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「ソフィアが…消えたですって!?」
ロレインが唖然としながら報告にきた兵士に詰め寄る。
「状況を詳しく説明して!」
「はい。私はロレイン様にあの部屋の警護を命じられてからずっと部屋のドアの前にいました。部屋の中からは暫くの間、絵本を読み聞かせる声とアルヴィス様やエルトシャン様と会話をするソフィア様の声が聞こえていました。しばらくして会話をする声が聞こえなくなりましたがソフィア様が部屋から出て来る様子がないのでノックをしてみましたが反応がありませんでした。すぐ近くで待機をしていた部屋付きのメイドに中の様子を確認してもらったところ何事もなくお休みになられているお子様達3人の姿は確認できましたがソフィア様だけが部屋のどこにもその姿を確認できませんでした」
「彼女が部屋を出て行った姿は一度も見ていないのね?」
「はい、私ども警護の者は一人もソフィア様が部屋から出ていった姿は見ておりません」
「すぐに屋敷内、周辺一帯と敷地内をくまなく捜索して。わずかな痕跡も見逃さない様に注意しなさい。それからソフィアがいなくなった事をアランに伝えて」
ロレインは先ほど報告にきた自身の護衛に冷静に指示を出し気丈に振舞ってはいるものの、ソフィアの身を案じてその顔色は優れない様子だった。
ロレインの横ではカインが握りしめた拳を震わせ悲痛な表情をしている。
「カイン…。ソフィアはきっと大丈夫。今はそう願いましょう…」
立て続けに慌しい足音がしてアランの部下の兵士が報告にきた。
「報告します。先ほどの破裂音は外の離れが発生源で間違ありません。その証拠に建物のほとんどのガラス窓が割られており、あたり一面にはガラス片が散乱していてひどい有様でした。建物の中には誰もおらず争った形跡と床には血痕が見つかりました」
「どういうこと!? 争った形跡って…ロディはどうしたのよ! 彼は副団長を呼びにあの離れに向かったのよ?」
「申し訳ありません。あの建物にお二人の姿は確認できませんでした。今アラン様が兵士を集めて総出で辺りの捜索をしています」
「ロディさんまで! どうなっているんだよ。一体ここで何が起こってるっていうんだ!」
ソフィア失踪の報告を聞いてしばらく茫然としたまま動けないでいたロイドだがロディまでもが失踪した事実を聞かされすっかり取り乱していた。
ロレインは暫く考える様子で黙り込んでいたが唐突にカインに命じて紙とペンの用意をしてもらい何かを書き始めた。
書き終えた紙をカインに短く一言命じながら渡し、その紙を受け取った彼はすぐに部屋を出ていくとまたすぐに部屋に戻ってきてロレインと短い会話を交わした。
「ロレインどういう事かしら…。部屋から突然いなくなるなんて…。もしこのままソフィアがいなくなったらどうしよう…。 もしソフィアがバッドエンドに向かっていたら…。私が死ななかったからだわ…」
フローラはひどく動揺している事が分かるほど体を震わせていた。
「フローラ! なにを訳の分からない事を言っているのよ! しっかりしなさい! ルルドさん、よく聞いて。もしもっと最悪な場合フローラの生家であるモーリガン家に彼女が生きている事が知られれば今度は彼女も危ない。いや…。既にきっとフローラが生きている事を知られているわ…。
最近やっと掴んだ情報ではモーリガン家はフローラがオズワルドと婚約破棄した後、裏商売の大きなパイプを作る為に彼女を隣国の貴族に嫁がせるつもりだったのよ。嫁ぐ予定だった貴族の男には加虐趣味があって長い間フローラを熱望していた。
しかしフローラは嫁ぎ先の元に向かう最中消息を絶った。何故その途中で彼女が証言したように御者の男が彼女を森に放置したのか疑問なのだけど…」
「そうよ…私はその男の元に嫁ぐ予定だった…。でもどういうわけかあの森に置き去りにされた。急に状況が変わって私に利用価値がなくなったからだと思っていたのだけど」
「でもモーリガン家がフローラに新たな利用価値を見出したら? その場合は正式な手続きを踏んで容赦なく取り戻しにくる可能性があるわ。あの家の言い分では彼女はずっと療養していたことになっていたのだから…。それにモーリガン家の貴族籍もまだそのままなのよ」
そう聞かされたルルドはその内容の衝撃が大きすぎて絶句している。
「自分の両親からそんなひどい理由で狙われているなんて…。思っていた以上に王都にきたリスクは大きかった…」
力なく項垂れながら絞り出すような声でルルドが呟く。
