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ダリスの話6


 季節は初夏から本格的な夏へ変わった。


 ここでの生活にも随分慣れた。ソフィア様達が離宮の庭に行くときはカインさんと共に俺達二人も護衛としてついた。それ以外は基本的にロレイン様の近衛として勤め、月日は何事もなく流れていった。


 ある時ふと、気付いた事があった。


 それは、俺達に向けられる離宮や王宮ですれ違う人々の視線だった。


 仮面をつけて歩く姿はとても奇抜に見えるのだろう。最初はそんな風に思っていた。しかし、俺達に向けられる好奇な視線は、日を追うごとに酷く気味の悪いものでも見るような視線に変わっていった。

 それがどうしてなのか俺達にはよく分からなかった。


 ある日、俺とノアはロレイン様から、王宮に来ている客人を離宮まで連れてくるように言われた。そのため王宮内にある使用人専用の細い廊下を歩いていると一人の女性が曲がり角から突然出てきて俺達にぶつかってきた。

 ぶつかった弾みで尻もちをついた女性に、ノアは大丈夫か尋ねて手を差し出す。

 珍しい桜色の髪の女性は顔を上げて俺達を見上げた途端、その可愛らしい顔を歪めた。

 そうして、ひどく嫌なものを見るように俺達に言葉を吐いてきた。


「何するのよ! あなた達! あら…。ロレイン様の噂の近衛達じゃない。醜い男は嫌いなのよ…。汚らわしい。私に触らないでよ!」


 そういうと彼女は、ノアがさしだした手を乱暴に払いのけると、すぐに立ち上がり、ひどく悪意のある態度で俺達を睨みつけて去っていった。


 ノアは差し出した手をそのままにしながら絶句して固まっていた。


「俺、女性にあんな風にゴミでも見るような目で罵られたのは初めてだよ…」


 そんな俺達の会話を聞いていたのか近くにいた使用人の男が俺達に話しかけてきた。


「仮面をつけた騎士なんて目立つから、あなた達には色々な噂が出回っているんだよ」


「どんな噂だ?」


「君たち兄弟がいつも仮面をつけているのは仮面の下の素顔が火傷の跡でひどく醜いからだって」


「なんだよ、その噂!俺達は兄弟じゃないし火傷の跡もない。それに、あの性格の悪そうな女は誰なんだ」


「あぁ。まだ見た事が無かったのか。王太子妃のマリア様だよ。最近お気に入りの男に会う為、ここまで忍び込んでくるんだよ」


「あれが…!?」


 怒りが湧き上がっていく。悠々と去っていく女の後ろ姿を険しい表情で見ているとノアが男と会話をしながら俺の背中をポンと叩いてきた。怒りの感情で支配されそうになっていた意識がそれによって呼び戻された気がした。


 そうして冷静な意識に戻ると思い出した。あの女、一度見た事がある…。以前、フローラに頼まれて学園に忍び込み、待ち伏せていたあの女に真っ白い石を渡した事があった。

 あの石は一体なんだったのだろう。そんな事を考えながら無事に客人を連れてくるとその日はそのまま何事のなく過ぎて行った。


 あの日からマリアを見かける事はなく穏やかな日々が過ぎていった。

 しかし、ある日、執務室の窓から外を見ていたロレイン様が急に慌てた様子で部屋から出て行った。珍しく慌てている様子を不思議に思いながら俺達はその姿を追う。


 裏口から外へ出る。前方に見える石畳の道の真ん中で男女が向かい合って立っている姿が見えた。男性は珍しい黒髪で精悍な顔立ちをしていた。女性の方は桜色の髪が特徴的な例の女、マリアだった。


 マリアが黒髪の男に話しかけているようだが黒髪の男は整った顔を真っ青にして黙り込んでいる。


 ロレイン様はマリアとその男性に近づくと、ゆったりとした口調でマリアに声をかけた。

 そうして、穏やかな口調でにっこりとした笑顔を作ると、ひどく嫌味だと取れる言葉をマリアにぶつけ始めた。俺はそんな様子のロレイン様を初めて少し恐ろしいと感じてしまった。

