ダリスの話3
北にあるこの場所に、今年も暖かい風が吹き始めた。目を覚ますと窓からは満開の桜が見えた。花びらが風にさらわれてフワリと舞っている。
部屋の窓を開けるとさらりとした心地よい風が花びらを連れてきて頬を吹き抜けていった。
「ダリス、おはよう。髪に花なんかつけて何をしているんだ?」
そういうとノアはまだ眠そうな顔をしてベッドからゆっくり降りると俺の目の前にきて髪についていた花びらを取ってくれた。
ここに来た当初、見上げていた彼の顔も今は同じ目線になっていた。
ここにきて5年が過ぎた。
ノアと俺は相変わらず同室だ。相応の理由があれば相手を変える事が出来るが基本的に同部屋の相手は変わらない。毎夜開催されるノアの恋愛講義は、ほぼ強制参加なので多少の不満はあるもののノアと俺は馬が合っていた。
変わらない一日を、今日も当然のように過ごすものだと思っていた。
いつもと同じように早朝から始まった訓練を終えると食堂で朝食を食べる。
隣に座っているノアはとても眠そうだ。
非番の日はいつも12時の門限ギリギリで部屋に戻ってくる。非番だった昨晩も同じだった。たくさんいる恋人達一人一人と会っているのだ。
疲れ切ったノアを見て俺はため息をつく。なぜそこまでして複数の女性とつき会うのだろう。さっぱり理解できない。
しかし、そのおかげで俺がここにきた当初から回数は随分減ったものの相変わらず続けられてきたノアの恋愛講義は彼が非番の日とその翌日の晩は決まって聞かなくて済むのだ。
毎夜毎夜刷り込みの様に聞かされるノアの恋愛講義はいつしか自分でも気が付かないうちに意識の底にしっかりと刻まれていた。
一度奴に嵌められて女性の相手を断れない状況になった事があった。
フローラやシェリー以外の女性と初めて二人きりでまともに会話をしたが惑う事はなかった。その光景を見ていたノアは後で俺に驚いたように言ってきた。
「ダリス。お前すごいな。女に免疫がない奴があそこまでスムーズに相手ができるなんて。普通の奴なら少しくらいは動揺するところだよ」
俺は何がすごいのかよく分からない。興味のない女相手にどう思われようが構わないし感情が揺れる事はなかった。自分の意思とは関係なく必要があればノアのように歯が浮くセリフも自然に吐く事が出きた。
あの女性が仮にフローラだったら俺はどうしていたんだろう? 俺自身今までフローラを超える存在に出会った事はないし相変わらず彼女以外の女に興味がなかった。
朝食を済ませ再び訓練に励んでいると他の兵士達がザワザワと騒いでいる。
何事かとふと視線が集中している方を見ると俺達とは明らかに雰囲気が違う見た事がない人物が一人いて俺達の鍛錬の様子を熱心に見ていた。真っ白い制服に襟釘には黒の刺繍、背中には王宮騎士の証である金の紋章が入っている。となりにはこの兵士団を統括しているボーガン伯爵もいた。
ノアがそんな様子を見て俺に話しかけてくる。
「あの人はカインさんといって俺の先輩なんだ。お前がここに来た年、お前と入れ替わるようにここから王宮の側妃様の近衛として引き抜かれた人だ。実力は相当であの人に勝てた人を俺は見た事がないよ」
「そんなにすごい人なんだ」
「あぁ。羨ま……。いや…。何がすごいって側妃様の近衛に抜擢された事だよ。あの絶世の美女と噂の高い側妃様だぞ。その姿はまるで妖精のように美しいらしいんだ」
ノアはめずらしく興奮気味に話をする。
「王太子殿下とは幼少時代から共に厳しい王族教育を支え合って苦楽を共に分かち合ってきた仲だっていう噂だよ。でも、どうしてそんな彼女を側妃にしてしまったんだろうなぁ…。ぽっと出の聖女になった女を選ぶなんて。長年支えあって信頼し合える絆があったのに。そんな絆を結べる人物は貴重なのにさ。そんな大切な人を側妃として嫁がせて王太子妃にした聖女との仲を近くで見せつけるようなひどい仕打ちをして…最低だよ。人間の屑だよな」
