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ロレインはアランを睨みつけた。
「今まで散々私の大切なソフィアを傷つけてくれたわね…。容態が良くない母上にも重い心労をかけるような事ばかり起こして…! 私が一番腹が立っている事は、双子の出産間近で不安で押しつぶされそうになっているソフィアに貴方がひどい言葉を浴びせた事よ。何を言ったか覚えているわよね?
双子の出産は命がけなのよ! 死の恐怖を必死に抑えていたソフィアにあなたは『子供が助かればお前は死んでもかまわない』そう言ったのよ!?
その言葉があの時の彼女にとってどれほど精神に苦痛を与える言葉かわかる? これから自分の子を産んでくれる女性に対して言っていい言葉では決してないわ。その言葉でソフィアは精神状態が保てなくなって一時的に意識を失った…。運が悪ければあの時ソフィアも子供達も死んでいたのよ!…」
アランの後ろにいたロディは殴られた主人の背中を黙って見つめているとアランに向けられるカインの怒りに満ちた視線やロイドやルルドの軽蔑、批難の感情をひしひしと感じていた。しかし、アランの愚行に同情の余地は微塵も無いので致し方無いと彼は思っていた。
ロレインは悲痛な表情で続ける。
「そんなにあのマリアを愛しているなら今すぐにでもソフィアを解放しなさい! 私が責任をもって彼女の幸せを一緒に探すから。まぁ、ソフィアならすぐに良い相手が見つかるわね。私利私欲の限りを尽くした挙句、フローラにとんでもない仕打ちをしたあの女よりもずっと美しく誠実で心優しいソフィアの方がずっとずっと魅力的よ。そうね…。あなたの友人のカルロスなんかは昔から今も一途にソフィアを想っているわ。彼ならあなたなんかよりも確実にソフィアを幸せにできるはずよ! 間違っても泣かせる事はしないわ」
ロレインはいつもの冷静沈着な態度から想像も出来ないほど激高していた。
「姉上…。私は間違っていたと気が付いたんです。それにどうしてあんなに熱に浮かされるようにマリアに好意をもってしまったのか今ではよく分からないんです。ソフィアには許されないくらい酷い言葉を投げつけて傷つける行為も沢山した。でも今は…こんな事許されない事だと分かっている…でも私はソフィアを昔と同じように…誰にも渡したくないほど愛しているんだ。だからこれまでの私の行為が愚かで残酷でとても許されない事をしたことも理解しているつもりです。でも…。彼女を手放したくないんだ…。許されない事だと分かっている、許されるなら心から詫びてソフィアと子供達ともう一度やり直したいんです…」
「あなたはあの三人を殺そうとしたのよ!? その事にもっと自覚を持つべきなのよ!あなたはソフィアや子供達とやり直したいと思っているようだけどそれはもう無理だわ。どうしたら自分と子供達を殺そうとした人間と絆を取り戻せるの?」
ロレインは激しい激高から一変して今度はポロポロと涙を流し泣き出してしまった。
その時、今まで黙って傍観していたカインが突然低く怒りに満ちた声でアランに迫ると彼の胸倉を掴み殴り掛かろうとした。
「いい加減にしろ!よくもそんな事を口にできるな!」
「カインさん。落ち着いて!」
ロイドが慌てて割って入って止めようとした。
ロイドの行動と言葉に少し冷静さを取り戻したカインがアランを掴んでいた手を乱暴に離す。
「あなたはもう許される範囲をとうに超えてしまったんだよ。そんな自分勝手な言葉、口にする権利もない!それに…彼女を命の危機にさらしたのはこの間の事件で二度目だ! しかも二度目も貴方の目の前で!」
カインが怒りを押し殺しながらアランに言葉を投げつける。
アランはカインとロレインの言葉にただうなだれる事しかできなかった。
ロイドは泣いているロレインを近くの椅子にゆっくり座らせると彼女に自分のハンカチを差し出して落ち着かせようと慰めた。
ロレインが落ち着きを取り戻した頃、アランが項垂れながらも彼女に向けて口を開いた。
「それでも…。ソフィアに心の底から謝罪だけはしたいのです…。彼女にずっと謝りたかった。でも私は彼女にどんな顔で会って許しを請えばいいのか分からないでいました。自分でも情けないくらい女々しく悩んで謝罪する事に二の足を踏んでいました。許されるとは思っておりません。彼女がこの部屋に戻ってきて彼女と顔を合わせたら今度こそきちんと向き合って誠心誠意謝りたいのです」
ロレインはそんなアランの様子をしばらく黙ってみていた。
沈黙が続く。
「情けない…。その一言に尽きるわ…。今まで何をしていたの?愚の骨頂だわね…」
「謝罪を受けるかどうかはソフィアが決める事よ…謝罪される事でさえ拒否をするかもしれない」
イスにもたれ掛かりながら疲れ切った様子でアランを見る事なくボソリとそう言葉を発した。
「ソフィアに関する話を始めるわ」
抑揚のない声で静かにロレインが話を始める。