 それほど何かとてつもない迫力を感じたのだ。一方のマリアはロレイン様の言葉を受けると悔しそうにその場からすぐ去っていった。


「ロディ。大丈夫?」


「えぇ。ありがとうございます。 本当に助かりました。もう終わりかと思いました」


 黒髪の男はロレイン様に心から感謝の言葉を述べる。

 同時にとても疲れ切った様子も見せていた。


「顔色が悪いわ。少し休んでいきなさい」


「しかし…」


「このままではとても心配だわ。休んでいきなさい。私の命令よ。大人しく聞きなさいね」


「ダリス。彼の事は頼んだわ。後はよろしくね。ノア、私は執務室に戻るからついてきて」


「はい、ロレイン様!」


 ノアが張り切って返事をするとロレイン様は彼と共に離宮の中に戻っていった。

 俺は彼女の姿を見送りながら残された黒髪の男性に声をかける。


「ではこちらへ」


 そういって彼を離宮の一室に案内してソファーに座わらせる。近くにいたメイドを呼び止め彼に飲み物を持ってくるように頼んだ。


「ありがとうございます。私はアルバンディス家で執事をしているロディと申します」


「私はダリスと申します。春からロレイン様の近衛になりました。ソフィア様のお屋敷の方ですね。ひどく顔色が悪いのですが一体何があったのですか?」


「はい、ソフィア様に用事があり、そちらに赴いていました。帰ろうとした道で突然マリア様に呼び止められると、自分の従者になるように言われました。しかし私は今の仕事がとても好きなのです。ですが、一介の使用人に過ぎない私は王太子妃である彼女の命令を断る事が出来なかった。

 そうして返事の言葉を躊躇して黙り込んでいた所にロレイン様が助けに来てくれました。あの時、マリア様のあの目にずっと見つめられて、何か得体の知れない恐怖を感じていました。その結果、この有様です。もし、あのままの状態でいたら私はどうなっていたのか…」


 先ほどのメイドが暖かいお茶を運んできて彼の前に置いていった。


「そうでしたか。彼女の目が…。皆、不思議と彼女に魅せられてしまうと聞きました。それと何か関係があるのでしょうか…」


「どうでしょうか…。あのまま、彼女に見つめられていたら、自分が自分ではなくなってしまうのではないかとう恐怖を感じました。ところで…。貴方が仮面を着けているのはロレイン様のご指示ですか?」


「はい、そのとおりです」


「やはりそうでしたか。その仮面は人目につく場所で絶対に取らない方がいいですね」



 それから俺達は、たわいもない会話をした。彼はとても知的で会話の端々から頭の良さがうかがえた。端正な容姿もさることながら発する声の良さが耳に心地良かった。

 ソフィア様や二人の子供達の事をいつも気にかけているようだ。どうしてそれほど彼女達を心配しているのか、俺は後日知る事になる。そうして体調も戻り、帰る頃にはすっかり打ち解けた間柄になっていた。

 夜になって部屋に戻ると、今日、ロディさんと話した内容をノアにも話をする。


「そうか…彼女から嫌な気配がしたと…」


「ノアは彼女の印象をどう思う?」


「外見は悪くない。あの可愛らしい顔立ちは男の庇護欲をくすぐるんだろう。でもそれだけだな…。悪いが誰もが狂おしいほどに心を奪われるような魅力的な女性にはとても見えない。接する相手によって態度も変わるんだろうし。彼が感じた嫌な感じか…。彼女には何か秘密があるのかもしれない…。」


「でも、沢山の男を魅了する女性、いわゆるノアの女版のような、自分と似た彼女に興味は湧かないのか?」


「恐れ多い事をいうなよ。王太子妃様だぞ? まったく興味なんて湧かない。何より同じ扱いになんてされたくない!」


「最後の方、下げる発言があったような…」


「気のせいだろう。それに…。彼女そのうち、やられるぞ」


「どういうことだ?」


「まぁ、いつか分かるよ」


 そういうとノアは、妙に引っかかる言葉を残してベッドに入ってしまった。


 ロディさんの一件からすぐ、マリアが新しい近衛をつけている事に気が付いた。しかも、とびきりの美形だ。

 マリアの方が事あるごとに彼に積極的だ。一方で彼の方は無表情を貫いているようだが迷惑そうにしている。その様子が今までの男達とまったく違う反応だ。何故だろう。


 ある時、庭で元気に走り回っているアルヴィス様を見ていたら、あの近衛によく似ている事に気が付いた。髪の色も目の色も顔立ちもとてもよく似ている。そうしてアルヴィス様は時々彼らの姿を遠くに見つけては全ての感情を無くしたような表情で彼らを見ているのだ。

 ソフィア様もそれに気が付いていて、一瞬だけ表情が曇る。

 そうしてカインさんもそんなマリアの様子を、特に近衛の騎士の方を睨みつけるような目でいつも見ているのだ。

 なにかとんでもなく複雑な相関図を見ているような気分だった。


 ある時、王宮であの近衛の騎士を再び見かけた。思わず彼の姿を目で追っているとまたいつかの使用人の男がこっそりと俺達に教えてくれた。


「あの方はロレイン様の弟君でアラン様というんだ。騎士団を束ねているドリュバード家当主で、ソフィア様の旦那様だよ。結婚前からマリア様に相当入れ込んでたんだ。マリア様が殿下を選んで王太子妃になった後もそのまま彼女に気持ちを残したまま仕方なくソフィア様と結婚したそうだ。そのせいで夫婦仲は最悪で、アラン様の方がソフィア様をひどく冷遇しているともっぱらの噂だよ。あんなに美人で優しそうな良い嫁さんなのにさ」

