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夫妻の大切な娘であるソフィアが失踪したと聞いて彼女の両親はひどく憔悴していた。彼女が失踪した場所が嫁ぎ先の屋敷という事、ソフィア失踪と同時にドリュバード家で重用されている執事のロディが不可解な状態で姿を消した事など夫妻に次々と衝撃を与えた。
しかし、そうした状況から事態は極めて深刻な状態であり、今のドリュバード家が危険な場所になっている事を混乱した状態で夫妻はどうにか理解した。そして、これから自分達がやらなければならない事に意識を集中した。
ロレインから客人の避難場所としての要請があってすぐにドリュバード家に馬車を向かわせた。到着後もロレインの指示が的確だったことから、すぐに彼らの移動を無事に完了する事ができた。
その晩遅く、夫妻だけの住まいになっていた屋敷は一気に慌しくなった。
夫妻の息子や孫、娘の友人とその伴侶や子供達、次期王太子までいたのだから屋敷中の使用人は大慌てで動き回っていた。
ドリュバード家では連絡を受けてすぐに前当主であるアランの父が戻ると、事の経緯を詳しく聞き、兵士達を一か所に集めて一人一人詳しく尋問を始めた。尋問にはかなりの時間を要したが休む間もなくその内容の報告をロレイン宛に送る。それから今度はアランと今後の長い話し合いを始めた。
目まぐるしく様々な事が起きた昨日から一夜明けてフローラとルルドは結局眠る事ができず朝を迎えた。
早朝、少しでも気分を変えようと中庭のベンチに腰を掛ける。二人共終始無言で不安げな様子だった。ソフィアの父はそんな彼らを見つけて話かけてきた。
「おはよう。昨日は大変な一日だったね。今まで記憶を無くしていたと聞いて私達はとても驚いたよ。色々あったようだね。その経緯もそのうち詳しく聞かせてほしい。あなた達の為に私達は力になるから。体調はもう大丈夫なのかい?」
「ありがとうございます。大丈夫です。ソフィア様がこんな事になって心労が続いているにも関わらずご厄介になってしまって…誠に申し訳ありません…」
「フローラ嬢、いいんだよ。あなた達も今とても危険な立場にいるんだから。それにソフィアならどんな状況になっても大切な友人を見捨てたりしない、助ける事を第一に望むでしょうから」
「ありがとうございます。感謝してもしきれません」
フローラとルルドは深い感謝の言葉を伝えた。
アルヴィスとユリウスが起きると、昨晩寝ていた場所から移動している事に早々と気が付いて驚いていた。
そうして大人達の微妙な様子の変化に気が付いたのか、すぐに母親のソフィアを探し始めた。昨夜のうちに一緒について来ていたベルカが双子の身支度の用意をしていると彼女の姿を見つけたアルヴィスとユリウスが慌てて駆け寄ってきた。
「ベルカ! 母上はどこにいるの?」
「はい。昨晩から急な用事で出かけておりますよ」
ベルカは平然とした様子でユリウスの質問に答えた。
「いつ戻るの?」
「はい。すぐに戻っていらっしゃいます」
彼女は不安そうな二人に優しくほほ笑む。
「いつ戻るか分からないの?どこに行っているの?」
ユリウスの鋭い質問にベルカは内心困り果ててしまった。
双子の様子を見に現れたロイドは丁度そんな場面に出くわした。困り果てているベルカの見て子供達に声をかける。
「叔父さんがお願い事をしてその用事で出かけているのだよ。大丈夫だよ。すぐに戻るから。そうだ。あっちに面白そうな物があったよ。着替えて朝ごはんを食べたら一緒に見に行こう」
ロイドの言葉に素直に従って着替えを済ませると朝食を食べに部屋を出て行く。
一方でフローラとルルドの子供達も起きるとすぐに彼らの母親に問いただす。
「ねぇ、母様。ここはどこなの?どうして昨日いた場所と違うの?」
「訳があってあなた達が寝ている間にここに移ってきたのよ」
廊下から元気な双子の声が聞こえて、アンリはドアを開けると先を行く二人の後ろを追いかけるように歩くエルトシャンの後ろ姿が見えた。
「あれ?アルヴィスやユリウスだ。あの王子様も一緒だよ。どうして?」
「ここは彼らのお祖母様の家なのよ。エルトシャン様も一緒なのね」
「そうなんだ。まだみんなと一緒に遊べるね」
「えぇ、そうね」
嬉しそうにしているアンリとアリスの頭を優しく撫でる。
子供達は朝食を食べるとすぐに無邪気に遊びだした。しかし双子達は何かを感じているのか表情はずっと硬いままだった。
早朝すぐにロレインが訪ねてきた。使用人の動きで彼女が来たことを察したフローラとルルドもすぐさま玄関ホールに下りて行くと、アルバンディス夫妻は既にロレインを出迎えて話をしているのが見えた。
「昨晩は遅い時間にも関わらず私の息子や客人の受け入れを承諾していただき、誠にありがとうございました。ソフィアの件でも心労が絶えない中、申し訳ありませんでした」