「マリアがソフィアに対して良くない企みをしているわ。少し前に街でソフィアが暴漢に囚われた事件があったでしょう?あの時どうしてこの家の騎士団員でもあるソフィアの護衛がしっかり動かなかったのか疑問に感じなかった?ここにいるカインがいなかったら確実にソフィアは刺されていたわ」
「それは私も疑問に思いました。すぐにその時の護衛の兵士達を一人ずつ呼んで問い詰めました。皆もっともらしい言い訳をするばかりで埒が明かなかった。結局彼らをしばらくの間謹慎処分する事しかできませんでした」
アランはロレインにそう報告する。
「ソフィアが子供達と街に買い物に行くと言っていたあの日の当日、お昼を過ぎた頃だったわ。ソフィア達がそろそろ街に着いている時間だとふと思っていた時、私の従者が偶然茶色のフードで顔を隠した男とマリアが何やら内密に話をしている場面を目撃したと報告を受けたのよ。気になった従者が咄嗟に身を隠して密かに聞いた話の内容は誰かを街で襲撃する段取りの打ち合わせをしているようだったと聞いたの。しかもそのフードの男は襲撃する人物の予定を詳しくマリアに話していたそうよ。その後すぐにマリアも出掛けた。私はその報告を聞いて嫌な予感がしたの。すぐにカインと私の護衛数人に話をして街に出ているソフィアを早急に探すように命じたのよ。アルヴィスの悲鳴を聞いて駆け付けたカインがソフィアを見つけた時、既に彼女は暴漢に捕らえられていたわ。間一髪でカインが投げたナイフがソフィアを助けて事なきを得た」
「あなたもあの時マリアの横で彼女の護衛としてそれを見ていたからよく知っているわよね」
「…はい」
アランがそう答えるとロレインは続けた。
「あの時マリアの気まぐれで急遽彼女と街に行く事になった。彼女がとても急いでいたので護衛は近衛の貴方しかいなかった…。だから唯一の彼女の護衛である貴方がマリアの傍を離れてソフィアを助けに行く事が出来なかった…。そうよね?」
「…はい」
アランは表情を歪ませながらそう答えた。
ロレインはため息を一つ付くと再び沈黙が訪れた。
「結局そのフードの男は一体誰だったのでしょうか…」
しばらくして口を開いたルルドが誰もが思っていた疑問を口にする。
「マリアと話をしていたフードの男が誰だったのか未だに分からないの。あの日なぜマリアはソフィアが街に出る事を知っていたのかしら…。ソフィアは護衛の用意を頼むためにロディと支度の準備のためにメイドのベルカにだけは話をしていたそうよ。街に行きたがっていた子供達には驚かせようとして当日初めて出かける事を話したようなのよ。アラン、あなたは誰かにあの日のソフィアの予定を話した?」
ロレインが再びアランに質問をする。
「はい。一人だけに。ロディにその話を聞いて腕の立つ団員の兵士を数人その日ソフィアに付けるので連れて行くと副団長にだけ話をしていました。この時はまだ誰をつれていくのかは伝えていませんでした。私は当日の朝初めて、護衛に付く兵士達にソフィアと子供達の護衛を命じました」
ロレインの問いにアランがそう答えた。
「あぁ…何てこと…。マリアと密会していた問題の人物はその副団長が怪しいわね。その副団長があの時マリアと話していた人物だったのならドリュバード家の騎士団の情報は全てマリアに筒抜けじゃない!この屋敷の護衛をしている兵士だって副団長に毎日職務報告をしているのだからソフィアの情報だってマリアに漏れているわ。まさかその護衛の兵士の取り調べの時も副団長が一緒だったの?」
そう言いながらロレインがアランを見る。
「はい…。彼らの直属だったので…」
「副団長があの事件に絡んでいたのならその護衛もその場で下手な事は言えないでしょう。でも副団長はいつマリアと知り合ったの?…いつから情報が洩れている可能性があるのかしら…」
「二ヶ月前に一度だけ彼を連れて職務の関係で王宮に出向いた事があります。私はその後雑務があったため彼だけ先に戻しました」
「きっとその時ね…。ちなみにその副団長はどんな人物?」
「はい。明るい茶色の長い髪をいつも一つに束ねています。細身に見えますが、鍛錬で鍛えられたがっしりした体形でわりと整った顔をした男です。それにとても腕が立つ男です」
「あぁ…。マリアの好みでもあるわね…こちらの情報を得やすくて腕も立つ人物…副団長が例の人物なら厄介な相手がマリアに付いたわね…」
「義兄さん…とりあえず今できる事をすぐにやらないと。その副団長を呼んで話を聞こう。彼は今どこにいるの?」
「…。副団長だけは兵士専用の宿舎にはいないんだ。この屋敷の敷地内に小さいが別邸があってそこで寝起きをしている」
「では私が呼んで参ります」
ロディはそう言うと副団長を呼びに急いで部屋を出ていった。
ロディが出て行ってから部屋には重い沈黙が続いた。
「アラン様。よく聞いてください。何故マリアに好意を持ったのか疑問だったといっていましたがその問いに対する答えを私は知っています。アラン様の肩を持つつもりは毛頭ありませんが少し私の話を聞いてください」
誰もが口を閉ざして静まり返った空間にフローラがただ一人口を開いた。