ダリスの話5
そんな話をしているとカインさんが部屋に戻ってきて、先ほどロレイン様が言っていた仮面の件の説明を始めた。
「先ほどロレイン様から要望の仮面着用の件だが、実は王太子妃のマリア様が原因なんだよ」
「どういうことですか?」
「中々話しにくい内容だが、彼女は容姿の良い男を次から次へと傍に置きたがるんだよ。そうして目をつけられた男達はどういうわけか皆、我を忘れたように王太子妃様の虜になってしまうんだ。その男達に婚約者や恋人がいても同じなんだ」
「それと…。王太子妃様を悪くいう事は厳禁だ。彼女は精霊の加護を与えられていて、彼女を悪く言えば精霊達が怒り出す。怒った精霊達は光の魔力を貸してくれなくなる。要するに光魔法が使えなくなるんだ。今まで何度精霊達を宥めたのか分からない」
「えっ…」
とても信じられない話だった。
そんなとんでもない女性が王太子妃だなんて…。
それでは男性を取られた女性達の怒りや悲しみをぶつける先がないだろう。哀れに思った。
そしてその一人がロレイン様なのだ。その上、王妃教育が進んでいないマリア様は王太子妃としての仕事がまったく出来ない。そのためロレイン様がその全てを代わりにこなしている有様だった。
彼女の今の立場やあの殺伐とした執務室の机を思い出した俺は、王太子妃に対して腹の底から沸々とわく怒りを感じた。
その晩、執務が落ち着いたロレイン様から呼び出しを受けて俺はノアにブツブツ言われながらも彼女がいる部屋まで急いだ。
「ダリス。よく来てくれたわね。ここに着いてから少しは長旅の疲れが癒せたかしら。明日から本格的に護衛の仕事をお願いするわね」
「はい。ロレイン様。お心遣い感謝します。それと、先ほどはとんでもなく無礼な行いをしてしまい大変失礼致しました」
「いいのよ。最初はとても驚いたけど貴方がフローラをとても気にかけている事がよく分かったわ。相当な覚悟をもってフローラ捜索の足がかりを作ろうとしてくれた事に感謝します。さて…。彼女の話だけど、どこから話そうかしらね…」
そう言ってフローラがあいつから婚約破棄を宣言されたダンスパーティーというイベントの話を聞いて俺はあいつに血がたぎるような怒りを覚えた。
あの日、朝からめかし込んで出かけたと思ったらすぐに屋敷に戻ってきた訳がようやく判明した。
大勢が見ている前であいつとあいつの浮気相手の女が一緒になってフローラを厳しく糾弾したのだ。理由はその浮気相手を彼女が虐めたからだそうだ。 彼女がそんな事をするはずがない。何故そのような卑劣で心をズタズタに引き裂くような残酷な事ができるのだろう。その結果彼女はいなくなった。許せるはずがない。
ロレイン様の情報はここまでだった。ダンスパーティー後の彼女の足取りは分からないらしい。
「ちなみにあいつは…。オズワルドはその女性とどうなったのですか?」
「それがね、彼女はあっさりオズワルドを捨てて王太子のアルフォンスを選んだのよ」
「王太子を選んだ? では…。その女性というのは…」
「王太子妃のマリア様よ」
「!…」
その事実を聞いて一瞬で腹の底から煮えたぎるような怒りが再度沸いてきた。
先ほどカインさんから聞いた精霊の件で、哀れに思っていた女性達の一人がフローラだったなんて…。
そんな俺の様子を察したのかロレイン様が冷静になるように声をかける。
「ダリス。落ち着いて。気持ちは分かるわ…。私も同じだから。でもカインから説明されたでしょう。精霊の件。どうか抑えて…。どうしようもないのよ…。今はあなた達が今度の彼女の標的にならないように最善の注意をしなければならないの」
「あいつは…オズワルドはそれからどうしたのでしょうか…」
怒りを押し殺して俺は、あいつがその後どうしたのか聞いてみた。
「彼はそんな風にあっさり捨てられたにも関わらず、マリアに未練を残していたわ。彼女以外との結婚は決してしないと宣言して姿を消してしまった。私も彼がその後どうしたのか分からないのよ」
何てことだろう…。あいつの愚かさに呆れてものが言えなかった。あいつが今どうしているのかなんてもうどうでもいい事のように思えた。
「モーリガン家しか彼女の行方を知らない。おそらく、オズワルドとの婚約破棄で利用価値が地に落ちた彼女を最も有効に使う手段を使ったに違いないわ…あの家は昔から裏の商売に手を出しているのよ。それが絡んでいるかもしれない。脅かすようで申し訳ないのだけど悪い予想しか出来ないわ。モーリガン家の表向きの言い分では遠い領地に静養に行かせているそうよ。私はすぐに密かに調べさせたけどフローラがそこに居る事実は確認できなかったの」
「そんな…。しかし何故そんな黒い商売をしていると分かっているのに捕らえて尋問しないのですか?」
「あの家はとても用心深くて決定的な証拠が掴めないのよ」
「…。じゃぁ…。俺をあの家に潜入させてください。俺は昔あの家にいましたから」
