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ダリスの話7


 ある晩、俺はロレイン様に呼ばれて執務室に向かった。

 夜も深い時間なのに難しい顔で、まだ書類に向き合っている。この人は一体いつ休んでいるんだろう。こちらが心配になる。


「ダリス、遅い時間に呼び出して悪かったわね」


「いえ、大丈夫です。ロレイン様こそ、そろそろ休まないとお体に良くないですよ」


「ええ、そうね、ありがとう。そろそろ休むわ」


「呼び出した用件だけど…。ダリス。モーリガン家に間者として潜入してくれないかしら」


「…! もちろんです! やっとお許しをいただけるんですね!」


「まだ若いあなたに、こんな危ない任務をお願いするなんて…。きっと私はどうかしているわ…。私の間者だと知られたら消されてしまうかもしれない。それでも、フローラの行先を探る手段がこれしかないの。それに、これ以上あの家に好き勝手にやらせておくわけにはいけないのよ。私に力を貸してほしいの」


「もちろんです! そのために今まで懸命に力をつけてきたんです。私の事を心配してくださるお気持ちだけで十分です。必ず成果を上げて参ります」


「くれぐれも気を付けて。間者だと知られたら何をされるか分からない。それほどあの家は非道で用心深い。あなたに何かあったら私は悔やんでも悔やみきれないわ」


「はい、十分に気を付けます」


 俺はそう告げるとロレイン様の部屋を後にした。


 部屋に戻るとベッドで寝転がりながら本を読んでいるノアにすぐさま報告をする。


「やっとロレイン様が決断してくれた。これであの屋敷から情報を集められる」


「そうか。決まったのか…。でも…俺は正直良かったと言えない。お前に何かあったらと思うと心配で仕方がない。それに、いつも一緒だったお前がここからいなくなる事は正直少し寂しいよ」


 ベッドに座りながら虚ろな目でぼんやりと壁を見ている。

 彼らしくない様子に俺は少し驚くが、彼なりに心配をしてくれているのだろう。

 そんな様子の彼に俺は茶化すように声をかける。


「おいおいっ。おれの親か恋人かよ。この日をずっと心待ちにしていたんだ。覚悟は出来ている。それに、報告するためにここにも時々戻ってくるしな」


「そうか…。お前の望んだ道だ。ただ何かあったら悲しむ奴がいるのを覚えておけよ」


「あぁ。そうだな。覚えておくよ」


 出会って6年が経とうとしていた。長いようで短い期間のように感じられる。俺達は気が付くと馬鹿みたいな思い出話を沢山していた。その晩はそうやって笑い合って過ぎて行った。


 翌日、迷わずある場所に向かった。それは祖父の家だった。屋敷の料理長を引退して今は街外れの小さな家に一人で住んでいる。

 会うのはこの街を出て以来6年ぶりだった。毎日慌しかったせいで王都に戻ってきてから今まで一度も祖父の元を訪ねていなかった。

 玄関のドアを開けて俺を見た瞬間、祖父はとても驚いた顔をしていた。


「ただいま」


 照れ臭さを隠しながらそういう。


「おかえり」


 いつもは無口であまり表情を変えない人だが、そう言った祖父の目元はほんの少し赤かった。


 家に迎え入れられ、過ぎた歳月を埋めていくように今までの事をたくさん話した。普段無口な祖父も今日は珍しく口数が多い。

 穏やかに時間は過ぎて行った。しかしその雰囲気を壊しかねない質問を、俺はこれから祖父にしなければいけなかった。それは、ここに来たもう一つの目的だった。迷いながら重い口を開く。


「長年じいちゃんが仕えていたあの屋敷、もし近い未来に取り潰しになったらどう思う?」


 任務の事は言えなかった。長年仕えていたのだから祖父にとってあの屋敷は特別な対象なのだと思った。自分の孫にそれを壊された時どう思うのかどうしても聞いておきたかった。

 しかし、彼の返答は意外なものだった。


「そうなったら、それが俺の本望だ。モーリガン夫妻に対する忠誠心はない。あの屋敷に思い入れもない。俺があそこに居た理由は他にあったんだから」


「他の理由?」


「そうだ。前夫人、フローラお嬢様の実の母上の墓があったからだよ。俺は彼女の墓に彼女が好きだった菓子を作って月命日に花と共に供えていた。そのためだけにあそこにいたんだ。もし、あの家が壊れるなら彼女もきっとそれを望むだろう」