「…確かにそうだ…。でも、そんなまともな感性をノアが持ち合わせていたなんて驚きだよ。特に最後の言葉、どの口がそんな事いうのかと思ったよ」
「おいおい、俺の事どういう奴だと思ってるんだよ」
「えっ?! 今更それを俺に聞くのか?」
「大体、築いてきた絆を踏みにじって至極の美女にひどい仕打ちをしている王太子のクズ野郎に腹が立って仕方ないよ。そんな事をしたらどんなに強い絆でももう二度と信頼を取り戻せないよ。きっとロレイン様はそのクズ野郎のせいで毎夜泣きはらしているんだろうな」
「……! ロレインだって!?」
「お前、側妃様の名前知らなかったのか?」
「……。俺…ロレイン様に会いたい!」
「なんだよ、お前。あんなに女に興味がないっていっているくせに、やっぱり至高の美女は好きなのか?」
そんな会話をしていると、いつの間にかカインさんが俺達の傍にきていた。内心とても驚いた。それまでまったく気が付いていなかったからだ。
「やぁ。鍛錬の様子を見せてもらっていたよ」
爽やかな容姿で穏やかに微笑みながら俺にそう話しかけてくる。
「…! あの…! 俺を、俺を王都に一緒につれていってください!」
突然必死に食らいつく俺におそらくカインさん少し引いていた。でも形振りなんて構っていられなかったんだ。
「…えっ!?」
「おい!ダリス。いきなり失礼だぞ。どうしちゃったんだよ」
「よう、ノア。久しぶりだな。いいんだよ別に。最初からそのつもりで声をかけたんだし。俺はカインといって王都で側妃様の近衛をしているんだ。君名前は?」
「えっ!? すっすいません…。突然…。俺はダリスと言います」
「ダリス。改めてお願いするよ。俺と一緒に王都にきてくれないか?」
「えっ……! はっはい! 行かせてください!」
「それにノア。お前もだ。俺と一緒に王都に来てくれ」
「えっ!? 俺もですか? もちろんです!」
「急で申し訳ないが明日ここを出発する。王都について正式に王宮騎士になった瞬間から兵士団から除団される事になる。だからもうここには戻って来られない。それでもお前達一緒に来てくれるか?」
「はい!もちろんです」
二人同時に返答していた。
「潔いな。気にいった。早速明日の朝出発するから今から荷物をまとめておいてくれ」
そういうとカインさんは伯爵と訓練場を後にしていった。俺達はその姿を見送る。
「ノアはここを離れる事に迷いはないのか?」
先ほどのノアの素早い返答に俺は少し戸惑いながら聞いてみた。
「あぁ、もちろん。むしろ王宮でロレイン様の近衛になって傍にいられるカインさんがいつも羨ましくて仕方なかったからね。ロレイン様の傍で仕える事ができるんだ。喜んで行くに決まっている」
「はぁ!? そういう理由なのか!?」
「そうだよ。何か問題あるのか?」
「いや…。もういいや。ノアはいつも俺の想像の遥か上を行くよね…。それにしてもカインさん、穏やかで優しそうな人だね。余裕があるように見えてかっこいいよ。ああいう大人に俺は憧れる」
俺はノアのその答えに対してそれ以上考える事をやめた。それからすぐに思考はさっき会ったばかりのカインさんへと移る。ああいう大人になりたい。俺は本気でそう思っていた。
「お前、あの人のあの雰囲気に完全に騙されてるな。あの人、素は滅茶苦茶口が悪いんだよ。幻滅するぞ。それにあまり怒る事は無いけどキレると、ものすごく恐ろしいんだ」
「ノアが言っても説得力がないよ」
「まぁこれから長い付き合いになりそうだしその内分かるさ」
