閑話4
ぼんやりした視界に白い天井が見える。
横たわる自分の体を動かすと柔らかな感触の上の清潔なシーツに衣擦れの音が響く。
あの冷たい石畳の床の部屋からいつ移動したのか分からないがどうやら自分はどこか別の場所にいるらしい。
目覚めたばかりでまだぐったりしている体をゆっくりと起こす。
あたりには誰もいない。窓越しに柔らかな陽の光が差し込む明るい部屋のベッドの上だった。
私はいったいどうしたのだろう。それにいつ着替えただろう、あの男性の手当の為に破いたスカートは履いていない。代わりに肌触りの良い白いネグリジェを着ている。
そういえばあの男性はどこだろう。見渡す限りこの部屋には私しかいないようだ。
彼はあれからどうしたのだろう。無事にどこかで適切な治療を受けているだろうか。出血がひどく朦朧としていてそれでも懸命に何かを伝えようとしていた。必死に声を出そうとしている姿に私はそれ以上無理をしないように言うとこちらに悲し気な表情を向けてくるだけだった。
あの時、私に何かを訴えかけてくるような彼の悲痛な表情が頭から離れない。
陽の光で暖かそうな窓辺から外の様子を見ようとベッドから降りてゆっくりと歩き出す。
大きな姿見の前を通るとアッシュグレーの長い髪をした大人しそうで控えめな印象の美しい女性が映っているのが目に入る。これは私だろうか…。 鏡に映った自分らしき姿を見ながらその場に立ち尽くしていた。
ふと誰かが部屋に近づいてくる足音が聞こえてくる。その足音は部屋の前でピタリと止まり、次にノックの音が聞こえた。
咄嗟に私は返事をする。
ゆっくりドアが開き一人の女性が入ってきた。
「やっと目を覚ましたのね。とても心配していたわ。貴方は今までずっと行方不明だったのよ」
チェリーブラウンの髪が特徴的な可愛らしい顔立ちをした女性だった。
「私は行方不明だったのですか?」
親し気に話しかけてくるこの女性から驚くべき事を聞かされて思わす聞き返してしまった。
「なぜ敬語なの?私と貴方の仲でしょう?もしかして私の事忘れてしまったの?」
その女性は私をからかうように軽く笑いかけてくる。
「…。」
私は彼女が誰なのか知らない。記憶がない。そもそも全てにその事が当てはまるのでどのように返答するべきか必死に頭を巡らせる。そうしている間に私と彼女の間には無言の時間が流れていた。
そんな私の反応で本当に自分が忘れられてしまったと察したのか彼女は突然私の両腕を掴み迫ってくる。
「うそでしょう!?私の事を忘れるなんて!私よ。あなたの親友のマリアよ。あなた、自分の名前は言える?」
「私の名前…?」
そうだ。私は誰なのだろう。
「あなたはオリヴィアでしょう? まさか自分の名前も忘れてしまったの!?」
「まぁいいわ。ゆっくり思い出していきましょう。それに今あなたの旦那様がこちらに向かっているわ。発見の連絡はあなたを保護したときにすぐにしたわ。すぐに迎えに来るそうよ。でも隣国からだから到着まであと少しかかるけど。きっと会えばすぐに思い出すわよ。」
彼女は小さな子を諭すように私にそういうとその可愛らしい顔でふわりとした笑顔をつくり私に向けてくる。
行方不明…。 親友のマリア…。 私の名前オリヴィア…。 隣国の夫…。
彼女から次々と与えられる情報に私の頭はすっかり混乱してしまっていた。そのせいか急に視界が歪んで見えて立っていられないほどの激しい頭痛と不快感に襲わると徐々に視界が暗くなっていった。