 意外な返答と今まで知らなかった事実に驚いた。フローラの実母の墓があったなんて…。祖父がそれを守っていたなんて。どういう関係だったのかは聞かなかった。

 祖父の気がかりはあの屋敷を去る事になって墓を守る事が出来なくなった事だけだった。


「何をするのか聞かないがお前がそう決めたのなら望む通りにするといい。でも、危ない事はしないでほしいというのが本音だよ」


 祖父は帰り際俺にそう言うと俺の姿が見えなくなるまでずっと家の前に立っていた。


 祖父の家を出ると俺はすぐにモーリガン家の衛兵として志願するため屋敷に出向いた。そこで採用担当の男に剣の腕を見せるように言われた。既にいる衛兵の男と模擬対戦をさせるようだ。試合開始後すぐ、いとも簡単に勝ってしまった。その結果、雇い入れられる事がその場で即決された。


 使用人寮の部屋をあてがわれ、衛兵に案内されながら屋敷の廊下を歩いているとあの庭が見えた。あの時の様々な記憶が蘇って懐かしい気分になる。フローラがいなくなってから、堕落した俺はシャリーによく叱られていた事を思い出した。彼女は今どうしているだろう。兵士団にいたときはよく手紙のやり取りをしていた。

 最後の手紙で故郷に帰ると書いてあった。

 いつも心配ばかりかけていた彼女に今の自分の姿を一目見て欲しかった。そんな事を思っているとあの笑顔が無性に見たくなった。しかし今はもうそれは叶わない。今どうしているだろうと彼女に想いを馳せるとあの頃フローラもあいつもシェリーもみんなで笑い合っていたあの頃を思い出す。もう決して戻らない壊れてしまった思い出の中の人物は今はもう誰もいない。それがとても寂しく感じた。


 厨房にいた、かつての祖父の部下達も既にみな退職していた。見知った顔はもう一人もここにはいなかった。


 知り合いや身内がいなくなって寂しい反面、俺は後ろめたさを感じる事なく任務に尽力する事を決意した。これからやろうとしている事は場合によっては決して人に胸を張って言える事ではなかったからだ。どんなに批難されようとも心を殺してでも必ずこの家を潰してフローラの行方を掴むと誓った。


 模擬戦での俺の戦いが屋敷で話題になり、すぐにフローラの義母の近衛に就く事が出来た。部屋に通されて初めて彼女を間近で見た。スラリとした体形に派手な服装、冷静沈着。安くはないきつい香水の香りが彼女という存在を強く印象づけていた。

 すぐ隣には一人の侍女がいつもそばに付いていた。フローラの義母もその侍女を心底信用している様子で彼女もまた主人に忠実に仕えている。


 俺の顔を見ても前の料理長の孫で6年前までこの屋敷に居た事に二人とも全く気が付いていない様子だった。


 近衛に就いて重要な情報に近づけると一時、楽観していた。しかし現実は甘くなかった。彼女は重要な用事に俺のような新入りは決して連れ出されないのだ。長年仕えている衛兵を連れて行く。そんな用心深さに俺はとても驚いた。このままでは信頼を得る為に何年かかるか分からない。俺は違う方法を考えていた。


 そんな時あの侍女と二人で用事を命じられて屋敷を歩いているとフローラがいたあの部屋の前を通った。俺がその部屋をじっと見ているとその様子に気が付いた侍女が話を始めた。


「昔、婚約者に捨てられて用無しになった女があの部屋にいたのよ。哀れ過ぎて笑っちゃったわ。昔から反抗的で気に食わない子だったけど本当にいい気味だった」


 そう嗤いながら俺にそんな話をする女を見て一瞬で怒りが湧き上がる。しかし俺は次の質問をするために必死で怒りを鎮めた。


「彼女はその後どうしたのですか?」


 俺は平然を装って訊ねた。


「さぁ、そんな事知らないし興味もないわ。ある日、綺麗なドレスを着せられてどこかに連れていかれたけど」


 俺はこの時、この女を利用する事を決めた。それから少し彼女の事を調べる事にした。他の使用人に自然な振舞いで彼女の話を聞くと複数人から証言が取れた。昔からフローラの義母に侍女として忠実に仕えていて、義母と共にフローラを虐待していたという。美人で気が強い。あまり人を信用しない性格のようだ。結婚はしていない。恋人もいないようだ。