「そうだノア。彼女達にお別れしなくて大丈夫なのか?こっちには戻ってこられないってカインさんがいっていたけど…」
「…! そうだ…。そうだよな…。今日も寝不足だよ…」
深いため息を一つして俺は慌てているノアを見て呆れる。
「ノア…色んな意味で自業自得だよ…」
その後すぐに俺達は訓練を切り上げるように言われて部屋に戻る。王都に旅立つ準備をするためだ。
早くロレイン様に会ってフローラの行方を聞きたい。きっと何か知っているはずだ。
部屋に戻ると俺はいてもたってもいられなくて思わず宿舎の外に走りに行った。全速力で思いっきり走って体を動かすと少し落ち着きを取り戻した。
「そんなにロレイン様に会えるのがうれしいのか…その気持ちは同じ男として十分に理解できるよ。でも少し落ち着いたらどうだ」
ノアは呆れたように俺を見ていた。
「違うんだよ。ノア。ロレイン様はもしかしたらフローラの行方を知っているかもしれないんだよ。」
「どういう事だ?」
「彼女との会話でよくロレイン様の名前が挙がっていた。フローラは侯爵令嬢だったから側妃になる前、同じ爵位だったロレイン様とも交流があったはずなんだ。」
「なんだって?そのフローラって子は侯爵令嬢だったのか!?」
「あぁそうだよ。説明していなかったけど」
「その子はロレイン様と仲が良かったのか…。彼女も相当綺麗だったのか?」
「まぁ…相当綺麗だったよ…」
「あぁ、至高の美女が二人並んだ姿を俺は早く見てみたい」
「ノア…。心底女が好きなんだな…」
「王都は美女の宝庫だな。前に一度行った事があるけど早くもう一度行きたいよ。そうだ。お前と初めて会った時実はカインさんに用事があって王都に行っていたんだけど、その時は王宮の中には入れなかったしロレイン様を見る事ができなかったんだよな」
ノアはそういうと、まだ見ぬロレイン様に想いを馳せている様子だった。
それからお互い無言で荷造りに勤しむ事にした。俺はそんなにない荷物をまとめるのにさほど時間は掛からなかった。
最後に机の引き出しを開けて例のあの手紙を丁寧に手に取る。今まで大事に保管してきた。少し茶色く色褪せた紙が過ぎ去った歳月を物語っていた。封書に書かれた文字を指でなぞる。
結局あいつは来なかった。俺の居場所はじいちゃんが知っていたから俺が何処にいるのかすぐにわかったはずなのに。
どうしてあいつは来なかったんだ。俺はフローラの文字を見つめながら、あいつに対するイラ立ちを覚えた。
最初この手紙に彼女が何処に行くのか行き先が書いてあるかもしれないと思った。しかしフローラが、自分を捨てたあいつに助けを求めるような内容の手紙なんて書かないだろうとすぐに思い直した。
あいつと彼女の間には俺が不用意に踏み込む事が出来ない確信的な何かがあった。それが寂しくて悔しくて悲しくてどうしようもなく腹が立つ。どうしてあいつにだけ手紙を残したの? どうしてこの手紙は俺宛てじゃないの? 俺は手紙の宛名にフローラが書いたあいつの名前を見ながらぐちゃぐちゃになった気持ちを必死に押し殺していた。
その時俺の後ろでノアが、いつもの軽い口調で声をかけてきた。
「おっ。何だ?ラブレターか?」
ぐちゃぐちゃになった気持ちを押し殺してやっと一言声を出す。
「…俺宛てじゃないよ…」
そういうとノアはそれ以上俺に何も聞いてこなかった。
俺はしばらくその手紙を眺めながら壊れ物を扱うように丁寧にそっと荷物の中にしまった。
早朝、俺達はカインさんと共に長年お世話になった兵士団を後にした。
王都に着くと俺達の真っ黒い兵士団の制服は真っ白い王宮騎士の制服に変わった。
(年内最後の更新です。ここまで読んでいただいてありがとうございました。まだもう少し続きますが来年もよろしくお願い致します。皆様、よいお年をお迎えください)