬を飲んでくれた事に拍子抜けしてしまった。
私は急いでこの場から去ろうとしたが何気なくソフィアの方を見た時、彼女は横たわった状態のまま、目を開きこちらを見ていたのだ。一瞬凍り付きそうなくらい驚いたが私は咄嗟に機転を利かせて彼女の元に駆け寄る。
「ソフィア!? 目が覚めたのね? あの男に無理やりつれてこられたのよね? でも大丈夫よ。私が助けに来たから。さぁ早く一緒に逃げましょう!」
嘘は言っていない。この男が勝手に彼女を攫ってきたのだから。私があの男から二人を助けた事には変わらないはずだ。とりあえずこのまま二人で城に戻り、後でロディを救出しようと思った。その後、二人の証言であの男は捕まるはずだ。
「…。マリア…?」
上体を起こした彼女は虚ろな目で呟く。
「さぁ。今すぐここから逃げましょう」
そういってソフィアを立たせるため彼女の腕に手を回そうとした時、突然後ろで音がした。私は驚いて振り返る。なんとあの男が私のすぐ後ろに立っていたのだ。
私は驚きで思わず悲鳴を上げそうになった。しかし何とかこらえると平然を装って男に対応する。
「あら…。目が覚めたのね。急に倒れたから心配していたわ」
「その割に私は今まで放っておかれていましたよ? マリア様、先ほど私に何を飲ませたのですか?」
「べっ別になんでもないわよ。ただの水よ」
「そうですか…。私、これでも飲み物や食べものに違和感があればすぐ分かる体質なんですよね。だから吐き出しました」
私は茫然となりながら男を見ると私に微笑みかけてきた。怖い…。体中がゾワっとして鳥肌が立つ嫌な感覚を覚える。この男から今すぐ逃げたい。そんな考えしか浮かんでこなかった。結局男は薬を飲んでいなかったようだ。記憶も消えていない。
「それに…。私だけ犯罪者扱いをするつもりですか? あの時、街でならず者を雇ってソフィア様を襲わせようとした事忘れましたか? あなたはソフィア様が目障りだった。だから昨日、気難しそうなあの男にもフローラ様という餌を盾にソフィア様を自分の元に連れてくるように画策していたのでしょう?」
「ソフィア様、騙されてはいけませんよ? 彼女は貴方を攫って自分の目の前から消そうとしているのですから」
「…! マリア…。何故そんな事を…。あの事件はやはりあなたの仕業だったのね。私があなたに一体何をしたっていうのよ」
「もういいわ。さっきまでは囚われて哀れに思った貴方に同情すらしていたのよ? あなた、昔から目障りだったのよ。当て馬の何の取り柄もない脇役のくせに! ヒロインの私を差し置いていつも誰かに愛されていた。でも哀れね。愛されてもいないのに家の都合だけて無理やり嫁がされて子供まで産まされて。それからの生活だって雑に扱われて。かつて愛した男に二度も殺されかけたんでしょう?あなたそれで幸せなの?私ならそんな哀れな人生、絶対に嫌だわ」
ソフィアが私をどこか同情するような悲しい顔で見てくる。なんでそんな表情で私を見るんだと心の中で激しく罵倒すると次第にソフィアに対する苛立ちが再び強くなっていく。
「やっぱり貴方には消えてもらうわ」
「ねぇ、彼女が抵抗出来ないように抑えて」
「はい。仰せのままに」
そういうと男はソフィアが抵抗できないように彼女を後ろからがっちりと抑え込んだ。私はそんな彼女の前に立つと強引に彼女の口を開き、残っていた瓶の水を流し込んだ。
無理やり口の中に水を入れたせいで彼女は苦しそうに激しくせき込むがもうお構いなしだ。
しばらく苦しそうにしていた彼女だが薬を飲み込んで意識を失ってしまった。
「モーリガン家に向かうわ。二人を荷馬車に乗せて」
そう冷静に男に命じる。いままでモーリガン家には沢山の恩を売ってきたのだ。
その恩を今から返してもらおうと思った。
「わかりました。マリア様」
男は再び二人を荷馬車に運んだ。
私が直接来た事で遅い時間にも関わらす女主人にすぐに会う事が出来た。
「まぁマリア様、このような夜も深い時間に我が家にどのようなご用件でしょうか」
「ええ。急な訪問で悪いわね。ちょっと頼まれてほしい事があって…」
そういうと私は女主人に荷馬車の二人を見せる。
「まぁ…。これは…誰かと思ったらあのアルバンディス家のお嬢様でドリュバード家当主の奥様じゃないですか。男の方はどこかの使用人ですか?とても綺麗な顔をしておりますね」
「この二人をどうにかうまく処分したいのよ。どうにかなるかしら? 今まで随分貸しがあるわよね」
「ええ…。マリア様、二人共驚くほど器量が良いので、すぐにどこかに送る事が出来ますよ。用意が整うまで地下の独房にでも入れておきます」
「ありがとう助かるわ。あと…。この男を匿ってほしいのよ」
そういって私は隣にいるあの男を見た。
「はい。大丈夫ですよ。全て私にお任せください。よい場所がございます」
「助かったわ。それじゃあ見つかると大変だから私はすぐに戻るわ」
「はい。では警備をつけて送ります」
「なにからなにまでありがとう。恩にきるわ」
「はい。大切なマリア様の為ですもの…なんなりとおっしゃってください」
そういうと女主人が僅かに不敵な笑みを浮かべた事に私は気が付く事が出来なかった。