「それに…あの家は昔から裏で器量の良い子や魔力持ちの子供を孤児院で取引をして他国の貴族や商人に売り飛ばしていたのよ。こんな事は言いたくないけど今回は子供達も危ない。特にアンリは魔力、容姿の両方を持っているし並外れて優れたあの容姿ではさらに利用価値がある。養子にして政略結婚の駒にも出来るし愛玩趣向の奴隷にもできるから…。器量の良い子供はそれだけ利用価値が高い。同じ理由で容姿の良いアリスも危ないわ。あの家は、得にフローラの義母は彼女の父であるモーリガン家の当主を手玉に取ってやりたい放題だから手段を選ばない。だからフローラの実子であるあの子達もフローラ同様の手段で奪いに来る可能性がある」
「そんな…子供達も危ないなんて。そんな事僕は絶対に許さない!」
ルルドは動揺しているもののその感情は怒りでいっぱいになっていた。
「あの女はあの子達まで利用するというの!? それにあの家がやっている事は人身売買じゃない。だからあの人は昔からよく孤児院に通っていたんだ…!今まで何人の子が犠牲になってきたというのよ…。そんな事許されないわ…。」
「よく聞いて。もう少しでその悪行の証拠が揃う。そうしたらあの家とモーリガン夫妻に重い刑罰を下す事が出来る。証拠が揃うまであの家があなたを奪いに来る事を止める事ができれば…。それに上手く行けば裏で繋がっているマリアも捕らえる事が出来そうだわ。民衆の混乱が懸念されるけど…。それまでその件も何とかしなくてはいけないわね…」
「ちょっと待ってマリアとあの家は繋がっているの?」
「ええ、そうよ。間違いないわ。マリアにとって邪魔な存在をあの家のルートで排除していたのよ。だから最悪このままソフィアが見つからなくてマリアの関与でソフィアが失踪していたら……」
屋敷中で慌しく捜索が行われているなか、アランが慌しく息を切らしながら部屋に入って来る。
「姉上!ソフィアが…ソフィアがいなくなったと…!」
「ええ。今、護衛から報告を受けたのよ。子供達と一緒にいた部屋からソフィアだけ忽然と姿を消したのよ。今ここの使用人達と私の護衛達が屋敷中を探しているわ」
「アラン、ロディが副団長を呼びに行った後で彼とロディが共に姿を消した事、ソフィアが屋敷でしかも密室でいなくなったことでこの屋敷の安全性が疑われるわ。このままここにいては次に子供達になにかあったら取り返しがつかない。今はもうこの部屋や子供達がいる部屋には私の腹心の護衛だけをつけている。これから先はここより安全なソフィアとロイドの生家であるアルバンディス家に匿ってもらおうと思うの。もう手紙は送っておいたわ」
「フローラ。アルバンディス家はモーリガン家より格上だわ。だから万が一あなた達がアルバンディス家にいるという情報をあの家が掴んでもしばらくの間は突っぱねる事が出来る」
ロレインは唖然としているアランの横目に的確に次々と指示をだし続ける。
紋章の入っていないごくシンプルな数台の馬車が屋敷の裏にひっそりと到着していた。
「アルバンディス家から迎えの馬車が来たようね」
「今すぐアルバンディス家に子供達とフローラ達を移動させるわ。到着している馬車に乗せて」
すっかり寝てしまった子供達を起こさない様に慎重に馬車に移動させる。
「ロイドとフローラ達も一緒に子供達とアルバンディス家に行っていて。話はしてあるわ。このまま誰が敵か味方か分からない状態でここにいるのはとても危険だわ。私は至急離宮に戻る。
アラン、こうなった以上ドリュバード家の騎士団の兵士は信用できない。ロディが副団長と失踪している事から副団長が疑わしいわ。だから彼の手がこの屋敷と騎士団にどこまで伸びているか分からない。王宮から兵士を派遣してくるから到着次第捜索を再開させる。騎士団の侯爵夫人とその家の執事が自宅で失踪した事はもはや見過ごせない重大な事件よ」
「カイン、私は至急離宮に戻るわ。あなたはアルバンディス家に行って他の私の護衛と共にエルトシャンと子供達の護衛に付いて。ソフィアは私が必ず探し出すだから…今はあの子達をお願いするわ」
そういうとロレインは急いで離宮へ戻っていった。
その後すぐに王宮兵士達が大勢物々しい装いでやってくると屋敷の捜索を再開した。
捜索の結果、離れの建物から少し離れた人気がない草むらでロディがいつも大事そうに持っていた彼のイニシャルが入ったハンカチが見つかった。しかしソフィアの姿も失踪した手がかりも一向に見つからないままだった。
すでに深夜になっていたが離宮に戻ったロレインの元を訪れる人物があった。
「来たわね。すぐに報告をして」
物音も立てずに入ってきた人物にロレインは驚きもせず目をやる。
ロレインの視線の先には栗色のさらさらした髪を短く切りそろえた若い青年が凛とした様子でじっと立っていた。