 彼女の情報を手に入れると早速行動に移す。同じ人間の近衛と侍女なので普段から顔を合わせる事は多い。出来る限り自然に会話をする頻度を上げていく。少し気弱で不器用な性格を演じる。彼女と身近な共通点を作り上げて共通項を話す。会話の内容から質問をしてそれを繰り返し、聞き役に徹する。そうして必ず彼女の話に共感をした。決して否定しない。受け入れて同調する。彼女と話している時は完全に自我を封印した。そうして少しずつ確実に彼女と信頼関係を築いていった。


「あの…こんな事あなたにしか言えないんだけど…。俺、どうも不器用で人と上手く話せないんだ。でもあなたとなら何でも話せてしまうから不思議なんだ…」


 ある時、そう言って自分の、偽りであるが弱みをさらけ出した。そうして、あなただけ、という言葉を入れて相手に自分は特別な存在なのだと思わせる。


 俺がそう打ち明けた途端、彼女の表情に変化があった。それから俺に対する表情はみるみる変わっていく。

 それからは呆気ないほど簡単だった。日に日に女の顔になっていくのが手に取る様に分かる。間もなくして強気な彼女が珍しく、しおらしい様子で俺に好きだと言ってきた。俺は心の中で悪態をつきながら笑顔でそれを受け入れた。そうして完全にその侍女の心を奪う事に成功したのだった。


 ここから次の段階へ移る。

 彼女は俺に夢中になっていった。俺の言った事は何だって聞くようになっていた。でもまだこれからだ。最終的には彼女にこの屋敷に関する極秘の情報を持ち出させて俺に渡してもらうつもりだ。そのためにはまず主人への忠誠心に亀裂を入れる必要があった。


 都合の良い事にたびたび夜にフローラの義母の部屋に呼ばれるようになった。初めて部屋に呼ばれた晩、俺は完全に感情を封印して覚悟を決めたのだが実際はただ普通にマッサージをさせられるだけだった。

 しかし、そんなふうに夜に呼ばれて部屋に入っていく姿をあの侍女の女にわざと見せつけるようにした。実際は何もないのだが。

 偽りの恋人である侍女にも俺は何もしていない。それでも前に一度迫られた事があった。

『一緒になれるその時まであなたを大切にしたいんだ』と恥ずかしそうに言う俺を見て侍女は顔を真っ赤にしながらあっさり納得してくれた。


 そんな理由もあって彼女の心はすぐに嫉妬の感情で支配されていった。そしてその強い感情は、俺を部屋に連れ込む彼女の主人に向けられていった。女の嫉妬は不思議と男には向かない。相手の女に向けられるのだ。侍女は俺の思惑通り、自身の思い違いから嫉妬の感情に完全に支配されていった。そうして日に日に彼女の忠誠心を嫉妬という感情で削いでいった。潜入して暫く経った頃俺は彼女に心のうちを明かすふりをした。


「すまない。愛しているのはあなただけなのに…。あの人が俺を離してくれないんだ。どうしたら俺は貴方だけのものになれるんだ」


 そういって彼女の前で憔悴して取り乱した様子を演じる。


「だったらいっそ…あの方を…あの方を消してしまいましょう」


 あの女の目からはもうすっかり自身の主人に対する忠誠心はなくなっているように見えた。

 その日を機に、次々と極秘の書類を盗み出す事を成功させた。それらを受け取ると俺はすぐにロレイン様に届けた。

 俺自身も屋敷の秘密を暴くため夜中に探りを入れていた。ある晩、地下に続く階段を見つけて降りてみると独房がいくつもある空間にでた。冷たい印象の石畳が薄暗い空間にぎっしりと敷き詰められている。独房の中をよく見てみると恐ろしい事にそのいくつかは最近まで使用されていた痕跡があったのだ。その事もロレイン様にすぐさま報告をした。


 そんなある日マリアとあの家が裏で繋がっているという内容の資料を入手した。

 あの女…。こんな事までしていたのか。これが明るみに出たらとんでも無いぞ…!


 ロレイン様にその資料をもっていく途中だった。俺は少し油断していたのかもしれない。


「あなた、そんなところで何をしているの?」


 突然後ろから声がして呼び止められる。

 くそっ! 誰かにきづかれた!おれは心の中で悪態をついた。俺は仮面のつけていない素顔のままゆっくりと振り返る。

 珍しい桜色の髪をした、あの女がこちらを見ていた。


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