「確かにソフィアの事は今もずっと気が気じゃありません。しかし、この依頼は私達にしか出来ない事だと思いました。悲嘆に暮れるばかりでは何も解決しませんから」
「ありがとうございます。感謝致します」
「それで…。ドリュバード家ではあれからすぐに捜索が再開されたようですが何か分かったのですか?」
「はい、その件ですが…。丁度良かった。フローラとルルドさんも話を聞いて」
玄関ホールに下りてきた二人を見つけるとロレインはすぐさま彼らに声をかけた。
アルバンディス夫妻はすぐさま彼らを応接に案内する。
席に着くや否やロレインは早速話を始めた。
「ソフィア失踪について新たに分かった事があったんです。昨晩遅くに報告が入りました。失踪元になったあの部屋とその付近を改めてよく調べてみるとバルコニーの下の植木と花壇の花が潰された形跡があったんです。まるで上から何か重いものを落としたような跡でした。こちらに来る前に見てきました」
「バルコニーの下に?何故?」
「これは私の推測ですが…ひょっとしたらソフィアはあの部屋のバルコニーから落ちたのかもしれない。部屋は二階だった。わずかな足場を伝って下に下りる際、誤って落ちたのかもしれない…」
「どうしてそんな危ない事をしてまで、わざわざそんな場所から外に出ようとしたんですか!?」
ソフィアの母は少し取り乱した口調でロレインに問いかける。
「あくまでも私の考えです。本当にそうなのかよく分かりません。同時に失踪しているロディと副団長が何か関係していると思っています。」
「一体ソフィアはどこに行ってしまったんだ…」
ソフィアの両親は再びぐったりと項垂れてしまいその場の誰もが口をつぐんでしまった。
「私の仕入れた情報によれば必ず彼女の行方を掴むことができます。それまで、もう少し時間をください。そこで一つ大切なお願いがあります。モーリガン家の者が訪ねてきても必ず知らぬふりを通してください。ここに訪ねて来るのも時間の問題かもしれない。それまでもう少し彼らをお願いします」
「フローラ、あなたに酷い仕打ちをしてきたあの家に再びあなたを奪われる訳にはいかない。あなたには大切な夫や子供がいるんだから。仮に今、あなた方を家に帰してしまって、もしも家を付き止められでもしたら即連れ戻されるわ。だからあなた達がこの先ずっと安全に平和に暮らせるようにあの家をいっそのこと潰してしまおうと思うのよ」
「そんな事が出来るっていうの!? あの家の闇を暴く事が出来るの? それに、まだあの屋敷にいるかもしれない私の大切なダリスとシェリーが心配だわ…」
「フローラ。数年前にシェリーは里に帰ったそうよ。それにダリスは…」
ロレインはダリスの事を何といおうか言葉を詰まらせた。本当の事を言うとフローラを心配させてしまうだろうと思った。
「ロレイン、どうしたのよ。彼を知っているの? 知っているなら教えて。あれからあの子がどうしたのか私はとても心配なのよ…」
「フローラ。大丈夫。彼を信じてあげて。あなたの中の彼はまだ子供でも、今はもう違うの。その内きっと会えるから」
そういうとロレインはフローラの手を握り真剣なまなざしで見つめると彼女は静かに頷いた。
それからソフィアの父に向き直る。
「ソフィアの行方は必ず突き止めてみせます。しかしそのためにはある事情があり、時間稼ぎが必要です。こちらの要求ばかりで申し訳ありません。他に頼る術がありません。どうか彼らをよろしくお願いします」
そういうとロレインは急いで離宮に戻っていった。
ロレインが離宮に戻ってすぐ、モーリガン家の使いの者が訪ねてきてフローラの行方を尋ねてきた。
思いもよらず早い動きで夫妻はとても驚いていた。
ロレインに言われた通り知らないふりを通した。
モーリガン家の使いの者はその言葉を受けると意外にもあっさりと引き下がって帰って行った。
それから動きがないまま3日が過ぎた。
モーリガン家の沈黙が少し不気味だった。何か動きがあってもよさそうなものだったがあれから何も無かったのだ。
もしかしたら、もう完全に諦めたのではと思った4日目、事態は急変した。思いもよらない人物が訪ねてきたのだ。
今まで強気だったアルバンディス家もその人物には冷静ではいられなかった。
気難しそうな雰囲気と深いグリーン色の髪が特徴的な男。オズワルドが訪ねてきたのだ。
「ここにフローラ嬢が居る事はもう分かっている。彼女の家では長らく長期療養だと聞いていたがここで世話をしていると情報が入った。モーリガン家の了承がない状態でフローラ嬢を囲っているそうだな。まるで攫ってきたと言われても仕方があるまい。妙な噂を流されたくなかったら大人しく彼女を引き渡すんだ」