 

 その話を聞いてロディさんがソフィア様を心配している理由がわかった。


「ソフィア様も被害者なのか…しかも結婚前からなんて…。あんなに小さな子もいるのにな…」

 

 ノアがやるせない様子で呟く。


「あぁ。まったくだよ。どいつもこいつも最低だ…」


 俺は彼にオズワルドや王太子を重ねて見ているような錯覚がして嫌悪感しか湧かなくなっていた。


 ソフィア様達がお休みで来ない日、カインさんは王宮にいる騎士達の指導に行ってしまう。そしてこんな日は決まってある人物がこの離宮を訪ねてくる。

 それがあの男、王太子だ。アイスブルーの瞳にさらりと揺れる金髪、ひと際美しい容姿が目を引く男だ。


「やぁ。ロレイン。今日もとても綺麗だよ」


 キラキラとしたオーラでも出ているんじゃないかと思うような振舞いで颯爽と部屋にやってくる。


「あら、何か用事かしら?」


 そんな王太子の方を見る事もなく淡々とそういう。


「用事がないと君に会えないのかい?」


「ええ。そうね。用事が無いならとっとと帰って」


 いつも穏やかで優しい彼女だが唯一この男の前だけはまったくの別人のように冷たくなる。


「君の美しい笑顔とエルの可愛らしい姿を見に来たんだよ」 


 この人のすごい所は、どんなに冷たくあしらわれても諦めないところだ。


「残念だけど、あなたに見せる笑顔は持ち合わせていないのよ。大体、執務は終わったの?」


「当り前じゃないか。可愛いエルとも遊びたいし、美しい君とも一緒に居たいんだよ。アランの息子達が来ない日は君とエルに会えるからその前日に必死に終わらせているんだ」


「さぁ、エル。私と一緒に遊ぼう!」


「いえ、大丈夫です。それよりノア、さっきの続きをしようよ」


 そういうとエルトシャン様はノアの手を引いて部屋を出て行く。


「えっ…エル…?」


「今日はカインが居ないと思っていたのに…。なんだ!あの兵士は!」


 王太子は悔しそうにノアを見ている。そんな王子を横目に、ノアは仮面の下ではさぞかし勝ち誇った顔をしているのだろう。


「あなた、たった今完全に暇になったのよね? それじゃあ、あなたの最愛のマリア様の分の仕事、お願いできるかしら?」


「えっ…。あの女の事はもう…。君が一番大切だって気が付いたんだ。君の為なら何でもしたい」


 今まで王太子の顔を一回も見なかった彼女が急に顔を上げると一瞬恐ろしいほど冷たく無表情な顔をした。


「なんでもしてくれるの? じゃぁ、マリア様の分と、それと、私の分も追加で願いするわね」


 そういって分厚い書類を容赦なく王太子に渡すと、もう彼に用は無いというように背を向けて部屋を出て行こうとした。


「そうだ」


 不意に彼女は王太子に振り向く。


「なんだい?」


 振り向いた彼女に何を期待したのか彼はパッと明るい顔をした。


「まだあるから、後で私の従者に持って行ってもらうわね」


「えっ…! まだあるのか!?」


 慌てている彼をそのまま無視をして、何事も無かったかのように先を行った彼らに嬉しそうに呼び掛ける。


「ちょっと待って! エル、ノア。今日は急に仕事がなくなったから私も加えて」


 残された王太子はその美しい顔を落胆させながら重たい書類の束を抱えながら重い足取りで部屋を出て行く。


 王太子にこんな扱いが出来るのはきっと彼女くらいなのだろう。


 そんなやり取りを見ていた俺はほとほと王太子に呆れてしまった。今更だ。もう全てが遅いのに気が付いていないのだから。


 その後、久々に仕事から解放されたロレイン様がエルトシャン様と遊ぶ様子はとても穏やかで楽しそうだった。

 風に飛ばされて木に引っかかってしまった帽子を取るため、慣れた様子で木に登る様子の彼女に俺とノアは唖然とした。


「昔よく、ここから逃げたくて色んな所に登っていたの」


 サラっとそんな事をいう彼女の幼少期がどんなものだったのか考えると少し心が痛くなった。


 その後、俺の熱意に負けたロレイン様が、モーリガン家の諜報員として俺を潜入させる事を決めたのはそれからすぐの事だった。



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