ダリスの話8
マリアが俺をじっと見ている。
離宮に報告に行くのはいつも夜の遅い時間になってからだった。そんな時間に城門は開いていないので隠し通路のような目立たない別の出入り口を使っていた。そこの扉の鍵を預かっていて俺はいつもそこから自由に行き来をしていた。
万が一、誰かに見つかっても不審に思われないように騎士の制服をそこに隠していて、着替えて出入りをしていた。他の騎士に紛れてしまえるよう、あの仮面は着けない。
今日もいつもと同じように離宮に向かって歩いていた。その途中でこの女に運悪く見つかってしまったというわけだ。どうしてこんな夜中にこんな場所にいるのか目を疑った。マリアは俺を珍しそうにじっと見ている。
「あなた見ない顔ね。その恰好…。新入りの騎士かしら?こんなに顔のいい騎士なんてここ最近、見かけた事はないわ」
そういって俺の目をじっと見てくる。その目をみた瞬間一瞬で寒気に襲われる。今までに感じた事のない得体のしれない何かが意識の中に入ってこようとしていた。このままでは危険だと心の中で大きく警報が鳴る。
その時だった。聞きなれたあいつの声がした。
「おい、そんな所にいたのか早く行くぞ! 何をしているんだ?」
マリアは背後からの突然の声に驚いて咄嗟に後ろに振り向いた。
彼女の視線の先には、いつもの騎士の格好をしたノアが立っていた。しかし仮面は着けていない。
彼女と目があうや否や、矢継ぎ早に話し出した。
「あなたは王太子妃様ではありませんか! 何故このような時間にこんな所にいるのですか!? 何かあったら大変です! さぁ、早く城の中に戻りましょう。誰か! 誰かいないか!」
ノアは、わざとらしくそう言って慌てた様子の演技をする。
「失礼致します」
そういうと有無をいわせずマリアを横抱きにして王宮の中に連れて行く。
「えっ!? ちょっ…。まって…!」
咄嗟の事で混乱しているマリアを気にもしないで近くにいたメイドにすかさず引き渡した。
「では、私共はこれで失礼致します」
「…待って!」
マリアが後ろで何か言っているが彼女の声は聞こえないふりをして俺達は颯爽とその場から離れた。彼女と鉢合わせてから今まで、ごくわずかな時間だった。俺はあっという間の出来事でしばらく呆気に取られていた。
仮面をつけていない俺達は人目に付かない様に気を付けて離宮にある自室に戻ってきた。
「ノア、ありがとう。助かったよ。どうしてあの場所にいたんだ?」
「あぁ、今日は従者が休みで俺が使いを頼まれて王宮に来ていたんだ。その帰りだよ。丁度あの女が一人でうろついている所を見かけて、何をするのか見ていたんだ。ある一件以来あの女を見かけたら様子をみるようにロレイン様に言われていたからな」
「おい、お前、随分顔色が悪いな、大丈夫か?どうしたんだ?」
「あぁ…あの目だよ。あの感覚、前にロディさんがいっていた事、わかったよ」
「あの目…。とても不思議な感覚だった。自分の意識が内面からゆっくりと何か目に見えないものに侵入されていくような感覚…。あの時ノアが来てくれなかったら自分の意識では抗えなかった。やっぱり何かあるんだ。なぁ、魅了の魔法なんて…。そんなのあるのかな…。そう考えたら今まで見たり聞いたりしてきた男達の態度に合点がいくんだよ!あいつも…オズワルドも、もしかしたら…。だったら俺は…!」
俺は必死であの時の体験を話していた。
「とりあえず落ち着け。もう大丈夫だから。そうだな…。とても信じられない話だが何かあるようだな」
「ダリス。今からいう事をよく聞いてくれ。俺はマリアに接触して近くで監視をする為の間者になろうと思うんだ」
「なんだって!? そんなの危険だ! さっき話したじゃないか! 俺は反対だ。他の男同様に、彼女の虜になったらどうするんだよ!」
「おい、お前は俺の親か恋人か? 大丈夫。俺の得意な事、まさか忘れたのか? 逆にあの女を俺の虜にしてやるよ。あの目は絶対に使わせない。もし彼女に取り込まれたらその時は俺を殺してくれ。俺のプライドにかけても好みじゃない女になんて惚れたりしないし唯一無二の女性はロレイン様ただ一人なんだから。でも成就はしないんだけどな…。ロレイン様にも相談してさっき承諾を得たばかりだよ。お前の時と同じで中々承諾してくれなかったが」
「ノアが女性を口説く事に関して天才的な能力を持っているのは知っているよ。でも…あの女はやっぱり危険だ! それに俺、モーリガン家とマリアが裏で繋がっている疑惑を掴んだ。まだ決定的な証拠ではないけど…。だからそんな事をしなくても大丈夫だよ。これから報告に行くところだったんだ」
「なんだって!? それは本当か!? だったら尚更だ。決定的な証拠を掴まないといけない。それに、少し前、ソフィア様が街に出た時襲われたんだ。カインさんが駆け付けて未遂で済んだんだけど。それで、その件にマリアが絡んでいるようなんだ。
ロレイン様の従者が偶然、怪しい男とマリアが何かの打ち合わせをしているのを聞いたのだとか…まるで誰かを襲撃しようとしている話のようだったと。その報告を聞いたロレイン様は、その日、ソフィア様が街に出かけると言っていたのを思い出して、急いでカインさんを街に行かせたんだ。そうしたら案の定だった。
カインさんの到着がもう少し遅れていたら、今頃どうなっていたのか…。本当にあぶないところだったらしい。マリアと話をしていた怪しい男が誰だったのか今も分かっていないんだ」
「どうしてソフィア様がそんな目に合わなくてはいけないんだ!」
「さあな。マリアが何を考えているのかなんて、俺達にはよくわからないよ。
それにマリアはソフィア様のご主人のアラン様を近衛に付けて二人だけで街にいたらしいんだ。アルヴィス様が見ている目の前で、ソフィア様が襲われそうになった。その現場をマリアとその近衛のアラン様が目の前で見ていたそうなんだ。
母を助けなかった父の姿を見て、父子関係が完全に壊れてしまったらしい。あんな小さな子供の心まで傷ついた。だからこれ以上なにか大変な事が起こる前に彼女を見張る必要があるんだ」
「それに、お前が言う、魅了の力が本当に存在してマリアがそれを使っていたら?
あの女一人の為にどれくらいの人間が不幸になるんだ? 愛する人を奪われた側も無理やり心を奪われた側も。今まで、嫌って程見てきただろう? このままじゃいけないんだよ。誰かが終わらせないといけない」
「もしも…、俺が俺じゃなくなったらお前の手で殺してくれ。お前にしか頼めない」
俺にそう言った彼の目は真剣だった。
「ノア! そんなの俺は嫌だ!」
「大丈夫だよ。万が一の話だ。俺を信じろ」
「分かった…。信じている」
そういって俺達はお互いに無事でいる事を誓い合って再び別れた。