そういった男は無表情で何を考えているのはよく分からなかったが自分達より格上のレイモンズ家にアルバンディス家はどう対応するべきか戸惑った。
思ってもみなかったオズワルドの訪問で一気に状態が変わった。誰も予想していない展開だった。
「何を言われているのかよくわかりません。こちらにはフローラ嬢はおりません。お引き取りを願います。妙な言いがかりをつけるとこちらも黙ってはおりませんよ」
そう反撃にでたアルバンディス家の対応にオズワルドは一瞬驚いた顔を見せた。
「そうか…。せっかく立て直した事業が再び傾くことにならないといいな。覚悟しておけ」
そういって引き返そうとしたオズワルドの背後からフローラが姿を現した。
「私ならここにいるわ。今更私に何の用なの?私などもう用済みでしょう」
アルバンディス家夫妻が慌てている中、フローラはゆっくりとオズワルドの前に歩み寄る。
「フローラ。やはりここにいたのか。俺の元に戻ってこい。これは提案じゃない。命令だ」
「なんですって!?」
咄嗟にルルドは守るように彼女の前に立ちはだかるとオズワルドを鋭くにらむ。
「今更そんな勝手な言い分が通ると思っているのか! あなたは数年前、彼女をあっさりと捨てたんだろう。そのせいで彼女がどれほどの不遇に耐えたのかあなたは知っているのか!それに、彼女はもう私の妻なんだ。これ以上私達に関わるな!」
普段穏やかなルルドだが怒りで声が震えている。
そんなルルドをオズラルドは軽く一瞥する。
「あの時の事は謝罪するさ。後でその不遇とやらを彼女にゆっくりと聞くとするよ。それに、そんな平民との婚姻などなんの意味があるんだ?どこかに厳密に婚姻を証明するものでもあるのか?」
「式を挙げた村の教会になら記録が残っている」
「小さな村の教会の婚姻記録がどれほどの効力があるのか知っているのか?」
「それに、フローラ。これ以上ここにいたらこの家にも迷惑がかかるぞ? そこにいるお前の夫だという銀髪の男とアルバンディス侯爵を誘拐罪やその他諸々の罪で捕えてもいいんだよ。さぁどうする。俺と来るかの?来ないのか?」
「あなたは自分の一族から自ら去ったんでしょう。今更あなたの力など何の脅威にもならないわ!」
「あぁ。確かにこの間まではそうだった。でも今は違う。俺が言っている事を信じなくてもいいんだよ。その内嫌ってくらいに分かるさ。しかし、その時後悔しても手遅れだがな」
「っ…!卑怯な…。ルルド。すぐにこいつと話をつけて戻るから。心配しないで待っていて」
「くそっ!」
ルルドは何も出来ない無力な自分に腹を立てた。
「だめだ。フローラ嬢! 行くんじゃない!」
ソフィアの父が慌ててフローラを止める。
「アルバンディス侯爵様、それ以上私のせいでこちらに迷惑をかけたくありません」
「迷惑だなんて思わない!こんな理不尽な事があってたまるものか」
「母さん!嫌だ!行かないで!」
その時、屋敷の奥にいたアンリとアリスが泣き叫びながらこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫。すぐに戻るから父さんとここで待っていてね」
「その子供はお前の子か?」
「そうよ、私と彼の子達よ」
「息子はお前によく似ているな」
「だから何よ!」
「ひとつそこの銀髪の男に忠告してやるよ」
睨みつけるルルドに構う事なくオズワルドは無言のまま近づいていく。
ルルドの耳元に顔を近づけ彼にしか聞こえない声で何かを話している。
「どういう意味だ!」
オズワルドの一言に困惑しながらもルルドは怒りの増した口調で叫ぶ。
そんなルルドをオズワルドは冷ややかに横目で見ながらもう用は無いというように背を向けて去っていく。
「ルルドに何を言ったのよ!」
フローラはオズワルドを睨みつける
「あいつに忠告してやっただけだ」
どうでもいい事のようにフローラに投げやりに返す。
「さぁ。行くぞ」
先に馬車に乗せられると後から乗ってきたオズワルドは彼女の向かいに座ってきた。
沈黙が続く。あのダンスパーティで最後に見た彼はまだ少し少年の面持ちが残っていたが数年ぶりに見る彼は年を重ね、青年の風貌になっていた。相変わらず無表情だったが今ではもう彼が何を考えているのかよく分からない。
フローラは彼を拒絶するように険しい顔でずっと窓の外を見ていた。
ふと、目の前に座っているオズワルドが突然言葉を発した。
「一週間後…。正式に婚姻式を執り行う」
沈黙が続くなかオズワルドが突然、突飛な発言をしたのでフローラは内心とても驚いた。
「はぁ!? 誰のよ!?」
彼女は情報の少ないその言葉に苛立ちを覚えながら乱暴に言葉を投げつけた。
「その内分かるさ」
「ふざけないで!その内って何よ! 今教えなさいよ!」
フローラはオズワルドを睨みつけると苛立ちを隠そうともせず言葉を返した。
しかし、彼はもうそれきり何も話さなくなった。