「それはダメよ。万が一私の間者だとバレたらどうなるか…。まだ若いあなたにそんな危険な真似はさせられないわ」
「しかし…」
「それにソフィアも。私の幼馴染で弟に嫁いだ友人がいるのよ。彼女も懸命にフローラの行方を捜しているわ」
「ほんとうですか!? その方もフローラを心配してくれているんですね…。屋敷で虐げられていて孤独だった彼女にそんな風に懸命に行方を探してくれているソフィア様やロレイン様がいる事がとても嬉しいです」
「あら。私もあなたに同じ事を思っているわよ。彼女を大切に思っていてくれてありがとう」
部屋に戻るとノアが恨めしい目で俺をみてくる。
「ノア…。フローラの話をしに行っていただけだよ。そんな目で俺を見るなよ」
俺は何故ノアに言い訳めいた事を言っているんだ? 疚しい事など俺と彼女の間に起こるはずもないのに。
「俺、嫉妬という感情がやっと分かったよ。モヤモヤして落ち着かない。心が重たい何かで押しつぶされるような痛みを感じる。俺は今、猛烈にお前に嫉妬をしているようだ」
冗談なのか本気なのかいまいちよく分からない口調でそう俺に言ってくる。
あぁ…。本当に調子が狂う…。はっきり言って面倒だ! 前の方がまだ扱いやすかったように思う。
「それでその、お前が探しているフローラ嬢の行方について何か分かったのか?」
「それが側妃の立場でも中々調査に進展がないようだ…。フローラの実家であるモーリガン家しか居場所は分からないだろうと言っていた。俺はあの家に間者として侵入して何か情報を掴みたいと思っているけどロレイン様に危険だと止められたよ。でも、彼女が首を縦に振るまで懇願し続けてみようと思っている」
「そうか…。 俺も必要ならお前の力になるから困ったら遠慮なく言えよ」
「あぁ。ありがとう。ノア。明日からの近衛の任務に備えてもう寝よう。ほら明日からロレイン様の傍にいられるんだからさ」
部屋の明かりを消すと俺達はそれぞれのベッドに入った。ちなみにここでもノアと部屋は一緒だ。
ここまで一緒だともう腐れ縁なのだろう。
早朝言われた時間に集まる。仮面をつける事を忘れなかった。
「長旅の疲れは癒せたか? 俺の方は今日から離宮に勤めに来るソフィア様とその子供達の警護にあたるからお前達にはロレイン様の警護を任せる。それと…ノア。ロレイン様に失礼な事をするんじゃないぞ。お前のような女性にだらしのない存在は、もはや女性にとって害だからな。口説くような真似は絶対にするなよ。まぁそんな事になびくロレイン様ではないが」
昼過ぎにソフィア様と二人の子供達が離宮に来た。
ロレイン様はとても嬉しそうだった。年相応の若い女性の様に少しはしゃいでいるように見える。
毎日あれだけの量の書類を捌き、激務をこなしている彼女にとって気の許せる友人に会える事はとても嬉しい事のようだ。
現れたソフィア様はグレーの髪が美しい控えめで清楚な容姿のとても美しい女性だった。
俺達は彼女達の再会の邪魔にならないように少し離れた所でその様子を見守っていた。とても楽しそうに会話をしている様子がうかがえる。
「あれがソフィア様か。彼女もロレイン様に見劣りしない美しい女性だな。この王都はどうなっているんだ!美女だらけだな。二人の子供達もとても可愛らしい。確かロレイン様の弟君とのお子だろう? 将来有望だな」
「おい。ノア。言い忘れていた。絶対にソフィア様を口説くなよ…!いや、近づく事も許さない。絶対にだ!」
カインさんはいつもと違う厳しい口調でノアに対して釘をさす。その目は真剣そのもので殺気すら含まれているように感じた。その剣幕に俺達は震えあがった。
しかしなぜカインさんがそこまで彼女に固執するのかよく分からない。
そんな話をしているとロレイン様が一人の子供を連れてソフィア様に引き渡した。
ノアがすかさず尋ねる。
「カインさん、あの子はどちらのお子でしょうか」
「あぁ、あの方はロレイン様の実子でエルトシャン様というんだ。お世継ぎとして将来国を背負っていくお方だよ」
「……。お世継ぎ…」
ノアが小さく呟く。
ロレイン様に面影がよく似ている。仮面の下からは分からないがおそらくノアは相当ショックを受けているようだった。
カインさんはそんなノアと俺をその場に残しソフィア様達について行ってしまった。
「お世継ぎがおられるという事はこの国の繁栄にとってとても喜ばしい事だよ。それでも…一言だけ言わせてくれ」
「何?」
「王太子はクズ野郎だよ…」
「ノア…。不敬罪で捕まるぞ…」
ノアの恨めしいその言葉に俺は苦笑いしか浮かばなかった。この日から俺達はロレイン様の近衛として仕える事になった。
『あれがロレイン様の新しい近衛達か。仮面の下の素顔は誰も知らないそうだ』
「幼い頃火事で顔に酷い火傷を負ったようだ。その痕がひどく醜いから仮面をしているそうだ』
『どうやら兄弟のようだ』
『仮面の下は直視できないほど醜いそうだよ』
そんなふうに俺達の噂は日を追うごとに尾ひれをつけて王宮全体に密かに広がっていった。